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むげん荘(5)

 
...............................................- R大魔術研究会-
 

星空 いき

Hosizora Iki













..................................登場人物

..Wは「グレイス」から家に帰りPCで一枚の書面を作成した。納得する物ができるまで結構時間がかかった。特にプリントアウトでは何度も慎重に試し刷りを試みた。最後にQの署名入りのノート片に印刷した。ようやく完成したときには既に暗くなっていた。<Qに変りはないだろうか…>仕事が始まってしまうと電話に出ない。急いで掛けてみた。が、「電源が切れて…」のメッセージが流れた。少し時間を置いて試したが同じだ。
W :…<嫌な感じがする>
..一つ深呼吸してウーパー刑事に掛けてみた。<何と切り出したものだろう?>
W :Wです…
..そして後はだんまりを極め込むことにした。<黙っていれば向こうから何か言い出すだろう>
ウーパ:いやー、まいったよ。
..ウーパーの声は少し興奮している。思ったとおり勝手にじゃべりだした。
ウーパ:「たんぽぽ」がまさか男だとは思わなかったぜ。
..適度に相槌を入れて様子を聞き出した。夕方刑事2人が女苑に出かけ、「たんぽぽ」が出勤してきたところで「任意同行」を求めた。「たんぽぽ」は「嫌です」「聞きたいことがあるならここで言ってください」と拒否したが、「同行してくれないと面倒なことになる。逮捕されるかもしれない」とやや脅しをかけられ同行した。そして事情聴取中に男だと判明した。
ウーパ:まさかなー、誰も男だとは思わなかったぜ!どう見ても女の子だ。あれがQだって、キミは知ってたのか?
W :ええ、まあ…
ウーパ:どうしてそんな重要な情報を教えなかった?!
W :だって、極めて重大な個人情報ですから。
ウーパ:だからか?だからキミは詳しい事情を最初から知っていたんだな。
W :なんにしても、彼は未成年ですからね。そこをお忘れなく。
ウーパ:そうなんだってな。まいったよ。
W :今日帰してもらえますよね?
ウーパ:…それは、どうかな?
W :「任意同行」ですよね?勾留する法的根拠はありますか?
ウーパ:勾留じゃなく、「保護」になるかもな。それは上の判断だ。
..事件についてQは関与を否定しているという。<それでいい。それでがんばれ>そして1時間後、Wは警察署でウーパー刑事を呼び出した。
ウーパ:なんだい、わざわざ来たのか?
..時間の遅い事もあってヒゲの濃くなったウーパーにも疲れが見えた。
W :Qを引き取りに来ました。
ウーパ:渡す事はできないよ。今「保護」するかどうか検討中だ。
W :それでは「弁護人」として接見を要求します。
..Wはクリアーホルダーに挟んだ書面を提示した。
ウーパ:弁護人?誰が?
..ウーパーは、あきらかにノートの一葉と見える書面を覗きこむ。
---------------------------------------------
......弁護人選定書
..
..私は、下記の者を「刑事訴訟法31条2項」に基ずき弁護人に選定いたします。
..
..................


..被選定人
...(住所)東京都○○区○○町○丁目○○番地
...(氏名)○○○ 


..... 平成○○年○○月○○日


..選定人 (Qの自筆の住所・氏名、指紋印)
---------------------------------------------
..手に取ってウーパーはしばらく目を丸くしていた。
W :接見を要求します。
ウーパ:ちょ、ちょっと待ってくれ。
..ウーパーは書面を手にドアーの中へ消えた。5分ほど待たされた。別の刑事が現れ、書類を返した。
ケイジ:あなたが弁護人ですか?
W :そうです。私が選定され引き受けました。
ケイジ:判りました。では、こちらへどうぞ。
..刑事は先に立って歩き出した。
ケイジ:それで、弁護士の弁護人は?
W :まだ決まっていません。が、間もなく選定されます。
..そんな予定はない。「こちらの態勢は強固だぞ」というゼスチャーだ。接見室に通された。しばらく待たされ、ガラス越しのドアーが開いた。
Q :先輩!!
..初めて目にする「たんぽぽちゃん」だ。半ベソをかいたような顔だ。
W :だいじょうぶ。何も心配ないさ。すぐに帰れる。ちょっとだけ辛抱だ。
Q :うれしーいッス。どーしてこんな事になったのか、これからどうしたらいいかさっぱり分からなくて、泣きそうッス。けど、よく入れてくれたッスねー。
W :これさ。
..Wは「弁護人選定書」を見せる。
Q :これ、オレが署名したヤツ?
W :そうだ。ぼくはキミの弁護人になった。
Q :へー、そういうつもりだったスか。じゃ、オレがこうなるて分かってた?
W :ああ、だからこの先も分かる。心配しなくても12時までには解放されるよ。
Q :本当に!ヤッター!!
..そしてここに来てから、どんな事を聞かれ、どう答えたのか聞いた。内容に予想外のものは無かった。強いていえば、「ドレスに血痕の飛沫が一つあり、Ёのものだと断定された」「靴に付いていた泥や草は防火用水脇の物と一致した」というくらいだ。そして、なぜQが女装しているか、そこに至った経緯を細かく訊かれた。仕方なくQはほとんど全てを話した。「女になってЁを油断させ殺したんだな!」「それなら、Yの行方を知らないはずがない。知っているんだろ!」としつこく訊かれた。
Q :Yさんって何者なのか、こっちの方が聞きたいスよ。ね、先輩、Yさんが犯人なんッスかねー?
W :今のところ容疑は濃くも薄くもある。同じ物なのに見る角度でまっ黒にもガラスのように透明にも見える。だからなんとも言えないなー。情報が少なくて。
Q :本当ならショック。オレはYさんじゃないと思う。
W :どうして?
Q :だって、すーごく優しくて、いっぱい面倒みてもらったッス。人殺しをするなんて思えないッス。どこへ行っちゃったんだろ?
..接見は終わった。玄関まで来るとウーパーが追いかけて来た。
ウーパ:なにか判った事は?
W :特になにも。
ウーパ:で、これで今日は帰るんだろ?
W :とんでもない。Qを待ちますよ。そのうち弁護士も駆けつけるでしょうし、未成年を一泊させるほどの「物証」がありませんから。
..Wとしては精一杯圧力をかけた。
W :ぼくはあそこで待ちます。
..敷地外の道路の、街路樹の下に御影石の小さなテーブルと椅子がある。Wはそれを指した。ウーパーは明らかに困惑した。そして両手を挙げた。
W :あと3時間で日付が変りますよ。つまり1泊2日になります。いいんですか?あなたはキャリアー組ですよね。未成年を「任意同行」で引っ張り1泊2日勾留した--この傷は大き過ぎませんか?いまなら2時間半事情聴取しただけで済みますよ。
..最後の追い討ちを掛けた。ウーパーは挙げた手をそのままに方向転換すると戻って行った。<これで恐らく解放する>そして、安心すると忘れていた空腹が蘇った。すぐ近くにコンビニの照明が明るい。<急いで何か仕入れてこよう>足を速めた。
..カツサンドを頬張っていてもいろんな思いが炭酸水の泡のように勝手に沸いてくる。犯人はYだと断定するのは迷いがある。当初からの素朴な疑問が、解けないで未だ残っているからだ。<女の力で、カッターでチェーンが切れるのか?>実に単純な疑問だ。が、事態がここまで進むと放置しておくわけにいかない。なんとしても現物を見て確かめたい。思いながらも目は時々警察署の玄関を見つめる。そして30分ほど後人影が現れた。逆光だがはっきりと分かった。ウーパーと「たんぽぽ」だ。Wは飛んでいった。
ウーパ:協力ありがとう。
..ウーパーが頭を下げる。たんぽぽも軽く下げて向きを変えた。そしてWを見つけた。
Q :あ、先輩…待っててくれたんッスか?!
..駆け寄ってきた。抱きついて泣き出さんばかりだ。
W :よかったな。帰れるぞ。
ウーパ:Wくん、協力感謝する。
..ウーパーはすぐに戻ろうとした。
W :ちょっと待ってください。
ウーパ:ん?
W :神社の押収品からYさんの指紋が出ましたね?
..またカマをかけた。<どう反応するか?>
ウーパ:?、神社の…押収品。錠前とチェーンだな。それならもう返したぜ。
W :返した?
