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むげん荘(2)

 
...............................................- R大魔術研究会-
 

星空 いき

Hosizora Iki













..................................登場人物


..二日前、木曜日の午後7時前、Qは私鉄の小さな駅でYを待っていた。<スカートってのは、下半身がすかすかだな>ちょっと屈めば下着が見えそうだ。バッグからコンパクトを出し自分と見詰め合う。夜だから少し化粧を濃い目にといわれていた。部屋で入念にチェックしたつもりだが、どの程度がいいのかよく分からない。電車が着くたび帰宅の通勤者・通学者が群れになって通過していく。そして、沢山の視線の矢が飛んできた。<新しいバイトは、どうやら水商売のようだ>不安が沸く。Qは半年ほど前まで、地方の普通の高校生だったのだ。当然夜の仕事など縁がなかったし、イナカのスナックですら入った事がない。コンビニに屯するか、せいぜい昼間の喫茶店でイキがっていたくらいだ。ヒトの視線を避け物思いに耽っていると肩をたたかれた。Yだ。見た瞬間に<あいかわらずキレイだな>と思った。
Y :来たのね。来ないかと思ったわ。
..微笑んでそういいながら、Qのメイクをチェックしている。
Y :下まつげのマスカラ、もう一度塗ってボリュームを出した方がいいわ、夜のお店だから。あとで直してあげる。
..階段を上ってホームに向かう。「上り」方面に向かうホームは空いている。
Y :ここから3駅だから、近いわよ。
..降りた駅とその周辺は、どこといって変わりの無い景色だ。駅前広場ではバス停にならぶヒトの列ができ、タクシーが次々に客を乗せ出て行く。◇◇商店街のアーケイドを潜り、明かるく賑やかな街をYに付いて行く。商店街が少し寂しくなったあたりで左折すると小暗い路地だ。その薄闇にいくつもの看板が光っているが、どうやら飲み屋街と思われる。そしてYは、中でも一番見栄えのする、ホテルかと思うような店に入った。入り口に立つ黒服と、笑いながら二言ほど言葉を交わした。
Y :おはよーございまーす。
..店内は、Qには異界だった。かろうじて顔が分かる程度に照明を落とし、壁に点々と並ぶ明かりとテーブルの赤いランタン型照明が浮かび上がっている。ほぼ中央に大きなガラスの女体像が光り輝いている。そしてYは、入り口近くにQと共に掛けた。まだ時間が早いのだろう、そこには7・8人の女性たちが陣取っている。「あら、小百合お姉さま、おひさしぶり」「どうしてらしたのー?」「お店代わられたのかとおもったわ」など声がかかった。その中の4人は、明らかに男性ではないかとQには思われた。そして近くの一人が「こちらの可愛いヒト、新人さん?」と訊いた。
Y :ううん。今日はただの見学。もしかしたら勤めることになるかも。よろしくね。
..Qはわけもわからずぺこりと頭をさげた。「わー、かわいいー」「きゃー」と何故か嬌声がわいた。店はだんだん混んできた。女の子達は散っていき、店長がやって来た。
テンチョ:その子?
Y :そうです。
テンチョ:ふーん、いくつ?
..Qはもうじき19歳になる。なんと答えたものか迷っていると、Yが答えた。
Y :19です。もうじき20歳になります。
テンチョ:ふーん、なかなか可愛いじゃん。よかったら明日からでも来て。お給料や細かい事は小百合さんに聞いて。
..店長が去った後、Yはトイレに誘った。そこで、マスカラを直してもらいながらQは訊いた。
Q :これって、オカマバーですか?あの女性たちみんな男ですか?
..Yは笑った。
Y :ちがうわ。強いて言うなら、クラブに近いキャバクラってとこね。あの中で3人が男。あとは女性よ。ちなみに黒服は一人を除いて女性よ。
..そして戻るとき、ちょうど入って来た壮年の男と出くわした。
Y :Ё(ヨー)さま、いらっしゃいませ。
キャク:おお。
..そして、Qをまじまじと見た。
キャク:ニューフェイスかな?こりゃ今夜はついてる。一緒に来て。
..Qの肩を抱くと、そのままボックス席へ連れていかれた。
Y :Ё(ヨー)さんは、若い子に目が無いんだから。
..言いながらYも同席する。
Ё :いやー、キミはいい女で、捨てがたいけど、この子かわいいじゃないかー。
Y :そういうヒトを森林って言うんですよ。
Ё :ん?
