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むげん荘(3)

 
...............................................- R大魔術研究会-
 

星空 いき

Hosizora Iki













..Qは久しぶりにゆっくり寝た。起きたのは10時ころだった。今日は10月第一日曜だ。大きく伸びをしてカーテンを開ける。それから時計台のガラス戸を開け錘を引く。<何か食うものがあったかな?>冷蔵庫から食パンの残りと牛乳を取り出す。ぼーっとテレビを見ながらパンを齧っていると、チャイムが鳴った。パジャマのまま出てみると家主が立っていた。
ヤヌシ:おはようございます。先日の白菜です。
..タッパーの容器が差し出された。
ヤヌシ:半分を漬物にしてみました。食べてみてください。
Q :ああ、それはどうも…
..Qはタッパーを受け取った。先日白菜を抱えて階段に差し掛かったとき家主に声をかけられた。Qはとっさに考えた。<家主さんにあげよう。どう始末したらいいのかわからん>これ幸いと、白菜を家主に押し付けた。
Q :ありがとうございます。かえって迷惑をかけたようでスンマセン。
ヤヌシ:いやいや、わたし、色んなモノを漬けてるんで造作もないです。口にあうようでしたら、言ってくださいね。また持ってきますから。一度に半玉分も貰っても困ると思い少しだけ持ってきました。
..果物フォークで白菜を刺し、パンを齧りながらたべてみた。料理に疎いQの舌にもほんのり昆布の味がし、それをピリっと引き締めているのは鷹の爪だろうか。旨かった。そして今日の段取りを思った。取りあえず学校に用はない。バイトをどうするか?火曜から昨夜まで休みなしだった。火曜には14万5千円もらった。リッチな気分だ。それが、ゲームを呼び起こした。前から新発売のソフトが気に懸かっている。手に入るものなら欲しい。そして今なら可能なのだ。やがて朝食を終えると出かける支度をした。<とりあえず駅前の「ゲームランド」だ。食料も補充しとかなきゃな>
..外へ出て建物の角を曲がったとき、1号室のドアーが開いた。
u妻:あら、おはようございます。
..Uの奥さんが大きな声で挨拶した。Qも挨拶して行き過ぎようとすると、
u妻:いま、お急ぎ?
..と傍に来た。
Q :いえ、別に。ちょっと駅前まで。
..そして例の論法で訴えてきた。部屋の時計が動くものなら動かしたいが、どうしたらいいのかよく判らないと言う。内容はそれだけだが、その間に主人へのグチや気候の話しまで混ざって4〜5分もかかった。止むを得ずQは招かれるまま部屋に上がった。
u妻:目の前にある動かない時計なんて、なんだかイライラするのよねー。動かないならはずす。動くならちゃんと働く。どっちかはっきりしてって言いたくなるわ。
..Qは、時計台のチェーンを引いてみる。耳を近寄せ澄ます。微かにテンプの音が聞こえた。
Q :動くようス。このまましばらく待ってみましょう。
..ついでにスマホで時間を確かめ、一応針をあわせてみた。その間に奥さんはコーヒーを立てていた。
u妻:あら、動くの。まあ、よかった。どうせあるのなら使わなきゃねー。
Q :正確かどうかは、何日か経ってみないとわからないッス。様子を見てください。
..朝晩錘を巻き上げるように付け足した。
u妻:ありがとうございます。コーヒーどうぞ。
..Qは立ち上がる。そして壁にフレームに入った写真が有るのを見た。ブレザーの制服の若者が笑っている。しばらく見入った。
u妻:それね、前の家で撮ったの。子供の高校入学の日に。
Q :子供さんっすか?
..子供など見た事がないし、部屋にもそれらしいようすがない。
u妻:ええ…
..奥さんは目を伏せ声も弱くなった。
u妻:事情があって、今は遠くの兄弟に預けてあるの。
Q :そうスか。
..Qはこれ以上触れない方がいいと感じた。
Q :旦那さんはお出かけ?
..奥さんは次々とクッキーなどを勧める。
u妻:向こうで休んでます。余りヒトと会うのが好きじゃないの。偏屈なのよ。
..<そろそろカンベンしてほしいぜ>腰を上げようと思った時スマホが鳴った。奥さんに背を向けて電話に出る。Wだった。時間ができたのでQの部屋を訪ねてみたいという。
Q :それなら丁度よかったッス。今から駅に行くところなんで駅前の「ゲームランド」という所で待ってます。
..そして、
Q :それじゃ、これで。
..と腰を上げかけると、
u妻:Wさん?もしかして、あのWさんがいらっしゃるの!?ごめんなさい。聞くつもりはなかったんだけど、Wて聞こえたから。
Q :ええ、遊びにくるそうで…。
u妻:わー、すごい!一度お眼にかかりたいわー!
..<まずかったかな。先輩の一番嫌がるタイプだもんなー>言ってしまった事の取り返しはきかない。
Q :とにかく迎えにいってきます…
u妻:引き止めてごめんなさいね。また、いつでもいらして。主人は無口だし、ここじゃ話し相手もいないから、来て貰えるとうれしいわ。
..奥さんも立ち上がる。
u妻:そー!、Wさんがみえるの!
..<偏屈オヤジに訳ありムスコ、それにおしゃべりオバサン…変った家族だ>特に用事がある訳でもないのでゆっくり駅へ向かう。Wが着くまでほぼ1時間はかかるだろう。日曜のせいか、小さな商店街にもそれなりに人出があった。おしゃれな構えの店のウィンドウには、この冬のファッションをまとった女性マネキンが気取っている。思わず足を止めてしまった。「たんぽぽちゃん」スゥイッチが入ったのだ。きっとQの表情・態度が熱心に見えたのだろう、店の主が声を掛けてきた。
テンシュ:お気に入りましたか?
