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かぼちゃ提灯は笑う(3)

 
...............................................- R大魔術研究会-
 

星空 いき

Hosizora Iki













.......................................... 登場人物
..10月30日が日曜、31日は月曜に当たる。R大オープンキャンパス(+ハロウィン)開放時間は、30日が13:00〜20:00、31日は9:00〜16:00となっている。30日9時、魔術研究会のメンバーたちは集合した。TはGp(グランパ)の退院付き添いで遅れるという。部室は混乱を極めている。室内は女子の更衣室となり、身の置き所がない。男子の更衣・メイクは外のブルーシートの陰だ。<オレ、どっちだ?>もちろんQも追い出された。メイクのあと、白い浴衣に着替え鬘をつける。今回は初めての和装美人だ。なんとなく気合がはいる。身支度はすぐに終わった。あとはNに仕上げをしてもらうつもりだが、てんてこ舞いの最中だ。待つことにした。支度が済むとQには特にやることがない。火事場騒ぎの喧噪の中にぽっかり生じた真空状態だ。ぼーっとしていると、<1年前もばたばたしていたなー…>、記憶が蘇る。1年前のオープンキャンパスの客寄せ公演で突然女形を指名された。それが、Yや「むげん莊」の家主と関わることになった発端だ。さらに家主の家の留守番になり、家主の妹の小百合と親密になった。<あの時まさか1年後こうなるとは、神様だって予測できない…>女形になったのは、元はと言えばLのケガのせいだ。<Lちゃんが階段で足を滑らせなければ、「たんぽぽ」になることもなく、Y、家主、小百合との出会いもなかった>そう思うと不思議な気分だ。<もしLちゃんが階段で踏みとどまっていれば、その後のオレは全く別の生き方をしていた。おそらくコンビニのバイトを続け、腹を減らし、スマホ料金や家賃の引き落としに苦しんでいたにちがいない…>
W :Qくん、支度できたか?
..声がした。見るとWが立っている。
W :おお、和装もいけるじゃないか。
Q :先輩、早いですねー。もう準備ですか?
..メイクすると、自動的に女装スウィッチが入る。
W :鬘をとりにきただけだ。ぼくの出番は夕方からだ。それまでにはお化け屋敷に行くよ。何か問題でもあるのか、深刻な顔をして。
Q :そんな顔していました?1年前のこと思い出して、人生っておかしなモンだなーって。Lちゃんがケガをしなければ、いまの生活は無かったんだと思うとなんだか不思議で。
W :そうだな。たんぽぽちゃんになることも、殺人事件に関わることもなかっただろうな。
Q :もしかしたら、人生って、殆どが本人の意志と関係ない偶然の連続にすぎないのか、という気分です。
W :かもな。
Q :いやだ〜、事件で思い出しちゃった。あのバカ刑事はどうしてるかしら、ウーパールーパ。
W :おー、懐かしい名前だ。きっと相変わらず名推理を働かせてがんばっているんじゃないか。
..2人はウーパールーパの風貌を、特に困ったときの情けない顔を思い出し同時に笑う。
Q :キャリアならキャリアらしく出世コースで大人しくしていればいいのに、勝手に張り切ってオウンゴールを連発するタイプですよね。そう思うとちょっと可哀そうっす。
W :はは、どこかピントが違うんだよな。人間は悪くない、愛すべき人格なんだけどな。
..このとき、まさか近々にそのウーパーとまた関わろうとは夢にも思わなかった。
..大学のどの門も普段は開放されている。が、今日は黄色いロープを張った警備員が侵入を拒んでいる。それでも10時ころには開門を待つ魔女・狼男たちが集まりだした。外の警官たちは、車道まで溢れ出す妖怪たちが一列になるように悪戦苦闘していた。12時前には、近くの交差点周辺がとうとう限界に達し、 警察の要請で開門を30分繰り上げることになった。ロープがはずされ、色とりどりの群衆がにぎやかにキャンパスになだれ込み、軽音部の軽快な音楽が流れ出す。警備に駆り出された運動部は、ハンドスピーカーで一方通行であることを告げ、逆走を食い止める。随所に「これより立入禁止」の立て札が立てられたが、時折踏み込む者もいてすぐに忙しくなった。高校生には特別にリーフレットが配布される。キャンパスライフの楽しさや部活の成果を強調した事務局の眼玉だ。受験者増加の期待を背負い、配布の呼び込みががなりたてる。部外者の出店は許可されなかったが、学生生協と一部のサークルの販売は認められた。ビールやクレープ、焼きそばなどのテントが並んでいるが、突然の繰り上げに慌てふためいている。ともかく、キャンパスはあっという間に騒音に溢れた。
ネズミ:たいへんだぜー!
..1年生のネズミ男が「お化け屋敷」に飛んできた。Nが会員を集め、段取りや注意事項を言い渡しているところだ。
ネズミ:もうヒトが入り始めた!
..「えーっ!」と驚きの声が上がる。
N :ウソー!まだ30分前よ。
Q :わたし見てくる。
..「お菊」のQは飛び出す。が、浴衣に下駄ばき、やっぱり走りにくい。苦闘していると、反対からやってくる怪しげな一団と出くわした。背に羽根のある妖精と目が会った。「きゃー」と傍に飛んでくる。
--:写真いいですか?
Q :は、い〜?。
..妖精は、横に並ぶと自撮りだ。それを見た魔女・妖怪たちが、我も我もと取り囲む。あたかもそれが、最初からセッティングされた「お菊と撮影コーナー」と勝手に勘違いした連中によって、押し寄せる流れは堰き止められた。Qは5,6人付き合ったが、どんどん後から押してくる。
Q :ごめんなさい!
..とうとう逃げ出した。が、もみくちゃにされ、浴衣ははだけ髪型もぐずぐずだ。お化け屋敷では、すでに全員が配置につき照明は消された。その中に、Qは息を切らして飛び込んだ。
Q :助けて。殺される。
..Qは息を弾ます。
N :どうした?
..小さな明かりがQに当たる。闇の中に振袖の、耳まで口が裂けている女が立っている。
..Gya--!
..Qはその場にへたりこんだ。
N :なに驚いてんの!
..<そうか、N先輩は「口裂け女」だった>明かりは、Nのキーホルダーのライトだ。
N :なーに、そのカッコー。まるで「おひきずりさん」よ。
Q :な・ん・す・か、それ。
N :「はいからさんが行く(大和和紀のマンガ)」、知らないの?あの「お引き摺りさん」よ。どうしたの?
Q :お化けたちが押し寄せてきます。
T :そりゃ来るだろーよ。
..すぐ傍に、突然血みどろ、ざんばら髪の武士の顔が浮かぶ。
..Gya--!
..Qは叫ぶ。
T :お前なー、いちいち驚いてどうすんだよ。
..Tだ。
Q :あーびっくり!、先輩の持ち場は、外っすよ?
T :まだ明るい。暗くなるまでここだ。
Q :けど、やっぱ「晒し首」が似合う顔っす。
T :うれしくねぇよ。
..外に、話し声や笑い声が近づいてくる。
Q :来ましたよ。
N :さあ、配置について。やりすぎないようにね。適度に刺激すればいいんだから。
..3人はキーホルダーの明かりをつけ自分の持ち場に散った。
..ここまで辿り着いた者たちも、開け放ったドアーの先へすぐには踏み込めない。そこで、入るか止めておくか、しばし悩むのだ。建物の中からは、時折悲鳴が届いてくる。女子連れは、相談の結果結局スルーしてしまう組も少なくない。Nはドアーの窓近くに陣取っている。一度に入り過ぎないように、入場者数をコントロールするためだ。入り過ぎたと思ったら、ドアーを閉じる。もう一つの役割は、入場したらすぐに「口裂け女」で脅す。一気に恐怖モードに引き込もうという心理作戦だ。
..その後これといった問題も、さしたる混乱もなく過ぎてNは安堵した。「口裂け女」もだんだん惰性になっていった。夕近くなって、ドアー前に立った宇宙人ぽいカップルの会話が聞こえた。
オトコ:入ろうぜ。
オンナ:わたし、こういうのダメなんだって。だから入ったことないの。
オトコ:たいしたことないって。だってよ、無料、タダだぜ。
オンナ:いや。こわいから。
オトコ:「お化け屋敷」だとふつう500円取られるぜ。せっかくタダなんだから初体験チャンスだよ。入ろうぜ。
..男はどうしても連れ込みたいようだ。Nは聞くともなく聞いている。<そうか。入場料取ればよかった。クッソー、損した>Nの部長魂に小さな火がともる。2人は入って来た。飛び出したNの迫力は凄かった。まさに金(かね)の恨みが乗り移っていた。
..Khyii------
..女の悲鳴が空気を引き裂き、床に倒れこんだ。驚いた男は、声を掛け抱き起そうとするが、女はぐったりしている。これにはNも驚いた。すぐに駆け寄った。
N :大丈夫ですか?