Y :キが多い。キだらけ。
Ё :こりゃまいった。
..Ё(ヨー)は額を叩いて笑った。
Ё :いいさ、なんと言われようが構わん。俺は本能のままに生きる。
Y :じゃ、わたしも本能のままに、ボトル開けていいですよね?
Ё :う、うう、ま、いいだろー。
..Qは、この店に入ってからほとんど何もしゃべっていない。できるだけ笑顔でいるが、疲れてきた。手を挙げてボトルが入った事を知らせたYは、それと察したようだ。
Y :この子、まだお店の子じゃないんですよ。だから、お客さん。
Ё :え、そうなのか?
Y :勤めるようになったらよろしくお願いしますね。
Ё :いいとも。俺にまかせろ。面倒みてやる。
Y :そうそう、小銭あります?百円玉4〜5枚。
..Ёは小銭入れを出すとYに渡した。
Y :この子ねー、手品が上手なの。見てやってね。
..そう言ってテ−ブルに百円玉を4枚並べた。Qも安心した。そろそろ作り笑顔が引き攣り始めている。それにコインマジックは得意中の得意だ。左手に4枚握り、手を近づけることなく右手へ一枚ずつ移動させてみせた。Ёは、それにすっかり食いついた。もう一度、もう一度とせがまれ、5回もやった。
Ё :いやー、たいしたもんだ。どうやるのか全然分からん。
..感心したЁは内ポケットからかなり厚みのある財布を出した。一万円札をQの前に置いた。
Ё :面白かった。チップだ。とっとけ。
..Qは手を出したものか、辞退すべきか分からない。Yを見ると頷きかえしてきた。
Y :まあ、ありがとうございます。やっぱりЁさまは器がちがいますわ。
..言いながら、もう一度Qに頷く。
..Qは札を手に取ると、
Q :ありがとうございます。
..舌足らずにできるだけ可愛く言って、畳んだ札を胸元にしまった。舌足らずに言ったのは、媚びたわけではない。これまでに、発声についていろいろ試した。そして、その話し方が一番自然に高い声音が出る事を見つけたからだ。
..やがてYはヘルプを頼むとQの手を引いて交代した。もうQには限界と判断したようだ。外へ出て夜気にあたると、Qは思わず知らず大きな息を吐いた。壁に小さなプレート「女苑(jyoen)」があるのに初めて気付いた。それ以外看板らしき物はない。
Y :fh-fhu、お疲れさん。そうとう緊張してたわね。
Q :もー、むちゃくちゃです。とくに肩を抱かれたときは、全身鳥肌がたちました。
Y :でも、Ёさんにすっかり気に入られてしまったようよ。あのヒトね、不動産会社の社長でそうとうやり手らしいわ。良く言えば成功者。ただ、陰で山ほどのヒトを泣かせたらしいから、正しく言えば悪徳業者。そういう噂よ。
Q :なんか、得体の知れない鵺(ぬえ)って感じでした。
Y :でも、接待やなんか、たくさんお客さんを連れてきて大きなお金を使ってくれるので、お店としては大事なヒトなの。
..Qはあわてて胸元を探った。
Q :あのー、これ。
..と、さっきの札をYに差し出す。自分がもらってしまっていいのか気が引けたからだ。
Y :あ、それ?それは、あなたのきょうの稼ぎよ。取っておきなさい。
..電車内でも小声で話しは続いた。
Y :もし、やってみる気があるならまず名前を考えなきゃね。源氏名はみんな花の名なの。
Q :そうですか、Yさんは「小百合」さん?
Y :ええ、なにか希望はある?ま、考えといて…それでお給料だけど、週給よ。火曜に前週分が出るわ。そーね、初めは週に6日出たとして10万てとこかな?
Q :週10万ですか!?