ウーパ:写真を撮り、指紋・血液など検査して何もでなかった。はは、キミの見込み違いだ。
..ウーパーはちょっと得意気だ。
ウーパ:神社から「無いと無用心だ、返してくれ」って、3〜4日後に取りに来た。残念だったな。
..<そうか、早く神社に行ってみれば良かった>
W :そうですか。Qくんを連れて帰りますが、Qくんのプライバシィが警察から漏れたなんてことのないようにお願いしますよ。
ウーパ:分かった。充分気をつける。
..道路へ出たQは深呼吸した。
Q :ぷっはー、やっぱシャバの空気はうめー!
..Wは笑った。
W :せっかく網走へ行くチャンスだったのに、残念だったな。
Q :Upfu、そこまでは望まないッス。あ、けど、一つやってないことがあった。
W :なんだ?
Q :取調べ室のカツ丼を食ってないッスよ。
W :よし、今度あの刑事に請求書を出そう。
..声を揃えて笑った。


..ひと安心したQだったが、アパートでは思いもしないことが起きていた。 着替えようとYの部屋を開け照明を点けたQは、部屋を間違ったのかと思った。<!>ソファーに畳んで置いていた自分の服がない。それに部屋の雰囲気が違う。もともと何も無い部屋だが一層無機質な倉庫のように感じた。着替えることもできずクローゼット・和室など開けたが、どこもがらんどうだ。何もない。靴戸棚も見た。半分ほどになっている。
Q :一体どうなってんだ?
..呆然としているとチャイムが鳴った。Qは迷った。が、ドアーが叩かれる。仕方なく開けた。家主だった。<たんぽぽのままでいるしかない>咄嗟にそう判断した。
ヤヌシ:いや、ご心配なく。
..家主が先に口を切った。
Q :
ヤヌシ:あなたがQさんだって知っています。だから、わたしには警戒はいりません。
..Qは言葉も無く見つめた。
ヤヌシ:Yさんが、あなたを連れて来た最初からYさんの考えは推測できました。きっと女の子に仕立ててお店で使うんだなって思いました。でも、まさか大きな事件が絡んでいるなんて、それはさすがに信じられません。ガサいれするなんて、確信があるんですかねー?
..夕方に突然警察官が押しかけた。家宅捜索が実行されたという。
ヤヌシ:わたしに立ち会えって言うんで見てたんですけどね。このとおり何も無いからすぐに済みました。鑑識の腕章をしたヒトが床・壁・冷蔵庫などなぞるように調べてました。「出ませんねー」と言ったので指紋などを探していたんですかねー。洋服と靴を少し、それにゴミ箱の中身と残っていた化粧品とブラシなど持ち帰ったようです。それで、あなたの服ね、わたしはYさんの物じゃないから置いていくよう言ったんですが、一緒に持っていかれました。それよりQさん、あなたの部屋の方が無くなっている物があるかもしれませんよ。
Q :え?オレの部屋も?!
..二人はQの部屋へ急いだ。確かにいつもとは微妙に空気が違う。何か違和感がある。家主の話では二手に分かれて同時に捜索したらしい。
ヤヌシ:何か無くなっていますか?
Q :いやー、今んとこ分かんないッス
ヤヌシ:わたしもね、かなりしつこく訊かれて参ったですよ。「家主のくせに、Yの前の住所も本籍も知らないのか、長期の不在なのに行く先も知らないのか」ってね。そんなの聞いたってムダだって言ってやりました。「もし嘘を言っても調べようもない。役所で戸籍抄本など取るのも、最近では他人だと教えてくれない」ってね。けどね…
..家主は声を潜める。
ヤヌシ:これ、内緒ですよ…実は隠してあるんです。
Q :隠す?何を?
..家主の話では、日曜日にYから固定電話に連絡があったという。「遠くに行くことになったので、部屋の片付けをしてほしい。全て処分してかまわないが、Qに入用な物はダンボールに分けてある。本人が希望するなら渡して欲しい。手数料・迷惑料は別に送る」そんな内容だった。話の途中でQは缶ビールを取りにいってきた。家主にも薦めた。
ヤヌシ:ありがとう。でも、わたしはやりませんので、お気遣い無く。
Q :そーですかー。じゃ、洋服はある?
ヤヌシ:ええ、靴も化粧品も。それにアクセサリー。Yさんの物はほとんど全部わたしの蔵に残っています。日・月にせっせと運びました。でも、これは本当に内緒ですよ。それで、あなたに残されたダンボールは明日にでも確認してください。
..次の日(10月18日・木)1時限終了後、QはWに電話した。きのうの礼を言い「家宅捜索」があった事を告げた。が、Wはガサ入れよりもYの部屋が空っぽなのに関心を見せた。
W :へー、すっかり空になったのかー。じゃ、そこへは帰らないつもりなんだな。
Q :家主さんは、そう言ってたス。元々「隠れ家」だっていってたし。参ったッスよ。オレ、一人ぼっちになった…
W :本宅は知らないのか?
Q :知らないッス。おそらく聞いても教えてくれなかったと思う…
W :<目的を遂げて、逃げたということか?>で、キミはどうする?
Q :わからないッス。当分はバイトも続けるけど、永くは無理かも…
W :今日は?
Q :次の「フランス語」はおさぼりして、残されたダンボールを調べるつもり。
W :で、夕方からバイトか?
Q :うん。先輩は?
W :研究室のお手伝いを早々に切り上げて、神社の防火用水を見に行くつもりだ。一度は見ておかないとな。
..そしてQはアパートに戻った。家主を尋ねる。大きな家だ。街中なら公民館かと思われる広さだ。庭をぐるりと回って横の通用口から中へ入った。
ヤヌシ:これです。
..案内された8畳間にダンボール箱が積まれていた。衣装箱初め、大小取り混ぜ30箱ほどあった。箱の横に「Q」と書いてある。
Q :こんなに!
..幾つかを開けてみた。靴の箱が5個ほど、バッグ類が2箱、化粧品やアクセサリーなどの小物の箱もあった。あとは衣類だ。庭の緑を通ってくる光が優しい。Qは最初に着たフリル満載のミニドレスをハンガーに掛け、鴨居に下げた。じっと見ていると懐かしくさえある。そして、不意に、何の前兆も無くボロボロと涙が押し出して、零れた。嗚咽がUuと漏れた。
ヤヌシ:どうしました?
..Qは自分でも驚いた。が、涙は勝手に次々と湧き出してくる。家主に答えるでもなく、
Q :Yさんは…小百合お姉さんは…もう帰って来ないんですよねー。
..両手で顔を覆うとしゃがみ込んでしまった。それは、「Y恋し」の感情ばかりではなかった。「置き去りにされたんだ」という悲しさが入り混じっていた。家主が背中をとんとんと叩いて慰めた。
ヤヌシ:なんにしても、今日から着替えはこの部屋を使うといいですよ。
Q :使っていいんでスか?
ヤヌシ:もう2号室は使えないから、しばらくここを使ってください。鏡も運んでおいたから。ああ、そうか、こっちに越してもらえばいいんだ。あなたも、その方が便利でしょ?ま、考えてみてください。
..そして、
ヤヌシ:箱が邪魔ですねー。
..と、廊下に運び出すことになった。廊下の片側に一列に寄せて積んでいった。広い廊下だ。苦にはならない。後にはすっきりとした8畳間が残った。家主の話では、アパートを建てる以前にこの部屋に「間借人」がいたことがある。だから土間にはキッチンもあるしトイレ・浴室もありいつでも使えると言う。Qも<こっちの方がいいかな?家賃はあがるのかな?>と思い始めた。なんといってもガラス越しに庭が眺められるのが気に入った。
ヤヌシ:ところで、この間Wさんにお会いしました。
..<ああ、T先輩と来たときだな>
ヤヌシ:テレビで拝見したよりづっと優しいヒトのようですね。
Q :はい。一見取っ付きが悪そうだけど、とても思いやりのある優しいヒトです。いつも面倒みてもらっています。
ヤヌシ:そーですか、いま4年?就職は?