..声を掛け、頬を軽く叩く。「うーーん」と微かな声がして体が動いた。
オトコ:おい、だいじょうぶか!しっかりしてくれ。
..男が名前を呼び続けると目が動いた。動転した男はNに食ってかかる。
オトコ:化け物が出るんじゃねーよ!
N :?、ここはお化け屋敷よ。出るに決まってるじゃない!
..男の目が泳ぐ。抱えられていた女が唸りながら自力で起き上がった。
オトコ:アンタはどいて!また驚くから!
..Nは立ち上がり、ドアーを閉めると照明をつけた。突然明るくなって、隠れていたメンバーたちは「なにごと?」と出て来る。明かりで女も気を取り直し、2人(匹)の宇宙人は入り口から出て行った。
B :なにかあったの?
..Bは「のっぺら坊」だ。
N :ちょっとやり過ぎた。
..「お菊」が笑う。
Q:男もビビっていたっす、「化け物が出るんじゃねぇ」だって。
N :奥で休憩にしよう。
..10分の休憩になった。缶ジュースが配られ、それぞれ適当に腰を下ろす。
N :あーあ、損したなー。
T :何が?
N :今日の入りなら、かなり稼げたのになー。
Q :そうすよ。今から取りましょうよ。
N :ダメよ、事務局を通さなきゃ。第一、チラシに無料って唱ってある。
T :今回は集客が目的だから、まぁ仕方ないさ。もし次回があれば、その時考えるんだな。
..突然、外で大勢の悲鳴が沸きあがり響いてくる。
T :なんだ?
..全員の眼が見えない外に向かう。
N :もしかして、「大入道」じゃない?
T :きっとそうだ。Wが始めたんだ。
..Tは立ち上がる。
T :じゃ、オレ、外の持ち場に付くわ。さーて、脅かしてやるぞ!
..それで休憩は終わった。再配置に散って再び暗闇になる。夕方を過ぎてますます人出が増してきた。身を潜めるQの耳に話し声が近づいてくる。<来たな>すぐ傍に来たようだ。Qは気合を入れて立ち上がる。
Q :う〜ら〜め…
..相手を間近に見て驚いた。エイリアンが牙をむいて掴みかかろうとしてきた。
..Gya--!!
..叫んだのはQだ。屈んで身を隠す。鼓動がばくばくして息が苦しい。
エリアン:勝ったー!
..エイリアンは大笑いだ。それからは、お化け屋敷は「和」と「洋」の決戦ダンジョンと化した。妖怪たちが次々となだれ込み、悲鳴をあげ逃げまどっているのは「和式お化け」だ。初めの内こそ内部に詳しい会員が有利だったが、次第に追い詰められていった。そして極めつきはゾンビの集団だ。血まみれの肉片を垂らし、唸りながらひたすら前進する。女子会員は泣き叫び逃げまどう。<銃だ!>思わずQの手が腰を探る。<無い!>いつものゲームなら銃をぶっぱなすところだが、その銃が無い。背中の特製ソードも無い。棚の奥に隠れるしかなかった。
..Tは、繁みの前の晒し台に首を乗せ通行人が近寄って来るのを待っている。近づいた所でカっと目と口を開く。それだけでほとんどのモノは逃げ出す。初めのうちこそ真剣にやっていたが、だんだん飽きてきた。それと反比例して、屋敷の方で悲鳴が大きくなりにぎやかになっていった。<がんばってるようだな>まさか会員たちが脅され逃げ惑っているとは思わない。<さーて、もう一踏ん張りするか。早くビールが飲みてー>思ったところに声がかかった。すぐ傍でWの声がする。
W :おい、T。
..Tは屈む。
T :なんだよ。
W :ちょっと替わってくれ。はずせない用ができた。
T :そーか…仕方ないな。
..腰をかがめWの後に付いて行く。
T :それにしてもよく入ったなー。これだけ来るとは思はなかったぜ。
W :全くだ。事務局は喜んでいるだろう。これで値上げが回避されればいいがな。
..機材の場所で交代した。
W :悪いけど戻れないと思う。後片付けも頼むよ。
T :いいけど、一つ貸しだな。今度おごれ。
W :OK。後を頼む。
..Wは闇の中に消えた。<ま、いいか。晒し首も飽きてたし>それからTは10分ごとにスモークを焚いた 。
..Wは正門へ急ぐ。小百合から電話が入ったのだ。「あなたやQ君の仮装を見たいと思ったんだけど、人がスゴイんでこのまま帰ります」と言う。Wはあわてて引き留めた。財団との交渉が、その後どうなっているのか一刻も早く知りたいからだ。ずっと気にはなっているが、緊急事態発生なら連絡があるだろうと、つい後回しになっている。小百合は正門にいた。Wは仮装を落とし着替えてくると言ったが、
サユリ:いいじゃないですか、この辺り妖怪やお化けだらけです。そのままの方が反って目立たないですよ。
..と小百合は笑った。Wはまだ夕食を摂っていない。訊くと、小百合も未だだと言う。2人は近くのファミレスに落ち着いた。小百合の言うとうり、店は魔女や妖怪の集会所と化し賑やかだ。周囲を見渡して小百合が言う。
サユリ:まるでヴァルプルギスの夜ね。わたしの方が完全に浮いちゃってるわ。
W :ほんとうに。これだけ集まると、もう何でもありですね。そうそう、Qくんの「お菊さん」、写真ありますよ。
..スマホの写真を見た小百合は頷いた。
サユリ:思ったとうりね。
W :は?なんでしょう?
..小百合によれば、Qはきっと和服の方が似合うと前から思っていたと言う。
サユリ:これで「藤娘」や「鷺娘」を踊ったら、歌舞伎役者顔負けよ。ぜひ見てみたいわ。
W :へー、伝えておきます。ところで、財団の方はどうなっています?なにか動きはありましたか?
サユリ:はい。今夜はそのご報告で参りました。
..先日、2人が電話で相談した翌日、財団から前回と同じ顔ぶれがやってきた。そこで小百合は打ち合わせどうり、「3点なら考えてもいいです」と答えた。すると担当者は明らかに失望し、戸惑いが顔や言葉に出た。
タントA:3点ですか…たった…
タントB:叔父様から10点で納得していただいたと聞いて伺ったのですが。
サユリ:叔父から…?、わたしはそんな話し聞いていませんし、納得した覚えもありません。
..しばらく押し問答が続いた。そして担当Aは席をはずしどこかに電話した。やがて戻ってくると、また同じ会話が繰り返された。15分も経ったころ、
タントA:分かりました。では、こういうのはいかがでしょう。今回は3点で了解いたします。その替わりといってはなんですが、前回「贋物」と鑑定された2点をお譲りください。財団で買い取ります。
..と、申し出た。
サユリ:?、ニセ物を買われても仕方がないでしょう。
タントA:参考資料です。「真作」ではないにしても、同時代の手、または心あるヒトの写しなら参考にはなります。
タントB:どうせ持っておられても2足3文の代物ですから、幾らかにでもなる方がよろしいのでは?
タントA:蔵の方もその分整理がつきますしね。
W :そう来ましたか…で?
サユリ:向こうが言いますのに、軸が2万円、碗が1万円ということでした。わたしはどうしたら良いか迷い、黙っていました。心のどこかに「確かに不要なモノを処分すれば片付く」という気持ちが動いたのも事実です。すると、Aが再び電話に立ちました。帰って来てからも返事を渋っていますと、軸が3万、碗が2万に値上がりしました。
W :値上がり…ですか…
サユリ:わたしは、こんな話し早く終わってほしいと疲れてきましたので、思い付きを提案しました。「新たに3点は貸し出します。それに前回の中から1点だけなら譲ります」と。
W :…譲るとおっしゃった。
..Wはビールのグラスを上げると、残りを飲み干す。
..結局小百合の提案を相手も了解し、蔵に入った。
サユリ:そして、ですね…
..小百合の表情が厳しくなった。Wも緊張する。担当者が3点の選択を終え、前回の「贋作」の2点を出してほしいと言った。小百合は、前回の軸1点だけを置いた。
タントA:あのー、もう1点、軸があったはずですが…
タントB:鉄坎の湖水画ですよ!