..もう少しで大きな声を出すところだった。<てことは、月40万?ワーオ!>それは、貧窮学生には想像すらできない金額だ。
..こうしてQはバイトを替わった。不安がない訳では無い。酔客に多少は触られるかも…聞いたところでは、ちょっとしたショーをオカマ中心にやるらしい。Qは自他共に認める音痴だ…年齢も偽っている…第一、お客をうまくあしらえるだろうか…酒の種類やカクテルの名も知らない…ホステスとして必要な知識がきっとたくさんあるのだろうが、なにも知らない…不安材料ばかりだが、月収40万の衝撃は大きかった。次の日から金・土・日と出勤した。月曜は休んで、洗濯物を持って自分のアパートに帰った。「むげん荘」を出るときYが言った。
Y :このバイトを続ける気なら、いっそ越して来たらいいんじゃない?1と3号が空いてる。3号室がいいと思うわ。狭いけど安いから。
..まだ明るかった。Yは建物の左手(北側)に回った。1階部分は駐車場だ。詰め込めば、きちきち3台分だ。ポンコツのワーゲンが1台止まっている。裏手の敷地は、表側の半分くらいだ。
Y :ここよ。
..Yは2階部分を指す。やはり外階段で、部屋はその一室だけらしい。
Y :ちょっと待ってて、鍵を借りてくるから。
..Yは畑を抜ける小道へと分け入った。背伸びすると木立の中に大きな農家が垣間見える。Yはそこへ向かっているようだ。最初にここに来てから8日目になるが、どんな場所なのか初めて目にした。周囲はだいたい畑で空が広い。その中にマンションらしき物や建売住宅などが混在している。Qは少し戻って西側から眺めた。以前から壁の文字が気になっていたのだ。明るいときに見ると変わった外装だ。建物全体が下部は黒く上に行くに従って白くなるグラデーションだ。そして西側には大きな文字で「Cradle of Mugen」が浮かんでいる。<?>Qはスマホを出すとcradleを調べた。「揺り篭」だ。<「夢幻の揺り篭」?なんのこっちゃ?>Qは首を捻る。<あの家主、ロマンチストなのか?それとも哲学的なのか?>判らないまま写真を何枚か撮った。戻ったYに付いて部屋に入ってみた。10畳くらいだろうか、ひと間きりだ。奥(南)の4分の1が押入れで、その隣のドアーがシャワーとトイレだとYが教えた。その横にままごと仕様の台所だ。東側の窓からは十分な明かりが差し込む。
Y :お風呂は無いし狭いけど、一人ならじゅうぶんじゃない?小さな洗濯機と冷蔵庫なら、なんとか置けるわ。
..Qの現在のアパートにしても実質6畳だ。それにシャワーすら無い。だからことさら狭いとは感じなかった。
Y :いまお家賃いくらなの?
Q :4万です。ここは?
Y :6万円って聞いてるわ。
Q :6万ですか…
Y :でも、安くならないか交渉してあげる。5万なら悪くないでしょ?
..Qの頭で「月収40万」が蠢く。
Q :あれは?
..なにも無い部屋で唯一目を引くのは、部屋の西側の壁に作り付けられた本棚のような物だ。三角屋根で、時計の大きな文字盤が存在を主張している。錘式でチェーンが下がっている。
Y :ああ、家主さんの手作りの趣味のようよ。邪魔よねー。無いほうがいと思うんだけど。
..さっきから考えているのは、少し家賃が上がることや邪魔な時計台のことではない。重要なのは、Yの近くに居るということだ。近くに居れば時間的・体力的に比較にならないほど楽になる。さらに心動かされた理由がもう一つあった。いまのアパートは隣家とびっしりくっついているうえ、周囲も建て込んでいる。余裕がない。ところがここは、畑や雑木林で空間がのびのびと広い。渡っていく風が心なしか新鮮だ。それは魅力だった。
Q :よさそー。
..Qがそう答えたのには、そんな事情があった。
Y :そうだ!
..Yが、突然手を打って大きな声を出した。
Y :閃いたわ、あなたの名前。
Q :
Y :「たんぽぽ」よ。ね、いいでしょ、「たんぽぽちゃん」て可愛いじゃない?