Q :大学院に進学でッす。すごく頭のいいヒトだから研究室から誘われているらしいッス。
..その後、どこに住んでいるのか?家族は?など聞かれた。それで思い出した。Wは神社へ行くと言っていた。神社は「女苑」から10分だ<オレも行ってみよう>急に思い立った。Wが何をどう調査するすもりなのか、好奇心が動いた。
Q :もしかしたら、いまからW先輩と落ち合うかもしれないでス。
ヤヌシ:ほー、そうですか。じゃ、時間があればここにもお立ち寄りくださいと伝えてください。
..大雑把に、いつもより1時間早く出ることにした。早速身支度を始める。鴨居にはリボンいっぱいのミニドレスが下がっている。今日はその線で行くことにした。化粧を始める。ファンデーションを塗っているといつも思い出す--「若いからノリがよくて、ほんとやり易いわー」Yはそう言っていた。そして「肌はきちんとケアして、大切にするのよ。このごろ質が変ったと思ったときには、なにをしてももう手遅れだから」
..カツラをつけ壁にもたせかけた鏡で全身チェックをする。そしてWに電話した。
Q :いまどこッスか?
..Wは乗り換え駅に着いたところだと言う。
Q :じゃ、駅の改札出たトコで待ってッス。
W :なんだ?行くのか?
Q :道案内ッスよ。
..30分後二人は落ち合った。
Q :まっすぐ神社に行きまス?
W :いや、まず「女苑」だ。
..商店街に足を踏み入れた。
Q :ちょっと待って。
..足を止めたQは宙を仰ぎ、軽く頬を叩くとやがてにっこりした。
Q :さ、お待たせ。行きましょ。
..声が変った。
W :何だ?何かおまじないか?
Q :スゥイッチをいれたの。「たんぽぽ」スゥイッチ。ここからは誰に会うか分からないから油断しないようにね。
..二人並んで歩いていると、若い恋人同士にしか見えない。
Q :ね、手をつなぎましょうか。
..Wは小声で答える。
W :それは勘弁してくれ。
Q :でも、これじゃ、不自然よ。腕ならいいでしょ。
..Qは軽く腕を組んできた。すぐに「女苑」に着いた。どの店もまだ仮死状態だ。通りにも生気がない。
W :ここかー。高そうな店。金曜にЁさんが歩いた通りに行ってみよう。
..Qによると、Ёは店を出た後いつもタクシー乗り場に向かうと言う。そのコースを行った。角を曲がって10mほどで乗り場だ。
W :声を掛けられたとすると、あの角からここまでの間だろうな。で、タクシーに乗るつもりだったが、声を掛けられ神社へ向かうんだが、コンビニに寄っている。
Q :コンビニに行くのはこっち。
..Qがリードしてコンビニに着いた。4〜5分だ。
Q :入ってみよう。
..店内で監視カメラの位置を確認した。見せられた写真はここの物に間違いないだろう。そして神社に向かった。周囲を見ながら割りとゆっくり目に歩いた。暗くはないが、少し遠目にはヒトを識別することはできない。神社の境内に着いた時5時半を過ぎていた。「女苑」から20分だった。木陰はかなり暗く感じる。そんなに大きな神社ではない。拝殿手前の御手洗所の奥の木立の中に、金網で仕切られた一角がある。防火用水だ。湧き水が流れ落ちている音がする。近年では、社殿近くに消火栓が設置されて、役目は終わったのだがそのままになっている。ただし子供などに危険だということで昭和末期に金網で囲われた。
W :ちょっと暗いな。もう少し早く来るべきだった。
..言いながらWは近づいた。目的のチエーンが取り付けられ、錠前で閉ざされていた。Wはスマホの明かりでそれらを点検した。これと言って変ったところはない。錠前もチェーンも錆が生じ年代を思わせる。目だつ傷もなかった。しばらく見ていたが、Wはすっと屈みこんだ。そして低い位置から言った。
W :Yさんは、右利きか?
..Qはぱちくりとした。
Q :ええ、右利き。
..Wは立ち上がった。何か拾い上げたかのように右腕を曲げている。
W :この位置で拾った物を遠くに投げる…キミなら右へ投げるか、左方向か?
..Qも並んで同じ格好をする。
Q :遠くに投げるんですね?
W :ああ、やってみて。
..Qは右へ90度向きを変え、腕を振って投球のポーズをした。
W :どうして右へ投げた?
Q :だって、右利きだから左を向いて手を挙げるとフェンスが邪魔で、やりにくいです。
W :そうだ。この位置では、右利きなら右へ投げる。
..そしてWはバッグから小さな金属の塊を出した。
Q :それは?
W :本日の秘密兵器、と言いたいところだが、ただの磁石だ。ただしMK鋼といって普通の磁石よりかなり強力だぞ。物性物理科で借りてきた。
..Wは巻きつけてあった紐を解く。
W :こうするんだ。
..ポリ袋を被せ、磁石をぶらさげて地面をトントンと軽く叩いてみせた。持ち上げると赤サビ色の折れ釘と黒い砂利がくっついている。
W :これでな、向こうの2本の木の周辺を探ってみてくれ。
Q :何か出てくるの?
W :ああ、宝探しだ。運が良ければチェーンの切れ端が見つかる。これの切れ端だ。
..Wはフェンスのチェーンを指す。
Q :へー。
..Qは磁石を受け取り、右手10メートルほどの2本の木に向かった。Qが捜索している間、Wはゆっくりとフェンスに沿って歩いた。<思ったより荒れている。捜索のせいだな>ときどき屈みこんでスマホの明かりを当て、中の様子を見ていた。時間をかけて一周を終えQの方を見た。ちょうどQがこちらに駆け出したところだった。Wはウーパーの口ぶりから「切れ端」は持っていないと判断していた。<探さなかったとは思えない。一応探したが、見つけられなかったのでは?>そう考えている。
Q :せんぱーい!ありましたよ!
..Qはややヒールの高いサンダルを履いている。草に足をとられ危うい格好で戻ってきた。
Q :これじゃないですか?
..Qは磁石ごと差し出した。ポリ袋に、折れ釘・砂利とともに錆びた太めの金属がくっついていた。Wは摘んで眺めた。そしてチェーンにくっつけてみた。切れ端は全体の3分の1ほどだ。
W :間違いない。これだ。やったな。正直、見つけるのは不可能だと思っていたよ。ほら、見てみろ。
..Wは切り口を指した。
W :切り口は錆がないだろ。切られて時間が経ってない。
Q :ほんとだ。光ってる。
W :キミの祈りが天に通じたんだ。
Q :オレの祈り?
W :ああ、やっぱり犯人はYさんじゃない。
Q :ホント!ほんとーに?!
W :まだ、100%断定はできないけどな。あしたちょっとした実験をしてみる。それで多分決まりだ。
Q :けど、Yさんじゃないとすると犯人はだれなんです?
W :んー、なんとも言えない。ぼくらはYさんやЁさんの全てを知ってる訳じゃないから。もしかしたら、Ёさんは仕事がらみで殺されたのかもしれないし…ただその場合、警察がYさんに拘る理由がなくなる。でも、まだYさんに拘っているようだ。それどころか、ぼくの見立てでは、警察はYさんとキミが共謀したと考えているようだ。
Q :えー、まだ疑われているの?
W :でも、それもYさんじゃないとはっきりすれば消える。犯人じゃないにしても、Yさんって何者なんだろー?分かればこっちの気分もすっきりするんだけど。それには、「女苑」のホステスたちに話を聞くのがいいんだが…
Q :それなら、これから一緒に行きましょうよ。
W :そうしたいところだが、先立つモノがない。可なりの額を覚悟しなきゃならんだろ?
