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むげん荘(6)

 
...............................................- R大魔術研究会-
 

星空 いき

Hosizora Iki













..................................登場人物

..Ωと面談後Wは部室に立ち寄った。
Q :まいったぜー。
..Qの声が聞こえて来る。部屋にはN・B・L・Mがいた。どうやらQが火事の話しをしているらしい。
L :でも、越しててよかったじゃない。
M :でなきゃ、いまごろ黒こげだ。
N :あんたの黒こげなんて「惚れ薬」にもなりゃしねー。
Q :それ、なんッスか?
B :知らないの。イモリの黒焼きは昔から「惚れ薬」なのよ。
Q :へー、イモリって、田んぼにいるあの太った黒いヤツ?
B :そう。もっとも、わたしは本物をみたことないけど。
Q :どうやって使うッス?
L :炭になるまで黒焼きにして、想う人に飲ませるとね、相手がたちまち惚れてくれるのよ。ただし、男性専門の薬らしいけどね。
Q :へー、♪チャララ・ラ・チャラーン!
..QはBGMをいれる。そして「ドラえもん」の声真似をした。
Q :恋愛パウダー「イモクロ」!「ドラえもん」の秘密道具にありそー。そうしたらノビ太もしずかちゃんに振り掛ければいいんだ。
N :バカ。小学生が発情してどうすんのよ。
M :しずかちゃんが、色っぽく迫ったりして。
..全員笑う。
M :そう言えばさー、あれからDちゃん来ないね。
B :まだ言ってんの。
..BはQを見る。
Q :実はさー、これ内緒だけど、オレDちゃんと付き合ってるんだ。
M :えー!、ウソだろ!
..Mは素っ頓狂な声を出す。Bは大声で笑う。
Q :ふひひ、冗談。
M :よかったー。
..Mは大きな息を吐く。
Q :じゃあ、さ、オレがイモリの黒焼き作ったら、いくらで買う?Dちゃんに惚れられるんだぞ、1万でも安い。
M :いらんよ。
Q :けどよ、イモリなんて東京のどこにいるんだ?「タモリ」ならいるけどな。
W :なにバカ言ってんだ。
..入って来たWには、Qの明るさが何故か空しい。
W :どうだ?現場検証は進んでいるようだったか?
Q :うん。クレーンで梁を吊り上げたりして調べてたッス。けど、始まってすぐに出て来たんで何も聞いてないスよ。
W :Uの奥さんは?
Q :ああ、家主さんが言ってたス。意識がなくて当分面会できないって。病院は聞いておいたス。
W :そうか…じゃ、Uさんが見つかったかどうか知らないな。
Q :オレが出てくるまでには、そんな情報は無いッス。けど、帰れば、何か分かるんじゃないスか?
..結局、夕方になってもUは見つからなかった。警察も消防も、そして家主も、遺体が出てくると思っていた。だが、燃え尽きて煙になってしまったかのように掻き消えた。
..WはQの帰宅に同行した。電車の中でQが語ったところによると、Uの奥さんの火傷はたいしたことはなかった。火が袖に移ったのだが、転がっているうち消えた。奥さんはとにかく驚いて、慌てふためいて外へ飛び出した。そのとき玄関で転倒し頭を強く打ったらしい。帰ると家主が現場に立っていた。夕焼けの空を背景に、残った柱と鉄骨が骸骨のように無残なシルエットになっている。そしてUが見つからなかったことを聞いた。
W :そうですか。不在だったんですかね?でもそれなら、奥さんは知っていますよね。
ヤヌシ:ええ、奥さんが話せるようになれば判ることです。待つしかありません。その内に本人から連絡があるかもしれませんし…
W :そうですね。
..昨夜と打って変わって、家主の表情はきつく言葉は重い。現場検証の結果、応接の間が一番よく燃えていることを聞いた。そこには真っ黒になった灯油ストーブと溶けて変形したポリタンクがあった。だが、殆ど焼けてしまっているので出火原因はわからないと言う。
W :それも奥さんなら何か知っていますよね?現場に居たんだから。
ヤヌシ:そうです。詳しいことは回復待ちです。