Q :は…あ…
..こうして、アパートに帰り着く前にQは移住を決意していた。


..T(経営学科3年)は部室でビデオを見ていた。カメラを購入できないので、サークルではいまだにテープ式ビデオだ。色がおかしくなり始めている。内容は前回の「魔法使いの娘」だ。TはWから電話をもらい、1年半ぶりに大学に来た。そばにはNがいる。
N :ここです。ここでスモーク。
..画面奥からスモークがたちこめてくる。
T :それ、オレがやる?
N :はい。人出がないんで困っています。ぜひお願いします。
T :うーん。分かった。やる。で、この主役のかわいい子、何て言うの?
N :ああ、今年の1年だから、先輩は知らない子です。Qです。
T :Q…て、男みたい。
N :ええ、男子ですよ。本命の1年女子が怪我をしちゃって、急遽代役にたてました。
T :へー、男子。おどろいた。女子で通る。
N :で、スモークマシンの扱いはW先輩に聞いてください。できれば来てくださいってお願いしておいたんですけど…。
..言ったところへ声がした。
W :よお!T、ひさしぶり。
..振り返るとwが入ってきた。
T :おお、ひさしぶり。元気やった?
W :それは、こっちの台詞だ。ともかく、おかえり。いつ帰っていたんだ?
T :ただいま。3日まえ。jet iag…えー、時差ボーケだ。感じが元に戻らない。なので、来なかった。
W :そーか、オマエなー、日本語忘れたか?おかしくなってるぞ。
N :わたしも、そう思いました。
T :やっぱ。親にも言われた。
Q :こんちわ。
..Qが入ってきた。
N :ほら、噂をすれば…
Q :え、なんですか?オレの噂してたんですかー?
T :へー、この子か…変わるもんだ。もともとそういう趣味か?
W :はは、そういう訳じゃないよ。今回無理矢理やってもらったんだけど、これが期待以上に嵌った。
Q :あのー、もしかしてT先輩ですか?
N :そうよ、こちらがT先輩。
Q :アメリカへ行ってみえたんですよね?
W :ま、その話しはいずれゆっくり聞くとして、Qくん、キミもどうかしたのか?
Q :なぜ?
W :キミもいつもと話し方違う。何に目覚めたんだ?
Q :そーですか?
N :そーよ、いつもなら「T先輩ッスか?」「なぜッス」じゃない。相手に敬意の欠片(かけら)もない、アホ学生はどこへいったのよ?
Q :そーで…ッスか。戻すようにがんばり…ッス。
..W,Nは爆笑だ。Qも釣られて笑った。
N :そういえばさー、アンタ引っ越すって言ってなかった?
Q :うん。越したッスよ。
N :運送屋頼んで?
Q :そんなに荷物無いッスよ。家主さんがいいヒトで、軽トラ持ってるから手伝ってくれました。
N :そう、で、何処なのよ。
..Qは駅名と経路を簡単に説明した。
Q :むげん荘ってとこッス。
W :むげん、変った名だな。どう書くんだ?
Q :判らないッス。外壁に大きい字で「Cradle of Mugen」って書いてあるし、変ってるのは、名称だけじゃないッスよ。外装もかなり変っているッス。
W :へー。
Q :ある意味、一見の価値ありッスよ。ああ、そう、写真があるんだった…
..Qはスマホを取り出す。W,Nが覗き込む。
N :ほーんと、確かに変ってる。
W :そうだな。
N :もしかして家主が芸術家?
Q :いや、オレは哲学的なのかなって…
W :どういう意味だ?
..Wは写真をTに見せた。
T :「ムゲンの揺り篭」…だな。ムゲンが何のつもりなのか、判らん。
W :確かに一見の価値がありそうだ。それにしても、なぜこんなトコ見つけたんだ?
Q :紹介されたんスよ。家賃も5万にまけてくれたし、環境いいし、一度来てみてくださいよ。
W :ああ、暇になったらな。入試は済んだから、ぼくも可なり楽になった。今度の公演が終わったら本当に行ってみるかな。
..そして、WとTは演劇部に向かった。スモークマシンは演劇部の物を借りることになっている。
Q :スモークの機械、買えばいいのになー。
..Qは、荷物運びに連れてこられた。
W :そんなこと言ってみろ、Nの雷が落ちるぞ。
Q :こえー!