サユリ:ああ…
..小百合は、咄嗟に嘘をついた。
サユリ:あの軸は、もう売却いたしました。
..Aの顔色がみるみる変わった。
タントB:売却した…!
..Bも素っ頓狂な声を上げた。
サユリ:はい。ニセ物を持っていても仕方ないので、希望の方に5万円で。もちろん「模写」ですよとお断りして、喜んで引き取られましたよ。
タントA:そんなー…
..担当2人は暫く言葉を失い、酸欠の金魚状態だった。
W :軸が無事でなによりです。すばらしい対応でしたね。
サユリ:それもあなたのおかげです。再鑑定していただかなければ、本当にタダ同然で処分していたところです。ありがとうございました。
W :それで、叔父さんの方はどうですか、何か分かりました?
サユリ:ええ、ちょうどその頃に電話がありましたので、「どうして財団と関わることになったのか」問い詰めました。
..初夏のころに叔父を訪ねて来た者があった。なんでも、今度美術品の保護を目的とした財団が設立される。ついては、協力願えないかと言う。
サユリ:叔父も不審に思い、「私は美術界にも骨董の世界にも無縁だ。何故私なんだ?」と訊いたということです。そうすると相手が本音を漏らしました。我が家との中を取り次いでほしいと。
W :ちょっと待ってください。ということは、最初からお兄さんの所蔵品が目的、狙いだった、小百合さんの実家には美術品があると知っていたということですか?
サユリ:そういうことです。兄が大量の美術品を所有していると知っていて、叔父に近づいて来たらしいです。
W :でも…
..Wはそこで言葉を飲む。<それで何故叔父が仲介を引き受けたのか…>想像はつくが、言葉に出すのはためらった。小百合は、Wの気兼ねを察知したようだ。
サユリ:恐らく…これはわたしの想像にすぎませんが…財団と叔父の間で何らかの取り引きが成立したのではないでしょうか。例えば、騙し取るのに成功したら利益は折半するとか…
W :んー…。
サユリ:叔父を問い詰めてもそんなこと認める訳がありません。ですからこの件には触れませんでしたが、口振りにあいまいなところがあり、なにかを隠しているとは感じました。だから叔父は熱心に、時には脅しまがいにわたしの説得に努める、そう考えますと無いことでも無いと思われます。
W :ありうるかも知れません。
サユリ:前にも申したとうり、叔父は存在さえ忘れていました。交流などなかったのに、突然現れた訳もそれなら納得できます。
W :そーですねー、どうでしょう、実家に多くの美術品があることを知っていそうなヒトは沢山いますか?
..小百合の目が天井を泳ぐ。
サユリ:さー…、今となっては古い話しなので、詳しいことは分かりませんが、何人かは父の趣味仲間がいたようです。わたしが子どものころ、時折集まって楽しそうに壺などを披露し酒を酌み交わしていた光景を覚えています。おそらくその時が父の至福の時間だったのでしょう。でも人数的にはそんなに多くなかったようです。せいぜい3〜4人でしょうか。
W :お兄さんはどうです?
サユリ:兄にはそうしたツレはいなかったと思います。わたしの記憶にはありません。それに兄は、骨董より絵画の方に興味があったと思います。どちらにしても趣味仲間というモノはなかったと思いますよ。
..そして小百合は思い出したように軽く笑う。
サユリ:兄は何にでも手を出すヒトでしてね、自分でもたまには絵を描いていました。蔵に結構作品が残っていますよ。
W :ほー、油絵ですか。
サユリ:それも何でもです。油、水墨、水彩、顔彩からクレヨン、色鉛筆まで何でもありです。おそらく全て自己流です。楽器もやっていました。なかでもチェロがお気に入りのようでした。素人のわたしには分かりませんが、チェロは結構上手でした。
W :ほー、意外ですね。
..小百合は声に出して笑いだす。
サユリ:あなただって!フォークでハンバーグを食べる「落ち武者」が様になるとは思いませんでした。不思議な光景ですよ。
..小百合と別れWは大学に戻る。開放時間は終っていた。静まり返ったはずの構内が、いつもと違う。遠く、お化け屋敷辺りの木々が赤色灯を反映して点滅している。それが緊張感を漂わせている。
W :何かあったんですか?
..行く手をさえぎった警備員に学生証を提示して訊いてみた。
ケイ1:怪我人がでたらしいよ。さっき救急車で搬送されたけどね。ほら、今パトカーが来ている。
W :怪我人?大変じゃないですか。
ケイ2:オレは死人だって聞いたぜ。
..横から別の警備員が口を挟み、Wは屋敷に駆け出す。が、すぐに足をを止めた。すでに救急車が搬送したという。<ぼくが行ってどうなるものでもない>部室に向きを変える。
..ドアーを開けると、メンバー全員の視線が飛んできた。と、同時にほぼ全員が立ち上がり悲鳴があがった。女子たちは隅の角ヘ逃げへばりつく。半泣き状態だ。
W :どうした?ぼくだよ。
..椅子から落ちたQが這うように近づく。
Q :もしか…W先輩?ほんとーに?
W :もしかはないだろ。どうしたっていうんだー?
Q :生きてたんすか?
W :おいおい、なんだい。
..Qは、Wの体を足から徐々に撫で上げる。
Q :ほんとーだー!W先輩だー、よかったー、生きてたんすねー!
..壁まで逃げていたメンバーたちも恐る恐る近づいてくる。そして口々に安堵の感想を漏らす。
B :本物の幽霊かと思った。
W :どうしたっていうんだよ?
Q :だって、先輩、倒れていて救急車で運ばれたっす。
N :スモークの傍だったし「落ち武者」だから、みんなてっきり先輩だと思った。
B :じゃ運ばれたのは…
..N、Q、Bが声を揃える。「T先輩!
W :Tが!…傍で見れば分かっただろ?
Q :分かんないっすよ。同じ仮装でドーラン塗ってんだもん。
W :「武者」姿に間違いないのか?
B :間違いないっす。
W :実は、スモークな、途中で交代してもらったんだ。
N :それで…か。
W :で、怪我というか、程度は?
Q :分かんないっす。だって傷シールに血糊だらけっすよ。怪我してるのかどうかさえ見分けがつかない。微かにうなってはいたけど、意識ははっきりしていなかった。
W :事故か?機材の異常とか。
N :いえ、機材に異常はありません。襲われた…
Q :もめ事でもあったのかなー。喧嘩かな?けど、喧嘩なら見てたヒトがいないはずないっす。あんなにヒトが居たんだから。先輩、いままでどこ行ってたんす?
W :ヒトに会っていたんだ。とにかく病院へ行こう!
..Wは着替えるとQ、Nともに病院へ急いだ。

..翌日午前、ウーパールーパ(Wがつけたあだ名・警部補・元刑事)は、交番の外に出るとタバコの火をつけた。目の前は、道路を挟んで川が光っている。その向こうは丘陵地帯だ。秋まではあちこちから鳥のさえずりが聞こえていたが、今は静かだ。おとつい市民から熊の目撃情報があり、2日ほどばたばたした。それが、春に着任以来の一番の事件だ。後は自転車と原付の接触事故、認知症老婆の行方不明の捜査だけだ。肩書は「派出所長」で、署の地域課から巡査2人が部下として来ている。深くタバコを吸い込む。見るともなく色の褪せた風景を眺めていると、<もしかしてダマされた?飛ばされた?>という思いが沸いてくる。移動内示の時の上司の言葉は、「派出所経験は是非必要だ。現総監だって若いとき派出所勤務をされている。2年もすれば本庁に呼び戻すから現場で修行して来い」だった。だが、その後いろいろ見聞きするに、その言葉を鵜呑みする訳に行かないという気がしている。大きく息を吐くと白い煙が登っていく。
オトコ:お巡(まわ)りさーん!
..切迫したドラ声が呼んだ。見るとタオル鉢巻の、作業員らしき男が軽トラックから手を振っている。
オトコ:大変だー!ヒトが死んでるー!
..<なに!>ウーパーは小さな目を見開き、車に駆け寄りながら叫ぶ。
ウーパ:どこだ!本当に死人か!