Q :先輩、なんだか今日は元気ないッスねー。
..Qの部屋でWは、全くしゃべっていなかった。
W :ん?そうか?ごめん。考え事していた。
..Yは男だった--その結論は、Wを叩きのめした。5元2次の連立方程式は粉砕してしまった。<Yが男ならチェーンを切断でき単独犯行ができる。そうなれば家主は関係ない。とんでもない勘違いをしていたのは、ぼくの方かもしれない>だが、それはQには言えない。「Yは男」だけでもショックなのに、「殺人犯」だ。そしてQは利用された。
W :きょうはバイトはいいのか?
Q :先週の火曜から休みなしできたから、今夜は休みッス。寒くなって来たんで衣装の整理ス。で、先輩の用は済んだスか?
W :ああ、家主さんと話して大体分かった。それに例の張り紙を見せてもらうつもりだ。
Q :あの紙ッスか?やっぱ関係あるんスか?
W :それは分からない。
..話していると、家主が張り紙とナイフを持ってきた。Wは時間をかけてそれらを点検した。その間に、Qはダンボールを1箱運んだ。新聞紙を敷いてハイヒールやサンダルを並べていく。磨いたりしながら、これからの季節にいい物を選んでいるようだ。少し経ってWの耳に
......-gfu…
..奇妙な音が聞こえた。見ると、Qが手の甲で顔を拭っている。
W :どうした?
..ちょっと間があった。
Q :これで、「小百合お姉さん」は戻ってこない…アパートも無くなっちゃたし…二度と…会えないんだ…
..Qの声は震えている。Wは、
W :そうだな。
..とだけ答えた。「会えない方がいいんだよ」を心の中で付け足した。そして、Wの点検が済んだころ、Qが、
Q :あれ?!
..と小さな声で言った。WはQを見た。
Q :これー…
..Qはマリンブルーの、少し踵の高い靴を差し出した。
W :なんだ?
Q :これ、たしか事件の晩に履いてたヤツ。
W :
..Wは間近に寄った。確かに先日見つけた靴と瓜二つだ。
Q :ああ、ここにタバコの火が落ちたス。
..Qは靴のリボンを指している。
Q :焼け焦げがあるッス。
..その、皮の小さなリボンの上部が確かに変色して斑点になっている。
W :指紋が残っているといいんだが…
Q :帰ると土埃を落として布で綺麗に拭いて箱にしまうのがルールっす。あの晩もちゃんと箱にしまったから、指紋があってもオレのだけッスよ。あー…そうだ…
..Qの眼が宙に固定された。
Q :あのとき、箱が見つからなかったんだ。それでクローゼットから空いた箱を持って来て入れたス。だから、この箱は本来の箱じゃないんだ…
W :そうか、犯人は箱が変わっていることに気付かなかったか、違う箱を持っていった。その靴、しばらく預かっていいか?
Q :いいッスけど。
W :それから、あの晩のYさんが残したメモな、どうした?
Q :えー、そんなの捨てちゃったッスよ。
W :そうか、残念だな。
..その晩、QはWを送って行った。そして駅近くの居酒屋に入った。
Q :実は、いまのバイト、そろそろ止めようかなー、思ってるス。
..ビールで乾杯し、Ppha--!とお決まりのポーズの後、Qが言った。
Q :いろんなことがありすぎて、正直疲れたッス。潮時かなーって気分ス。
W :そうだな。どこかで踏ん切りをつけなきゃならないだろうし。金は大丈夫なのか?
Q :うん。月々の支出が今のままなら、卒業までいける分は貯金できたッス。ギリギリだけど。もしもの時は、コンビニのバイトでもやるスよ。いままで貯金なんてなかったけどなんとかやってきたッス。だからいけると思うス。
..Qは焼き鳥に食いつく。
Q :ここの焼き鳥いけるッス。「たんぽぽ」の時は、焼き鳥は食いにくいスよ。お上品に食べなきゃいけないから、食べたくても手を出さないス。
..Qは笑う。つられてWも笑った。
Q :先輩が進学で嬉しいッス。だってサークルは女上位だから先輩がいなくなったらつらいッス。
W :はは、Tがいるじゃないか。
Q :T先輩ッスか。ここだけの話し、ちょっと頼りないス。調子はいいスけど。
..思わずWは吹き出した。Qも大声で笑った。それから思い出したように言った。
Q :そうだ、動画撮ったんだ。
W :動画?
..Qはスマホを取り出す。二人で覗き込む。騒然とした物音が流れ、画面にはパトカーや消防車の赤いライトが点滅している。
Q :あわてて帰ったらもう火は消えてたけど、ヤジ馬でごったがえしていたッス。アパートからは凄い煙が上がってて、つい『撮らなきゃ』って思ったスよ。
..画面は安定しないうえにあちこちに飛ぶ。ヤジ馬の群れが流れていく。
Q :あれ?!
..Qは画面を止めた。
W :どうした?
..Qは画面を戻す。そして、ヤジ馬の一人を指した。
Q :このヒト、Uさんじゃないかな?
W :なに?
..WはQに体を寄せた。白髪にまん丸なメガネの初老の男だ。
Q :暗いからはっきりしないけど…
..Qは再生を再開する。その男は数秒で画面をはずれた。二人は繰り返し見た。
Q :90%間違いないッス。Uさんッス。
W :でも一人で、自力で立っているように見えたぞ?
..WはUの顔を知らない。Qが頼りだ。<もう一人、家主は知っている>Wは動画の転送を頼むとスマホを向けた。そして「情報工学科に依頼して画像処理をしてもらう。それを送るから確認する」よう言った。
Q :でも、Uさんだとしてどうやって抜け出したッスかねー?
W :それは分からないけど、問題はUさんに間違いないかどうかだ。あした解析してもらうよ。
Q :けど、Uさんが無事なら奥さんの心配をして現れてもよさそうなもんス。
W :そうだな。<きっと出てこられない訳があるんだ>で、どうなんだ?バイト止めたとしてまた引っ越すのか?
Q :そんなこと、考えてないッス。あそこ環境が良くて気に入ってるスよ。家主さんが置いてくれるなら移る気はないッス。けど、あれはもったいないことしたッス。
W :ン?
Q :時計台。あれも結構気に入っていたのに、残念ッス。
W :はは、そうか。気に入っていたのか。
Q :そうそう思い出した。先輩覚えているスか?
W :何を?
Q :「時計台の屋根はなぜ三角か?」
W :ああ、そんなこと言ったな。
Q :オレ、考えたッス。「鳥や猫が止まらないため」ッス。
W :
Q :きっと時計には鳥や猫の糞が、害になるス。だから「とんがり帽子」にして止まれないようにしてるッス。
..Wは爆笑した。
W :そうかもしれないな。
..帰りの電車でWは拘っていた。
..<時計台の三角屋根⇔物を乗せられない⇔移動するから⇔何のため?>
..見取り図が頭に浮かぶ。<…そうか、そういうことか!> 帰宅すると「メシは後で!」と、自室に飛び込みPCに「むげん荘」を呼び出す。それから取り憑かれたかのように作業に没頭した。2時間も費やしただろうか、修正版ができた。(「むげん荘」見取図)
W :こうだ。きっとこうに違い無い。
..アパートには「隠し階段」があった。どの部屋へも自由に出入りが可能だ。時計台がドアーなのだ。焼け落ちてしまったので確かめる術は無いが、それなら事件の整理がつく。わざわざ時計台にしたのは、出入り口を塞がれないためだ。上に物が乗せられないし、錘を巻きあげるために毎日ガラス戸を開けなくてはならない。だから、荷物などを前に置く事が無い。<そのための時計台だった…>
..Qは「Yの部屋には時計台がない」と言っていた。これらの事実は、ある結論と繋がる。
W :Yは家主だ。
..それなら時計台はいらない。外階段で3階物置に上がれば、どの部屋にも行ける。またYとして帰って来たときは2号室経由で家主に戻り、物置から外階段にでられる。
..そしてWは立ち上がると、壁の付箋紙を剥がした。ホステスたちから聞き取った分は全て捨てられた。新しいB紙を貼る。見取り図は貼り替えられた。B紙に大小の円2つを描く。それぞれの円には「事象T」「事象U」と書き込まれた。その上に、付箋紙は張り直された。
..そして暫く眺めていたが、やがて呟いた。
W :こうだ。こうなんだ。本来無関係の2つの事象が、偶然か故意か、同じ時間に同じ場所で発生した。それが今回の現象を複雑にややこしくした。別々なら少なくとも「事象T」は簡単に解明できる。そしてPCに向かった。永い時間をかけ手紙が出来上がると、午前3時だった。結局夕飯は食べ損ねた。
..翌日(24日・水)ウーパー刑事からWに電話がきた。久しぶりだ。最近なんだかんだ言ってくることが途絶えていた。
ウーパ:なんか新しい情報はないか?
..声に元気がない。
W :<行き詰っているな>無いですねー。Yさんは見つかりませんか?
ウーパ:ああ。行方が分からない。
W :もしかして海外逃亡したとか…
ウーパ:一応は調べたよ。けど出国したデータはない。もしかしたら、裏ルートで出国したのかもな。
..その後ウーパーから聞き出した内容を整理すると、このままでは間もなく捜査本部は解散するらしい。それでまいっているのだ。本庁初仕事が黒星になる。だが、「Y主犯・Q共犯」説は捨ててないらしい。
ウーパ:解散前に、令状でQくんを押さえなくちゃならんかもな。
W :それこそ見当違いですよ。ところでUさんの方はどうです。調査は進んでいますか?
ウーパ:進まんよ。無戸籍のうえに一人は意識不明、一人は行方不明じゃ調べようが無い。
W :ま、がんばってください。何か分かったら知らせますよ。
..Wは情報工学科の知り合いを尋ねた。そしてUと思しき人物の解析を依頼した。知り合いの返答は、「暫く忙しい。数日は覚悟してくれ」だった。それからQを呼び出し昨夜作成した手紙(見取り図添付)を渡した。
Q :これを家主さんに渡せばいいッスか?
W :郵便受けに放り込んでおけばいいよ。で、バイト止めるのか?
Q :うん。きょう卒業して引導を渡すつもりッス。
..<おい、その日本語使い方が違うぞ>Wは笑った。釣られてQも訳も分からず笑う。