T :入試って、進学することにしたのか?
..TがWに訊く。
W :そのつもりだ。
T :もしかして、研究者になるつもりか?
W :いや、大学に残る気は無い。けど、このままじゃ、なんか中途半端だからな。
T :まーな。日本の大卒で本当に大卒といえるのは10%だという意見もあるしな。で、何をやるんだ?
W :橋梁設計だ。
T :橋か?変な物に興味を持ったな?
W :透明で鉄骨より強く軽いカーボン繊維の橋ができれば、中空に自動車道が作れる。
Q :??、それって飛行機と変らないんじゃないッスか?
W :お、Qくん、ようやく調子がでてきたな。そういうことだ。落ちる心配が無いから誰でも運転できる。みんなが、安全な自家用飛行機を持っているようなもんさ。つまり家庭の車が空陸両用になるわけだ。
Q :へー!すごい事考えてるんスねー。やっぱ、オレらの頭とは違うわー。
T :ところで、Q。
..Tの呼び方が変った。
T :今度の公演も「娘」をやんのか?
Q :うーーん、わかんないッス。Lちゃん次第。なんででスか?
T :いや、お前の女装をナマで見てみたいと思ってな。
..Tは笑った。うっかり「いつでもどうぞ」と言いそうになり、Qはあわてて息を飲み込んだ。「女苑」でこれまでに二回給料をもらった。合計13万円だ。ついこの間まで2万で苦労していた。途端に金持ちになった気分だ。が、Yに訊くと衣装代やアクセサリー、美容院だけでもかなりかかる。週給10万ていどでは、その辺のパートのオバサンたちとさして変らないという。だが、10日ほど経て相当慣れてきた。場を持たすのに困ったらコインやハンカチのマジックで逃れる。場違いな「少女」の出現を喜ぶ客も結構いて、「指名」が入るようになった。稼ぐには、ボトルを入れさせるのと指名をとるのが手っ取り早いことも分かってきた。本来要領がよく小回りの効くタイプだから、コツを掴めば倍の収入も夢ではない。そんな事を思い始めている。このごろでは、Yがつきっきりでサポートすることもなくなってきた。沢山のことを知ったが、Yは単なるホステスではないらしい。店長の片腕というか、女の子の取り仕切りなどはYが行っている。新顔の客が入ると、誰をつけるか素早く指先だけで指示を出したり、指名が入るとヘルプを誰にするか即決して指と目で知らせる。ホステスたちからも「小百合姉さん」と一目置かれている。実質はママなのだ。事情が分かるにつれ、さすがに衣装・化粧品・靴・アクセサリーにバッグと全てYに面倒みてもらうのにはQも気が引けてきた。一度それを話題に出してみた。
Q :どのくらい支払いしたらいいでしょう?
Y :まだ、いいわよ。わたしの見込みでは、あなたは今にもっとうーんと稼げるようになるから、その時に頂くわ。あなたとわたしと洋服も靴も同じサイズだから助かるわ。いま使ってるのは、もうわたしには二度と着られない物だからそんなに心配しなくていいのよ。
..そして不動産のЁ(ヨー)はYを我が物にしたくて通っていることも確認した。事実ЁがYを温泉に誘うのを何度か目撃した。ともかくQは「たんぽぽちゃん」として客やホステスたちに可愛がられ、居場所を見つけた。
..演劇部の、部室というか稽古部屋は結構広い。が、どこもかしこも色んな大道具や機材が積み上げられている。雪崩をおこして襲い掛かってこないか不安でさえある。スモークマシンもほったらかしだ。Wは一通りTに取り扱いを説明した。終わって部長に挨拶する。
ブチョ:ああ、この前の公演見たわよ。おもしろかったじゃない。
..話し方、仕草がカマッぽい。WはQを紹介した。
W :1年のQくん。実は魔法使いの「娘」は彼なんだ。
ブチョ:へー!君だったのー!