オトコ:ああ、死体だ。町はずれの河川敷だよ。高麗橋のそば!
..ミニパトカーも自転車も部下が乗っていった。
ウーパ:悪いが送ってくれ。足が無い。
..返事を待たず、ウーパーは助手席に乗り込む。
オトコ:分かった。早く乗んな。
..すでに橋の上も河川敷もヤジ馬が取り巻いていた。男とウーパーは人垣を除け急いで駆けつける。ダークグレーの流木のようなモノが半分川に浸って横たわっている。すぐ傍で見ると、衣服は裂けさまざまに汚れている。<とにかく生死を確認しなきゃ>俯せの顔を持ち上げて、呼吸を確かめようとしたウーパーの心臓が跳ね上がった。<なんだ!これは…!> それは人間ではない。あえて言うならゾンビだ。覗き込んでいた男も叫けび、2,3歩退いた。
オトコ:Gya−!ゾンビだ!
..救急車のピーポーピーポが近づいて止まった。ウーパーは脈も確認する。救急隊員が駆け付ける。ヤジ馬の誰かが救急要請したのだろう。
ウーパ:死亡しています。
..「そうですか…」と隊員は、瞳孔、脈、呼吸をチエックし、引き上げた。その間にウーパーはミニパトの部下(巡1)に電話してすぐに来るように伝え、本署に連絡を入れた。そしてヤジ馬を下がらせ警備に当たっていると、ミニパトが駆け付けた。
巡1:殺しですか?!
ウーパ:決めつけるんじゃない。
..やがて本署のパトカーが到着し、ウーパーと部下は黄色い警戒線を張りヤジ馬と交通の整理に当たった。少し経ってもう一人の巡査(巡2)が自転車で汗をかいて到着した。そのときウーパーに閃くモノがあった。巡2に耳打ちする。
ウーパ:スマホでな、ヤジ馬の写真を撮っておけ。できるだけ多くな。
..今は当然捜査には参加できない。が、死体が刑事魂に火をつけた。
巡2:写真ですか?
ウーパ:念のためだ。
..鑑識と捜査は夕方に終了し、ウーパーたちは派出所に引き上げた。
巡1:あー疲れた。ゾンビの死体なんてびっくりでした。
巡2:なんでゾンビの恰好をしてたんでしょ?
巡1:知らないのか?今日はハロウインだ。
巡2:ああ、それで。じゃ、会場にでも行くところだったんですかねー。
巡1:どうかな?とにかく身元が判明しないことには捜査も進まないだろうな。所長、身元は分かったんですか?
ウーパ:いや、聞いた話しでは、身元の分かるようなモノは何も持っていなかったそうだ。所持金は536円。コートのポケトにワンカップの酒が2本、それだけだ。ハロウィンって、お化けの仮装をするあれのことか?
巡1:そうです。今日のはずです。
..巡2はスマホで何か調べている。
巡2:ああ、そうです。今日ですね。
ウーパ:それならあの仮装もとりあえずは納得できるな。集まる場所とか決まっているのか?
巡1:いえ、そういう訳じゃないです。最近では家や友人宅で仮装してパーティをするのも多いようですけど、とりあえずは渋谷ですね。毎年かなりの人出ですよ。とにかく近年の盛り上がりはすごいです。
..巡2が画面を見つめたまま口を挟む。
巡2:今年は、R大キャンパスも開放していますね。評判になっているようですよ。
ウーパ:R大?
..ウーパールーパーそのものの顔で問い直す。
巡2:はい。昨日今日と開放してますねー。えー…ああ、あった。昨日のR大はかなり集まったようですよ。渋谷より多いようですから相当な人出ですね。
巡1:なんでだ?
巡2:「更衣室・トイレ」が完備されたせいだと書いてありますねー。
ウーパ: R大か …
巡1:何か?
ウーパ:いや、なんでもない。
..R大、それはウーパーには忘れられない記憶だ。必然的にWを思い出す。
ウーパ:昨日もハロウィンやってたのか?
巡2:はい。昨日は午後8時まで開放していますね。
ウーパ:そうするとあのゾンビ、R大へ行ったか、行くつもりだった可能性はあるな。
巡1:そうですね。ただ…
ウーパ:何だ?
巡1:ケータイも持たず、財布も身分証もないというのはヘンですよね。出かけるつもりなら持って出ますよ。
巡2:誰かにや(殺)られて持ち去られたとか…
巡1:で無きゃ、最初から持っていなかった…つまり、ワンカップ2本買って536円残るだけの現金、それが所持物の全てだった…
巡2:所持品無し、500円とワンカップ…ホームレスなら何となく納得ですよね。
ウーパ:ホームレス…
巡1:うーーん、だけどよ、ケータイも現金もないホームレスが、わざわざ仮装してハロウィンに参加しようという気になるか?電車賃だって要る。
巡2:まあ無いでしょうね。ホームレスの線は無理がありますね。
ウーパ:ホームレスかどうかは置いといて、自殺の線も無いだろな。
巡1:なぜです?
ウーパ:だってよ、死ぬなら折角買った酒を飲んでからだろう?
巡1:そうですよねー…となると、事故か事件。
ウーパ:明日には死因やいろいろ判明するんじゃないか。第一、捜査はオレたちの仕事じゃない。今日はもう上がろう、疲れただろ。
..2人の巡査を先に帰し、ウーパーは残った。何かが内臓の底に引っかかっている。すぐに帰る気分になれないのだ。それが何なのか分からないが落ち着かない。しばらくタバコを吸っていたが、揉み消すと電話を取った。相手は、本署の中で自分に親しくしてくれる先輩刑事だ。同じ大学出身で、ここまで似たような経歴を歩んでいる。ゾンビのその後を訊いてみる。行方不明・捜索願のデータベースに該当者らしき者はなく、過去の犯罪者リストもヒットしない、よってあす司法解剖する事になった。それだけの情報を手に入れた。<ようするに「身元不明者」だということが分かった。それだけでも進歩だ>そして、Wが思い起こされた。<「むげん莊」事件はWの予言どうり「お宮入り」だ。随分がんばったつもりだが解明できなかった。それで「派出所勤務」にされたのか…>ウーパーの勘では、Wはあの事件の全貌を知っている、知っていて黙っている、としか思えない。ウーパーは長い時間、身じろぎしないで沸いてくる想念に浸っていた。
..そして1週が経った。ようやくTもベッドを離れることを許された。病院の屋上には、何度目かの見舞いに来たW、Qと頭にターバンのように包帯を巻いたTがいる。
Q :先輩、おめでとう。よかったっすね。
T :ああ、ありがとう。これで一安心だよ。
..今日午前、Tの家に「社会保険労務士」の合格通知が届きM.T(マムT、Tの母)が病院へ駆けつけた。ネットでも合格発表は見ることができるが、Tは誰にも(親にも) 受験番号を教えようとしなかった。WとQも今初めて合格を知ったのだ。
W :おめでとう。やったな。大丈夫だとは思っていたけどな。
T :まーな。オレもそんなに心配はしてなかった。実力よ。
Q :えー!、それ、アリっすか。あんなにビビってたのに。「シイタケの根は皮が無い」って、先輩のことだ!
T :また訳の分からん事を言う。
..Wは爆笑だ。
W :それ、もしかして「舌の根が乾かない内に」じゃないのか?
Q :ああ、それそれ、そうとも言うっすよ。
T :全く、お前ってヤツはいちいち通訳が要るな。
..Wは笑いながら思う。<コンビ復活だな。やれやれだ>
W :ところで、やっぱり何も思い出さないか。
T :事件か?警察にもしつっこく訊かれた。オレも考えたんだけど…特にこれという事は何も…なんせ闇の中だ。
W :わずかな音や匂い、何でもいいんだが…
T :そうは言ってもいきなりだったし、後ろからだからな。
W :そうだよな。ま、思い出したら教えてくれ。
..実は事件翌日Wは一人で現場へ行ってみた。スモークを張っていた辺りは、警察の捜査のせいだろう、踏み荒らされていた。もし計画的にTを襲ったのなら、どの経路を辿ってくるか、周囲を見回し予想される範囲を調べていると、「お化け屋敷」の裏に行き着いた。注意深く進むと、乾いた砂地に靴跡がくっきり残っている。こんな場所に踏み込む者はまず居ない。屈み込んでよく見ると、靴裏に大きな亀裂が走っているのが分かる。それがWの注意を強く引いた。<今にも裂けそうだ。普通はこんなの履かない>サークルの「探偵クラブ」に頼んで石膏型を採ろうかとも思ったが、結局写真を数多く撮った。<どんな意味を持つかは分からないが、いつか役に立つかも知れない>
T :初めて入院して分かったよ。こんなにも退屈なモノだと思わなかったぜ。だから、つい人恋しくなる。
Q :そんなもんすか?ヒマそうでいいなーって思ったす。
T :見舞いをしてくれるなら金も物も要らない。顔を見せて話し相手になってくれるのが一番だ。それが身に染みたぜ。
W :そうか、できるだけ顔を出すよ。
..WとQは大学に戻ることにした。帰途、
Q :ここだけの話し、笑ちゃうす。
W :何が?
