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むげん荘(1)

 
...............................................- R大魔術研究会-
 

星空 いき

Hosizora Iki













..会場は、ごったがえしていた。今日はR大学のオープンキャンパス日だ。少子化のあおりをくらって、どこの大学でも受験生が年々減少している。従って、オープンキャンパスや地方都市でのPR活動が活発だ。受験者数の減少は、そのまま受験料収入の減少に繋がる。それは、学校運営を直撃する。大々的に宣伝しても、入学定員が増えるわけではないので定員より多く入れる気は無い(文科省にばれなければ別だが)。なににしろ、定員割れは避けたい。さらに、多くの受験料は欲しい。加熱した募集競争は、ときに勇み足を引き起こす。ある私立では、見学者に住所・氏名を記入した「受験念書」まがいの一筆を書かせ、ネットを炎上させたことさえある。ここまで比較的のんびり構えていたR大でも手を打たざるをえなくなり、この春からオープンキャンパスがスタートした。そして夏休み明けの9月第二週から追い込みの「秋の陣」開始だ。 (登場人物)
..春は演劇部の公演があったが、秋には魔術研究会に声がかかった。キャンパス生活の楽しさをアピールする客寄せだ。あす日曜に二度の公演を多目的ホールで行う事になっている。その準備に忙しい会場の空気を、部長代行のNの叫び声が切り裂いた。
N :えーっ!ウソでしょ!!
..それは、もはや悲鳴だった。汗だくの部員たちが一斉に振り返った。見ると、ジャージ姿のNはスマホと喧嘩している。Nは国文科2年の女子部員だが、部長のZ(3年男子)がバイトに忙しく、普段からあまり出てこないので、いつしか誰もがNをリーダーと認めている。
N :本当なの!?Lちゃん!なんとかならない!
..全員が手を止めてNに注目し、近くの者は周辺に集まって来た。Nはまだしばらく電話を続けたが、大きなため息とともに切った。
C :どうかしたんすか?
..C(政経学部1年男)が、恐る恐る訊く。
N :どうしたなんてもんじゃないわよ!Lちゃん、階段から落ちて手が使えないんだって!
..えー!
..驚きの混声合唱がホールに反響する。Lは英文科1年で今回のヒロインだ。最近稽古でもようやくOKがでるようになった。「そんなー」「どうするの?」口々に驚きが飛び出し、騒然とした。
N :うるさい!!
..Nの一喝に会場は静まった。M(地球環境科2年男)が、ぼそっと言った。
M :中止かな。
W :いや、中止にはできない。学校との約束がある。誰か代役ができないかな?
..W(工学部4年男)は、会員ではない。公演に理科知識が必要なことが多いのでその相談役だ。いうなれば科学担当顧問だ。今日は、スモークテストなど公演前の最終チェックに来た。もちろん本公演には舞台裏で協力する。
C :代役といっても、女子じゃなきゃダメなんですよね?
N :そうよ。「魔法使いの娘」だから女子よ。Bちゃんは、どう?
..突然指名されて、B(商学部1年女)は頭と手を同時に振る。
B :わたし!?ムリです!そんなつもりないから、練習もなにもしてません…
N :う…ん、そうだよねー…まいったなー。学校からもできるだけお客を集めてくれって頼まれてるし…ここまでなんとか順調にきたのになー。
C :あ…あのー…N先輩しかないんじゃないすか?…だって、ほかに女子が居ないんだし、先輩なら、台本も演出も分かっているから…考える余地ないんじゃ…
N :これはね、かわいいヒロインが亡霊に苦しめられるから絵になるんだよ。わたしなんかじゃ、誰も同情してくれないよ。わたしは自分が分かっている。あー、どうしたらいいの?
..演目は、デュカスの「魔法使いの弟子」のパクリだ。出だしは好調だった。音楽「魔法使いの弟子」に乗せていくつか手品を織り込み、見た目に面白い舞台を作ろうという事でスタートした。だが、稽古をしている内に筋書きは何度も変わった。見栄えするようにということで、「弟子」は「娘」に変わり、さらに観客の同情を集めるために「箒」を「怨霊」に変え、娘を苦しめることになった。さんざん痛めつけられたところで、最後に「魔法使い」が怨霊を一掃し助けてくれる。いわば音楽の当て振りなので台詞がほとんど無いうえ、上演時間は10分ほどだ。が、2〜3箇所でマジックの手際が要る。Nは、また大きなため息をついた。
Q :チィワーす。ごめん、遅くなって。
..陽気な声が、全員の注意を独り占めした。Q(社会科学科1年男)が入った来た。
Q :あれー、なんか、お呼びじゃないって感じ。どうかしたんすかー?