..部長は驚いてまじまじとQを眺めた。
ブチョ:ね、ウチに来ない?女子が足りない時が多いから助かるわー。
W :駄目ダメ、勝手にスカウトしちゃ。ウチの部長が怒り狂うぜ。
ブチョ:じゃ、足りない時貸して。スモークマシンの代わりよ。お願い。
..<なんだよ、オレは道具の代わりか!>
..帰り道、TとQはマシンを提げよたよた歩いている。
T :けっこう重いなー。
Q :重いーッス!
..Wはマシン用液体のボトルを抱えて付いて来る。
W :古い大型タイプだからな。20キロくらいあるんじゃないかな。いまなら小さくて軽いのもあるんだけど。このリキッドに3000円も取りやがった。ま、消耗品だから仕方ないけどな。ちょっとボラれた気がする。
T :たんま!
Q :へ!どうしたんス?
T :だから、たんま。
..TとQの足が止まりWも停まった。
Q :「たんま」が痒いッスか?
T :何言ってんだ?だから、タイムだ。手を代えよう。
Q :そーッスか。「たんま」って、オレのイナカじゃ、男のゴールデン・ボールのことだから、どうしたのかと思ったッスよ。
..Qは爆笑だ。Wも釣られて笑い出す。三人は縁石に座り込んだ。
T :「待て」てこと、子供の時「たんま」って言わなかったか?
Q :言わないッス。「待て」は「まちょれ」ッス。
T :W、「たんま」は全国区じゃないのか?
..Wの笑い声が大きくなった。
W :知らない。思ったとおり、相性がいいな。
..なんとなく休憩タイムになった。そして、Wのスマホが鳴った。5秒後、Wは立ち上がった。そして、深刻な表情で話しこんだ。
W :急ごう!時間がなくなって来た。T、いまからスモークの実習をするから早く覚えてくれ。
Q :先輩、どうしたんス?
W :いましがた警察がいじめグループを確保した。忙しくなる。
..Wは小走りに部室に向かう。TとQは左右入れ替わってマシンを提げると後を追った。
..その翌日の土曜日、Kaitoの死に関して警察の記者会見があった。昨日いじめグループの少年たちを確保した発表があり、捜査が充分で無かったと遺族・関係者に謝罪した。TVのニュースでの報道は15秒あるかなしかの簡単なもので両親やWの姿は無かった。だが、夕方以降様子が変わった。両親・Wは報道が用意した別の場所で記者会見があった。母親の涙がクローズアップされ、憮然とした父親の怒りが大きく報道された。
カイトチチ:この甥のWがいなければ、彼が真相を暴いてくれなければ自殺で片付けられてしまうところでした!息子は、いじめで殺されたんです!
..Wが画面一杯にUPになる。
..そして記者達から次々に質問が飛んだ。騒ぎは翌週の情報ワイド番組に飛び火したのだが、この晩は土曜日で、Qの稼ぎ時だ。ゆっくり見ていられなかった。
..月曜日、学校へ行こうと階段を下りてくると、家主が立っていた。傍には、中年の女性ともう一人、車椅子に壮年らしい男がいて話し込んでいた。Qが挨拶をして通り過ぎようとすると、
ヤヌシ:ああ、Qさん。
..家主が止めた。
ヤヌシ:こちら今度1号室に入られるUさんです。よろしくお願いしますね。
..人のよさそうな小太りのオバさんは、バカ丁寧に挨拶した。主人は体が悪く一人では何もできない、世話になると思うがよろしくという事を、オバさん特有の何もかも自家撞着してしまう論法で、無意味に時間を掛けて言った。Qもよろしくと挨拶をする。車椅子を先頭に、奥さんと家主が手を貸して部屋に入った。そのときQに好奇心が沸き、なんとなく続いて玄関に立った。<どんな部屋かな?>見回すと、どうやら作りはYの部屋と同じだ。違いといえば、大きな姿見がないことだ。それから、この部屋にも東側奥に大きな時計台がある。するとYの部屋にだけ時計台が無い事になる。<Yさんは、邪魔物がない部屋を選んだのかな?ま、ふつーは、そうだろうな>Qの部屋の時計は、果たして動くのか、入居した日に錘を引いてみたのだ。恐らく動かないと思っていたが、これが動いた。今のところは正確そうだ。耳障りな音がする訳でもないので、Qは意外と気に入っている。それ以来朝起きた時と夜寝る前に錘を引くのが日課になった。この住人も動かすだろうか…なんだかおかしくなる。
ヤヌシ:ゆっくり見てください
..家主はUに言うとQの傍に来た。
ヤヌシ:いまから学校ですか?