Q :T先輩に「人恋しい」なんて似合わないっす。
W :まあそう言うな。我が身となればそれが実感だろーよ。
Q :それにしても、大変なハロウィンだったすよねー。来年もやるつもりかなー?
W :どうかな。怪我人まで出たんだ。来年は難しいかもな。
..事実理事会では問題になっている。事務局長の更迭話しまで出ているのだ。
W :N部長はどうしてる?
Q :相変わらず忙しそうっす。記録の纏めや決算に追われてるようっす。けど、今回は補助金がかなり取れそうだって喜んでる。スモーク機材の最新型を買えるかもって。やっと終わったんで時間も体も楽になるっす。小百合姉さんのお手伝いしなくちゃ。
W :小百合さん、忙しそうか?
Q :うん。ほとんど毎日蔵の整理っすよ。少しは手伝わなきゃって思っていたっす。ただ…
..Qは考え込む。
W :ただ、何だ?
Q :あの「坂口工務店」のことなんすけど…
..Qは、話していなかった工務店でのやり取りについて説明する。
W :そーか。そんな事言われていたのか。えらく気に入られたな。
Q :どーしたらいいもんすかー?まさか勤める訳にいかないし…
..Wは考え込む。しばらく2人とも無言で歩いた。JRの駅が見えてきてWが言った。
W :実はな、もう一度工務店へ行ってもらえないかと思っていたんだ。工務店というより「準備室」だな。
Q :え?またっすか?
..財団が架空の存在だということは、ほぼ間違いない。が、その起案者について誰も実態を知らない。「準備室」を張っていれば会うが機会がある。というよりそれしか方法が無い。Wは、一度は会社に来たという起案者の写真だけでも欲しいと言うのだ。
..この1週間にWも考え得る努力をした。「発起人」の2人に電話した。国会議員のほうは、何回目かで秘書と話せた。財団について質問したが、即答はなかった。早い話し、覚えてさえいなかった。少々の押し問答の末、「記録を確認した。いろいろいきさつがあって発起人に名前の使用を許したが、詳しいことは分からないし関与していない」と言う。「名義貸しなんてしょっちゅうだし。沢山あるのでいちいち覚えていない」らしい。もう1人、短大教授は1回目の電話で本人が出た。Wはやはり同じ質問を投げた。こちらは態度が違った。突然黙り込んだ。そして「何故そんなことを知りたいんだ?」と言った声は、明らかに不機嫌で苛立ちさえ感じた。質問に対する答えも曖昧で、明確な返答はない。<どうやら触れられたくない話題らしい>Wはそう感じた。一度は面段をと考えていたのだが、出かけてもムダだろうと思った。<おそらく何も答えないだろう。発起人になった経緯には、何かヒトには話せない事情があるらしい>
W :けどキミにばかり無理をさせるのは悪い…いまの話し忘れてくれ。他の方法を考えるから。
Q :いいっすよ。行ってみる。これからは時間の自由がきくし、さっき話したような訳で、一度は工務店に行かなきゃならないっす。
W :いいのか?
Q :いいともー!この第一助手にまかせるっす。「職場体験」なら学生課にも話しが通り易いし。
W :無理するなよ。授業の無い日だけでいいんだぞ。
Q :おぐねー」になったつもりでいいっす!
W :?、今のはさすがにぼくも分からんぞ。何だ?
Q :だから「おぐねー」になったくらい安心…言わないっすか?
..Wの眼が空を見る。
W :もしかして、「大船に乗ったつもりで」か?大きな船なら航海も安心だという意味だ。
Q :大きな船?…オレもヘンだと思ってたっす。なんで「おぐねー」になると安心なんだろうって。そーすよねー、ヘンっすよ。
..2人は同時に笑う。
W :全く、どんな耳をしてるとそんな風に変わるんだ?ま、そこまで意味不明だと面白いけどな。
Q :ね、そうでしょ、これを流行らせましょうよ。
..「おぐねー」が「たんぽぽ」スウィッチを入れたらしい。
W :カンベンしてくれ。
Q :あーぁ、流行語大賞いただきなのになー。
..大学の門をくぐったとき、Wのケータイが鳴った。相手はウーパー警部補だった。
W :お久しぶりです。何かご用で…
..ウーパーは近くに来ていると言う。
ウーパ:大学を見たらキミを思い出した。コーヒーでもどうだ?おごるぜ。
..相変わらずの上から目線だ。<ウソだな。面倒を抱えて困っているんだ>Wはからかってみたくなる。
W :コーヒー?今は欲しくないです。じゃこれで。
..電話を切る雰囲気を強調する。ウーパーは焦る。
ウーパ:ちょ、ちょっと!待って。切らないでくれ。5分、いや10分付き合ってくれ。
W :何か話しでも?
ウーパ:ああ、聞いてほしい話しがあってな。キミにも興味があると思うぜ。駐車場前の「マロン」にいる。待ってるぜ!
..そして一方的に切った。Wはため息をつく。
Q :どうしたんす?
..不思議そうに覗き込む。
W :ウーパーだよ。近くに来てるから会いたいってさ。どうする、キミも行くか?
Q :えー、ウーパー?!止めとく。いまさら会いたい顔でもないっす。
..Qと別れて喫茶店へ出向く。
W :今度はこちらで捜査ですか?
ウーパ:いや、そういう訳じゃない。
..ウーパーは派出所勤務の近況を手短に伝える。
W :派出所?じゃ、ここへは何故?
..ウーパーは質問には答えず話しを進める。
ウーパ:知ってるかな、1週前、T川上流の高麗橋でゾンビの死体が見つかったのを。
W :いえ、知らないです。でもゾンビの死体って何です?
ウーパ:仮装してたんだよ。それがオレの管轄内なんだ。
W :へー。
..ウーパーの話しは遺体発見時の様子に始まり、死体は40代後半、推定死亡時刻10月30日20時〜24時、死因は溺死(酒を飲んでいたとみられる)、所持品無しなどの情報を伝えた。それらをウーパーは先輩刑事から内緒で聞き出したのだ。
W :それでな…
..ウーパーはケータイを取り出す。写真を探しているようだ。
W :これを見たときは驚いたぜ。
..ケータイをWの前に置く。あきらかに死人と思われる裸の上半身だ。
W :それは検視解剖のときの写真だ。先輩に頼み込んで送ってもらった。内緒だぜ。一般人に見せたとなると大目玉だ。
W :で、驚いたというのは?
ウーパ:その男な、前から知ってるんだよ。「ロクさん」と呼ばれているホームレスだ。街の「希望公園」でダンボールハウスを構えて住み着いている。市内には何か所かホームレスの団地のような所があって、季節ごとに見回りするのも仕事の内でな。それで仕事の合間を縫って彼の身辺を調べてみた。
W :何故あなたが…本署に任せとけば?
..ウーパーの眼が泳ぐ。
W :いや、「ロクさん」については誰にも話してない。どうしたもんかと思っているうちに、本署は酔っ払いの溺死と結論してしまった。つまり過失による事故死だ。
W :そうでは無いという証拠でも?
ウーパ:証拠と言えるほど確固としたものはない。けどな、ホームレス仲間などの話しでは「最近、機嫌がよかった」「近いうちに纏まった金が入る。そしたら皆にバンバンおごってやる」と言っていたらしい。
W :証拠にはほど遠いですねー。
ウーパ:まだあるんだよ。それらの情報の中に、最近見慣れない若い男とこそこそ話し合ったり、しょっちゅう一緒に出掛けていたというんだ。ハロウィンの夕方には男が車で迎えに来て一緒に出掛けたと言っている。
W :若い男…その時、既に仮装していた?