..Qの近くに居たMが事情を説明した。
Q :えーっ!Lちゃんがいないんじゃ、公演ムリっす。
N :ムリもへったくれもない。あんたもなんか考えて!
..少し離れてWが腕組で二人を見ていた。
W :Q君、キミは稽古もきちんと出席しているし、怨霊のかしら(頭)役でほとんど出づっぱりだから、全体の流れはよく分かっていると思うが…
..Qは一度しっかり瞬きするとWを見つめた。
Q :ええ、まあ、一応は分かっているつもりです。
W :Lちゃんとの絡みも一番多いよな。
Q :そうですね。
..頷いたWはNを手招きした。そして二人は、群から離れ、そこで話し込んでいる。
C :どうなるんかな?
Q :演劇部へ行って誰か借りてこようか?
B :ムリよ。だってマジックができなきゃ話にならないから。
Q :でも、Lちゃんどの程度なんだろー?
B :階段で足を滑らせて、左手をひねったみたい。腫れ上がってるって。
..なんとなく声を潜めて話し合っているとWが呼んだ。
W :Q君、ちょっと来てくれ。
..Qは小走りに二人に寄った。そして5秒後、今度はQの叫び声が空気を切り裂いた。
Q :えー!!
..部員の視線が一斉に集まる。
Q :なんで、なんでオレなんすか!?
..Qは、その場で屈み込んでしまった。
W :他に方法がないんだ。やってくれ。
Q :そ、そんなー…
N :頼む。お願いよ。W先輩の言われるとおり、他に方法が無いんだから。
Q :なんで、なんでオレなんっすか…
N :じゃ、誰かいる?見てよ、あのメンバーよ。
..Qはしゃがんだまま部員達を見た。Bちゃんを除けば、誰一人ヒロインに適う者はいない。それは確認するまでもないことだ。
W :キミならやれる。いや、キミしかやれない。潔く腹をくくってくれ。それしかないんだよ。公演は、もう明日だ。
N :お願いよ。ここで学校に協力しておけば、あとあと何かと助かるんだから。救世主になって会を救ってちょうだい。そして、男になって。いや?女になって、か?
W :よし。決まりだ。
N :そうよ。決まり。誰の異議も却下。
..決定を下したNは、みんなの待つところへ戻った。そして、役の交代を告げた。今度は怒涛の悲鳴が上がった。そして、失笑・哄笑・ 嘲笑がないまぜに沸いた。拍手が起こる。
Q :最悪だ!独裁だ!神も仏も無い!
..しゃがんだままQは半ベソで毒づく。
N :じゃ、急いで通し稽古よ。みんな早く持ち場について!


..ところが、Qは豹変した。
..稽古では、短パンの上に風呂敷のような布地を巻いてスカート代わりにした。「大股で歩かない!」「しゃがむ時股を開かない!」「肩を落とす!」「変な品を作るな!」「手に取る物は必ず反対の手で!」などなどさんざんNにののしられ、部員の笑いの種にされた。それでも、すっかり緊張した本番1回目の公演が済むと妙に自信が沸いてきた。2回目はみなが感心して見惚れた。誰が見ても可愛い女の子になりきれた。
..そして翌月曜日昼近く、部室の入り口にプリーツスカートに花柄ブラウス、ロングストレート髪の少女が立った。
..部屋に居たのはB一人だ。見た瞬間Bは<あら、かわいいヒト>と思った。
B :あの、なにか御用ですか?どちら様?
..少女は笑い出した。じっとBを見つめていたが、
Q :ぼくだよ、Q。
..Bは、幟の鯉のような口を開け、目を見張った。
B :Q…Qくん?
Q :ハーイ
..Qは指でV字を作って差し出す。
B :驚いたー!
..BはまじまじとQを見つめる。
B :で、でも一体全体どうしたっていうの?
Q :気分転換。
B :転換しすぎよ。でもお化粧も上手だし、第一その服や靴どうしたのよ?