..Qは宙を見つめた。なにか考えているようだ。
Q :いいわ。わたしにまかせて。昨日は助けてもらったし、捜査の探偵料よ。お金のことは心配しないで。さ、ちょうど時間もいいわ。行きましょ。
W :でもな…
Q :ほんとうに大丈夫よ。なにも心配しなくていいから。
..QはWの手を取り立ち上がらせた。
..「女苑」に歩きながら、
Q :同伴出勤にあこがれてたの。
..Qは笑う。
..客を同伴して出勤する。それは漫然と掛かる獲物を待つより遥かに効率がいい。その客が上客であればなおさらだ。店によってシステムは違うだろうが、同伴出勤したホステスは鼻が高い。遅刻など帳消しだ。
Q :その日は、まるで「牢名主」よ。
..「たんぽぽ」は笑った。そのために退社時間に電話したり、会社前で待ち伏せしたり、必死の努力をするホステスもいる。言うなら「営業努力」だが、どちらかといえば、ミエが大きい。
Q :けど、わたし、そこまでする気ないし、そんな相手もいないからちょっと肩身がせまかったの。だから一度は「同伴」したいって思ってたから、今夜は安心して充分堪能して。そしてわたしが何か頼んだときは、考えないで「いいよ」て言って。
..ホステスたちこそ驚いた。子供の「たんぽぽ」が同伴出勤したのだ。Yが居なくなって「たんぽぽ」の位置は急激に低下した。そんな目で見ていたホステスたちに、それは「反乱」か「革命」にも等しかった。「たんぽぽ」も敏感にそれを感じ取った。みんなの見る目が違う。<子供だと思ってたのに、スルことはちゃんとシテんのね>ボトルも入れ、
Q :Wさま、フルーツいただいてよろしいわよね?
W :いいよ。
..ホステスたちにフルーツまで出した。店で一番高いのがフルーツだ。フルーツは市価の10〜20倍に跳ね上がる。社会の常識など通用しない。「わー、こちらステキ!」「イケメンねー」「お若いのねー。青年実業家かしら?」
..そしてWはがんばった。
W :きょうは「小百合」さんは?
ローズ:あらー、お客さまも小百合さんがお目当て?残念でしたお休みよ。
W :へー、すごい美人だって聞いたから一目でもと思って。どんなヒト?
..できるだけ飲まないように努力し、情報の収集に努めた。一人が話し出すと次々に色んな話しが飛び出してきた。その晩Wは2回もトイレに立った。入れ替わり立ち代りするホステスの細かい情報が溜まる。「たんぽぽ」も話題がYに集中するようフォローした。時には、話しが脈絡無く飛び火したりする。聞いたばかりの断片情報は、さすがに覚えきれない。<ICレコーダー用意すれば良かった>仕方が無くトイレでメモを取った。とにかくゆっくり寛ぐどころではなかった。落ち着かない原因のもう一つは、さすがにWのような若い客はいないことだ。完全に浮いていた。1時間ほど経ったところで<けっこう収穫があったな。そろそろいいかな>と思った。3回目のトイレに立った。メモして出てくると「たんぽぽ」が蒸しタオルを持って待っていた。
W :もう、いいよ。だいたい分かった。
Q :そう?じゃ、切り上げていい?
..同伴で外に出ると、さすがに大きく息を吐いた。
Q :疲れました?
W :ぼくの事より、ずいぶん掛かったんじゃないのか?
Q :それは言いっこなし。
..他の客を送って出ていた「すみれ」が通りかかった。
スミレ:あら、Wさま、お持ち帰りですか?
..と笑った。さらに、
スミレ:よかったわね、たんぽぽちゃん。素敵な夜になりそうね。イケメンと一夜なんてうらやましーわ。わたしもがんばろーっと。
..<どう過ごせば素敵な一夜になるんだ>Wと「たんぽぽ」は互いに見つめあって笑った。
Q :お疲れ様でした。その辺で一息つきません?
W :そうだな。ちっとも飲んだ気がしない。
..商店街のスナックに入った。
Q :先輩は気がつかなかったでしょうけど、わたしが同伴出勤したのでみんなショックを受けていた。
..「たんぽぽ」は愉快そうに笑う。
W :へー、そうなんだー。
Q :ああスッキリした。実はね、最近あまり居心地が良くなかったの。だから、今日は「どうだ、見たか!」って気分。それで何か収穫はありました?
W :うん。整理しないと、今んとこゴミ箱をひっくり返したような状態だから…
..Wはメモ帳を出して目を通す。
W :なにが重要で、なにがどーでもいいのかさえ、まだ分からない…
..Wの手が止まった。
W :これ、覚えている?
Q :なに?
W :「さくら」の発言だけど、金曜だから事件の日、「たんぽぽちゃん」と露地でぶつかった。その時手にしてたタバコが当たって落ちた。だから、ドレスに焼け焦げを作ったんじゃないか…
Q :ああ、そんな事言ってたわね。忘れてたわ。言われてみれば、「ドングリ広場」から戻ったとき、そんな事もあったかなーって思うけど…
W :で、その焼け焦げは?
Q :そんなモノ、できたって思わないから調べてもないわ。あの日は濃紺のドレスだから、よく見ないと判らないと思う。ね、写真があったんじゃない?
..Wはスマホを渡す。Qはドレスを仔細に検討する。
Q :あ、これが血痕かしら?
..Wも覗き込む。胸の下辺りに、よく見なければ判らない小さな醤油のシミのようなものがある。
Q :でも…へんねー…どうしてわたしのドレスに血痕があるの?いつ付いたの?
W :<気が付いたか>
Q :刑事に「Ёの血痕が出た」て言われて、あのときは舞い上がっていたから頭が回らなかったけど、「ドングリ広場」に行ってきただけだからЁさんの血が付くはずないわよね。
W :キミがアパートに帰って脱いだ服は、月曜までに誰かが持ち去ったんだよ。だから、「焼け焦げ」があるとすればそっちなんだ。
Q :?、じゃ同じドレスが2枚あるってこと?
W :そういうこと。きのう「グレイス」に行って確かめた。Yさんは、靴を2足買っている。
..Wは犯人の実行したことを整理して話した。Qにはショックだったようだ。
Q :どうして!?どうして、そこまでしてわたしを殺人犯にしたいの!
W :落ち着いて。キミに恨みがあるんじゃない。真犯人にすれば誰でもよかったんだよ。たまたま何かの行きがかりでキミが選ばれてしまった。
Q :でも、真犯人はYさんじゃないのよね?じゃ、誰?Yさんは靴を2足買ったんでしょ?
W :それを今調べてる。犯人像が、ぼんやりと浮かんできている。今夜の聞き取りを整理すれば、おそらくかなりはっきり見えてくる。
Q :あー、頭がこんがらかってきたス。
..混乱してQに戻りかけた。
W :たんぽぽちゃん、尻尾が出ているよ!
..Qはぺろっとベロをだすと深呼吸した。
W :その他にもけっこう興味深い情報があったよ。手の話し…着替えのこと…浴衣祭り…美容院…
..Wはメモを繰っていく。
Q :Yさんは、誰かに頼まれた?いえ、もしかしたら脅されていたとか…
W :そうかもな。ま、帰ってゆっくり整理してみるよ。何かが出そうな気がする。
..1時間ほど飲んで改札で別れた。Qはアパートに近づいて来ると2号室を見上げた。もしかして明かりが点いていないかと期待していた。<いつか、ある日ふらりと帰ってくるかも…>だが、もしそんな事が起こるとしてもずっと先のことだろうと思い返す。自室に寄らず本宅へ踵を返したとき「それでは、上がらせてもらいます」という声が聞こえた。暗いので分からないが1号室に壮年のスーツの男が立っていた。ドアーの中からUの奥さんの声が聞こえた。
u妻:どうぞ、お入りください。こんな時間に来ていただいてごめんなさいね。
..印象ではセールスマンという感じだ。男が入りドアーが閉じた。暗い小道を考えながら進んだ。<8畳間に越したほうがいいかな?>そして通用口に着くまでに「同じ料金なら越す」と結論がでた。
..Wは自室の小さなテーブルで、付箋紙にきょうのメモを書き写していた。ある程度溜まると立ち上がる。壁にはカレンダーの他にいろんな物が貼ってある。プリントした「むげん荘」見取り図・いままでに入手した情報の多くの付箋紙、それらで壁は鱗状態だ。そして今日の情報が追加されていく。しばらくじっと見つめていたが、何枚か剥がしてはグループに集めたり、ある物は捨てられた。PCデスクの椅子に掛け12時過ぎまで壁を睨んでいた。


..次の日(19日・金)、Wは部室にやって来た。手には何か提げている。部屋にいたのはNだけだ。
W :いま忙しいかな?
N :そうでもありません。
..Nは資料整理をしていた。ダンボール5箱に、10年以上前の資料が残っている。過去の会員が世界の魔術について調べた資料が詰まっている。それに文化祭に展示した大小のパネルがある。場所を取っているので、できれば処分してしまいたいと以前から思っていた。が、1点づつ見ていくと興味深いモノもあり、努力も感じられる。なかなか捨てがたいのだ。
W :ちょっと力を貸してくれ。
..Wはテーブルにじゃらじゃらと20cmほどの金属チェーンを置いた。
N :なんです?これ。
W :それをこれで切断できるか、知りたいんだよ。
..Wは年紀物の金属カッターを出した。
N :えー!?