ウーパ:いや、普段のままだったそうだ。それでなんだか気になるんで、高麗橋を中心に酒屋・スーパー・コンビニを当たってみた。酒を買った所が判明しないかと思ってな。
W :ほう、で、分かったんですか?
ウーパ:これが大変だった。結局1週間かかってしまた。部下にも内緒の捜査だからな。やっと昨日見つけたよ。
W :見つけましたか。
ウーパ:コンビニ店員が覚えていた。何故かというと、助手席のゾンビにびっくりしたからだ。実際に買い物したのは若い男だったそうだ。ワンカップを3本とツマミの小袋を買った。それからしばらく車は駐車場にいて、ゾンビはすぐに酒を飲み始め、男は外でタバコを吸っていたということだ。
W :何時ころです?
ウーパ:ほぼ20時半だ。
W :監視カメラは?映像があるのでは…
ウーパ:ある。あるが残念ながら人物の特定までは無理だ。帽子にメガネなのは分かるが、意識してか俯いたままなのだ。
W :つまり、あなたはその男が「ロクさん」の死因に関わっていると言いたいのですか?
ウーパ:突然現れた男、金(かね)の話し、そして不審死となれば疑いたくもなるだろ?
W :気持ちは分からないでもないですけど、それだけで事件とするのは無理じゃないですか?
ウーパ:そうなんだ。だから本署にも話してない。どうせ取り合わないからな。
W :じゃ、何故ぼくに?
ウーパ:このままじゃ進展は無い。何か知恵はないかなー。
W :そう言われても…
..ウーパーの指はケータイの写真を順に繰っている。
W :それは?
ウーパ:これか、発見時オレが撮ったモノだ。見るか?
..ウーパーはケータイを渡す。順に見ていくと何かが引っかかる。<なんだろう?この感覚は…>中でも1枚がWの関心を引くのだが何なのか分からない。Wはしばらく見入った。その態度を「本気」と取ったのか、
ウーパ:写真ならまだあるぞ。当日集まったヤジ馬を撮っておいた。派出所のPCにファイルしてる。
..ウーパーは身を乗り出す。
W :ヤジ馬の…?
ウーパ:ああ。後で送ろうか?
W :いや、いいです。この1枚だけください。
..遺体が河原に転がっている1枚が気になる。ケータイを出し転送してもらう。
..話題にそれ以上の発展はなかったが、研究室に戻り作業しているとメール着信が鳴った。忙しかったのでその時は放っておいたが、帰りの電車の中でチェックする。ウーパーからの写真ファイルだった。適当にパラパラと目を通す。<確かにヤジ馬だらけだな>そして<どうしてウーパーはここまで熱心なんだ?自分の仕事でもないのに…>とようやく違和感に気づいた。Wの脳内でウーパーデータが組みあがり、1つの結論を出した。<そうか、彼はこの事件をモノにしたいんだ。解明して派出所から這い上がる足がかりにする…それに違いない>
..3日後Tは退院し、その翌日サークルの「生還祝い」が催された。ハロウィンの打ち上げも兼ねている。会場は例によって学食の片隅だ。Nの快気祝いの言葉、Tの「お礼」が続き、
N :この場を借りて…
..と今回の決算を読み上げる。
N :以上のとうりです。特に異議がなかったら拍手で承認してください。
..拍手が沸きあちこちから「お疲れさまでした」「たいへんだったですね」などの声が飛ぶ。Nは片手を挙げて答え、
N :承認ありがとうございます。つきましては1つ提案があります。
..全員を見渡す。
N :今回補助金が多かったので5円万の余剰金が出ました。預金と合わせると、残高11万円となります。そこで、スモーク機材をいつも演劇部に借りているので、この際購入したいと考えました。購入案に賛同いただきたいと思います。
..あちこちから「ほー」「おー」と声があがる。
L :スモークマシンっていくらなんですか?
..Nはプリントした機材を示す。
N :この際少し奮発して、最高のモノをと考え、これを選びました。価格は7万円です。
..「たっけー!」という声が飛ぶ。
N :値段は交渉中です。ただ、価格を下げるのはむつかしいようで、その替わりに消耗品でサービスするという処まできました。リキッドを定価で1万円分付けるということです。
Q :アルカリの反対なのだ!
..アヒルのような声が響く。Qだ。全員がQを見つめる。
B :何言ってんの?
Q :だから賛成なのだ!Hclは塩酸なのだ!
B :バカボンパパのつもり?
Q :だってさー、演劇部から運ぶの、なんでかいつもオレっす。両手・両足で賛成なのだ!
..Qは言葉どうり両手・両足を挙げる。いまにもひっくり返りそうだ。どっと笑いが起き、ぱらぱら沸いた拍手がすぐに全員に広がった。
N :満場一致で購入案は採決されました。ありがとうございました。
..乾杯してにぎやかになる。今日のTは客の立場のせいか、ちょっと大人しい。Wはまだ現れていない。
B :バカボンパパで思い出したけど…
..隣のBちゃんの眼がくるくると動く。
B :イヤミ、あれから見た?
Q :そー言えば、見ないなー。アイツ、院生?
T :イヤミって、もしかして出っ歯のヤツか?
Q :そうっす。知ってるすカ?
T :ちょっと前に車に乗せてやった。教養課程でWと同級だったはずだ。つまりオレとも同年齢。今はフリーターだとか。ま、碌なモンじゃねぇな。アイツがどうかしたか?
Q :なんかこそこそサークルを嗅ぎまわっているようっす。
T :へー、なんで?
..2人の声は段々低くなっていく。
Q :分かんないっすよ。そうだ、もしかして先輩、イヤミに恨まれてんじゃないっすか?だから襲われた…
T :あんなヤツ知らんよ。付き合いも全然無いし…
Q :けど、目的を達したから現れない…そう思えば納得っす。
..そこへようやくWが現れた。1年Fの「タレントものまね」が受け爆笑の渦中だ。Tが缶ビールを注ぐ。
T :入院中は世話になったな。
W :世話をした覚えもないけど、とにかくよかった。それ、何だよ。おまじないか?
..Wの視線はTの指に向いている。Tの右手の小指に青のビニールテープが巻いてある。
T :ああ、これこれ。巻いておいて良かった。気づいてくれたか。実はなオレも何か忘れていないか、考えていたんだ。そしたら今日偶然一つ思い出した。
W :何か思い出したのか?
T :うん。今朝オフクロがテーブルに小銭を並べて整理していたんだ。「小銭てすぐに溜まるのよねー。1円玉なんて廃止してもいいんじゃない」とか文句を言ってた。整理してガマ口にざらざらっと戻したんだけど、その音を聞いたとき閃いたんだ。
W :何?
T :殴られる直前耳の傍で同じ音を確かに聞いた気がする。音の直後に衝撃が襲った。
W :小銭?間違いないか?
T :ああ。
W :<…まさか…>
Q :でも小銭の音だけじゃ役に立たない…
W :そうでもないかもしれないぞ。
..Wは天井を見る。何か思い出そうとしている。
W :小銭持っているか?536円だ。
..TとQは顔を見合わす。2人は訳も分からずコイン入れを出し開ける。Wは両方から小銭を拾い536円を作ると立ち上がった。
W :ここはうるさいな。こっちに来てくれ。
..入口に向かって行く。TとQはあっけにとられ慌てて後を追う。Wはガラスドアーの外で待っていた。
T :何だよ?
Q :どーしたんす?
W :T、ここに屈んでくれ。事件のときと同じように。
..Tは屈み込む。
Q :何っす?
W :再現だ。事件を再現してみる。Tは音に集中していてくれ。Qくんは静かにな。
..WはTの背後に回るとそっと近づく。そして右手を振り上げ後頭部めがけ勢いよく下ろした。
W :どうだ、音が聞こえたか?
T :聞こえた。この音だ。間違いない。あの時と同じ音だ。
..Wは右ポケットから536円を掴み出し、Tに渡す。
W :キミを襲った犯人、30%決定だ。そーだ、あれか…
..ケータイを出し写真を探す。
W :これだ…
..それは、ウーパーからもらった「ロクさん」の写真だ。<この靴底、それがぼくの注意を引いていたのだ…>靴底には亀裂が走っている。川で洗われたせいではっきり見える。それは「お化け屋敷」裏で見つけた足跡と同じに見える。が、写真では断定できない。
Q :犯人が分かったすか?
T :誰だよ?!