..その晩出勤してミーティングが済むと、Qは店長に退職を申し出た。店長は渋い顔だ。「たんぽぽ」にもそれなりに客が付いている。だが、この世界はヒトの入れ替わりは日常茶飯事だ。そしてその話はすぐにホステスたちに広まった。誰もたいして驚きもしない。まだ、きちんと退職を告げただけでもまともな方だ。ほとんどは連絡もなしで居なくなる。
カスミ:ね、どっかいいトコ見つけた?それとも誘われた?
..カスミは、できればもっと割りのいい所に替わりたいと思っている。
Q :ううん。いろいろ忙しくなってきたの。一休み。
カトレア:小百合姉さん、お店替わったの?もしかして、アンタもそこへ行くの?
Q :お姉さんは遠くに行ったわ。けど、ほんとに一休みなの。また来るかもしれないから、その時はよろしくね。
すみれ:ね、知ってる?お姉さんて言えば、アザを見たことある?
さくら:アザ?なにそれ?
すみれ:ここにね…
..「すみれ」は右の髪の生え際を指す。
すみれ:黒いアザのようなものがあったのよ。いつだったか、お客さんの手が頭に当たってカツラがちょっとづれたことがあったの。わたし隣だったから、その時見ちゃった。もちろん、姉さん、あわててすぐに直したけどね、こんくらい。
..と、「すみれ」は指で円を作る。
あやめ:だからね。だから髪のアップを薦めてもやらなかったんだ。あんな美人で浴衣なら、ふつうはアップにして襟足を見せるよねー。男は、そういうのが好きなんだから。ね、「たんぽぽちゃん」知ってた?
Q :ううん。だって、着替えるとこ一度も見たことないから。
カスミ:へー!たまにはお風呂もいっしょかなって思ってた。
..溜まり場でわいわい言っていると4〜5人の客が入り、話しはそれきりになった。 そして9時になりQは更衣室に入った。更衣には使わないが、上下2段になったロッカーの一つが割り当てられている。そこにティッシュ・タオルなどの日用品・置き傘などが置いてある。全部きれいに始末しなくてはならない。下部にちょっとした引き出しがある。引っ張ってみると空だったが、ただ一つ、折り畳んだ白い紙があった。
Q :
..開いて見る。それは事件の晩YがQに残したメモだった。<こんなトコに入れてたのかー>整理が済んで店長に挨拶し、まだ賑わっている女苑を後にした。商店街を歩くQは、晴れ晴れとした気分だった。そして駅に着く前にWに電話した。
Q :せんぱーい、Yさんのメモ、ありましたよー。
W :本当か!よかったー。それでキミは無罪放免だ!もう疑われる事はないぞ。
Q :ほんとー!やったー!
..大きな声を出したので通行人の何人かが注目した。そして店を止めた事を告げ、メモはあした学校で渡すことになった。部屋に帰ったとき電話が鳴った。Bちゃんだ。Mたちが「Dのことでうるさい。なんとかして」と言う。着替えながらQは考えた。
Q :じゃぁ、さー、Dちゃん、外国に行ったことにすれば?そしたらきっと忘れるぜ。
..相談の結果、D本人の口から「イギリスへ行く」とMたちに伝えると決まった。
..25日木曜日昼近く、Wは大学近くの、いつものコンビニ駐車場にいた。手には紙袋を提げている。今朝一番にQと会ってYのメモを受け取ったのだが、Qの様子に驚いた。もう女装は止めたと思い込んでいたが、Qは「きょうはDちゃん」と、すっかりカジュアルな女学生だった。共に急いでいたので「訳は後で」とすぐに分かれた。
..駐車場にウーパールーパー刑事の車が入った。Wは助手席に乗り込む。
ウーパ:何か見つけたって?
W :ええ、あなたにとって良イモノかどうかは分かりませんが。
..Wは取り出した靴箱の蓋を開く。
W :これが事件当夜Qの履いていた靴です。
ウーパ:?これ、前に見つけた靴と同じじゃないか?
W :そうです。でも、こっちがQが履いてたモノです。証拠があります。
ウーパ:ちょっと待て…それじゃ、同じ靴が2足あるってことか?
W :そうです。靴だけじゃありません。ドレスもカツラもバッグも2人分です。
ウーパ:そんなー…で、証拠って?
..女苑のホステス「さくら」が、事件時刻にQにぶつかりタバコが落ちたことをWは話した。
W :これが、その時できた焼跡です。「さくら」に確認をとってもらえば分かります。
..Wは靴のリボンを指す。
W :事情聴取のとき、Qは事件時刻に何をしてたと言いました?
ウーパ:Yの指示で店を抜け出して公園に行ってた…そんな、取ってつけたような話し、信じられんよ。
W :でもね。事実なんです。
..Wはポケットから紙切れを出した。
W :これが、女苑のQのロッカーから出てきました。Yさん自筆のメモです。
ウーパ:メモが…本当にあったのか!?
..ウーパーの小さな目が、それでも人並みくらいに大きくなった。
ウーパ:指紋が取れるかもしれん!
W :おそらく無駄です。ここまでを振り返ってください。ガサ入れまでしたのにたった一つの指紋さえ採取できなかったでしょ。Yさんは、とてつもなく用意周到で細心の注意で実行しています。
..ウーパーは口を結んだ。
W :お気の毒ですが、この事件迷宮入りの可能性が高いですよ。これで、Qくんは無関係どころか、むしろ利用された無辜の被害者だとはっきりしましたし、いくら探してもYさんは見つかりません。手柄は次の事件でがんばってください。
..ウーパーは眉間に皺をよせる。Wは<これでいいだろう>とノブに手をかけた。
ウーパ:もしかして、犯人はYじゃない…君は真犯人を知っている、そういうことなのか?
..Wの手がノブを離した。
W :どうしてそう思います?
ウーパ:君の体から出ている自信だよ。それが、「僕は全て知っている」と言っている。それに、何故かYを庇っている。
..沈黙があった。
W :前にも申し上げたとおりです。僕はこの殺人事件について関心もなければ、調べる気もありません。ただ、Qくんが不当な扱いを受けているのが納得できなかっただけです。そのボタンの掛け違いを正す努力はしてきました。いままでにお伝えした事柄は、その過程でたまたま知ったり入手したモノに過ぎません。
..そしてWは外に出た。
W :そうだ。Uさん、見つからなかったようですね。どういう事でしょう?
ウーパ:分からんよ。この事件、つかみどころが無い。まるで幽霊を相手にしている気がする。YにしろUにしろ実体がない。
W :そーですねー、なんといっても「夢幻」の住人たちですから。で、奥さんはまだ意識が戻りませんか?
ウーパ:ああ、まだだ。話せるようになれば多少の進展はあるかもな。
W :ま、がんばってください。いつか、笑って話せるときもありますって。
..午後3時を回ってWは部室を覗いた。(登場人物)

..部屋には、Bちゃんの他にMと1年男子がいた。
M :あーあ、ざんねん。
I :イギリスかー、いいなー。
W :何の話だ?
B :Dちゃんです。えーっと、先輩、Dちゃん知ってましたっけ?
I :情報メディア科1年の女子で、かわいい子ですよ。
W :そのDちゃんが、 どうかしたのか?
B :彼女に熱くなってる男どもがいるんですけどね。Dちゃん、お父さんがイギリスに単身赴任中なので、当分そっちに行く事になったんです。
..そこへ、
Q :ちぃわーす。
..Qが入って来た。普段のQだ。さすがにWも混乱した。
W :
I :遅いよ。
Q :なにが?
I :さっきDちゃんが来てたんだぞ。
Q :えーっ!、会いたかったなー!
..Bは、それとなくQを睨んだ。<クッさい芝居!>
Q :どんな子なの?誰に似てる?
..Iは助けを求めてBを見る。Bは知らん顔だ。
I :そうだなー…「しずかちゃん」かな?ドラえもんの。しずかちゃんが大きくなったら…って感じ。そうだよね、Bちゃん?
B :<知るか!このロリコンども!>
N :「しずかちゃん」がどうしたって?まだ昨日の続きやってんの?そんなにイモリが欲しいなら、農大に友達いるからもらってやろうか。どうせ黒焼きにするんだから解剖したヤツでもいいよね。
..Nが入って来た。
B :Iくん、そういえばアンタ「のび太」に似てるよ。
Q :ほんとだ。メガネしたら、きっとそっくりだぜ。
..QとB・Nは大声で笑う。
M :ね、ね、次の公演さ、「ドラえもん」がいいんじゃない。
..Wを除いて全員「おー」という表情だ。
M :「のび太」はいるし、「しずかちゃん」はLちゃん。
Q :じゃ、オレ「出来杉」。
N :どこが?
..みんなの目がQに集中する。
M :「スネ夫」は?
N :アンタにきまってるでしょ。
B :わたし、「ジャイ子」はいやだかんね。
I :肝心のドラえもんは?
..わいわいと話しは続いた。Wはそっと抜け出した。歩きながら情報工学科の知合いに電話した。Uの画像処理は、あした昼過ぎから手をつけるつもりだと言う。もう2時近い。空腹は感じている。学食はもう昼時間が過ぎた。<カフェテリアでミートスパにするか>と方向を変えた時声をかけられた。肩からカメラを下げた、40くらいの男だ。堅実なサラリーマンという感じではない。ルポライターだと自己紹介した。Wの心に黄色い灯が燈る。
ライタ:この前、法事のときは逃げられた。パトカーを使うなんてズルいじゃないか。
W :<あのときいたのか>何か用ですか?
..歩みは止めない。
ライタ:こんな記事を書いたよ。来週の週刊「バクロ」に載る予定だ。
..記者はプリントを出した。Wは無視して歩く。
ライタ:きみの事も少ーし書かせてもらった。
W :
..Wは立ち止まった。すかさずライターは記事を押し付ける。
ライタ:意見をうけつけるよ。良心的だろ?ただし、今日中だ。あ、発売まではオフレコだからそのつもりで頼むよ。
..そして名刺を記事の上に乗せた。
..Wはプリントに眼を走らせる。


.....Wという名のブラックホール!
.....作られた黒い真実!


..見出しとともに、W、学生服の若者3人が並んだ写真が眼を引く。Wの写真は葬式のときに撮ったと思われる。
W :これは!…
..言葉が出ない。
ライタ:写真には、目隠しするから安心してくれ。
..読む気にはなれないが、若者の写真がWの注意を引いた。それと気付いたライターは中央の生徒を指す。
ライタ:こいつがリーダーのタカシだ。
..Kaitoのアルバムでは、いじめグループの3人の顔はカッターで傷ついていた。だから初めて顔を見た。
ライタ:知ってるよな?
..そしてライターは2〜3の質問をしたが、Wは沈黙を守った。
ライタ:やれやれ黙秘か。ま、じっくり読んでみてくれや。今日中な。
..ライターは去った。カフェテリアでWはぼーっとしていた。ミートスパを頼むのも忘れていた。胸の中で疼くものがあるのだ。<あの写真…何だろう?>心の皮膚の下で何かが蠢いている。それは嫌な予感に繋がる。今にも皮膚を食い破って飛び出して来そうな予感だ。それも、とてつもない禍々しいモノが飛び出してくる。記憶を手繰る。いじめメンバーの写真を見るのは初めてのはずだ。だが、なぜかそんな気がしないのだ。<ぼくはタカシの顔を知っていた。どうしてだろう?>
..店員に催促されてようやく注文した。口に運ぶが殆ど味がしない。結局この日一日その気分をひきずったままだった。