W :ここにこう挟んで、柄を思いっきり締めるんだ。
..Nは挑戦した。「うー」と唸り、歯を食いしばっている。
N :ちょっと待って。
..はーはー言って一休みする。
N :もう少しでいきそうって気がします。もう一度。
..再チャレンジだ。今度は渾身の力だ。正直言ってひどい顔になっている。
N :あー!
..叫んで手放した。はあはあ荒い息をつく。
W :やっぱ無理なようだな。
N :もうちょっとでイキそうって感じはあるんですけど、無理みたい。先輩はどうなんです?
..Wは機械科で試してみた。チェーンは5mmだ。
W :ぼくはなんとか切れた。女性でも切れるかを知りたいんだよ。
N :わたし、力が無いから。そうだBちゃんならどうかな?あの子、女の子っぽいけど意外に力がありますよ。待ってください。呼んでみます。
..Nは電話した。その間にMが現れた。Mも試した。こちらも渾身の力でなんとか切断した。そしてBが来た。やはり歯を食いしばってがんばった。深い傷はできたが、切断まではいかなかった。
M :絶対とは言えないけど、女子には無理ですって。
B :ちょっとむり。
W :そうだな。
..Wはチェーンを点検している。3人の傷跡を見ると皆「ためらい傷」がある。気付かないうちに2度3度やり直しているのだ。<神社のチェーンにためらい傷はなかった。一度で思い切りよく切断している。それに8oだ。やっぱり女の業じゃない>
W :いや、ありがとう。知りたかったことは分かったよ。
..それからNは古い資料について相談した。
W :じゃ、写真に撮ってデータベースを作ったら。部屋は広いほうがいいし、見たければいつでも見られる。
N :それ、いいですねー。写真はやりますからデータ化はお願いします。
W :<おいおい、ぼくの仕事か?ま、いいや。Tに押し付けよう>ところでQは来るかなー?
N :さっき電話しました。登校はしてたんですが、なんでもまた引っ越すとかで、早々に帰りました。
W :引っ越す?どこへ?
N :隣。大家さんの所に間借りするんだとか…
W :へー…
..言っているところへQから電話が来た。Wは引越しのいきさつを聞いた。
Q :家主さんの軽トラで冷蔵庫・洗濯機を運んで、今休憩中ッス。先輩、きょう、なんか実験するって言ってたからどうなったかなーって思って…
..部室の外に出て、Wは実験結果を告げた。
W :Yさんは犯人じゃないと断定できる。犯人はどうしても男だ。
Q :オレなりに考えたんスけど、Yさんに男の影はなかったッス。店の客でも特定の関係があるモノは、いないと思うし…
..沈黙が続いた。昨夜、壁を睨んでいたときWの心のモヤモヤが、次第に集まり形を成してきた。それは多元・多次の方程式に似ている。<いま現象の元(げん)はY(小百合)・Q(たんぽぽ)・Ё(ヨー)・Uと奥さんだ。そしてY・Qは二次の元だが、U夫婦を1元とみればこれも2次の元だ。4元2次の連立となる。それは3つの方程式では解けない。だからもう1つの未知の式を求めて焦ってきた。それが間違いだった。探すべきは元だったのだ。元がもう一つ加われば、5元2次となる。あと2つの方程式が加われば誰でも解明できるはずだ>そして今「Yに男の影はなかった」という。<残りの元は「家主」だ!>同時に2つの方程式が浮かんだ。
W :アパートの家主はどうだ?
Q :家主さん?
W :いいか、ここからの話しは絶対誰にも言うなよ。
Q :うん。了解。
W :ぼくは、家主がYさんを脅していたと考えている。
..また互いに黙り込んだ。しばらくしてQが大きく息をするのが聞こえた。
Q :でも、なぜ?
W :何故かは分からない。きっとЁに深い恨みがあるのだろう。それに、何かYさんの弱みを握ったのかもしれない。
Q :じゃ、まさか…家主さんが真犯人?
W :おそらく。実行に当たりYさんを脅して協力させた。そう考えると全てのことが整然とする。例えば、キミのドレスが無くなった事も、家主が持ち去るのは簡単だ。
Q :でも、なんで家主さんは殺すほどにЁさんを恨むッス?
W :いまは分からない。今度は家主を調べてみないとな。なにか聞いたことないか?
..突然、
Q :あっ!切ります。後で!
..電話は切れた。
..そしてWは、ウーパー刑事に会おうと思った。今向かっている方向性が正しいのか、確認しなくてはならない。それには、別の方向性で動いている警察の進捗状況をぜひ知りたい。警察署に出かけると「刑事は外回り」だと待たされたが、30分後に帰ってきた。ウーパーは敷地の隅にWを連れて行った。
W :Yさんは見つかりました?
..ウーパーの表情は渋い。答えはない。<進展が無いな>Wはバッグからポリ袋を取り出す。
W :Ёさんには仕事上多くのトラブルがあった…
ウーパ:評判は悪い。
W :が、犯行を行った人物は浮かんでこない。
..Wはポリ袋を何気なく振って見せる。中には赤茶色の小さな物が入っている。ウーパーの目はそれを気にしている。
ウーパ:それは何だ?
W :これ?たいした物じゃないです。神社のチェーンの切れ端です。
..ウーパーの表情が変った。指紋は拭き取っておいた。すぐには渡さない。
W :Ёさんの仕事・人間関係からは何も出て来ない。
ウーパ:今のトコはな。それ、どうやって見つけた。
..手を出した。
W :単なる偶然です。防火用水の見物に行って拾いました。それで、これは刑事さんの役に立つから早速渡さなきゃいけないと思い、忙しい時間を割き飛んで来ました。
..Wはまだ渡さない。袋の中味を指す。
W :ほら、切り口が錆びていない。新しいですよ。じゃ、捜査は行き詰っている?
..口がへの字のウーパーは頷いた。ようやく袋を渡した。見つめたウーパーはみるみる内に笑顔になった。
ウーパ:神社のどこだ?どこにあった?
..Wは場所の説明をした。
W :よかったですね。未来の警視総監殿。
..Wはくるりと向きを変える。
ウーパ:ありがとう。協力感謝だ。本当にありがとう!
..Wの背中をウーパーの喜びが追いかけた。 <これではっきりした。警察の方向はズレている>
..Qはあわててスマホを仕舞う。家主が近づいて来た。
ヤヌシ:電話中でしたか。失礼しました。
Q :いえ、もう済みました。
ヤヌシ:考えたんですけど、残りは夕方にしましょう。ダンボールに詰めてもらえば1回で済みますよ。
Q :そうッスね。スンマセン、すっかりお手伝いさせちゃって。
ヤヌシ:いえ、構わないです。それじゃ、わたしちょっと用事に出てきますから 。
..庭石に掛けたQは、去って行く家主の背中を見送る。<本当にあのヒトが殺人犯なのか?先輩の見込み違いじゃ?>大きな疑問を抱え3号室に戻った。手当たり次第に放り込むといっても、それなりに分類や仕分けがある。1時間で箱詰めが終わり、できるだけ多くを階段下まで運んだ。小さな箒で掃除をしていると家主が現れた。
ヤヌシ:できたようですね?下へ下ろしたんですか?じゃ、すぐ終わりますね。わたし、積み込んでますから。
..最後に時計台が目に入った。<そうか、向こうの部屋にはないんだ>Qは、それに馴染んでいたことに気付いた。鍵をかけ、ダンボールを軽トラに投げ込むように積んだ。8畳間に運びこむとそろそろ暗くなりかけた。
ヤヌシ:きょうはバイトは?
Q :行くつもりス。
ヤヌシ:そりゃ大変だ。余り時間がない。
Q :はい。本当にありがとうございました。
..Qが下げた頭をあげる。その視界の上方に白っぽいものがあった。庭木に白い四角いモノが張り付いて見える。初めて見る物だ。
Q :あれ、何でス、か?