Q :ちょっと訳ありでね。2〜3日は、このままのつもり。
..Bは呆れ顔だがQから目が離せない。
B :へ〜。そうだ!いいことがある。きょう後で公演の反省会だよね。皆な集まるからその時そのまま来て。誰か気づくか試してみようよ。わたしの友達が見学に来たってことにして。それで黙ってようすを見よう。
Q :それ、おもしろそー。じゃオレは、バイトで休部だ。けど、名前どうする?
B :Dでいいんじゃない?
..相談は纏まった。Qは、置きっ放しの自分のバッグからテキストと筆記用具を取り出すと授業に向かった。部屋を出るときBの声がおいかけた。
B :トイレ間違えちゃダメよ。女子だかんね。
..昨日公演の後、部室で軽い打ち上げがあった。みんな無事に終了した事に安堵していた。NもWもQをねぎらい「いいできだった」と褒めてくれた。
N :事務局の学生課長さん、喜んでたよ。見学の高校生も多かったし愉しんでたって。これで、来年度の予算はバッチリいただきよ。今回少しは補助がでるし、未来は明るいよ。Qくん、男じゃない、女をあげたねー!
..Lは左手の三角巾が痛々しい。
L :Qくん、わたしなんかよりうーんと可愛かったよ。これで女子部員の不足に悩まなくてすむわね。わたしも助かるわ。
..終了後濃いメイクを落とし、ふりふりのミニドレスと白のパンストを取るとQは大きく息を吐いた。やっと人心地がついた。女性でいるって事は、大変な事なんだと初めて実感した。そして帰り道キャンパスの木陰の薄闇を急いでいると、後ろで「Qくん」と呼ぶ声があった。振り返ると、女性の影がある。
オンナ:今日の舞台とってもよかったですよ。
..Qは立ち止まった。近づいたショートヘヤーの女性を見たQの第一印象は、「キレイなヒト」それだけだった。もちろん全く知らない女性だ。
オンナ:割のいいバイトしてみませんか?失礼だけど、お金に不自由していません?
Q :あなたは…?
..女性は、Yと名乗った。そしてもう一度「簡単で、日給一万円」のバイトをしないかと言った。
Q :一万スか?なんかヤバイ仕事なんじゃ?
Y :いえ、けっして危険でも、犯罪に絡む事でもありません。詳しくお話ししましょう。
..そして二人は舗道を避け、木陰の暗がりのベンチに掛けた。バイトの内容は、3日間朝から夕方まで「女子として」過ごす、それだけだった。女装さえしていれば行動は自由。ノルマは何も無い。それで、1日一万円くれるという。事実いまQは金に困っている。アパートの家賃を催促されている。あと二万円が足りない。だが、これといって当てが無い。当然大きく気持ちが動いた。
Q :本当に、それだけでいいんスか?けど、服や化粧品って結構カネがかかるんでしょ。そのカネがない…
..YはQを見つめるとゆっくり頷いた。
Y :洋服や靴、それに化粧品・下着など、必要な物はわたしが用意します。どう?こんないい話しないでしょ?
..Qは考え込んだ。<確かにうまい話しだ。アパートの家賃が払える。悩みが解決する。けど、なんか胡散臭くないか…>
Q :ほんとにそれだけで、何もしなくてもいいんスか?
Y :そうよ。迷う事ないでしょ?
..<3日で3万か…>一呼吸おいてQは言った。
Q :分かりました。やってみる。正直なところ今お金が要るんッス。
..それなら早速という事で、そのままYに同行することになった。電車で小一時間、降りたところは、都心へ充分通勤可能な範囲の住宅地だ。Qとしては、初めての土地だ。駅からさらに15分ほど歩くと畑が目立つようになり、やがて雑木林が現れる。<東京にも林野が残っていたのか…>途中で交通量の多い車道を横切った。その暗い交差点に煌々と輝くコンビニが目だった。そこでYは弁当やいくつかの買い物をした。もう暗くなっているのでしかとは分からないが、閑静な土地で家の明かりが点在している。まるで二昔前の地方の風景だ。
..そしてYは周りの住宅より大きなモルタルの住宅の前で止まった。真っ黒な外壁に大きな文字が書いてあるが、暗くて読めない。
Y :ここです。
Q :ここッスか…なんというアパートですか?