Q :はい。今日はすぐ戻る予定です。
ヤヌシ:そうそう、R大でしたよね。昨日テレビでWさんてヒトが出ていましたよね。もしかして、知ってるヒトですか?
Q :ええ、あのヒト、ぼくらのサークルの相談役なんで良く知ってます。
ヤヌシ:ほー、そうでしたか。
u妻:えー!Wさんとお知り合い?
..Uの奥さんが突拍子もない声を出した。
u妻:R大のWさん、いまや時のヒトよ。警察が自殺にしてしまった殺人事件を解明したって、テレビでやってた。わー、サインお願いしようかしら。
U:バカな事言うんじゃない。
..初めてUが声を出した。
ヤヌシ:ところで、きのう女性が部屋にいらしてたようですが、彼女ですか?
..家主の眼が笑っている。Qはドキッとした。いつもバイトの帰りはYの部屋へ直行して着替えるのだが、考え事に気をとられ自分の部屋に行ってしまった。中に入ってから気が付いて、慌てて出たのだが、見られてしまったらしい。
Q :ええ、まあ…
ヤヌシ:いいねー。ま、青春を謳歌してください。
..家主は独身で一人暮らしらしい。仕事は何をしているのか、何もしていないのかよく判らない。
..そしてその日、学校でもWの話題でもちきりだった。サークルに顔を出すとN・L・Bの女子メンバーがその話題に食いついていた。今しがた学生会館のロビーでテレビの情報番組を見ていたのだ。
B :W先輩すごいねー!
N :なんだか、我がサークルも鼻が高いわ。今度から公演ポスターに写真使わせてもらおうかしら!「名探偵W監修」て。うけるよ!いや、いっそ「脚本、監督W」の方がいいか!
..Nは勝手に熱をあげる。
Q :きっと断られるッス。
L :そうよね。W先輩、そういうの好きじゃないよね。
Q :けどさ、ちょっと気の毒かなー。
N :なにが?
Q :だって、こうも注目されちゃ、キャンパスも楽に歩けないッスよ。オレなんかさっきアパートのオバさんに「サインもらって」て頼まれるトコだったッス。
N :そーねー、学食で250円のラーメンすすってる訳にいかないかもね。
Q :ところで、もう一人T先輩は?
N :ああ、しばらくは何かと忙しいらしい。公演の練習日程は渡しといたから、そのうち出て来るんじゃない?
Q :どう、Lちゃん。今度はやれそう?
L :多分…だいじょうぶだと思うけど…
B :あら、Qくん、やんないの?すっかりミイラ取りがミイラになったと思ってた。
..授業が終わって今日のバイトをどうしたものか考えた。週に最低1日は休まないと、いくら独身でも洗濯・掃除が回っていかない。むしろ週2日は休みたいところだ。体力・気力が意外と要る。けっこう疲れるのだ。月曜が一番客が少ない。駅に着くまでに「休む」と腹を決め、Yに欠勤の連絡を入れた。むげん荘近くまで帰って来ると畑の野菜が目に付いた。丸々と良く育った白菜だ。イナカでもよく見かけた。<これ、虫がつかないようにするのが大変なんだよな>そんな事を思いながら足を止め見ていると、後ろから声をかけられた。
ノーフ:どうしたかな?白菜が珍しいかい?
Q :いえ、そういう訳ではないんですけど…立派な白菜だなーって思って。
..声をかけた長靴の農夫は、その畑を作っているかくしゃくとした老人だった。剥き出した腕や足などはQよりはるかに筋肉が隆々とし、肌は黒光りさえしている。
ノーフ:はは、そうだろう。今年は順調にきた。あんた、あの「むげん荘」に最近越して来たんだろ?