..Uの奥さんが目覚めたのは翌々日(27日・土)だった。ウーパー刑事から電話連絡がはいった。夕食後の時間帯をねらって、Wは面会に出向いた。ナースステーションで見舞い客の状況を聞くと、警察と区役所の他には誰もいないという。「ご主人も動けないんですか?友人はいらしゃらないのですかねー」と若い看護師は首をひねる。目覚めて早速ひと悶着あったようだ。入院当時、区役所に現住所と名を告げても、該当する人物が居ないとの回答だった。「どこの誰か。保険は国保か厚生か共済か」分からない事には病院も困る。話したがらないのを殆ど脅して、ウーパーたちがようやく聞き出す事ができた。判明したのは、「住所は移していない。以前のK区のままだ。Uとの婚姻関係はない。従ってUは本名ではない。妻の役を頼まれただけだ」ということだった。
W :大変な目に遭いましたねー。
..Wは折り畳み椅子にかける。奥さんは頭に包帯をしているが、外傷はたいしたことないようだ。
u妻:ああ、名探偵さん。わざわざ来ていただいて申し訳ありません。わたしもお会いしたかったんです。
W :ぼくに?何かお話しでも?
u妻:ええ、あなたに全てを聞いていただきたいんです。そして教えて頂きたいのです、本当はなにが起こっていたのかを。わたしが思いますのに、原因はあなたではないかという気がします。
W :?、どういう事でしょう?
..奥さんはゆっくり思い出しながら永い話しをした。以前はK区のアパートで一人暮らしをしていた。スーパーのレジやビルの清掃などをしていたのだが、生活に余裕などなかった。そして一月半ほど前、仕事仲間から「楽で実入りのいい仕事がある」と声をかけられたのだ。妻ではなく、「妻役を受けるヒト」を探しているという。ただし条件に合うヒトがなかなか見つからないの困っているらしい。条件というのは、45歳前後で健康な女性だが、親兄弟・子供が無くできれば親戚づきあいも無いヒト、さらに望むなら知人関係も希薄なヒトだという。簡単にいえば「天涯孤独」な人物がいいらしい。そして奥さんが条件にあった。普通に家事をして、夫婦のように振舞ってくれれば、それだけでいいという。
u妻:なによりも…
..奥さんは声を落とす。
u妻:お金が良かったんです。それだけで週に3万円なんです。もちろん生活費など私が出すわけじゃないので、なにもしなければ、その分がそっくり手元に残ります。こんないい話しないでしょ?
..Wは頷く。
W :それで、本名は何とおっしゃるんですか?
u妻:スズキです。エツコ。
W :エツコさんですか。で、結局引き受けられた。
u妻:ええ、天涯孤独の身ですもの。万が一何があっても迷惑かける者もいません。お金に惹かれました。
W :ご主人のUさんも現住所の届けが出てないようですが…
u妻:たぶん、Uというのは本名じゃありません。
W :じゃ、どこの誰かはご存知ではない。
u妻:ええ、最初に釘をさされました。「自分のことを詮索するな。これから見聞きする事を決してヒトに話すな」って。それで、あのヒトどうしました?まさか焼け死んだんじゃ?
W :いえ、死んではいないようです。現場で遺体は出ませんでした。
u妻:そうですか、いえ、そうでしょうね。ストーブが火を噴いて、わたしが大声で叫んだらすぐに飛んできたんですけど、そのときは、もう火が周囲に飛び散って凄い状態でした。ああ、言い忘れてましたけど、あのヒト、どこも悪くありません。もちろん普通に歩けます。それであのヒト、台所の方へ引き返すとすぐにガラスが割れる凄い音がしました。きっと窓を破って外へ逃げたんだと思います。わたしもとにかく驚いていたので、這うようにしてドアーへ向かうのに必死でした。そしてサンダルに足をつっこんだのですけど、ちゃんと足が入っていなかったんでしょうね、ドアーを開け踏み出そうとしたら転んで車椅子に頭を打ちつけました。
W :そうですか。やっぱり歩くことができた。で、どうしてぼくと関係があるのですか?
u妻:ずーっと後になって分かったんですけど、相当に以前から、Uはあなたの事を探っていたようなんです。何故かは知りません。それで、Qさんをマークすることにしたようです。彼をチェックしていればあなたの行動が分かる--そういうことらしいです…fha…
..奥さんの息が少し乱れてきた。<いきなり長話しをさせてしまったかな>
u妻:で、あの日…ほら…あなたが…会見でテレビに出た日…わたしが…Uと暮らし始めて3〜4日後…ですけれど……テレビを…見ていたUが…突然「あした『むげん荘』に引っ越す」と……言いました……fha…fha…
W :もういいです。ちょっと休んでください。ごめんなさい。いきなり無理をさせてしまいました。
..<これ以上は無理だな>とWは判断した。
W :看護師さん呼びましょう。
..Wは呼び出しボタンを探す。
u妻:あ、いいです…ちょっと休んでいれば…落ち着きます。
..様子を見てWはボタンを戻した。奥さんは落ち着いてきたようだ。
W :なにか不自由してませんか?ぼくでできることなら、何でもおっしゃってください。
u妻:あのー、冷蔵庫は燃えました?
W :?、冷蔵庫は燃えないと思いますけど…
u妻:そうですよね。
..奥さんは笑った。
u妻:冷蔵庫の中身です。
W :中味ですか…見てないです。
u妻:いえね、万が一を思って、ドライフルーツのタッパーの底に少しばかりの現金や預金通帳・ハンコなど隠してあるんです。わたしのミニ金庫。…ドライフルーツには、Uは手を出さないですから。
W :そうですか。それが燃えてしまったか気になるんですね?
..Wはその調査を約束した。
W :また来ます。元気をだしてください。
..帰る道すがらウーパーに電話して、冷蔵庫について訊いた。冷蔵庫内部は熱で変形していた。タッパーも形が変ってしまったが燃えずに残っているという。Wも安堵した。<そうか、あの奥さん身内の無い天蓋孤独なのか>Wの奥さんに対する見方が少し変わった。


..そして1週間が過ぎた。文化の日、WはQを尋ねた。
W :どうだ?ひとりぼっちで寂しくないか?
Q :うん。さすがにちょっとさみしーッス。
..3日前、家主から突然告げられた。
ヤヌシ:しばらく旅に出ることにしました。留守の間よろしくお願いします。
..そして、どうしても必要なときは使ってくださいと本宅の鍵を渡された。
Q :えー、どのくらいですか?永いんでスか?
ヤヌシ:分かりません。半年か、もしかしたら1年になるかも。
Q :
ヤヌシ:あなたがよければ、引き続き部屋を使ってください。わたしが帰るまで部屋代はいりません。お留守番代です。
..そしてQは一人になった。本宅の屋敷と庭に畑、そしてアパートの敷地は、かなりの広さがある。都会の中の無人島に置き去りにされた気分だ。 とくに夜は、<地球上に生き残っているのはオレだけ?>という気分になる。
W :そうだなー、この広さはちょっと広すぎるよなー。
Q :で、せんぱい、今日は特別な用があったッスか?
W :いや、事件は未解決だけど一段落したようだし、ここらで「むげん荘お別れ会」でもやろうかと思ってな。
..Wはいつものバッグとは違ってリュックだった。そのリュックをぽんぽん叩いた。
W :アルコール・食べ物は用意した。
Q :いいッスねー!やりましょ!先に言ってくれればオレが用意したのに!
W :いつもキミにごちそうになっているからな。今日はお返しだ。と言っても、たいしたモノは用意してないぞ。
..そして二人は「むげん荘」前に板を並べて敷き、ブロックを足にテーブルをしつらえた。急拵えの宴会場だ。
W :かんぱーい!
Q :さよなら、むげん荘!成仏しろよー!
..缶ビールで乾杯する。落ち着いたところでWが厚手の封筒を取り出し、焼け跡近くに小石で固定して立てた。
Q :それ、なんッス?
W :これは「むげん荘」の墓標だよ。中にありがたーい文句が書いてある。
Q :へ?
..それは昨日Wに届いた。母親が「おまえ、外人の友達でもいるのか?」と手渡した。裏を返す。
..a resident of Mugen Hell
..見ただけで「家主」だと分かった。