..店主の顔が笑っている。Qは自分の立場に気付いてあわてた。
Q :あ、いや、その…
テンシュ:プレゼントにいかがです?
Q :あ、あのー、これ全部ならいくらになります?
..返答に困ってバカな質問をしてしまった。
テンシュ:全部?バッグやブーツも?…そうですねー…45万てとこですねー。
..それから店主は次々とブランド名をあげ説明した。半分くらいは外国製品らしい。が、カタカナばかり並べられても、まるっきり外国語を聞いているようで判らない。判ったのは、ほとんど海外ブランドなので高くなるということだ。通りすがりの女性たちの視線がつらい。そしてYの言葉が思い出された--「週10万では、パートのオバサンたちと変らない」<確かに。衣装が自前なら、そうなるかも…>QがいかにYに依存しているか、改めて感じ入ってしまった。だが、だからこそ、自分で調達してYを感心させたいという気持ちが少しは働いている。
テンシュ:お包みしましょうか?
..Qが黙り込んでしまったので、催促するように店主が言った。
Q :あ、いえ、ちょ…ちょっと考えます。
..あわてて返答すると逃げるようにその場を去った。ワゴンセールで買ったようなTシャツにパーカー、よれたジーンズにくたびれたスニーカー、そんな若者には縁の無い買い物だ。恥ずかしさで汗が吹き出してきた。
..ゲームランドには、ゲーム機やソフトが一通り揃っている。店の半分ほどがアーケード機などを並べたゲームコーナーになっている。日曜の昼なので若者がけっこういた。小学生らしき子供が「太鼓の達人」に興じていた。周囲を見物が取り巻いている。なかなかに上手そうでつい見惚れてしまった。そしてノーミスで完了すると観客の拍手が沸きあがり、感嘆の声がもれた。小学生は得意満面の笑顔だ。
..Wが現れたのは、QがUFOキャッチャーに夢中になっているときだった。前進ボタンに神経を集中し、離すタイミングを見極めていた。
? :まだだ!
..声が聞こえた。
? :今だ!
..指を離した。腕を広げたUFOがゆっくり降りていく。かろうじて紐の端が掛かって獲物を吊り上げた。<やったー!>そして初めて声の主を見た。Wだった。
Q :先輩!
W :キミな、見てたけど離すタイミングがわずかに早いんだよ。
Q :え、見てたんッスか?いつから?
W :2個ほど前から。
Q :そーッスか。早いのか。けど、お陰でコイツ手に入った。
..Qは嬉しそうに、ゲームのキャラクターのぬいぐるみを取り出す。それは、中ぐらいの大きさなので、投資はほぼ見合って満足だ。
W :もう、いいか?
Q :いいッスよ。
..そして、Qは本来の目的を思い出した。結局ゲームソフトを購入した。帰り道焼きソバの店で4人前を持ち帰りにして、コンビニでビールなどを仕入れた。「むげん荘」が見えてくると、
W :ほおー、確かに変ってる。
..とWはしきりに感心し写真を撮った。
Q :裏の3号室が、オレの部屋ッス。
..Qは荷物を全部受け取ると先に階段を登った。Wはその後建物を一周して何枚も写真を撮った。部屋に来たのは、15分も後だった。
W :いやー、まいったよ。
..Wによると写真を撮っていたら「おしゃべりなオバサン」に捕まったと言う。
Q :それって、小太りの、45歳くらいで髪を茶色に染めたオバサン?
W :ああ、そうだ。
Q :やっぱり。1号室のUの奥さんッス。
..Qはオバサンについて知る限りを伝えた。
Q :で、サイン、ねだられたんじゃないッスか?あのオバサン、前から欲しがっていたッス。
W :それも、探偵Wって書いてくれって。まいったぜ。
Q :書いたんッスか?
W :いや、仕方ないんで「R大W」とだけ書いた。
Q :すんません。オレが変なトコに越したばっかりに。
W :キミのせいじゃないさ。テレビの影響は大きいってことだ。
..それからビールを飲み出した。Qは「たんぽぽちゃん」になってからアルコールに馴染んでいった。それまでには自分から飲みたいと思ったことなどない。が、体質が合ったのか、<もしかしたらオレは酒に強いのかも>と思い始めた。だからと言って、バイトの時には舐める程度に抑えている。Yにも「酒に呑まれるようじゃ失格。女の酔っ払いは醜い」と強く釘を刺されている。したがって、帰宅すると遅い晩酌をするクセがついた。
Q :忙しいトコは終わったんスか?
..Wは入試も済み、頼み込んで待っていてもらった卒論もようやく提出した。
W :峠は越えた。これで暫くは楽だ。ところであれは何だ?
..Wは時計台を指す。
Q :時計ッス。
W :時計はわかるよ。なんであんなモノが有る?
..Wは立って傍に行った。
Q :なんでか判んないッス。家主の趣味だとか。
W :邪魔だろ。
Q :邪魔ッス。けど、作り付けで動かせないッスよ。それと同じ物が、1号室のUさんのとこにもあるス。さっき昼に動かし方が判らないって頼まれたッス。
..Wは撫でたりしてしばらく眺めていたが、壁に背をつけた後ゆっくり窓(東側)まで歩いて戻ってきた。なぜか一歩一歩確かめるような歩き方だ。そしてPCデスクに近づき何かを拾い上げた。
W :じゃ、これは?彼女の忘れ物かな?