W :有力な候補がいる。けど、まだ30%程度だ。もうしばらく待ってくれ。
..Wは2人に構わず電話をかける。相手はウーパーだ。話し込んでしまった。TとQはしばらくぼーっと待っていたが、
T :行こうか。
..Tは指のテープを取り丸めながら歩き出す。
Q :それ、忘れないためっすか?
T :そうさ。こうしていれば誰かが訊いてきて思い出させてくれる。
Q :へー、オレも今度やってみよー。でも犯人誰なんだろー?
T :あの口振りなら近いうちに分かりそうだな。
Q :やっぱりイヤミ…
..Tの足が止まり、Qが振り返る。
T :なぁ…オレ思うんだけどなー…
..Tの声は重い。
Q :なんす?
T :もしかして間違われたんじゃないのかなー…
Q :間違いって?
T :犯人の狙いはWだった。あの暗さの上同じ仮装をしていた。オレが入れ替わったなんて気づかなかった…
Q :じゃ…狙われていたのはW先輩?
T :その可能性はある。
Q :恨まれているのはW先輩…
..2人はテーブルに近づく。全員から盛大な拍手が起きる。「おめでとー!」「やりましたねー」「さっすがー!」などの声が飛び2人は面食らう。
T :「さすがー」って何だよ。退院で「さすが」はないだろー。もう止めてくれ。
N :そうじゃなくって、「社会保健労務士」合格ですってねー、おめでとうございます!
..拍手が一段と高くなる。
T :ああ、そっちか。まーな。
Q :実力よ
..Tの口真似だ。
Q :言っとくけどシイタケの根じゃないぞ。
..Tの張り手がQの頭を襲う。ぺちょっと音がしてQは前のめりになる。どっと笑いが起こる。
B :どこ行ってたの?3人でこそこそして。また探偵団?
..座るとBが訊いてきた。
Q :W先輩さー、T先輩を襲った犯人が分かったらしいよ。
B :えーっ、もう!
Q :やっぱ名探偵す。
B :警察だってまだなんでしょ。どうして?どうするとそんなに簡単に分るの?
Q :本物の名探偵だからさ。
B :やっぱ、わたしも仲間に入れて!
Q :無理無理。だって探偵団が存在してない。
B :作ればいいじゃん。
Q :そうだ…記録係ならいいかも。
..Qは前から考えていることがある。
B :記録係?
Q :名探偵Wの活動記録を残すのさ。これだけの功績が、誰も知らないで消えてしまうのはもったいないと思わない?
B :うん。
..2人の声はだんだん小さくなり、身を寄せ合う。
Q :毎日あった事をぼくが報告するから、それを記録しておくのさ。書記だな。
..実は1年前、Qは決意して「むげん莊事件」を記録しかけた事がある。が、日々結構時間に追われついつい伸び伸びになったり、忘れてしまうこともあった。取り掛かってみると意外に面倒なのだ。Bなら几帳面に熟しそうな気がする。要するに面倒をBに押し付けようというのだ。
B :書記?
Q :書記長だ。エライんだぞ。社会主義では、書記長がトップだ。
B :狸腹のオジンみたい。だっさー!
Q :じゃ秘書。「秘密の文書」作成だから秘書。響きが忍者っぽい。探偵団の「くの一」。かっこいいじゃん。
B :けどさー、先輩に断らなくていいの?一応話さなきゃマズいんじゃない?
Q :話しておくよ。ダメなんて言わないさ。Bちゃんが秘書、オレが第一助手。うん、いい。
B :隣の先輩は?声掛けないとスネない?
Q :そうかー、ここに面倒なヒトがいたっす。英語と体力だけだもんなー、第二助手だな。
T :お前ら何こそこそやってんだ?飲んでるか?
..Tが缶ビールを突き出す。
Q :大事な話しっす。先輩をW探偵事務所の助手に推挙しようって話しっす。
..Bが口を挟む。
B :そ、そうです。英語力が探偵事務所には必要なこともあるはずです。となれば、優秀な先輩に頼るしかありません。助手ってそういう意味です。
T :ふーん。ま、いいけど。けどな、ただの英語バカと思われるのは心外だな。オレは今や「社会保険労務士」だ。
Q :ハハー、労務士様!、では今日から助手にご就任くださいませ。
T :苦しゅうない。よきにはからえ。
..こうして肝心のW抜きで、いとも安直に探偵事務所ができてしまった。結局その晩Wは会場に戻らなかった。
..翌日、Wが昼食を摂っているとウーパーから電話が来た。昨夜、Wはウーパーに2つの件を依頼していた。1つは、ロクさんの靴の接写写真だ。
W :どうでした?ありました?
..まだそんなに日が経っていない。靴は本署に保管されているとWは見込んだ。
ウーパ:あったぜ。本署に出掛けてな、先輩に頼んで見せてもらった。「酔っ払いの溺死になぜ興味がある?」て訝しがられたけど、本署ではもう終わった、どうでもいい事件なんで写真を撮らせてくれた。右足の裏側だよな?
W :そうです。
ウーパ:それにしてもボロい靴だなー。けど、R大の事件の犯人がロクさんだというのが分からん。ロクさんとR大がどう繋がるんだ?
W :その件は、また確定したら連絡します。ロクさんの死は、不慮の事故ではない可能性が高くなりました。
ウーパ:じゃ何だ、他殺か?
W :今は何とも言えません。が、別の事件と関わっていそうです。
ウーパ:そうか、他殺の上別の事件と関わっているのか。
..ウーパーの張り切った声が届く。満面に笑みを湛えた表情さえ伝わってくる。
W :で、もう一件は?
ウーパ:目撃者の捜索だな。高麗橋から上流に10本の看板を立てた。ついさっき終わったばかりだ。そうだ、その写真もいるか?
W :ぜひお願いします。
ウーパ:分かった。じゃ、送るぜ。
..そしてすぐに写真ファイルが届いた。Wはカレーのスプーンをくわえたまま、見入る。<間違いない>それは、認証にかけるまでもない。Wが撮った靴の亀裂と全く同一のモノだ。亀裂周囲の細かな傷まで一致している。<100%決まりだな>もう1枚は立て看板だ。橋の欄干に括られている。それをウーパーは本署に申請することなく独断で設置した。「派出所長」にその権限があると勝手に断を下し、部下に命じて立てたのだ。
..------------------------------------------------------------
............ご協力をお願いします。
......10月30日(日)20時ころ、この付近でゾンビの仮装をした男性
......を見かけた方を探しています。
......心当たりのある方は左記の派出所までご連絡ください。

..------------------------------------------------------------
..<さて、後は目撃者が名乗りでるかどうかだ…>立ち上がって食器を返却口に戻す。考え事をして歩いているといつしか「お化け屋敷」に来ていた。Wには当初から気がかりなことがある。<Tはぼくと間違われたのでは…>誰にも、Tにも話していないがその気持ちが捨てきれない。それどころか大きく固くなっている。Tには恨みをかう相手はいない。<それに引き換え…>Wには心当たりがある。「むげん莊」事件では命を狙われた。<Hはまだ諦めていない…>HはR大の元准教授だが、現在何をしているのか誰も消息をしらない。とにかくWを深く恨んでいる。一つはHの勘違いであり、もう一つは逆恨みだ。事情を詳しく知っている者は、Wに責任はないことを理解しているが、Hはそうは思っていない。思わず大きなため息がでる。
..そのころQは坂口工務店で伝票整理をしていた。オバちゃんに習ってPCに入力していく。今日で3回目だ。少し慣れてきた。
ジム:早いわねー、やっぱ若いヒトは違うわ。
..分類の要領さえ分かってしまえば、入力はお手のモノだ。事務長のオバちゃんはその速さにすっかり感心だ。
ジム:来てもらってホント助かるわー。ね、たんぽぽちゃん、このまま勤めてよ。他所に行かないでよ。
Q :はい、ありがとうございます。
..Qは素直に喜べない。心がちょっと軋む。まず性別・学校を詐称している。それだけでもとんでもない話しなのに、目的が大ウソだ。PCを打ちながらQの注意は窓外にある。特に車が入って来たときには手が止まる。朝から何台か出入りした。もし財団の関係者なら車は駐車せず、直進して裏へ回るはずだ。が、今日までそれらしい車は来ていない。<もしいつまでも現れないと身がもたない…先輩の見込みちがいじゃ>そんな心配が頭をもたげる。そこへ白い車が入って来た。外車らしい車は社長の愛車だ。
ジム:あら、社長よ。こんな時間にどうしたんでしょ?