Y :近所の方は「むげん荘」と呼んでるらしいわ。
..二階に繋がる外階段をコンコンと上がって、「2」のドアーを開ける。招き入れられてQは中へ入った。もしかしたら中で誰か待ち構えているのではと思ったが、誰もいないようだ。広くて家具などもほとんど無い、女性の部屋としては殺風景な部屋だった。いくぶん警戒していたQの緊張が、緩んだ。
Y :今夜からここに泊まるといいわ。自分のアパートに戻って明日9時までに出てくる来るより、その方が楽でしょ?
..Yは部屋の中央に立ってトイレ、キッチン、浴室を指差して教えた。そして、
Y :ここに寝具があるから…
..と、和室の襖を開いた。そこには、マットレスや毛布などが積まれている。
Y :なんでも自由に使っていいわよ。ただし、後片付けだけはちゃんとしてね。その他の事は、あしたにしましょ。わたし、大家さんにあなたが泊まる事を話して帰るから、ゆっくり寛いでね。夕食と明日の朝食は、それよ。
..Yは、小さなガラステーブルに置いたコンビニ袋を指した。
Q :あ、あのー、Yさんはここに泊まらないんッスか?
Y :ここは、わたしの隠れ家…fufu…本宅は、別にあるの。じゃ、あした9時に来るわ。それで、これが鍵ね。出るときは、忘れず掛けてね。
..そして、Yは消えた。静まり返った部屋は急に寂しくなった。<オレ、あしたから3日間ここで暮らすのか?>手持ち無沙汰にスマホを取り出す。そして、充電器がない事に気づいた。<コンビニにあるかも…>思ったが、<もったいない、あした取りに帰ろう>と思い直した。考えてみれば、他にも手元に必要なものはいくつかある。バイトのシフト表、授業の時間割は欠かせない。とにかく明日までは、用も無いのにスマホをいじるのは止めようと決めた。<ラインの仲間、どう思うかな?>テレビを点け弁当を食べた。それは普段なら決して手を出さない(出せない)1000円の弁当だ。食べ終わると何もする事がない。まだまだ寝る時間でもない。<することが無い>それは、永い事忘れていた不思議な感覚だ。<無聊 …ってこんな状態をいうのかなー。それにしても、Yさんって何なんだろー?仕事は?結婚は?…それより、オレに女装させて、どうしようというんだ?それでYさんに得なことでもあるのか?>勝手に疑問は湧き出してくるが、当然答えはない。手持ち無沙汰に部屋の中を歩き回る。まずは、背後の壁に板戸がある。<こっちに別室があるのか?>引いたり押したりしたがビクともしない。更に同じ壁の少し離れた所に大きな姿見がとりつけられている。玄関ドアーに続く応接の間は、それだけだ。右手奥側に引き戸があった。そーっとあけて見ると暗いので良く分からないがクローゼットのようだ。その隣は襖で仕切られた部屋だ。畳敷きの8畳くらいの和室だ。ここにも家具らしきものは無い。浴室、トイレも開けて見た。<これで普段使ってるのか?>まるで展示場を見るようだ。そして、ここへ入った時からの違和感に気づいた。生活臭のようなものが無いのだ。それが、部屋の空気を白々させている。<そう言えば、「隠れ家」だって言ってたな…>結局為す術も無くテレビのリモコンでやたら番組を替えるだけだった。マットレスを敷き寝支度の態勢になった時、とつぜんチャイムが鳴った。Qは躊躇した。<出ていいのかな?聞いておかなかったな>まさか訪問者がある事まで予測していなかった。またチャイムが鳴る。Qはドアーを開けた。
? :こんばんは。
..30代半ばだろうか、やさ男という感じの男が笑顔で立っていた。この「むげん荘」の家主だと言う。
ヤヌシ:Yさんから今夜から泊り客があるって聞きましたんで、ご挨拶に来ました。
..Qは自己紹介をする。
Q :R大1年のQです。お世話になります。
ヤヌシ:R大--?もしかして今日オープンキャンパスに参加していました?