..笑っている。それは、以前に「たんぽぽちゃん」のままうっかり帰宅した折に忘れたカチューシャだ。そこで「迷い」が、待ち構えていたようにQを襲った。迷わないで「うん。彼女の」と笑っておけばそれで済んだのだが、迷ったのだ。心のどこかに<誰かに話してしまえば、秘密の錘が軽くなる>という気持ちが働いたのかもしれない。それは、アルコールの所為かも知れないし、Wへの信頼感が生んだ感情かもしれない。おそらく両方が働いたのだろう、QはYとの出会いからバイトまで全て話してしまった。たどたどしく、永い時間がかかった。聞かされたWも驚いた。秘密を聞こうと質問したつもりはない。ただちょっとからかってみただけが、意外な方向に話が展開してしまったのだ。
W :で、給料からいくらかピンはねされてんのか?
Q :いや全然。それどころか、今話したとおりYさんにはずいぶん面倒みてもらっているッスよ。
W :ふーーん。ほんとの話だよな?それとも、からかってるのか?いや、本当だ。証拠があるもんな。
Q :証拠?
W :ああ、きょうぼくと会ってからでもキミは2万5千円ほど使ってる。それも迷う事もなく。ずいぶん金回りがいいんだなーて感心していた。言うなればそれが証拠だ。それにこのカチューシャ。更には、最近ときどき言葉が正常な方向へ軌道修正されているのも、それが原因だな。
Q :結局先輩には隠せないんだから、思い切って話してよかったッスよ。
W :そうか。すっきりしたか?
Q :したッス。我慢してたウンチづまりを放出したみたいに。あ、ただ、Yさんに口止めされてるんで、本当に内緒にしてくださいよ。
W :判った。けど、そのYさんに一度は会ってみたいもんだな。キレイなヒトなんだろ?
Q :そりゃ、もう。でも会うのはむつかしいッスよ、オレが紹介することはできないから。
W :きょうは?バイトはいいのか?
Q :きょうは休みッス。ちょっと疲れたんで、きょうはゲーム日。前から、これ、欲しかったんスよ。
..Qは、そこで初めてCDの封を切った。そしてその晩は7時ころまでゲームで楽しみ、Wは帰った。Wは電車の中でも「むげん荘」を引き摺っていた。あのアパートを見て、中に入って感じた違和感…<何だろう?>Wは、この時から当分の間その違和感と付き合う事になる。


..........................................登場人物

..いよいよ公演まで1週間になった。Lちゃんのギプスも取れ練習再開だ。さっきから部室の外で一人で魂を飛ばす練習をしているが、うまくいかない。N・B・Qは「R大新聞」の学生記者のインタビューを受けていた。今回は「オープンキャンパス特集」の予定だという。
キシャ:へー、「娘」はQさんでしたか?
N :はい。Lちゃんが怪我をしまして代役をやってもらいました。
キシャ:代役に決まってやる気になりました?
Q :とんでもない。イナカに逃げ帰ろうかと思ったッス。
キシャ:だけど公演は成功だったようですね。
N :ええ、みんなよくがんばってくれたおかげです。
Q :オレが一番がんばったッス。そう書いてくださいよ。
..記者は笑った。
キシャ:その時の写真ありますか?できれば何枚か。
B :ありますよ。後でこのメールに送ります。
..Bは貰った名刺を指す。
キシャ:お願いしますね。
Q :いつもお偉いさんや先生ばかり載せなくていいから、今度はオレの写真で一面トップを飾ると、売り上げ倍増間違いなし。
..記者は声を上げて笑った。
キシャ:で、今度もQさんがヒロイン?
N :いえ、Lちゃんの予定です。ほら、いま外で練習しています。
キシャ:ああ、なーるほど。じゃ、彼女にもコメントをお願いしてみるかな。
..記者は外でLに話しかける。Nは自分の作業に戻った。木製の、年代だけは貫禄のある机は「怨霊」の衣装が占めている。Bは針を持ってその修繕に戻る。
B :それでさー、夜のバイトやってんの?
..小声で訊いた。
Q :ああ、やらなきゃ、家賃も払えない。でもな、給料がいいんだぜ。
B :なんか、ヤバイ仕事じゃないの?
..Qは人差し指を立てた。
Q :レディが、そんな言葉使うんじゃない。
B :
..Qは立てた指を振って、
Q :「マジ」「ヤバイ」は、やくざ言葉。品性を疑われる。
B :?、なによ、Qくんに言葉のこと言われたくないわ。じや、何ていうのよ?
Q :そーだな、「ヤバイ」は「危険」または「まずい」、「マジ」は「まじめに言ってる?」または「本当ですか?」そんなとこかな。
..Bはくふっと笑った。
B :それが、夜のバイトの成果?それなら、悪くも無いか。で、今日はどうすんの?