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..お手紙拝読いたしました。「Ё殺害事件」に関して、あなたの卓越したご指摘にただ驚いています。そしてまずは、わたしの生い立ちから話しを始めなければなりません。長くなる事を先にお詫びいたします。
..わたしの先祖は、遠い時代からこの地で暮らしていました。代々に渡ってこの未開の原野の開墾を続け、一族が集落を作っていました。しかし、明治になって東京が都市として近代化しますます発展していくのに伴い、職を求めたり新しい生活様式に憧れたりして離散していったようです。そしてその都度手放した土地が我が家のものとなりました。この辺りの土地に値がつくのは、ずっと後のことで、ただでくれるといっても貰い手のなかった時代です。太平洋戦争の始まる頃には電車も随分発展し、一族のほとんどが利便性がよく快適な土地へ替わっていきました。こんな、地図の空白地帯で手作業で大根を作る生活をしているのは、我が家くらいのものでした。結局我が家に、誰も見向きもしない広い農地が残されることになったのです。
..そして戦後徐々に状況が変化しました。東京は膨張を続け、鉄道の線路が伸び、自動車が急速に増加しました。それに伴って、いわゆる新興住宅地が拡大していきました。わたし自身は知りませんが、東京オリンピックがその頂点だったようで、父も「いい時代だった」と漏らしていました。戦争と飢餓を経験した世代には、その繁栄は驚天動地のできごとだったことは想像に難くありません。
..さて私ですが、昭和晩期52年(1977)の生まれです。この頃までに近隣には多くの土地成金が誕生していました。そして徐々に我が家にも金色夜叉の触手が伸びてきていました。まだ小さい頃の記憶に、見知らぬ男たちが入れ替わり立ち代り現れていたのを覚えています。その頃の両親はいつも機嫌が良く、わたしが小学校入学の時にはとうとう我が家にも自家用車がやってきました。いくら車社会になったとはいえ、自分の家にピカピカに輝く自動車がある状況を考えてもいませんでした。カラーテレビを初め、電化製品が家の中に溢れていきました。どうやら父は甘言に乗って、土地の一部を売却したようでした。それは農地の端の、全体の1割にも満たない僅かな分でしたが、我が家の生活を一変させるには充分だったようです。が、その経験が両親のタガを緩めてしまったのかもしれません。着飾って、美しく化粧した母親とデパートで買い物をして食堂のオムライスを食べる、そんな生活が段々普通になっていったのです。
..そして運命の昭和62年(1987)がきました。わたしは10歳でした。ある秋の夕方、応接間から悲鳴とも罵声とも聞こえる声が響き渡りました。父が何か怒鳴っているようでした。かつて一度も父の怒り声を聞いたことがありません。庭で弟・妹とオニゴッコをしているときでしたが、ただならぬ緊張を感じました。が、何が起こっているのか理解できるはずもありませんでした。その晩から一家を重い空気が覆うようになりました。あんなに機嫌の良かった両親の笑顔は消え、いつもヒステリックな表情と言葉が満ちる家に変ってしまいました。ご推察どおり、この時父は土地を騙し盗られたのです。土地を手放す事に祖父だけは一貫して反対していました。この出来事は大きなショックでした。以来祖父は無口になり塞ぎこんでしまいました。子供のわたしには詳細はわかりませんが、父は打開のため奔走したようです。警察にかけあったり、弁護士に依頼したり、考えられる限りの努力をしました。が、思わしい結果は得られませんでした。
..騙しの手口はよくある単純な方法でした。「マンション建設計画をしている会社が土地を探している。ここなら7億円になる。現金化すれば利子だけでも裕福に暮らせる。このまま眠らせておくのはあまりに惜しい」と甘い言葉を掛け続け、さらに「マンション建設準備に資金がいる。銀行から融資をうけるために土地の仮登記をする必要がある」ともちかけてきました。すっかりおいしい方に頭が傾いていた父は、司法書士などに相談することもなく応じてしまいました。そして何日か後、別の不動産屋が登場し「この土地は、わが社の物だ」と宣告したのです。そしてその担当者がЁ(ヨー)でした。
..後は悲惨な状況でした。おかしくなった父は、農薬を飲みました。もっとも、それもЁにそそのかされての事だと母は言っていました。「アンタに1億の生命保険をかけてある。死ねば家族は助かる」と脅したというのです。それが事実かどうかは分かりません。ただ、母はそうやって納屋で無理矢理農薬をのませたと信じていました。ほどなくして母も精神状態に異常をきたし、廃人(禁治産者)となってしまいました。10歳のわたしを先頭に、幼い弟・妹が路頭に迷う事になったのです。弟・妹は別々の親戚に引き取られ、わたしは施設にはいることとなりました。その時の、内臓が全て欠落してしまったような喪失感を忘れる事はできません。それは、おそらく弟・妹も同じだったろうと思います。ただ、それでも妹には幸がありました。引き取った叔母は、まだ若かったのですが子供ができませんでした。それで、最初から妹を養子にしてくれましたし、それは可愛がってくれたようです。かわいそうなのは弟でした。相当つらい思いをさせられたようです。3年後に亡くなるのですが、後で知った死因は栄養失調による衰弱のようでした。こうして書いていても、内臓の奥から怒りとやり場の無い悲しみが噴出してきます。
..わたしは中学卒業と同時に施設を出ました。無口なかわいげのない少年になっていました。が、苦労した分知恵だけは同年齢の子供たちより遥かに多く身につけていました。施設での5年間、わたしはひたすら考え続けました。将来をどうやって生きていこうか、と。そして、中学3年になったわたしは、親の資産が可なりな部分残っているはずだと思い至り、自ら行動を起こしました。役所や弁護士を積極的に尋ね、親戚から多くを取り戻しました。そして決心したのです--卒園したら家に戻り一人で生きていこう。
..15歳の春、わたしは希望通り家に帰りました。そして高校に通いました。中3のとき「家に戻って高校へ行く」と決意していたので、必死に受験勉強をしていました。そして志望の高校に合格していたのです。一人で生きていかなければならない状況が、日々の生活も勉学も真剣に向かわせることになりました。自分で言うのもなんですが、わたしほど真剣に生きた若者は、そんなにはいないと思います。もちろん、卒園後のわたしを見かねて、「ウチに来い」と声を掛けてくれた親戚も少なくありません。でも、わたしは、誰も信用しませんでした。遠慮して肩身の狭い思いをするくらいなら、一人の方がよほどましでした。それに残された資産を誤魔化されてしまう惧れもありません。掃除・洗濯・衣類管理などの家事が面倒だろうというヒトがよくいます。でも自分を大切にして「それが生きる事なのだ」と慣れてしまえば、別に気張らなくてもごく自然に行動ができます。高校ではヒトと同じように部活も楽しみましたし、大学受験の準備も怠ることなく進めました。ですから、結構忙しく楽しく暮らしていました。その頃の楽しみは幾つかありますが、一番は妹に会うことでした。この叔母さんの家にだけは、年に何回か出かけました。なによりも、女らしくなった妹が暖かい家族の中で笑って暮らしているのを実感することが、嬉しかったのです。時には妹が家へ来る事もありました。高校の間に何度かは女友達を伴ってきた事もあります。そして、弟の命日には、毎年二人で墓参りに出かけることにしています。
..申し訳ありません。長くなってしまいました。肝心のЁについて、話を戻します。それは、大学3年のとき(平成10年・1998)でした。全くの偶然で、青山の通りでЁに出会ったのです。タクシーを降りるところでした。その顔を忘れるわけがありません。わたしはその日Ёの跡をつけました。そして池袋で不動産会社を経営していることなどを知りました。その日から、わたしはЁの調査を続けました。父が依頼していた弁護士も尋ねました。弁護士は事件のことをよく覚えていましたし、当時の資料も残っていました。それらを再検討して「やっぱり首謀者はЁだな」と二人の結論がでました。Ёは当時中堅の不動産会社に勤めていましたが、搾取を計画し、同業他社の何人かを巻き込んで独断で実行しました。そして莫大な資金を手にした後独立し、その者たちと会社を設立したのです。
..弁護士も努力してくれましたが、わが国の法はЁを裁くことができませんでした。その毒牙に掛からなければ、わたしの家族は平凡に豊かな人生を送っていたはずです。でも現実には、父は農薬を飲み、母は人間失格し、幼い弟は餓死させられました。妹とて寂しい思いもしたに違いありません。全てЁという禍々しい存在のせいです。これだけの罪を犯しながら、法で裁くことができないなら、あなたならどうされるでしょう?
..いま羽田空港にいます。妹が見送りに同伴してくれました。搭乗まで時間が無くなってきました。最後まで続けることはできそうにありません。妹が搭乗口で手を振って呼んでいます。投函は妹に託し、続きは異国の空の下でゆっくり落ち着いてしたためます。取敢えず急ぎ出国いたします。
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W :なあ、これ、この後どうするんだ?
..Wが焼け跡を見上げる。補強した鉄骨部分と、3つの外階段はそのまま残っている。下から見上げると、中空に伸びる階段は、生き物が3匹立ち上がろうとしているかのようでもある。特に3階物置に通じていた階段は、邪魔するものが無くなって一層高さを増したようでさえある。
Q :近い内に業者が片付けに来るって、家主さん言ってたッス。そうすると、全くの更地になってしまうんスね。なんか、おしーいスよ。
W :惜しい?
Q :だって、ほら、階段が生き物にみえないッスか。アートなオブジェだって言われればそう見えるッス。
W :ほんとだな。特に無意味に高い物置階段なんか、天国への階段だ。
Q :「夢幻」から「天国」へ---やっぱ、あの家主ロマンチストだったんだ。
..声を揃えて笑った。
Q :そうそう、こんな物が家主さんの玄関に張ってあったッス。
..Qはスマホを取り出す。墨書した半紙のようだ。Wは覗き込む。