Q :はあ、「魔術研究会」に入っています。実は今日出演していました。
ヤヌシ:そうでしたか。わたし行ったんですよ。甥につき合わされて。午前の公演で見ましたよ、なんでしたっけ…「魔法使いの…」なんとか。
Q :「魔法使いの娘」です。
ヤヌシ:へー、じゃ、あのお化けか幽霊でしたか?面白かったですよ。甥も喜んで、R大にしょうかな、なんて言ってました。
..<いえ、ぼくが「娘」です。>言おうか、言うまいか迷っているうちに家主は話題を変えた。
ヤヌシ:じゃ、この春に上京ですか。
Q :はい、そうです。
..そして駅までは一本道だから分かりいい事、駅周辺で生活に必要なたいていの物は入手できる事を教えた。
ヤヌシ:火の元だけは気をつけてください。何か用があれば、隣が私の家なんで声をかけてください。
..そう言って折り畳んだメモを渡した。
ヤヌシ:Yさんから預かりました。あの方は、めったにここへ来ないし、お客さんなんて初めてじゃないかなー。ま、わたしも留守勝ちなんでヒトのことは言えないけど。
..笑いながら家主は帰った。Qはソファーに戻ってメモを開く。   
......このバイトの事、わたしの事は決して他言しない   
......ように。
......秘密厳守ですよ。   
......あした9時からお化粧のお稽古します。
..「君子」ではない、いや、君子にもっとも縁遠いQが豹変した。サークルの反省会では誰もQに気づかなかった。あのNでさえ。それどころか男子部員のほとんどは熱心に入会の勧誘をした。笑いを押し殺して成り行きを見守っていたBも事実を暴露しなかったので、そのまま社会学部情報メディア科1年のDで通してしまった。公演ビデオを見ながら反省会をする事をNが告げた。
N :肝心のQがいないじゃない?どうしたのよ?
B :あっ、あのー、バイトで来られない連絡がありました。
..Bが焦って説明する。
N :えー!バイト?!
..Nはバッグからスマホを取り出す。
N :電話してみるよ。
..これにはQも焦った。いま掛けられたら、Qのバッグで着信のメロディが鳴り響く。
D :わ、わたしこれで…
..D(Q)は中腰になる。と同時に、
B :あー!わたし、わたしが掛けます!他にも用があるので。ちょっとだけ待ってください!
..Bは急いでスマホを出すと立ち上がった。そして外へ向かう時ちらっとQを見た。
D :わたし、これで失礼します。
..D(Q)は微笑んで立ち上がった。「えー」と失望する会員を残し、急いで外に出てBを探す。暗闇の中でひらひらする物がある。建物の陰からBが手招きしているようだ。
B :あせったわー!
Q :オレも。ほんとに心臓が口から飛び出すと思った。
B :どうする?ほんとうのことバラしていい?
..Qは、2秒考えた。
Q :いや、このままにしておいて。ちょっと訳があるんだ。
..QはYのメモを思い出したのだ。「このバイトの事は秘密」そう書いてあった。
B :そう…?じゃ、そうする。
Q :いつか話せると思うから、それまでゴメンね。
..そしてその晩、Qは駅近くの食堂で夕食を摂り、むげん荘へ戻った。午後の授業がなかったので、一旦自分のアパートへ行き必要なものを取ってきた。あれもこれもと思い始めると小旅行するほどの荷になった。バイトの時間調整も済ませた。あと2日は女子に徹する覚悟はできた。風呂に入り化粧を落とし男子に戻った。パジャマを着て、テレビをつけたまま今日の復習をしているとYが現れた。
Y :「1日女子」の気分は、どうでしたか?
..Yは差し入れのクッキーとジュースを並べる。
Q :うーん、けっこう大変。
Y :そうでしょうね。誰かに不審に思われるような事はなかったですか?
Q :いいえ、ないと思います。
..Yに化粧や身のこなしなどを今朝特訓されたが、一番注意されたのは言葉使いだった。Yは特に「マジ」「ヤバイ」を厳禁した。
Q :えー、ダメっすか?
Y :それそれ、それがいけないのよ。別に上品にしていなさいとは言わないけど、「マジ」「ヤバイ」なんて下品の極みよ。良識を疑われるわ。
..今日一日言葉には神経を使ってきたので、男子に戻った今もそのままだ。
Q :一つ分かった気がします。
Y :なんでしょう?
Q :もしかして、女性って、そのままで女性なのでなく、いつも女性を演じているのかなーって気がしました。
Y :なかなかするどい指摘ね。多分そうですよ。女性はいくつかの仮面を被っているのが普通です。メイクはもちろん、心も仮面を被っています。それも、二重三重に。
Q :へー、疲れないですか?
Y :もちろん疲れます。
..Yは笑った。
Q :それでも仮面を被って演じ続ける…何のために?