..Qは時間を確かめる。
Q :あ、いけねー。行かないと。
B :「いけねー」じゃないでしょ。「いけない」または「よろしくない」
..Bは声をあげて笑った。Nがじろっと睨む。
..Wは情報汎用室にいた。PCが自由に使える。一部アクセス制限があるが、普通に使用する分には問題ない。USBを差し、サイトで住宅設計のフリーソフトを探す。傍に置いたスマホの写真は「むげん荘」だ。昨日建物の一番長い西側を歩測した。Wは歩測には自信がある。高校生のとき、歩幅を正確に30cmに取って歩く練習をしたことがあるからだ。これまでの経験では、誤差は±0.02だ。そして、アパートの間口は7.3mと出た。
W :つまり4間だな。
..一箇所判ればあとは写真で判断できる。1時間後には建物の大雑把な外観が3Dで見られた。建物を色んな方向へ回転してみる。<やっぱり変っている。随分変則的だ>USBに記憶すると地下鉄の駅に向かった。
W :<どうも、変だな。何か落ち着かない>
..電車の中でも、違和感は消えないどころか大きくなる。建物だけではない。<Yの親切は、度を越してないか?>家に帰り着くまでに取りあえずの結論が出た。<Qの身辺で何かが起きてる。もう一度「むげん荘」に行ってみるか>
..帰ると母親から「今度の日曜にKaitoの百日法要が決定した」と、告げられた。法事はほんの身内だけだが、Wには出席して欲しい連絡があったと言う。
W :判った。出るから供花料出してくれよ。
W母:会食もあるから、もちろん手ぶらじゃ行けないよ。供花料は用意するから。
..自室への階段を登るWの心でカタン、カタンと将棋倒しが起きた。
.......Kaito ---> タカシ ---> H?
..Gの言葉が蘇る。<タカシはHの子?>それが本当なら、生涯消せない不快な記憶になりそうだ。思わずため息が出る。そして部屋でTに電話した。日曜の公演に参加できないこと、したがってスモークはTの担当になることを告げた。
W :ちゃんとできそうか?大丈夫か?
T :ああ、多分。これから練習が本格的になるから、その場でタイミングや量を覚えるよ。
W :ところで、今、車はあるのか?
..Tはもともとボロ中古車を持っていたが、アメリカへ行くとき手放した。
T :あちこち探して、ようやく決めたところさ。あさって来る予定だ。国産の10年落ちだけどさ。やっぱり無いと不便だかンな。オレもだけど、母親(M.T=マムティ)がオレをお抱え運転手のように使うからな。金を出してもらう以上文句も言えないし…なんだ?車がいるのか?
W :うん、近いうちにちょっと頼みたいんだ。
..WはQの駅名を告げた。
T :いいぜ。ならし運転でつきあうぜ。
..そしてWは「むげん荘」の作図作業を再開した。始めると思いのほか熱中した。途中で夕食を挟み気がつくと12時を回っていた。一応はできた。しばらく前からWは画面を見て考え込んでいた。行き詰ったのだ。さきほどQに電話した。
W :南側の外階段は何のためだ?
Q :屋根裏が家主さんの物置らしいッスよ。普段使わない小物なんかをしまってあるんだって言ってたッス。もしかして国宝級の骨董品があったりして。
..Qは笑う。
W :それとUさんの時計台の位置は?
Q :ドアーと向かい合っているッス。ほとんど北側の壁にくっつく所。それが、どうかしたッスか?
W :いやな、変な建物だと思ってな。ちょっと気になったもンだから。じゃ、キミさ、屋根裏でもよかったンじゃねぇ。只で貸してくれるかもしれないぜ。
Q :やめて。鼠じゃないッスよ。けど、屋根裏ってなんか秘密っぽくて、子供のとき憧れたかも。
..今のところ知り得る情報は、全て図に盛り込んだ。
W :うーん、こんなとこかなー…
..アパートの表側(西)と裏側(東)の関係がしっくりこない。何度もスマホの写真と画面を見比べるが、何故か落ち着かない。 やがてWは結論した。「元もと東と西は独立した別々の建物だったのだ。それを改築して繋げたから不自然なのだ」と。それならなぜ歪なのか判る。とりあえず妥協案は作ってみた。が、まだまだ納得できない。他にも幾つか不自然な点があり、それを解く糸口さえ見えない。
..解明に当たってできる事はただ一つ、1・2号室のどちらかで、室内の東西の長さを測る事だ。
W :やっぱり現地の確認が必要だ。
..あさってにはTの車が使えそうだ。出かけてみるしかない。<Yの部屋に入るのは、不可能だ。となれば、Uの部屋に上がり込むしかない>
W :あのオバさんのご機嫌をとらなきゃならんか…まいったな…
..大きく一人ごつと背伸びをした。


..最近では、Qの出勤は一人になった。学校から帰り、Yの部屋に行く。その日の衣装が用意してありYはいない。きっと「女苑」の事務的な作業や雑用が多いので早く出勤するのだと、Qは思っている。帰りも一人の事が多い。掃除や片付け、酒類の在庫管理や食材のチェックなどは、黒服やバーテンダーがやるが、店を閉めた後には「後の用事」があるらしい。ときどきホステスが残るようYに指名されていることがある。きっと注意を受けたりしているのだとQは思っているが、自分に関わりの無い事には極力首を突っ込まない事にしている。それだけ慣れてきたという事かもしれない。
..WがQの部屋を尋ねた翌日から公演練習が本格的になった。前回の反省を取り入れ、多少の演出変更が出た。Lちゃんはまだとても本調子ではない。仕方が無いのでとりあえずQと二人でやっているが、Qは「怨霊」のかしら(頭)もやらなければならないので途端に忙しくなった。稽古に熱中しているとついつい時間を忘れ、火・水とバイトに遅刻してしまった。そして今日木曜日も焦った。着替えを済ませダッシュで駅に向かうが、20分ほど遅れそうだ。コンビニ前の国道の信号に来たとき、目の前にタクシーが来た。反射的に手を挙げ、止まった個人タクシーに乗り込んだ。目的地を告げ、
Q :急いでください。お願いします。
..と急きこんだ。
..初老の運転手は、
ウンテン:かしこまりました。
..と、走り出したが、すぐに、
ウンテン:これからご出勤ですか?
..訊いた。その声・態度に急ぐ様子がない。
Q :わかります?