Q :はい。Qといいます。R大の1年です。
ノーフ:そうかい。学生さんか。いままでは女のヒトをごくたまーに見かけたが、増えるって良い事だ。
Q :近いうちに、ご夫婦が入られるようですよ。
ノーフ:ほー、そりゃなお結構だ。賑やかになる。あの家主さんも気の毒なさだめ(運命)というか、幸運と縁が薄くてね。せめて可愛らしい嫁さんでも来てくれればいいんだけどな…。
..老人は、家主を生まれた時から知っているという。家主の家は、古くからこの辺り一帯の地主で相当広い地所を所有する農家だった。
ノーフ:ここら見渡す限り全部の耕地を持っていた。
..老人は、指で周囲をぐるっと指して見せた。それが、親の代で不幸な出来事に会い殆どを手放した。当時急速に値上がりしていた土地を騙し取られたらしい。そして自宅とアパート周辺のみがかろうじて残った。
ノーフ:父親は気の毒だったよ。ショックで農薬で自殺したんだ。今の家主はまだ小学生だったな。そして母親も亡くなってな、家族はばらばらになってしまった。
Q :そーですか、そんなことが…
..Qにはかなりショックな話しだった。Yからは、そんな事は一言も聞いていない。知らないとも思えない。<話すことはないと思ってるのかも…>
ノーフ:ただな、自殺じゃなくて殺されたという噂もあった。もういまとなっては、判らないけどね。もし、いまだに土地を持っていれば数億どころじゃないな、数十億だろう。まったく気の毒なヒトだよ。
..別れ際に老人は鎌を手にすると、太った白菜を刈り取り外葉を落とした。
ノーフ:持って行くがいい。
..それは、ちょっとした赤子を抱いたくらいの大きさだ。Qは両手で抱きかかえてアパートに戻った。<こんな大きなのを貰ってもなー…塩を振りかければ漬物になるかな>
..そして、水曜日にU夫婦が1号室に入った。


G :おまえな、知ってんのか?
..Wは廊下でG(建築科4年)に捕まった。そして、いきなりの質問だ。
G :何の事だ?
..WはGが好きではない。2年の時のいきさつがあるからだ。
..2年の夏期休暇直前の数学の時間に、話題が「無限・極限」の概念に及んだ。Wは軽い気持ちで高校生の時から感じていた疑問をH准教授に投げかけた。無限・極限は三次元世界には有り得ないのではないかとWは考えていた。時間の停止した三次元世界では、それは「不能」ではないかと発言したのだが、考え込んだ末H准教授は「それは物理学の命題であって、純粋理学の命題ではない」と答えた。これに一部の学生達が反発した。そして、議論が過熱したのだが、事はそれで収まらなかった。誰かが、この遣り取りをネットに投稿したのだ。ネットでも反響があったのだが、元凶の投稿者の発言が次第に過激になっていった。とうとう露骨にH准教授を無能者と断定した。この出来事がWを窮地に追い込んだ。匿名の投稿者はWではないか、という噂が蔓延したのだ。
..Wには身に覚えが無い。当初軽い気持ちで発言しただけで何の他意もない。そしてWの推理では、面白がってネット炎上させた元凶はGだと確信している。Gは、ブレーキーが利かなくなってしまったのだ。だがそれから、WはHに憎まれてしまったし、逆に一部の無責任な学生たちからは持ち上げられた。どちらも迷惑この上ない。そしてGを問いただしたが、「知らない。なんでオレがそんな事をする必要がある」と白を切られた。拗れて迎えた年度末、Hは突然退職した。この出来事が原因ではないだろうが、Wにとって何とも後味の悪い結末だった。
G :テレビで持て囃されていい気分か?けど、お前、虎の尾を踏んだんだぞ。
W :?、なにを訳判らんことを言ってるんだ?。
G :やっぱり知らなかったのか。Kaitoくんのいじめグループのリーダー、高校生だから報道されないけどタカシだろ?
W :
G :タカシはな、あのH先生の一人息子だぜ。
..Wは息が止まった。そして、やっと言った。
W :嘘だ。今度はなにを企んでいる?
G :嘘なもんか。ちょっと調べる気になれば誰でもすぐに判ることだ。
..Gはにやっと笑った。
G :親に恥をかかせて退職に追い込み、今度は息子を殺人者呼ばわりか。やってくれるねー、名探偵さんよ。
..














「むげん荘(3)」へ続く





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