Y :さー、何のためでしょう。
..言いながらYはクローゼットから洋服やカツラをいくつか運びQに宛がってみたりしていた。そして、
Y :あしたは、これにしましょう。「いまどきJKギャル」でね。靴は玄関に出しておきますから。
..帰り支度を始めた。
Y :それから、これが今日の分です。
..ピンクの角封筒をテーブルに置いた。
..そしてYは帰った。封筒の中身は真新しい一万円札だった。Qはしばらくそれを見つめていた。<このまま続ければ後2日で3万になる。家賃の心配が消える>、<体力的には楽な仕事だ。でも危険性がない訳じゃない>万が一電車やトイレで「このヒト、男よ!」と騒がれたら警察沙汰になりかねない。そう思うと一万は高くはない。
Q :たかが一万、されど一万…
..呟くとQは寝支度を始めた。
..このバイトを始めて、Qはかなり窮屈な思いをした。今までには感じたことが無いが、ヒトの視線が気になる。電車内・キャンパス・教室のどこでも男の視線が飛んでくる。たいていはちらちら程度だが、時にはまじまじと見つめられる。が、正面から見つめたり声をかけられるのは日に数度だ。初めこそどんな顔をしたらいいのかうろたえたり焦ったりしたが、次第に慣れてきた。むしろ困るのは女子だ。教室で隣に座った女子学生がまるで知己の者のように話しかけてくる。なんとか受け答えするとどんどん入り込んで来る。プライバシーもへったくれもない。<これが女子同士の付き合いか?>人懐っこいといえばそれまでだが、Qのように特殊な事情を抱えている身では取り調べの尋問のような気がする。
..三日間、明るいうちは女子、暗くなると男子の生活を送った。あれ以来サークルには全く顔を出していない。その間にNから二度電話が来た。女子をやってるときにはあわてて物陰に隠れ、声と話し方だけQに戻るという二重生活が続いた。一月後10月半ばにまたオープンキャンパスがある。それまでにLが回復しなければ、また公演のヒロインだから覚悟しておけと言う。さすがに三日目の夕方に「むげん荘」でブラ・パンストを脱ぎ捨てたときには、大きなため息が出た。
Q :疲れたー!
..ソファーに転がると思わず叫んだ。こんなに疲れるものだとは予想していなかった。<でも、三日やりとげた>家賃の心配が消えたのと遣り遂げた満足感はあった。横になっていると疑問が脳の奥に生まれる。<これで、Yさんに何かいい事があるのかな?>そしてふと不安に襲われた。<来月、また家賃分が足りなくなった時にはどーしよう…?またこのバイトがあるとは限らない…>ぼーっと物思いに耽っているとYが来た。
Y :今日はどうでした?三日でだいぶん慣れたんじゃないですか?
Q :疲れました。
Y :Pfu!そうでしょうね。ご苦労さまでした。
..Qにピンクの封筒が渡った。<これで3万円だ。あした家賃を振り込もう>
Q :これで終わりですよね。
..Qは鍵をテーブルに置いた。
Y :まだ続けたいですか?
..Yは微笑む。
Q :んー、そういう訳でもないんッスけど…
Y :どうです?女性の見方が変わったんじゃないですか?
Q :はい。変わりました。女性ってオレがいままで抱いていたイメージとは、いろんな意味で違うなって思いました。
..そしてQは、街やキャンパスで若い女性をできるだけ観察したことを話した。
Y :そうですか?何か分かりました?
Q :うーーん、例えば…
..Qは上目遣いになり何か思い出そうとした。そして話した内容は--歩いていて異性と出会ったとき、男性はまず4〜5mくらいの距離で相手を確認をする。容貌・年齢・危険度を判断し、特別に感じるものがなければほとんど進路を変更せず直進する。相手に魅かれたときは、進路が遠ざかりそうなら近づくように代える。ところが、女性は6〜7mと遠い内に第一の確認をする。気に入らなければそれきり素っ気無いが、多少気になれば5〜6mで再度本チェックする。そして、もし魅かれたとき男性とは反対の行動をとる。
Y :ふーん、女性はどんな態度にでます?
Q :うまく表現できないんだけど…却って少し進路を遠ざけます。離れると言うか…
Y :そーですか…で…?
Q :それから、これに気がつくのに時間がかかったんスけど、ちょっと離れて自分の自信のある方、右側とか左側とかを相手によく見えるように顔の角度を変えます。
Y :なるほど…それで、微笑むとか…
Q :いえ、少し微笑むヒトの方が多いようッスけど、却って取り澄ました表情になるヒトも少なくないッス。「どう、わたしいい女でしょ」みたいに。そのとき女性は、相手が自分に注目してるか見極めているんッスね?