ウンテン:ええ、あの辺りは飲み屋街だし、お客さんキレイだから、そうだろうなって。
Q :遅れるの、とにかく急いで。
ウンテン:じゃ、気張って急がなきゃ。
..運転手の態度が変った。途端にスピードをあげると蛇行運転で車を追い抜いていく。思わず「そんなに急がなくていいから!」と叫びたくなる。運転手は車の動きに反し、落ち着いた声で言った。
ウンテン:お帰りに、お迎えにあがりましょうか?時間を指定していただければ必ず参ります。この道30年、お客様の信頼と無事故の実績でご奉仕しております。
..<会話もPRもいらないから、前をしっかり見て!スピード落として!>降りた時はジェットコースターから降りた気分だった。大きな息を吐いてから店に飛び込んだ。お陰で5分の遅刻で済んだ。ミーティング最中だろうと思ったが、女の子たちは、椅子に掛けおしゃべりに夢中だ。見回したがYがいない。トイレ横の隅に外へ出る通用口がある。Qはそっと開けて外へ半歩出てみる。 もう外は暗い。おまけにそこは建物の狭間の露地だ。幾つかの小さな明かりがなければ完全に闇だ。そして、話し声が聞こえた。眼を凝らすと二人の女が向かい合って何か言い争っているような雰囲気だが、遠くて内容は判らない。その影に眼を奪われた。険悪な空気が漂っている。声が大きくなっていく。どうやら言い合いがエスカレートしているようだ。そして一方の手が挙がり、すぐにパチッ!という音と「ぎゃ」という声が聞こえた。殴った方がこちらへ向かってくるようだ。Qはあわててドアーを閉めみんなの輪に戻った。
Y :ね、遅刻はだめよ。
..Qの耳元で声がした。振り返るとYが微笑んでいる。Qは立ち上がると
Q :ごめんなさい。
..と床に着くほどに頭をさげた。
サクラ:ほんの1分ほどでした。許してあげてください。
..傍の「さくら」がフォローする。
Y :気をつけなさい。
..去って行くYはいつもどおり、変わりなく見えた。そして、口開けの客が入って、ホステスがざわついたところへ、「すみれ」がトイレの方から現れた。左の頬を摩っている。残っていた女たちがすみれを囲み何やら密談になった。Qは輪に入らない。みんながQを子供だと見ているし、Yの妹分として扱われている。だから常に微妙な距離があるのだ。「どうせ素人娘のお遊び」くらいにしか思われていないのかもしれない。 とくにQの居る所では、Yの話題は避けられる。 その事をいつしか悟った。そしてその輪は更に小さなグループに分かれるらしい。もちろんどのグループにも属さない者もいる。<面倒なんだな。けど、何があったんだろ?>が、もめごとや噂をいちいち気にしていたらやってられないことも判ってきた。一週ほど前やはり露地でもめごとがあった。閉店直後、「マーガレット」が三人グループに連れ出され、ヤキをいれられた。それは文字通り「焼き」で、髪を引き摺られて太股奥深くにタバコの火を押し付けられた。壮絶な光景だった。原因は、よくある客を取った、取られたということらしい。ショックで思わず素に戻ったQが割って入ろうとすると、別のオカマ・ホステスが止めた。「ほっておきな。あんたまで巻き込まれるよ。どっちもどっちなんだからさ」
..その前日の水曜日午後3時、Wは大学近くのコンビニの駐車場にいた。Tと時間調整した結果、そこで待ち合わせることになった。
W :前の車より良さそうじゃないか。
..中古車とはいえ商品だ。車内に匂いなど残さないよう綺麗に掃除してあるのだろう。結構快適な車に思われる。
T :まあな、前のがボロすぎたんで、ようやく人並みになったかな。で、Qは一緒じゃないのか?
W :ああ、内緒だ。今日の事もしばらく内緒にしておいてくれ。
T :Qの部屋に用があるのかと思った。違うのか。ま、とにかく内緒なんだな。
W :頼むよ。ところでさ、アイツけっこう面白いヤツだろ?いい相棒になれるぜ。
T :そうだな。たいして賢くなさそうだから扱い易いかもな。
..二人同時に笑う。車は「むげん荘」に向け走り出した。
..Tはロサンゼルスに行っていた。初め3ヶ月ほど英会話学校に通った。塾とも呼べないちんけな学校だった。日本人・中国人・韓国人など30人ほどがいた。
W :自炊か?できたかよ?
..1月ほどは、相手の言っている事がまったく聞き取れなくて苦労した。だから、食生活も滅茶苦茶だった。が、2ヶ月経ったころ変ったと言う。
T :「ある日突然」て感じだったぜ、自然に聞こえてきたんだ。まるで日本語と同じように。しばらくはEnglishだってことさえ忘れた。
W :へー、そんなもんかなー。
..それからは、自炊も不自由なくできた。というより外食に飽きてしまったのだ。もっと言えば外食に辟易して拒絶反応が起きた。面倒でも自分でやった方が食事をした気分になれた。
T :食材はスーパーに日本の物があるから問題ないけど、これが高いんだ。まいったぜ。
..そして更に、Tの「体験的アメリカ食論」が展開された。Tによれば「食事」という概念が異次元ではないかという。もっと言えばアメリカには「食事」という概念が存在しないとさえ言い切った。
W :じゃ、何なんだ?