....百代の過客は人を待たず
....アンデスの風月まづ心にかかりて



......行く秋やQ泣きYの眼に涙


...........................破"笑



..Wは思わず爆笑した。
Q :このQってオレで、Yは「小百合お姉さん」なんスか?
W :家主さん、なかなかユーモアがあるじゃないか。それに、思いやりも。
Q :どうして?
W :Yさんもキミとの別れがつらかったんだよ。
Q :そうなんッスか…じゃ、また会える?
W :それはないだろうな。
Q :アンデスへ行ったんッスか?
W :どうかな…地球の「奥の細道」を辿るつもりかもな。ところでUさんの写真確認したか?
..Wは、処理を依頼していた写真の拡大版をQに送っていた。
Q :見たッス。Uさんに100%間違いないッス。けど、一人で立っていたッスよね?火事場から自分で逃げ出したんなら、歩けたってことッスよね?
W :そのようだな。奥さんの見舞いに行ってないのか?
Q :行かなきゃって思ってるス。あしたには行ってみるス。
..そしてWの視界に見慣れた車が入った。近くに止まると、ウーパーがポリ袋を下げて降りてきた。
Q :あれ?刑事だ。
..Qは緊張する。
ウーパ:やぁ、やってるね。
..ぎこちなく、ウーパーなりに笑顔を作った。
W :車ですか?歩きでと言ったのに。
..QはWを見る。
ウーパ:きょうも仕事でな。この後もヒマじゃないんだ。
..そしてウーパーはポリ袋をQに出した。
ウーパ:これ、以前に押収した君の服だ。ありがとう。返すよ。それから、今回の事件ではいろいろ不愉快な思いをさせたと思う。申し訳なかった。謝るよ。
..ウーパーにしては、妙に神妙だ。Wは心で笑って見ている。
ウーパ:キミの嫌疑は晴れた。Yの単独犯行と決まった。二度と不快な思いをさせることは無い。
W :ま、座って一杯やりましょうよ。車は置いていけばいいじゃないですか。
ウーパ:そうしたいところだが、そうもいかんのだよ。
W :で、捜査本部は?
ウーパ:解散した。
..ウーパーの表情が渋くなる。
ウーパ:後は所轄が少人数で捜査に当たるが、これ以上何かが出るとは思えない…君の予言どおり「お宮入り」かもな。
..肩の落ちたウーパーは引き返した。
Q :せんぱい、刑事さん呼んだんッスか?
W :ああ、ここらでキミにちゃんと謝って説明した方がいいと言ったんだ。
Q :そースか。
..少し陽が傾いてきた。Wは思う--<「事象T」は解明された。残るは、「事象U」だな>
Q :忘れてた!
..Qが大声を出した。
W :なんだ?
Q :刑事にカツ丼、請求するんだった。
W :はは、まあ許してやれ。あれでも彼には精一杯の謝罪だ。
..風が冷たくなってきた。そろそろ宴会場を撤収しようかと話していると、愛らしい車がやって来た。二人の視線が釘付けになる。運転席から若い女性が降りて来た。近づいてくる。
Q :Ghe--i!
..Qが、いきなり踏みつけられた蛙のような声を出した。
W :!?
Q :Y--?---小百合さん?---お姉さん!
..女性は真っ直ぐに向かってくる。
Q :Yさんだ----小百合お姉さーん!
..Qは立ち上がった。Wは、眼を見張る。
W :これが…これがYさんか…?<じゃ、家主は海外へ行かなかった?なんのために戻って来た?>
オンナ:こんにちは。
..女性はすぐ傍までくると微笑んで頭を下げた。
Q :お姉さん!どこ行ってたんス。いままでどうしてたんッスか?!
..fhofhofufu、女性は朗らかに笑う。
オンナ:ということは、あなたがQくんね、つまり「たんぽぽちゃん」。そしてこちらが名探偵Wさん。
Q :
オンナ:あなた方のことは、ここの兄からよく聞いています。わたし、妹です。
W :家主さんの妹さんですか?
サユリ:はい。小百合と申します。お二人の事は兄からよく聞いてますので、なんだか、以前からのお知り合いのような気がします。
Q :ウッソー、Yさんスよね?
W :立話しもなんですから、お掛けください。
..Wはクッションを薦める。
W :お兄さんは海外に行かれたようですね。
..家主の手紙から判断すると、30才になるかならないかのはずだ。<このヒトも辛酸をなめさせられた…>
サユリ:ええ、前から考えていたようですけど、今回こんなことになって決心したようです。
Q :だけど、ビックリしたー。ほんとにYさんそっくり!それに名前まで同じだなんて。
サユリ:Yという方の源氏名は、兄が私を思い出してつけてあげたそうですよ。
W :そうだったんですか。で、今日はどんな御用で。
サユリ:火事でアパートが焼け落ちたとは聞いていたんですけど、なかなか来られなくて。片付ける前にどんなことになっているのか見ておこうと思いまして。あなたがたは?
Q :「むげん荘」お別れ会ッス。
サユリ:そう。優しいのね。
W :あのー、失礼かとは思いますが、ご結婚は?
サユリ:していません。時のたつのは早いですよね。ばたばたしている内に気付けばもう30になります。
..そして小百合は鉄骨を見上げた。
サユリ:いろんな事があった30年でした…個人の力では、人生って選べるようで選べないものですよねー。
..その日小百合は本宅に回り、二人は宴会場を撤収すると駅へ向かった。そして例の居酒屋に落ち着いた。
W :あした、Uの奥さんの見舞いにいくのか?
Q :やっぱ、一度は行っておいた方がいいッショ。
..Wは見舞いに都合4度訪れている。その間にいろいろ聞き出した。入居して間もなく、Uは隠し階段とその開錠法を見つけたらしい。それでQの部屋に早速盗聴器を仕掛けた。電話での会話などを録音したという。
u妻:越す前日にアパートを下見に出かけたんです。それ以前にQさんが越したことは判ってましから。それが「むげん荘」て名前なので驚いたようでしたよ。
W :驚いた?なぜでしょう?
u妻:分かりません。ただ「むげん」という言葉に拘りがあるらしいと感じました。
W :気に入ったという事ですか?
u妻:いえ、むしろ一番嫌いな言葉なのかなーって感じでした。凄く不快な顔をしてましから。
..Wが回想に耽っているとQが続けた。
Q :見舞いには何がいいッスかねー。果物、花、やっぱお金ッスよね。
W :ああ、そうだな。
..Wは現実にもどる。そして奥さんの概要をQに伝えた。
Q :へー、夫婦じゃなかったんスか。なんか訳ありだなとは感じてたんス。
W :それからキミの部屋の盗聴器な。Uさんがつけたものだった。
Q :なんで?なんでUさんがオレに興味あるんスか?
W :分からない。
..盗聴器については、奥さんは何も知らないようだった。Qは手羽先を頬張ってもごもごと言う。
Q :驚いたッス。あの妹の小百合さん、ほんとーにYさんそっくりなんだもん。
W :確かに美人だったよな。
Q :でも、よーく見たらやっぱりちょっと違ったッス。妹さんの方が若い感じッス。
W :キミには良かったじゃないか。「小百合姉さん」が戻って来たんだから。<妹が「小百合」の実体で、兄がその虚像か…似ていても不思議はない>
Q :うん。「いつでも遊びにいらしゃい」って言ってたッス。けど、せんぱい、どうして結婚のこと訊いたッスか?
W :あの小百合さんも両親を失い、家主さんと同じで修羅を越えてきたヒトだ。兄弟の中では一番幸運だったようだけどな。だから、今は結婚して幸せに暮らしているのかどうか、気になった。
Q :そースか。小百合さん、「たんぽぽちゃん」にも会ってみたいって笑ってたス。こんど本当に行ってみよーかな。
..Qは本来の明るさを取り戻したかにみえた。
..帰りの電車で、Wの視線を引いた物があった。「W」の文字が視界の隅で存在を主張している。頭上の吊広告だ。週刊「バクロ」が今日発売だ。トップの見出しは、女優のスキャンダルらしい。「…のマンションから朝帰り!」大きな文字が眼を引く。それより遥かに小さい複数の見出しに紛れて「Wという名のブラックホール」が飛び込んできた。Wはしばらく無言で見つめる。<一週遅れになったか…買ってみるか…いや、無視だ>そして、あの嫌な予感が蘇る。<タカシを知っていた…どこかで会ったか?>思いだせない。どうにも落ち着かない。