..指差した方を家主も見た。
ヤヌシ:なんでしょ?わたしには覚えがないけど…
..二人は傍に寄った。ちょうど色紙の大きさの白い紙をナイフで刺し止めてあった。紙にはただ一文字
....
..が大きく書かれている。そしてその真ん中をナイフが貫いていた。
ヤヌシ:なんでしょ!?
..家主はナイフに手を伸ばそうとした。
Q :ちょっと待って!
..Qは急いでスマホを出し数枚写真を撮った。ナイフを抜く家主の手が震えている。
ヤヌシ:何なんですかねー。イタズラにしても意味が分からない。
..声にも緊張が感じられた。Qはそろそろ支度を始めなくてはならない。ダンボールの詰まれた部屋に戻った。<あれ、なんだろう?…Wって、まさか先輩と関係ないよな?関係あるんなら、先輩の家か大学に張ればいいんだもんな。意味が分からん。ま、写真だけでも送っておこう>そしてQは思い出した。昨日の支払いをしなければならない。<ATMに寄って15万円おろさなくちゃ>急いで身支度を済ませ部屋を出る。<きょうは金曜日だな。忙しくなるかな?>思いながらアパートまで来た。Uの奥さんが外で立ち話しをしている。相手は水色の作業服の男だ。
u妻:電気の定期点検ですか?
..と言ったのが聞こえた。相変わらず大きな声だ。Qは「たんぽぽ」なのを思い出す。軽く会釈して通り過ぎた。天気はいい。1年で一番過ごし易い季節だが、1ヶ月予報によると、月末に季節はずれの寒波が来て一時冷え込むという。<そういえば、部屋にエアコン無いようだった。いずれ暖房器具がいるな>そんな事を思いながらやって来ると、例の老農夫が畑で作業していた。相変わらず農夫はランニングシャツ1枚だ。収穫も終わり冬支度をしているらしい。<そうだ。白菜の礼を言わなくちゃ>と思ったとき「たんぽぽ」を忘れた。農夫と目が合った。Qは軽く頭を下げる。
ノーフ:こんにちは。いい天気だね。
..農夫は微笑む。礼を言おうと口を開きかけて、「たんぽぽ」が蘇った。
Q :、、こ、こんにちは。
..焦った。急いでその場を逃れた。<あぶなかったー。油断したな>一度立ち止まって深呼吸し、しっかり「たんぽぽ」スゥイッチをいれる。そして思い出した、農夫が話した家主の生い立ちを。家主は、Qの眼から見ても男としてはひ弱な感じだ。そんな男が「殺人犯」というのは、やはり信じ難い。「家主を調べないと…何か聞いていないか」電話でWはそう言っていた。生い立ちの話しが事件に関係あるのか無いのかQには分からない。<とにかく、あした先輩に伝えよう>と決めた。<だけど、家主が真犯人なら、オレに罪を被せようとしたのは家主?オレに懸けられた嫌疑はどうなる?>考えている内に電車は駅に着き、いつしか商店街を過ぎた。「女苑」に入ろうとして思い出した。<ATM、忘れてたー>
..その晩Wは自室で缶ビールをやりながら壁を見つめていた。ついさっきQから写真が送られてきた。「W」にナイフが刺さっている。しばらく見ていたが、それが何を意味するのか全く分からない。注意を壁に戻し「女苑」の聞き取りメモに集中する。
...*Yは決まった美容院がないらしい。ホステスとしては、ちょっと有り得ない(マーガレット)
...*テレビのタレントを知らない(バラエティはほとんど見ない)(しずか)
...*Yの手指は、人さし指<薬指(すみれ)
...*店の浴衣祭り、髪のアップを薦めたが断られた(あやめ)
...*結婚歴はあるらしい(さくら)
...*客がビールをこぼし着替えに更衣室を使わなかった(カトレア)
...*ビールよりウヰスキーが好き(カスミ)
...*夫の浮気の話題で、何回関係したかにこだわった(すずらん)
...*深呼吸のとき、ラジオ体操のように大きく腕を開いた(ゆうがお)
...*物知りだった。客のどんな話題にもだいたい合わせることができた(ききょう)
..........:
..........:
..付箋紙は30枚近くになる。昨日からそれ等を何度読んだか知れない。もう暗唱できるくらいだ。だが、期待していたほどに明瞭にはYの姿が浮かんでこない。<ここは、専門家のご意見を伺うか。やっぱ心理学科かな?>やや持て余した感じで視線を移す。端の方に「盗聴器(Qの部屋)」というのがあった。<そうだった。これの調査がまだだ>それが放っておかれたのは、そのベクトルの方向・大きさが全く見当がつかないからだ。調査前には<盗聴器がある>と確信し、出てくれば多くの事が分かる気でいた。しかし、事件の中での位置が分からないままだ。<あしたは、これに当たってみるかな>
..翌日(20日・土)夕方、WはQの部屋にいた。
Q :調べる事ってなんッス?
..Qは化粧をしている。Wは手馴れたものだと感心して見ている。
W :この部屋の方が,前よりいいじゃないか。
Q :そうなんス。なんか居心地がいいッス。風呂もあるし。ただ、エアコンが無いんで夏はどうかな?
W :実は話して無いことがある。前の3号室な…
Q :うん。
..Wはバッグからタップを取り出す。科学クラブへ出かけ指紋は取ってある。
W :これ、キミが付けたんじゃないよな?コンセントに差してあった。
Q :?、オレじゃないッス。元々付いていたのかなー?
W :これ、盗聴器なんだよ。
Q :えっ!盗聴器?…誰が?何のために?
W :それを調べに来た。家主は今夜は出かけるんだよな。
Q :そうッス。「親戚へ行って遅くなる。もしかしたら帰らないかもしれない」て言ってたから、今夜は当分帰ってこないッスよ。なんででスカねー、ここへ越してから変なことが次々起こる…
..Qはまつげを付け終わった。
Q :ああそうそう、昨日の電話の続き、家主さんのこと。近所のオジサンに聞いた事を後で思い出したッス。
..Qは記憶をたぐって農夫から聞いた家主の生い立ちを話した。
W :へー…
..Wは真剣な表情で聞いていた。
W :ずいぶんつらい目に遭って苦労したんだな。
Q :そうッスよね。莫大な財産を盗られ、父親が服毒自殺、一家離散。たまんないッス。で、昨日の写真は分かったスか?
W :いや、あれこそ全然分からない。
Q :「W」って先輩と関係あるんスかねー?
W :見当もつかない。
..Qは急いで出て行った。(「むげん荘」見取図)Wは用意した袋を提げて外に出た。もう真っ暗だ。調べる範囲は決まっている。来る前に見取図で検討してきた。駐車場を抜けアパートの裏手(東側)に回る。ほとんど手探り状態だ。「配電」のドアー近くに屋外のコンセントがあることを写真で確認してきた。紙袋から巻いた延長コードを引っ張り出す。10メートルはある。母屋近くにあった竹竿の先にコンセントをくくりつける。<反応はあるのだろうか?>盗聴器をはずして4日ほど経っている。受信してなければ、なんの反応もないだろう。<試してみるしかない。もし反応がなければ母屋も調べなくてはならない。けっこう大仕事だな> タップを差し込み、まずはドアから壁に沿って南へ向かう。<調べるのは1階だけでいいはずだ>ゆっくり竹竿で壁近くをなぞりながら静かに進んだ。東側の壁には窓が無い。その分気楽ではあるが、受信側から出た音声がこちらのタップに届かなければハウリングが起きない。非常に率の悪い賭けだ。慎重に進んで南東の角近くに来た時、遠くから耳障りな甲高い音がpki--と流れてきた。タップを遠ざける。音は消えた。もう一度近づける。再びpki--と響いた。<間違いない>タップをはずす。Wは急いで撤退した。1階のその角部屋は、おそらくUの部屋と思われる。<なぜUが?>忍び足で暗がりに隠れ母屋に戻った。念のためと、母屋周辺の調べられる範囲はざっと回ってみたが、こちらには反応がなかった。Qの部屋に戻り帰り支度する。
..盗聴器はUだった。もともと「Qの部屋に盗聴器が仕掛けられていないか」と疑問を生んだのは、Uの奥さんがQが「魔法使いの娘」だと知っていたからだ。却ってナゾが増えた。<なぜUがQを盗聴する必要があるのか?どうやって仕掛けた?もしかして、この部屋にもすでに仕掛けられてる?>


..日曜日(21日)は何事もなく済んでいった。ただ、夜半から急激に冷えこんだ。Qは夜11時頃に寒さに震えながら帰宅した。カセット式ガスに薬缶をかけ強火にして空気を暖めた。それ以外に暖房器具らしき物は持っていない。パジャマに着替えて風呂に点火する。風呂が沸くのを待つ間毛布にくるまっていた。<暖房はガスか灯油か、それとも思い切ってエアコンにするか…明日ネット検索してみよう。安いのが見つかるかも>
..月曜日(22日)Wは、カフェテリアでΩ(オメガ)准教授と向かい合っていた。先日、知り合いの心理学科の学生凵iデルタ)に「聞き取り」の資料を見せ意見を求めた。資料から年齢・性別・職業など対象を特定できるような項は削除した。先入観を無くすためだ。凾ヘ「ぼくじゃ分からないから先生に聞いてみる」と担当教官に資料が渡ったのだが、「これは、心理学と言うより外科の対象だ」と整形外科のΩに資料が移った。凾ノよると「心理学で年齢・性差を判別するのは、殆ど無理だ」と言う。「ヒトの性格は、持って生まれた因子より環境の影響が遥かに大きい。強いてこの資料で心理学の対象になりそうなのは『夫の浮気』、『どんな話題にもあわせられる』くらいだ」と付け加えた。そして、Wはカフェテリアに呼ばれた。
W :お忙しいのに申し訳ありません。
Ω :いや興味をそそられたんで、もう少し詳しく聞きたいと思ってね。君が、あのテレビに出ていたW君だよね?この資料よりむしろ君に興味をそそられたのかも。
..小太りのΩは笑った。
W :どんな人物なのか知りたいのですが。
Ω :どんなって…君の印象ではどうなんだ?