T :日本人的感覚でいえば、「エサを押し込んでいる」という表現が一番ピッタリくるな。オレは別に食い物にうるさくも細かいほうでもないと思うけど、1ヶ月で拒食反応がでたぜ。食事に外出したけど、店に入ろうとすると何だか吐き気がして、空腹のまま帰ったことさえある。もっともそれは都会だけのことで、田舎暮らしなら違うのかもしれないけど。そんな訳で一日三食きちんと食事をしないと収まらない人には、アメリカ生活はお勧めしない。病気になるのが関の山だ。
W :そーか。もしかするとぼくには無理かもしれないなー。
T :お前にはつらいだろうぜ。朝はシリアルにミルク、昼は屋台のハンバーグとコーラ、夜はチキンの揚げ物にポテト、それを毎日続けられないだろー?
W :想像しただけで胸が重くなってくる。
..久しぶりの運転のせいか、Tの運転は慎重でどこかちょっとぎこちない。
W :向こうでは車は使わなかったのか?
T :ああ、初めて運転したのは翌年、つまり今年の春だ。日本人の友だちと休暇中にルート66を行ってみようってことで郊外へ出てからだ。見渡す限り荒地と砂漠の平原、その中を一直線に伸びる道路をただひた走る…事故の起こしようがないよ。
W :それ、おもしろそうだな。
T :ひたすら走ってゴーストタウンのような田舎町に着く。モーテルで寝てまた地平線目指して走る。ま、日本じゃできない経験には違いないな。それに一度野宿になってしまったことがあってな、どこかで道を間違えたんだな。仕方がなく車で寝たんだけど、その時明かりの無い砂漠で見た星空は凄かった。生まれて初めて本物の星空を見たと思った。ものすごい数の星と天の川を鮮明に見た。壮大な光景だった。ほんとうに自分が宇宙空間に飲み込まれ漂っているようだった。「宇宙ってこんなにも広いんだ!」て実感した。あれは忘れられな
W :ふーーん、行った甲斐があるな。
..それから巨大スコールに巻き込まれ、二度と生きて帰れないと覚悟したことを話しているとき、Wが国道に案内を見つけた。→に500m・××駅と書いてある。その交差点の角にコンビニがあった。
W :ここだ。ここで左折。
..5分後畑の向こうに「むげん荘」が見えてきた。ゆっくり近づいていく。
T :確かに変ってるなー。
..途中からは簡易舗装の1車線を進みアパートで止まった。
..車を降りてTも見上げていた。裏手2階がQの部屋だとWは教えた。
T :ここで、調査の時間がかかるのか?
..Wはちょっと考えた。
W :20分くらいのつもりだけど、もしかすると1時間くらいになるかも…
..Tは、その間に駅向こうにある遺跡に行ってくると答えた。古墳群があり、整備されて公園になっているという。
T :小学校の遠足で来たのを思い出した。ちょっとした資料館もあって、懐かしくなったんで行って来る。小1時間で戻るよ。
..Tは去った。今日のWの目的は二つある。一つはUの室内を歩測する。もう一つは監視カメラの状況だ。<まずカメラからとりかかるか…>建物を見上げ歩き出そうとした時1号室のドアーが開いた。Uの奥さんが顔を出し感極まった声で言った。
u妻:あらー、名探偵さん!いらしてたの?!きょうはどんな御用?
..Wは会釈をする。思わず「そんな大声ださなくても充分聞こえます」と言いたくなった。
T :探偵はやめてください。ただの学生ですから。
u妻:あら、だけど折角いらしたのにQさんはこの時間はお留守でしょ。ね、立ち話もナンだからお入りになって。
..実は、そう言うのではないかと予期していた。心の台本どおり演技をする。
W :はい。Qを尋ねたんだけど帰ってないらしくて、どうしょうかと思っていたんです。
u妻:上がってお待ちになったら。せっかくいらしたんですから。さ、さ、どうぞ。
W :でもご迷惑でしょ…
u妻:迷惑なんてとんでもない。お近づきになれてこんな嬉しいことはないわ。
W :<近づいた覚えはないんだけどなー>
..奥さんは先に入って中から呼んでいる。
u妻:上がって、上がってくださいな!名探偵さん!
..Wは玄関に入りドアーを閉めた。
W :すみません。お言葉に甘えて、少し休ませていただきます。
..出されたスリッパをはき、案内されるままにソファーに掛ける。<第一段階は無事クリアー>部屋を見渡す。Qから聞いていたので意外性はない。時計台は、Qの言ったとおり東側の壁にある。やっぱり三角屋根だ。
W :由緒のありそうな立派な時計ですね。動くんですか?
..奥さんはキッチンでコーヒーを立て始めた。
u妻:ええ、この間Qさんに教えてもらって、動いています。時間も正確なようで、あればやっぱり便利ですわ。そうそう、この間サインしていただいた事、知り合いに話したらみーんな羨ましがって、ぜひ欲しいってせがまれてます。
..コーヒーカップなどを乗せた盆を持ちテーブルに並べる。
u妻:今度はいつテレビにお出になるの?
..事実、Wには出演依頼が何件かきている。できれば出ないで済ませたいが、これが結構強引なのだ。断り続けた結果、ある局からまるで脅しともとれる迫り方をされている。<なんで脅されなきゃならんのだ?>だからその手の話しにいい印象を持っていない。
W :多分、出る事はないと思います。判らないですけど。
u妻:えー、それは残念。
..Wは歩測するチャンスを窺う。薦められたコーヒーを飲みながらもう一度部屋を観察する。
W :旦那さんがいらっしゃるんですよね?
u妻:ええ、体が悪いんで奥で休んでいます。
W :失礼ですが、ここじゃ狭くないですか?
u妻:前の家は、持ち家なんでいつでも使えるんですよ。病院通いに時間がかかったり、いろいろに不便だったので取敢えずここに越したんです。動かないヒトと二人ですもの狭くはないですよ。むしろコンパクトで、掃除も簡単でいいですよ。
..奥さんは朗らかに笑った。そして茶箪笥から色紙とペンを取ってきた。
u妻:ごめんなさい。5枚ほどサインしていただけないかしら、友達に頼まれちゃったの。
..「ここらでサインする」と台本に書いてある。
W :いいですよ。
..Wはペンを取る。少しの間奥さんは見ていたが、
u妻:ああ、そうだ!