..10日ほどは、変ったことも無く過ぎていった。強いて言えば、サークル部員のMが週刊「バクロ」の記事に気付き部室に持ち込んだことだ。記事の趣旨は、Kaito事件の物証である「ニシンの缶詰のラベル」は、「悪意のある創作」という内容だ。「Wが捏造した」とほぼ断定していた。その根拠として、タカシ一家は皆ニシンが嫌いで食べないとしていた。「自殺である可能性が高く、無実の高校生を殺人犯人とした罪は大きい」と結んでいる。その話題で部室は一日騒然とした。Wは沈黙を決め込むことにした。
..もう一つは、ウーパーからの電話だった。
ウーパ:目撃者が出たぞ!
..Ё殺害事件時刻ごろ神社を訪れていた者が現れたという。神社の杜にはムササビが居て、過去にもその飛翔する姿を見た者がある。そんな怪しげな噂が時々蒸し返される。話しを聞いた殆どの者は否定的だ。「こんな都会の小さな杜で生きていける訳がない」と。が、年に何人か確かめようとする物好きがでてくる。そして事件時刻に神社を訪れ写真を撮った者が居た。それに人影が写っているというのだ。そして、その日の夕方Wはウーパーとコンビニ駐車場で落ち合った。
ウーパ:目撃者は、撮ったときにはヒトには気付かなかったらしい。
..ウーパーは写真を見せた。夜の杜だ。とにかく暗い。ただ木々の向こうに街明かりがあり、それを背景に2人の人影らしきものが写っている。言われなければ、人影とさえ思わないだろう。そしてさらにその奥に横腹を見せた車が一台あり、2人が乗り込もうとしているところらしい。遠距離の上、あまりにもボケていて殆ど何も分からない。が、撮影日時は入っている。
W :この1枚だけですか?
ウーパ:残念だけどそれだけだ。目撃証言によると男女の印象を受けたらしい。男が女を引き摺るようにせかして急いで去って行ったそうだ。
W :画像解析は?
ウーパ:ああ、いろいろやってみたが、分かることは何も無い。車種を決定するのも無理だった。これだけボケてちゃなー。一応車のあった辺りを現場検証してみた。日にちが経っているんで特に収穫はなかった。
W :そーですか…でも、この2人が犯人とはかぎりませんよね?全く無関係なヒトたちかもしれないし。
ウーパ:そうだ。けど、もし犯人だとしたら単独ではなく、2人だったことになる。その場合女はYとして、男は誰なんだ?
W :2人が犯人ならY単独説は消えます。「振り出し」に戻りましたねー。
ウーパ:
..Wは思考を巡らす。<「女がYで男が家主」は、ありえない。その場合男は誰だ?あるいは、男が家主なら女はだれだ?>
ウーパ:この事件、一応ぼくの手を離れたんだけど、解けないことにはどうにも落ち着かない。
W :他に新しい情報はないですか?
..ウーパーは手帳をめくる。
ウーパ:ああ、事件とは関係ないが、家主が自損事故を起こしてる。えーっと、いつだったかな?12日の夜8時半ころだな。
W :12日、8時半…ほとんど事件時刻じゃないですか?
ウーパ:そうだな。
W :詳しく分からないですか?
ウーパ:それは所轄に聞いてみないと…ぼくは、後で事故があったって聞いただけだから…
..言いながらウーパーはスマホを取り出す。どうやら所轄の交通課に問い合わせているようだ。しばらく時間がかかった。事故現場は、「むげん荘」近くのコンビニの交差点だ。家主が自転車と接触しそうになり、ハンドルを切って電柱に車体をこすった。驚いた自転車は転倒し、かすり傷を負った。その場の通行人が警察へ連絡したのだ。結局衝突した訳でもなく、自転車は無灯火の過失があるということで、その場の示談で済んだ。
ウーパ:なんか、よほど急いでいたらしい。
W :家主さんに、その時他に変った点はなかったですか?
ウーパ:どういうことだ?
W :つまり…着ている物がひどく悪趣味だとか…変なカツラをつけていたとか…
ウーパ:何が言いたい?担当者はそんな事言ってないぞ。
..Wの脳と心が晴れ上がった。<分かったぞ。写真の男は、間違いなく家主だ。となれば、女は…>
..帰宅すると「また来たよ」と母からエアーメールの封書を渡された。
ハハ:お前、まさか外国人の彼女がいるんじゃないだろうね?言葉の通じない嫁さんなてかんべんしてよー。
..母は本気で心配している。「家主」だった。