W :会ったことも写真を見たことも無いんです。一言で言えば見知らぬ他人です。だから、どんな人間なのか判らないものかと思いまして。
Ω :そーか、出身地、年齢は?
W :判りません。
..Qの話しでは30代前半と思われるが、Wは言わなかった。
Ω :一応ざっと目は通した。それでこれはどういう意味かな?
..Ω(オメガ)は、
...*Yの手指は、人さし指<薬指
..を指す。
W :ああ、それはこの人物、仮にYとします。Yの友人で元ネイリストの話しです。
Ω :ネイリスト?
W :はい、手足の爪にデザインする仕事です。だからヒトの手や爪を沢山見ていますし、詳しいです。で、その友人が言うには「Yの手の指は、人差し指より薬指がうんと長いというか、背が高かった」ということです。
Ω :それで普通だと思うが……Yさんは、まさか女じゃないよね?
W :さあ…何とも…
..Wは曖昧に答えた。それから、結局一項目づつ説明を求められた。Ωは資料に書き込みを加えていった。25項目の説明はかなり時間がかかった。そしてΩは考え込んだ。
Ω :ま、ちょっと時間をくれ。検討してみる。ところで、また何か事件に首を突っ込んでいるのかな?
W :そう言う訳ではありませんが、Yさんの事が気になるんです。
..その夕方、夕食後父親が入試の出来具合を訊いた。テレビではニュースが流れている。祖父がときどき「突っ込み」をいれながら見ていた。
W :入試は大丈夫。できていると思うし、ここまで単位は消化したから…
..時期はずれの寒さを伝えていたニュースに変化があった。「突然ですが、火事の情報がはいりました」アナウンサーの声音が変った。「××駅近くの民家から出火し、現在炎上中という情報が入りました!」Wと父親はテレビに注目する。しばらくは平常ニュースに戻ったが、すぐに「火事の現場からスマートフォンで映像を送ります」と画面に燃え盛る炎が映った。緊張した音声が途切れがちに重なる。「現場は××駅から20分ほどの新興住宅地です。火事があったのは『むげん荘』というアパートです。消火活動は始まっていますが、今激しく燃え上がっています!」
..Wは立ち上がった。「どうした?」父親が聞いたが言葉が出ない。燃え盛る炎を見つめながらスマホを掴む。
W :T、ぼくだ。車出せないか?!Qのアパートが燃えている。
..Tはニュースを見ていなかった。急いで行きたいと告げ、表通りの銀行前で待つことにした。15分後Wの前に見慣れた車が止まった。
T :まだ飲んで無くてよかったぜ。「むげん荘」が火事だって?Qは大丈夫かな?
W :Qは家主の家に移った。それにいまごろはバイトのはずだ。危険な目にはあっていないと思う。とにかく行ってみよう!
..二人が着いたときには炎は上がっていなかったが、白煙がもうもうと真っ暗な空に登っていた。夜だからわからないがおそらく黒煙も激しく上がっているのだろう。まだかなりの熱が伝わってくる。途中に警戒線のロープが張られて近づく事ができない。とにかく消防車・パトカーそれにヤジ馬でごったがえした。かなり遠回りになるが、大きく迂回して家主の敷地に裏側から入った。アパートの方へ行くと黄色いロープを挟んで見慣れた影が立っている。家主とウーパーだ。投光機で照らされた現場は、完全に焼け落ちているようだ。
..Wは二人に近寄る。
ウーパ:じゃ、Qくんはいないんですね?
ヤヌシ:はい。バイトに行ってます。
ウーパ:不明なのは、Uさんか?
ヤヌシ:ええ、逃げられたとは思えません。足が不自由ですから。
..そしてウーパーはWに気付いた。
ウーパ:おお、Wくん、来たか。Qくんはバイトにいったそうだから無事だ。
W :Uさんの奥さんは?
ヤヌシ:さっきすぐに救急車ではこばれました。衣服に火が移ったようです。意識はありませんでした。
W :そうですか。
ウーパ:あとは明日だな。明るくなって現場検証しないことには、何もわからない。
W :どうして出火したんでしょう?
ヤヌシ:分かりません。漏電か、天ぷらの揚げ物でもしていたのか、あるいは…ストーブの火がなにかのはずみで移ったか…実はね、灯油ストーブを今日貸してあげたんです。急に寒くなったけど、暖房器がないってことだったんで。古いけど使ってないのがあったんでね。でも、片付けるとき灯油を抜いて空焚きして掃除もしてあるから、不備があったとは思えません。
W :なににしてもお気の毒でした。
ヤヌシ:いや、わたしのことよりUさんが心配です。逃げられたものなら、近くに姿があるはずですが…
W :そうですねー。
..ウーパーは仲間の方へ去った。その後姿を見ながらWは思う<おい、いいのかい?目の前に殺人犯がいるんだよ。万が一この男も逃亡したら、あんたの上限は警部補だよ>
ヤヌシ:こうなってしまった以上、考えても仕方ありません。どうです、我が家で一休みしませんか?Qさんの帰りを待たれるでしょ?
..二人は家主の言葉に従った。応接の間でWはQにメールした。<見ることがあれば早く帰ってくるだろう>
ヤヌシ:どうもこの土地はゲンが悪いんですかねー。
..お茶を出しながら家主は言う。
W :といいますと…
ヤヌシ:嬉しくも無い思い出だけが降り積もっていく気がします。人生をやり直せたらと考えたことないですか?いや、愚問でした。あるはずないですよね。まだまだお若いですもの。これから人生のスタートですものね。わたしは、よく考えます。どこか遠くの、海も山も近い所で果実の樹を沢山植えて、広い農地を気ままに作って暮らす。過去は全て無かったことにして、「私自身の本当の人生」を送れたら…と。幸い、それを手にする資産はあります。いまどき「晴耕雨読」なんて流行らないかもしれないですが、「雨ニモ負ケテ、風ニモ負ケテ…困ッタ人ニハ眼ヲツムリ」自分勝手に生きていく。そんな風に生きられたらと妄想することがあります。
..そして、家主は朗らかに笑った。後にWが家主を思い出すと、この晩が一番快活で楽しそうだった。<なぜ、こんなにあっけらかんとしていられるのだろう?>
..やがて9時ころにQが息せき切って帰ってきた。現場を見たQはさすがに言葉がなかった。
T :Q、おまえ何やってんだ、また公演の練習か?