..と立ち上がった。
u妻:今朝ね、駅前の洋菓子店でこの冬の新作を売り出してたのよ。あんまりキレイなんで、つい買っちゃった。
..奥へ行き冷蔵庫を開ける。5枚の色紙はすぐに書きあがった。奥さんはケーキ皿・フォークなど用意してテーブルに並べている。その間も口と体は動き続ける。
u妻:ダイエットしなきゃいけないのは、わかっているのよ。でもねー、食べたいものまで我慢するなんて、イライラしてその方が体に悪いって思いません?
..Wは立ち上がる。キッチンの上部、西側に窓が開いている。Wの指が遠くを指す。
W :あれ、スカイツリーじゃないですか?
u妻:え!?
..奥さんの手が止まった。
u妻:スカイツリーが見えるの?どこ?
..すかり窓外に気を取られた。Wは玄関脇、西側の壁に背中をつけ踵を角に当てた。そして、ゆっくり反対の東に歩き出す。
W :遠いから霞んで見えにくいですよ。
..時間稼ぎにそう言っている間に反対に辿り着いた。歩測は完了した。一安心だ。<どうがんばっても、ここからスカイツリーは見えませんよ。それに方向が逆です>そしてWは写真フレームに気付いた。若者が笑っている。<子供かな?>
u妻:どこでしょ?わたしの目じゃ見えないのかしら?
W :見えませんか?ぼくの見間違いかなー?
..Wは窓に近づく。
W :ああ、やっぱり違うようです。
u妻:えー、見えたらいいのに。だって自慢できるでしょ。
W :<いえ、むしろバカにされます>それから、申し訳ないんですが、ぼく、甘いお菓子類がだめなんです。せっかくですけど、もったいないから支度しないでください。
u妻:あら!そうなの。それは、残念ねー。ああ、気がつかなくてごめんなさい。ビールをお勧めした方がよかったわね。ちょっと待ってね。
..奥さんは冷蔵庫へ飛んでいく。
W :あ!ビールは要りません。今に友達が迎えに来るのでそろそろ失礼します。
..Wは玄関に向かう。
u妻:あら、そう?親しくなれたんだから、いつでもいらしてくださいね。
..<今度は、「親しい仲」か?!>Wは丁重に礼を言ってドアーを閉めた。
..ため息が一つ出た。が、のんびりもしていられない。次は監視カメラだ。主に軒下などに重点をおきながらゆっくりと南の方向へ進んだ。角を曲がろうとしたとき背後から声をかけられた。(Wの見取図)
ヤヌシ:何か御用ですか?
..振り返ると、細身の優しい感じの男がいた。Wより少し背が低い。そしてこのアパートの家主だという。
ヤヌシ:アパートになにか御用で?
..警戒しているのが判る。Qの知り合いで、尋ねたが留守だったことを急いで告げる。
ヤヌシ:Qさん?じゃ、あなたもR大の学生さん?…
..言葉が消えじっとWを見つめた。
ヤヌシ:もしかして、Wさんじゃないですか?
W :はい。そうです。
ヤヌシ:いやー、これは驚いた。テレビで拝見しましたよ。なんでも今回は大活躍されたようで。
W :恐縮です。変った建物ですが、家主さんの意向ですか?
ヤヌシ:ええ、まあ…どうせならちょっと主張をしてみようかな、と。
W :なんか哲学的な意味でもあるのかなーと思いました。
..家主は笑った。
ヤヌシ:いえいえ、そんな高尚なものではないです。いうならば、遊び心ですかね。
..二人は階段下に来た。
ヤヌシ:わたしは、上に用がありますので。気の済むまでゆっくりご覧になってください。
..家主の顔が階段の方へ向いた。その首筋、髪の生え際に十円玉ほどの黒アザがあった。そして足がステップにかかる。
W :あ、あのー、上に上がってよろしいですか?
ヤヌシ:?、そりゃ構いませんが、何もありませんよ。中は物置で散らかってますので入っていただくことはできないです。
W :いえ、中には関心ありません。けっこう高さがあるので見晴らしがいいんじゃないかと思ったんです。
ヤヌシ:見晴らしは確かにいいですよ。気をつけて上がってくださいね。
..そして物置ドアーの前に立った。やはり地表で見る景色とは格段に違う。望まれる範囲は概ね東から南だ。
W :思ったとおり、すばらしいですねー。
ヤヌシ:そうでしょう。望遠鏡なら、この方角にスカイツリーの頭が見えるかもしれません。いつか試してみようと思っています。ま、ごゆくり。
..家主は物置に消え、ドアーが閉じた。Wは軒下・壁などをチェックする。ゆっくり階段を降りながらしっかり観察した。地面に降り立ったときには、凍結していた違和感が少し柔らかくなった気がした。そしていつかはほぐ(解)れていく--そんな予感めいたものが芽吹いた。やがてQの部屋の下、駐車場に来た。そこにもドアーが一つある。<なんでだ?>ドアーには「配電室」「立入禁止」の文字だ。続いて3号室(Qの部屋)の階段・庇も調べた。
T :おーい。済んだかー。
..Tの声がした。下を見るとTが見上げている。
W :ああ、終わったよ。
..Wは階段を降りる。
W :大分待たせたのか?