Y :なかなかよく観察できましたね。そういえば、あなたは社会科学科でしたよね?それを選んだのは正解だったかもしれませんね。立派な研究テーマになりそうな話しですよ。
Q :いやー、他に入れてくれるトコがなかっただけです。意味なんてなーんもないッス。
..Qは声をあげて笑った。
Y :ところで…もっと収入のあるバイトを紹介しましょうか?
Q :え?何かあるんッスか?
Y :興味あります?
Q :あります。どんな仕事ッスか?
Y :そーね、ただ、夜の仕事よ。だいたい7時〜10時くらい。
Q :もしかして、水商売?
Y :とりあえず、明日夕方7時までに身支度してここの駅で待っていて。現場を一度見て、それでやるかやらないか考えたら?
..Yは立ち上がるとクローゼットでフリル満載のミニドレスやカツラなどを選んだ。Qはそれらを応接に運ぶ。
..姿見で仕上がりをチェックし、
Y :やっぱ、脱毛しないとね。
..ソファーにQを掛けさせるとクラフトテープを腕の露出部分に貼り付ける。
Y :ちょっと痛いわよ。
..言い終わらないうちに勢いよくテープを剥がした。
Q :Ghya--!!
..一皮剥かれたかと感じた。両腕・胸元・背中に続き足も攻撃を受けた。これが一番痛かった。なんとか耐え抜いたQの肌はつるつるになった。
Y :これでいいわ。痛かったでしょ、ごめんなさいね。
..Yは、赤くなった肌に化粧水を塗った。そして結局その晩は「むげん荘」に泊まることになった。


..翌週の火曜日午後、Qはサークルを訪れた。新しいバイトは、Qにはかなりショッキングな仕事だったが、ようやくなんとか馴染んできた。そして懐かしいサークルに、公演以来初めて顔を出した。さっそくBが近寄り囁いた。
B :もうDちゃんは止めたの?
Q :うん。状況が変わって昼間はやらないことにした。
B :?、てことは…夜はやるってこと?
Q :そう、それがバイトさ。みんなには内緒だぜ。
..やがてあらかたの部員が集まった。
N :じゃ、始めようか…。
..Nの言葉に弾かれ、Lが立ち上がった。三角巾はしていないが、左手のギプスが取れていない。
L :あのー、今回は済みませんでした。わたしのドジですっかり皆さんに迷惑をかけてしまいました。本当にごめんなさい。
..Lは深々と頭を下げる。あちこちから「仕方ないって」「ひどい目にあったね」「もう、大丈夫なの?」などの声が飛ぶ。
N :せっかく練習したのに残念だったわよね。ほかの皆も気をつけてよ。じゃ、公演の会計報告をしまーす。
..Nは収支を読み上げる。入場無料だから、赤字になっていなければ上等だ。
N :…ということで、学校の補助が7万円出たので、一万円ほど黒字でした。
..ぱらぱらと拍手が起こる。
M :一万でも利益があったんなら上等だ。
N :そうよー、事務局にも感謝されてるから大上等よ。今回はQくんのおかげよ。みんなQくんに拍手!
..今度は盛大に拍手が沸く。Qは立ち上がると騒ぎを制するように両腕を拡げ、
Q :そう、すべてオレのお陰ッス。感謝の気持ちは現金で表そう!それが正しい感謝の仕方ッス!
..言った途端、Qの頭を直撃する物があり、hoko!と鳴った。会員の笑いが弾けた。Qが振り返るとWが笑って見つめている。手には丸めた台本を持っている。
Q :先輩!
W :キミの次の役だけどな、いいのを考えたぞ。
Q :え、もしかして白雪姫?
W :「三枚のお札」の鬼婆だ。
..どっと笑いがおき拍手が沸いた。
Q :鬼婆、いやッス!
N :先輩、きょうはどうしたんですか?
..ふだんWが、自分からサークルに顔を出すことはない。Wは卒論とバイトでかなり忙しい。それに大学院の入試目前だ。Nならずとも「どうして?」と思った。
W :今度の公演のことだけど、都合が悪くなりそうなんだ。
N :えー!、そうなんですか…困ったな。
W :それで、誰かにスモークの扱いを覚えてもらいたいんだ。
N :頭数が一杯一杯なので…Lちゃん、今度やれそう?