..驚いたのはTだけだ。さきにQが部屋に入り着替えた。WとTはその間外で待っていた。WはTにQのバイト事情を簡単に説明した。
T :けどよ。あの家主、ずいぶんあっさりしてるなー。自分のアパートが焼けたってーのに。
W :そうだな。
..Qの部屋に上がった。部屋には小さな灯油ストーブが赤く灯っている。
W :驚いただろ?
Q :驚いたなんてもんじゃないッス。けど、こっちに越しててよかたッス。家主さんのお陰ッス。大事なものも燃やさずにすんだし。それで、Uさんが見つからないッスか?
W :ああ、あの体で逃げられたかどうか…奥さんは病院だ。
Q :逃げられたとしても遠くには行けないし、行かないッス。近くに居ないということは…
W :最悪の事態かもな。
T :ストーブ買ったのか?
Q :これ?家主さんが貸してくれたんス。古いのがあるからって。
T :これで古なのか?ずいぶん綺麗で新品に見える。
Q :きっと手入れがいいス。あの家主さんだから、毎年分解掃除までするんじゃないッスか。なんてても、時計まで自分で作るヒトだから。
..<Uに貸したというストーブもきっと同じ状態だろうな>Wは思う。<たしかに、ストーブの不具合はないかもしれない>
..翌日(23日・火) 朝食を取りながらWは迷っていた。できるものならアパートの現場検証を見たい。が、行ったところで現場には入れないだろう。<また「未来の警視総監」から情報を仕入れよう>
..Qに電話する。話していると、
Q :なんか、外がにぎやかになってきたス。
..と、外へ出たらしい。
Q :消防と警察が20人ほど来たッス。あ、クレーン車も。
..どうやら現場検証がはじまるらしい。
W :いまからどうするんだ?
Q :ガッコーのつもり。あぁ、それとも検証見てたほうがいいスか?Uさんが気になるんスよね?
W :いや、いい。どうせすぐに判るだろうから。それより奥さんの病院と状態を家主さんに聞いておいてくれないか。特に話しができるのかどうかを。
Q :了解ッス。
..そして午後にWは再び整形外科のΩ(オメガ)に呼ばれた。出向くと凵iデルタ)もいた。凾ヘ「勉強させてもらいます」と同席を決めたらしい。
Ω :依頼について一応の所見を伝えるよ。
W :面倒な事をお願いして申し訳ありません。
Ω :ただし説明の前に断っておかねばならないことがある。ちょっと永い面倒な話しになるかもしれないが、理解してもらいたんだ。
W :何でしょう?
Ω :わたしら、特に臨床医のモノの見方は理学とも世間の常識ともちょっと立場を異にする。例えば、私らが患者をみるとき10種類の検査をしたとする。10種類のどの検査も癌の確率が70%を示しているとする。そこまでいいかな?
W :はい。
Ω :では、この患者が癌ではない確率はどれだけか?
W :それは…30%ではないですか?
Ω :「分からない」というのが正解だ。「癌である可能性」で探ったデータでは、「癌でない可能性」の判定はできないというのが、今までのわたしの経験測だ。もし知りたければ、今度は「癌でない可能性」について検査データをとるしかない。
W :なるほど。では、「確率70%」の根拠はなんだということになりますが。
Ω :それも「患者が癌であると仮定した上での」過去の経験測ということになる。それからもう一つ。9種類のデータが「70%の確率で癌である」と示している。ところが1種類だけ90%の確率と出た。さて、この患者が癌である確立は?
W :…90%ですか?
Ω :さすがだな。ただし、それが正解という訳ではない。そう看做すのが現実的に妥当だということだ。それ以上の事は理学・統計学の専門家にきいてくれ。わたしには分からない。別の患者で「癌でない検査」をしたとする。ただし、現実にはそんな検査は存在しないが。9種類が「癌でない確率90%」、1種類が「30%」と出た。さて、この患者が癌でない確率は?
W :…90%と看做すのが妥当かと…
Ω :そのとおり。「癌でない確率」が30%というのは、「癌である確立」が70%ということにはならない。そうなれば、君の言うとおり「癌でない確率」は90%と看做すのが妥当ということになる。斯様にわれ等の視点は、理学とは異なる。で、それを踏まえてようやく本題だが。
..オメガはそこでコーヒーを啜った。
Ω :このYさん、まず年齢だが、それはこのデータでは分からない。根拠の薄い、印象だけで言えば20〜40歳ぐらいだ。それから性別だが、これが面倒だ。君の資料を4方向から検討した。つまり「男であるとして」「男で無いとして」「女であるとして」「女で無いとして」だ。その区分ごとに、それぞれの項の確率を書き込んでおいた。
..ΩはWの渡した資料を指す。
Ω :×印は判定不能だ。それから項ごとに参考意見も書いておいた。だから詳しくは後でゆっくり見てほしい。結論らしき事をいえば、このYさんは「男である」と看做した場合「可能性は少なくとも85%」というのが、最も高い数値になった。それが整形外科医としての意見だ。
凵Fあのー…
..聞き役に回っていた凾ェ口を挟んだ。
凵Fぼくも、初めて資料を見た時から男の印象を受けました。
..Wは気をそがれた。何と言っていいのか分からない。<いまさらYは男でしたといわれても…>黙ってしまったWを見てΩが言った。
Ω :一つ二つ具体的に説明しよう。例えばこの「*深呼吸のとき、ラジオ体操のように大きく腕を開いた」だが、君の説明では、Yは仕事が済むと仲間に笑われてもラジオ体操のような深呼吸をしたと言ったね。もし女なら笑われてまで腕を開く必要がないんだよ。男女で胸筋の動きが違う。男は、たしかにこうしないと充分に深呼吸ができない。ところが、女は腕を広げなくても胸筋を動かせるから必要がないんだ。それからこれも昨日聞いたが…
..Ωは「*Yの手指は、人さし指<薬指 」を指した。
Ω :掌を平らにしたとき、男は一般的に人差し指より薬指が長い。女はその2本が同じ長さか、人差し指の方が長い。もちろん絶対ではないから決め付けはならないけど、「男である」としたときの確率が高くなっているのは、そのせいだ。
W :実は…Yさんは現在ホステスをしています。見た目には大変な美人だと評判です。そして、資料の情報を聞き取った相手は仲間のホステスたちです。
..Wはもう一枚の資料を取り出した。それは、修正・削除する前のものだ。
W :お渡しした資料からは、年齢・性別・職業が判別できるモノを削除しました。これが元の資料です。
..Wはテーブルに置いた。Ωと凾ヘ身を乗り出して見つめる。そこには、「*Yは決まった美容院がないらしい。ホステスとしては、ちょっと有り得ない」「*店の浴衣祭り、髪のアップを薦めたが断られた」などの記載がある。Ω・凾ヘ、しばらくは食い入るように見ていた。
Ω :これでいくと、85%が90%に上がる。
凵Fそうですよね。ぼくの個人的な意見ですけどビールよりウイスキィが好き、というのも男の方へ傾きます。つまりYはオカマですか?
W :オカマの定義を知らないけど、「男好き」でないことは、はっきりしています。
..Ωは楽しそうに言った。
Ω :いいなー。なんか、君の人生が羨ましいよ。面白そうで。
凵Fそうですよねー。学問的にヒトの追及ばかりしていてもたいして面白くないですから。
W :そうですかねー。
..Wは仕方なく笑ってみせた。
Ω :はは、とにかくこれで少しは名探偵さんの役にたてたかな?後は、最初に断った確率を忘れないで所見を見て、君の判断だ。
..二人が帰ってもWは残っていた。<Yは男だった>眼は30mほど離れた、木立の中のテニスコートを見ている。高い金網で覆われているのだが、近くを通ると時々黄色いボールが転がっている。見つけた時は投げ入れてやるのだが、いまも網を越えて一つ飛び出してきた。そしてTと「むげん荘」に出かけたことを思い出す。<あの時やはり後を追うべきだった。本人に会って話しができれば、展開は大きく変っていたかも知れない>冷めたコーヒーを飲み干す。<Yは男だった。なんらかの理由で「女として生きていく」ことを選んだ。それを知った家主は、犯罪を実行するに当たり、Yを脅して協力させた…そしてQが巻き込まれた…そういうことか?あるいは、全くYの単独犯行?これはQに話す訳にはいかないな。あいつショック死するかもしれない>
..Wは一つ唸ると席を立った。














「むげん荘(6)」に続く





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