..言ってる間に社長が入って来た。
ジム:どうかしました?まさかもう完了ですか?
..社長は児童遊具設置の現場に行っていたはずだ。
シャチョ:手違いがあった。手順を間違えていた。やり直しだ。
ジム:えー!
シャチョ:でも行って良かった、コンクリを打つ前で。不幸中の幸いだ。いまやり直している。でな、ほら、茶菓子。ちょっと休憩だ。
..社長は提げている袋をオバちゃんに渡す。
ジム:ありがとうございます。
..オバちゃんは直ぐに事務員たちに指示を飛ばす。
ジム:たんぽぽちゃんは、お茶を手伝ってね。
..Qはオバちゃんと給湯室に向かう。支度をしながらもオバちゃんは喋りつづける。社長は外出が多いのでときどき「茶菓子」を買ってくるという。包みを取り出したオバちゃんは、
ジム:あらー…
..素っ頓狂な声を出した。
ジム:草月堂のマロンよ。お客様のお菓子じゃない…ははーん…
..たんぽぽをまじまじと見つめる。
ジム:あなたのせいね。
Q :は、何がでしょう?
..オバちゃんはPfu!吹いた。
ジム:絶対、ぜったいウチに来てよ。たんぽぽちゃんがいる限り煎餅がマロンに昇格だから。社長もホント分かり易いヒトねー。
..大笑いして菓子皿にマロンを配り事務室に運んで休憩になった。
ジム:社長もこちらで召し上がるんでしょ?
..オバちゃんの眼が笑っている。
シャチョ:う、うん。そうするかな。その辺においてくれ。
..オバちゃんの腹が波打っている。こらえるのに必死だ。さすがに、マロンには他の事務員も眼を剥く。手を出していいものかしばらく顔を見合わせている。
ジム:社長、たんぽぽちゃんね、すごく入力が早いんです。わたしの倍、いや3倍は早いわ。助かります。
シャチョ:ほー、そうかい。それは良かった。
ジム:もし毎日来てもらえるなら、残業なしで回っていきますよ。
..そしてオバちゃんはにゃっと笑う。
ジム:社長も毎日がいいでしょ?
..社長はちょっと焦る。
シャチョ:そ、そりゃ、もちろん。
..そんなことがあってすぐに夕近くになった。暗くなりかけたと感じたころ、1台の車、バンが入って来た。Qの神経が集中する。車は直進して裏へ行った。<!…来た?>
Q :すいません、トイレ。
..Qは立ち上がる。「どうぞ」の声を聴きながらポシェットを掴む。こんな場面を想定して初日に計画を立てていた。急いでトイレに入る。頭の高さに小窓があり、ちょうど財団の部屋が見渡せるのだ。ポシェットからカメラを取り出し窓を少し開ける。バンの運転席から男が降りてくるところだ。Qは背伸びぎみにカメラを構える。<やっぱ顔だな>ズームして狙う。が相手は移動している上、建物の影で暗い。画面を見てもよく分からない。フラッシュを焚く訳にいかない。狙いにくい。<こうなったら、数だ>とにかくシャッターを押す。もうほとんど勘だ。男の動作から若者と思われる。バンの後ドアーが挙がる。助手席から降りて来た初老と見える男が隣に並ぶが、若者の陰で良く見えない。2人はそれぞれ小箱のようなモノを取り出すと部屋へ入った。その間Qは闇雲にシャッターを押し続けた。部屋のドアーが閉る。
Q :<どうしたモノか…>
..ここで待ち構えても、長くかかるかもしれない。それにさらに暗くなる。Qは思い切った。<外へ出てみよう>万が一出くわしても、初見の他人同士だ。困ることも無い。Qは事務室へ戻る。
Q :ちょっと、ごめんなさい。
..声をかけようと口を開いたままのオバちゃんを残し、急いで入口から外へ出る。建物の角に隠れバンの様子を見る。男2人はすぐに出てきて、鍵をかけると足早にバンに乗り込む。Qはまたもほとんど勘でシャッターを押した。バンはQの脇を抜け、速度をあげて走り去った。その後ろ姿も何枚か撮った。
ジム:どうしたの?
..オバちゃんが近づいてくる。Qは後ろ手にカメラを隠し、
Q :なんか、裏の方でドンって音がしたなーて思って。
ジム:そう?
..オバちゃんの眼はバンの去って行った方向を見つめている。
ジム:まったく…来たのなら、「こんにちは」ぐらいあってもいいんじゃない?
..オバちゃんは憤懣遣るかたない。
Q :そーですよねー。
..Qは写真のできが気になる。が、退社まで待つしかない。<とにかく撮るには撮れた>
ジム:たんぽぽちゃん、今日はもうあがっていいわよ。
Q :いいんですか?
ジム:あなた、ちょっと遠いでしょ、遅くなっちゃいけないから。明日はどう?来られる?
..Qは迷う。ここまで通うのは、予期していたとうり時間的・体力的にきびしいモノがある。
Q :すいません。明日は欠かせない授業があって来られないです。ごめんなさい。
ジム:ううん、仕方ないわよ。
..そしてオバちゃんは大声で笑う。
ジム:社長はがっかりね。あーあ、明日のオヤツは煎餅だ。
..身支度をしてQは駅に向かう。歩きながら写真をチェックし、電車に乗る前にWに電話する。
Q :現れたっす!
W :現れたか。何人だ?!
Q :2人す。はっきり分からないけど、若いのと50くらいの男。
W :写真は?
Q :撮ったす。けどねー…良くないっすよ、どれもピンボケのうえ暗いんでなかなか顔までは…
W :そーか、とにかく撮れた分を全て送ってくれ。
..翌日は指導教官が出張で不在だ。研究室もなんとなく寛いでいる。Wは昨夜写真を全て確認した。Qの言うとうり人物の判定はできない。さきほど情報工学科の友人を訪ねた。
友:またかよ。
..顔を見るなり言った。
W :済まん。頼むよ。今度おごるからさ。
友:ふーん。まさか例の赤提灯の訳ないよな。
W :いや、スナック。それも青山で、かわいー娘(こ)のいるとこ。
友:ほんとだな?
..この友人は「むげん莊」のとき写真解析からH准教授を見つけた実績がある。能力的に信頼をおいている。青山のスナックが効いた。
友:ま、いいけど、時間はかかるぜ。忙しいんだ。
W :もちろん早いに越したこと無いんだけど、ともかく頼む。
..そして二日は何事もなく過ぎた。Wとしては小百合と美術品が気になるが、ことさら連絡を取ることもしなかった。今日も教官は不在だ。午後、Wが旋盤で作業を始めようとしたとき電話が鳴った。ウーパーだ。
ウーパ:おい、出たぞ。
W :目撃者ですか?
ウーパ:そうだ。
..目撃者と名乗り出たのは女子高校生だという。母親から連絡が来た。
W :ほー、それで…
..ウーパーは遮る。
ウーパ:未成年者だから親同伴で、今日内密に現場検証する。それでな、キミも立ち合いたいだろ?
..Wはちょっと驚く。
W :そりゃ、できるものなら。
ウーパ:そうだろ。だから特別に配慮して電話したんだぞ。学校が退ける5時だ。L駅に来てくれ。そこへ迎えに行ってやる。いいか、内緒だぞ。一切口外するなよ。
..<L駅…>WはPCでルートを調べる。地図上に青い線が現れ、所要時間は45分だ。<すぐに出た方がいいな>助手や先輩たちに言い訳をして出発する。<ぼくを現場検証に立ち会わせるなんて、どういうつもりだ?>窓外の空を見つめWは思う。いろいろな考えが電車の揺れで徐々に固まっていく。<おそらくこれは、ウーパーのスタンドプレイだ。きっと本署には内緒の行動なんだ。つまりそれだけ自力で事件を解明する事に期待をかけている…そういう事か>途中駅で電車が停車する。それは「むげん莊」の最寄り駅、Qが毎日乗り降りする駅だ。Wは小百合を思い出す。<いまごろやはり蔵の整理をしているのだろうか…>が、今日は立ち寄っている時間がない。なんとなく未練をひきずって列車はホームを離れる。眠気が差してきたころL駅が近くなる。Wは両手で頬を叩き腰をあげる。<ウーパー警部補殿、またオウンゴールしなさんなよ。Qくんに笑われるぞ>







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