L :あと三週ほどですよね?あの、魂がわたしの周囲を飛び回るマジックができるかどうか、この手が三週でどうなるのか、自信ありません。あれが、一番むつかしいですから。
N :そーよね。困ったなー。
..ため息をつく。
W :いずれすぐに分かる事だから、訳を話すけど…
..Wが申し訳なさそうに言い訳をする。
W :この夏に、高校生の従兄弟が死んだんだけど…(参照:Death of Kaito)
N :ああ、聞きました。自殺だとか。けど、両親は納得できない。イジメで殺されたと訴えているって…あの事件ですよね?
W :うん。その百日法要が公演予定の日曜にありそうなんだ。それに、もう一つ訳があって…実は両親に頼まれて、夏の間、自殺か他殺か調べていたんだよ。
..会員は驚いてWの話しに聞き入っている。
N :でも、警察も学校も自殺と結論したんですよね?
W :ああ、両親の訴えも全く取り合わず、門前払いだった。けど、調べた結果イジメの証拠が出てきたよ。分かってしまえば簡単な謎解きだった。それで警察にそれを突き付けたんだ。9月初めころだったな。
L :すごーい!先輩、探偵をはじめたんですか。
Q :それで?
W :ここへ来て、ようやく警察も学校も自殺を撤回した。それが今週の月曜だ。これはまだ内緒だけど、おそらく近いうちに警察はイジメグループを確保する。で、そのときには記者会見があって、その会見に両親とぼくも同席を頼まれているんだ。
Q :て事は、もしかしてテレビ中継されるとか…?
W :テレビも来るかも知れないな。
Q :すげー!…
W :そんな訳で、いつ突然声がかかるか分からないから、誰かにスモークマシンを覚えてもらいたいんだよ。
Q :あれって、難しいモノなんスか?
W :難しいことはないさ。ただ、いくつか注意しなければいけない事があるんだよ。だから専門に一人つけなきゃならない。
..Nは腕を組み厳しい表情だ。会員は、みな2〜3の役割を掛け持ちなので、自分から名乗り出る者はない。
W :いっそ、スモークを使わない演出を考えた方がいいかも。
..それに抗して、NとQが同時に発言した。
N :でもねー…
Q :だめッス。あれが無きゃ盛り上がらないスよ。
..会員のほとんどが、賛同を表して頷く。
W :うーーん、そうか…肝心の部長、Zはどうなんだ?
N :Z先輩…ねー…ダメでしょ。
Q :Z先輩は当てにできないッス。
..空気が沈んだ。
M :あのー、T先輩ってヒト、居たんじゃ?今どうなってますー?
..全員がMに注目した。
W :Tか?そういえばどうなってるのかなー?
N :忘れてた。そろそろ帰ってみえるころじゃないかなー?
..T(経営学科)は、Wと高校の同級生だ。昨年3年生になった5月にアメリカに留学した。現在休学中だが、サークルに籍があった。Wを無理矢理協力させ、サークルの顧問にしてしまったのもTだ。
W :そーか、Tか、すっかり忘れてた。アメリカは新年度が始まっただろうから、帰って来るころだ。
N :そうよ、T先輩なら心強い!ああ、帰っていますように!
W :そうだな。実家に連絡してみる。
..Wはスマホを出すと、番号を探しながら一人ごつ。
W :そうだ、Tだよ。アイツのことすっかり忘れてた。
Q :T先輩って?
W :キミは知らないはずだな。きっとキミのいい相棒になるぞ。お調子モン同士で、ウマがあいそうだ。
..Wの電話にはTの母親が出たらしかった。話し込んでしまったので、会員の関心は他所へ移った。
C :ね、Bちゃん、きょうはDちゃん来ないの?
M :そうだよ、楽しみに来たのにー。彼女、入会するかな?
B :なにも聞いてないからわかんないわよ。なによ、みんな目の色をかえて。
M :そういえば、Qくんは居なかったな。おしいことしたなー。
C :すげーかわいい子(娘)だぜ。あれならAKBの誰にも負けてないな。あー、入会してよ!Bちゃん、お願い、なんとかして!
B :知らないわよ。自分でお願いに行ったら。
Q :AKBに負けてるようじゃ外を歩けないんじゃない?保健所が「環境破壊だ」て飛んでくるぜ。
..BとQが同時に笑い転げた。














「むげん荘(2)」へ続く





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