T :いや、10分ほどだ。思ったより時間がかかったようだな?
..スマホで時間を確かめると1時間15分経過している。
W :そりゃ悪かった。ちょっと手間取った。
..下でTと合流する。
T :そうでもないさ。お陰で美人に会えた。
W :美人?
..Tは、ちょうど1時間で帰って来た。Wの姿がないので探しにいくかと思案していると、頭上でカツンカツンと足音が聞こえた。見上げると階段を女性が降りてくる。
W :向こうの2号室の階段か?
T :ああ、そうだ。ほかに見るものもないんでつい見惚れていたら、オレの傍を通り過ぎるときこっちを見て眼が合った。
W :それで。
T :「こんちわー」って言ったら、ちょっと笑って「こんにちは」って頭を下げた。その時初めてきれいなヒトだって判った。あれだけの美人はちょっと居ないな。
..YだなとWは思う。<今すぐ車で駅へ先回りすれば恐らく間に合う。一度は本人を確認しておきたい。自分で、どんな女性か見ておきたい。このチャンスを逃したら次がいつ来るか?来ないかもしれない>
T :おいおい、どうしたんだよ?美人に会えなくて落ち込んだか?
..Wが迷って、深刻な顔で黙り込んだのでTがつっこんだ。が、Wはまだ囚われていた。<店に行けば会える。が、Qの立場を思えば行く訳にはいかない。それに、何よりも軍資金がない>Wには予感のようなものがあった。<まぢか(間近)にYを確認できれば、凍結している違和感が一気に解凍される>と。
T :美人を逃したからって、そこまで落ち込むなよ。
W :う、…考え事をしていた。…行こう。待たせたな。
..Wは諦めた。結局監視カメラはなかった。それは「無駄」を意味しない。「無い」という事実は別の推理を導く。
..<歩測結果を整理してからだ…それからでなきゃ、何も見えてこない>帰りの車でもWの無口は続いていた。歩測結果が合わないのだ。QとUの部屋の東西の歩測の合計が、敷地の長さと一致しない。6〜70cm室内が短いのだ。考えているとTがからかった。
T :なんだー、まだ美人に拘ってるのか?あーあ、それならせめて写真を撮らせてもらえばよかったな。だけどな、これはオレの感だけど、あれは素人じゃないぜ。きっと水商売だ。痛い目を見ないうちに身を引いた方がいいぜ。
W :おいおい、見も知らない女のことで、そこまで言うか?
..二人は大声で笑う。家に帰ったWは早速PCに向かう。計算の合わない分をどう処理するか、もう答えは出ている。むしろ「合わない」のが正解なのだ。今まで「合うもの」と思って作業してきた。だから違和感が生じた。「合わない」となれば、柔らかくなった違和感は、さらに粘土のように扱い易くなる。夕食までに 改正図が出来上がった。
..<そうだ、これが正解だ。思ったとおり、表と裏は全く別々の建物で、今でもそのままなのだ>随分すっきりした。が、全面解決した訳ではない。扱い易くはなったが、胸焼けのような違和感は残っている。
..次の日、Wが学食の食券販売機の前でカレーかラーメンか迷っているとQに声をかけられた。
Q :先輩、きのうオレんトコ来ました?
..Uの奥さんから聞いたらしい。<やっぱりな。二人に会ったんじゃ、バレるに決まっている>Tが「古墳群公園」に出かけたので同乗したことにした。
W :キミが居ないのは判ってるけど、Tがついでに「むげん荘」を見たいってな。
Q :そーッスか。
..昼食はQがごちそうすると言い、Aランチになった。Uの奥さんは、Qに新作ケーキをお裾分けに来たらしい。
Q :またサインをもらったって喜んでいたッス。
W :ああ、友達に頼まれたって5枚書かされた。
Q :それに「今度も娘役やるの?がんばってね、あなたのサインもいまのうちにいただいておこうかしら。すぐにスターになちゃうかもしれないから」って。
W :?、娘役?話したのか?
Q :いや、言ってないッスよ。先輩が話したのかと思ったッス。
..また違和感が重くなった。ちょっと沈黙があった。
W :奥さんがキミの部屋へケーキを持って来たんだよな?
Q :そーす。部屋に入ってバッグを置いて、すぐYさんの部屋へ行こうとしたらチャイムが鳴ったんス。
W :…、また近いうちに行ってもいいか?
Q :?、いつでもいいスよ。ただしバイトの日はちょっと忙しいから…
W :じゃ、バイトの無い日が決まったら連絡くれよ。
Q :なんかあるんスか?
W :なんもない。Uさんが越して来たのはいつだっけ?
Q :えーっと、先週の水曜日ッス。きょう木曜だから一周間前。
..そろそろ食事も終わりだ。
W :一週間か…、なぁ、「時計台の屋根はなぜ三角か?」て推理小説のタイトルによさそうだと思わないか?
..Wは笑った。
Q :へ?それ、なんッスか?なぜって…そういうもんじゃないッスか?札幌にしろ絵本にしろ、時計台の屋根は三角ッス。歌でも♪とんがり帽子の時計台…何でかなー?。
W :じゃ、パンダのぬいぐるみの尻尾は白か黒か?
Q :黒ッス。
W :ところが本物のパンダの尻尾は白いんだよ。
Q :へー、ほんとうにー!気がつかなかったッス。
W :はは、きっと時計台の屋根が三角じゃなきゃ困るヒトがいるんだろうな。
Q :…?…?







「むげん荘(4)」へ続く





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