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..前略 いまマチュピチュを見下ろす山にいます。表現する言葉が見つからない不思議な気分です。鳥の声、風の音が私を浄化してくれます。わたしは、まるで生まれながらの善人であったかと錯覚するほど爽やかな気分です。そして、ようやくわたしのしでかした凶行の全てを告白する気持ちに至りました。
..あなたのご指摘は殆ど的中しています。Ё(ヨー)を殺害したのはわたしです。動機についてはいまさら説明の必要もないでしょう。わたしはЁを抹殺するためにだけ生きて参りました。そして今目的を達成し晴れ晴れとしていますが、完璧に晴れ渡るわけではありません。失った両親や弟の幸福な時間はどうやっても取り戻せません。無くした財産が生んだだろう、有意義な人生が蘇るわけもありません。それは、Ё一人の命くらいでは引き換えにできないものです。言い換えれば、わたしの罪は既に家族を挙げて「前払い」させられており、そしてその害はまだ続いています。プラス・マイナスで言えば、Ёの死で零にはなりません。一家の不幸は継続しています。まだまだЁは償いを続けなければ零に近づかないのです。ですが、こんな事をいくら繰り返し主張しても、所詮は「詮無いこと」です。この廃墟に佇んでいると「忘れろ。それが人の叡智だ」という声が聞こえてきます。
..さて、なぜ私が女装を選んだか、疑問に思われているようです。まだ3〜4年生だった幸せの絶頂のころ、妹は4〜5歳でした。そしてチビっ子のわたしにふと疑問がおきました--妹の服は明るい綺麗なモノなのに、どうしてぼくはいつも黒・青・茶なんだ?そして母親に「いつも灰色ばっかりイヤだ」と訴えました。もちろん格別に深い意味があったわけでも、考えた訳でもありません。が、聞いた母親は、ちょっと驚いたような顔をし笑いだしました。「男の子でもそう思うの?」と小さな反撃に納得したようでした。それから母の買ってくる洋服は、色やデザインが豊かになりました。もっとも、時代も豊かになり、商品のバリエーションが増えていく社会情勢も影響していたのだと思います。弟は、わたしのようには気にならなかったようで、むしろ黒っぽい服を着ていました。ある初冬の日曜日、お出かけに母が用意した服は、わたしと妹は、サイズだけ異なる全く同じデザインのパンツルックでした。もしかしたら母も考えるのが面倒になり、男女どちらでもよさそうな無難な物を選んだだけかもしれません。出かけた先は、子供劇場でした。当然大人より小学生以下の子供の方が多く、賑やに溢れていました。そして母はロビーで知り合いに声をかけられました。話題は子供のことになり、そのオバさんが言いました。「あれ?女の子二人だった?」母は笑い、兄弟を紹介しました。「間違えてごめんね。だって可愛い顔しているもの、女の子かと思ったわ」とオバさんが言いました。事実、わたしはクラスでも小さい方でした。着ている物に関わらず、女の子っぽく見えていたのかもしれません。高校生くらいになった時、わたしなりに自己分析をいたしました。そして気がついたのは、「女になりたい訳ではない」、「女の子に異常に関心がある訳ではない」、「美しい形、存在に強く惹かれる」ということでした。その性癖がヒトより可なり強いらしいと思い至りました。母の部屋には、衣類・アクセサリーなどがそのまま残っていました。時には部屋中にそれらを広げ、美しい光景に浸るのが好きでした。
..Ёの抹殺計画を立てる中で、その性癖が顔を出しました。<美しくなってЁを惹き付け、じっくり確実にしとめよう>という方向に固まっていきました。絶対失敗しないために、青山で出会ってから実行まで、なんと14年が経過しました。そのために、アパートを装った建物まで作りました。元々は、叔父の農家と納屋の別々の建物でした。改築の本来の目的は、Yへの変身とЁの監禁です。そのために、2棟の間にご指摘の「隠し階段」を設け、3階物置には防音の小さな監禁室を作ったのです。アパートにしたのは、見知らぬ者が出入りしていても、近所のヒトに不審に思われないためです。「むげん」には、ここがЁの無間地獄になるというわたしの強い願いを込めました。
..Ёを惹き付けるにはどうするのがいいか。いろいろ考えましたが、やはり水商売に落ち着きました。Ёが通いやすい場所ということで「女苑」で働くことにしました。そこで「代理ママ」が務まるまで待つ事にしたのです。それまでに、Ёを見つけたことや復讐するつもりのことは、妹の小百合にも少しは漏らしていました。妹は「わたしにも手伝わせて」と言いましたが、わたしとしては彼女を絶対巻き込みたくありませんでしたので、計画の詳細など話した事はありません。が、気持ちだけは、妹の分も篭っていたので、源氏名を「小百合」としました。そしてわたしは機が熟すのを待ったのです。
..Qくんを知ったのは、妹でした。妹は従姉妹に頼まれてR大のオープンキャンパスに同伴したのです。そこで「魔法使いの娘」を見ました。妹には「娘」が男子だとすぐに分かりました。無理もないでしょう、Qくんにしてみれば全く初めての経験です。まだ相当ぎこちなかったようです。そしてそれが却って面白いから行ってみたら、と電話がきました。妹は知りませんが、当時わたしはYの代理人を探し始めていました。それで午後の公演に出かけたのです。確かにぎこちない演技でした。が、訓練すれば使えそうだと感じました。公演後、後をつけチェックしました。特に体形・身長が重要でした。わたしと同じサイズでなければなりません。充分な観察で「いける!」と感じたのです。重要なポイントのもう一つは、未成年だということです。万が一逮捕裁判となったとき、未成年なら多くの保護があります。それに計画通りいけば、逮捕に至る充分な証拠がないはずです。不自由な思いはさせるが、逮捕までは至らないだろうと見越していました。それで、Qくんに声をかけたのです。
..そして後の事は、ご承知のとおりです。予定外のことといえば、Uが入居したことです。当然断る事もできたのですが、下見に夫婦で訪れた日に「社会福祉協議会」から電話がありました。「高齢夫婦でダンナが車椅子生活なので、どこのアパートも断られ困っている。身元は保証するから入居させてやって欲しい」というものでした。後で気付いたのですが、それはUの企みのニセ電話だったようです。ともかくUは強引でした。まだ入居の返事を思案していた数日後、突然わずかな家財と共に越してきたのです。会ってみれば、悪いヒトでもなさそうで電話の事も頭にあり、「体が不自由なら、計画の妨げにならないだろう」と入居を認めてしまいました。結果的には、それが面倒の始まりでした。後に後悔することとなったのです。そうそう、それはあなたがTVで会見した翌日の事です。
..当初の計画では、Ёを誘って2号室に連れ込み、更に隠し階段を登って監禁する予定でした。3〜4日以内にはアパートが漏電で炎上し、Yが存在した証拠もЁも全て焼却する計画でした。Qくんには、それまでに本宅へ移ってもらうつもりでした。ところが、Uの入居によって実行が難しくなったのです。やむなく計画を変更して、外部で殺害することにいたしました。殺害後Yは失踪する予定ですが、遺留品の処理はなんとでもなります。そして12日がやってきました。まず一旦神社に行き、防火用水のチェーンを切断し、カッターは潅木の陰に隠しました。アパートに戻って、Qくんの衣装と行動メモを残しました。店には「遠くの親戚の葬儀に出かける」と長期欠席の連絡を入れ、8時に女苑に向いました。通りの喫茶店の2階席からタクシー乗り場を見張っていたのです。9時を回って、Ёが通りに現れました。予定通りです。少し遅れて「たんぽぽちゃん」が現れドングリ広場の方へ小走りに駆けていきました。わたしは急いでタクシー乗り場に行きました。5〜6人の最後尾にЁがいました。そして声をかけたのです。コンビニに向かって歩きながら「今夜はゆっくり付き合ってもいいわ」とできるだけおいしい話しをしました。コンビニの中をうろついて監視カメラに写り、「こっちに面白いものがあるわよ」と神社へ誘導しました。柵の中に入るとさすがにЁも訝しく思ったようでした。「ほら、そこ。水の中に変な動物がいるでしょ?」わたしが言うと「どこだ?」と屈みこみました。そこでわたしは、初めて本名を名乗り正体を告げました。Ёは驚いて息を飲んだようでした。口を開け無言のまま瞳を見開き、わたしを見上げました。「一家の恨み、いま返してやる!」わたしはカッターをЁの頭目がけて振り下ろしました。ボックといやな音がして、Ёは頭から水中へ落ちていきました。わたしはカッターをタオルでくるむと急いで神社の横手に回りました。足場は悪いのですが、低い石垣を降りて2台分の駐車スペースがあります。そこへ妹に迎えに来るよう頼んでおいたのです。妹は車の傍で待っていました。わたしがあらぬ方向から出てきたので驚いたようでした。すぐに車に乗り込み出させました。「どうしたの?なんでこんなトコにいるの?」妹も変に思ったのでしょう。「うん。ムササビがいるっていうんでな。確かめに来た」そしてその晩は家に帰りました。翌日ドレスや靴を予定していたドラム缶に入れたのです。予定では、それで疑いはQ君に向うはずです。
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..Wは厚い手紙を降ろした。立ち上がりダイニングで湯を沸かす。インスタントコーヒーを飲みながら永い間考えていた。父親はまだ帰っていない。母親は「今夜お客さんがある」と早くから夕食の支度に忙しそうだ。
w母:ずいぶん分厚い手紙だったようだけど、なんて言ってきたの?まさか、プロポーズ?
..挽肉をこねている母の口調はまるで咎めるようだ。料理は、自慢のハンバーグの予定なのだろう。
W :そんなんじゃないよ。男だし。
w母:そう?女性じゃないの?
..手を休め安堵の息が漏れる。
W :男。アンデスに行ったヒト。
w母:アンデス…アフリカの方?
W :アンデスは南米。
w母:へー、そんなトコになにがあるの。
W :さーな。きっといろいろあるんだろ。
..そしてWは思う<どうしても小百合さんに会わなければならない>
..その晩夕食には客があった。会社で父が一番親しくしている同僚だ。小さいときから何度も会っているのでWも知っている。その友人の家族が旅行に出かけ、数日一人になった。それならということで父が招待したらしい。夕食後少し相手をしていたが、水割りを持って部屋に篭った。そして永い手紙の続きを読み終えた。封筒に戻すとき大きな息が漏れた。手紙はWに新たな疑問を生み、大きなショックを与えたのだ。Qを監視していたUは、「隠し階段」を見つけやがてYの正体を知ってしまった。そして、警察がYを容疑者として探しているのを知ると、家主を脅してきたと書いてある。脅しの内容は「Wを殺せ」だった。「そうすれば、警察にYのことは黙っていてやる」そして更に続いた。
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..わたしがいつまでもあなたの殺害を実行しないのに怒ったUは、脅しの警告をしました。それが庭木にナイフで刺された「W」です。あの紙とナイフを見たとき、わたしにはすぐに警告だと分かりました。Uは、わたしに対する苛立ちをああいう形で表したのです。つまりあれは「早くWを殺せ」という意味でした。なぜUがあなたをそこまで憎んでいるのか、わたしは知りません。が、「むげん荘」に入ったのも、恐らくその目的を達するためだったと思われます。
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..11月も半ば、キャンパスの広葉樹も艶やかに色づいてきた。学食で昼を済ませ、橋梁設計研究室へ行くか、部室に顔を出すか迷った。家主の手紙を熟読して、Wは<どこかで小百合さんと話さなければならない>と思っている。<Qなら最近の小百合さんのことを知っているか…>電話すると、Qはまた「たんぽぽ」に戻るという。女苑では何人かが続いて辞めてしまい、店長が困ってヘルプ要請してきた。
Q :しゃーないんで、取敢えず3日だけ行くことにしたッス。
W :そーか。じゃ、ちょっと忙しくなるな。
Q :うん。仕方ないッス。ほら、言うじゃないスか。「級長が転んで」なんとかって…
W :?、なんだ?それ。
Q :えーっと、「級長がふと転んでも両親は叩かない」だ。
W :??、もしかして「窮鳥懐に入らば猟師もこれを撃たず」か?
Q :そうそう、それそれ。
W :<それそれじゃないだろ。意味も使い方も異次元だ>近い内に小百合さんに会う予定はないか?
Q :忙しくなったんで、ないッスけど、あさってかな、後片付けの業者が来るんで夕方にアパートに行くって。確かそう言ってたッス。
W :そうか、じゃ、夕方に行ってみるかな。
Q :用があるッスか?
W :うん。たいした用じゃないけどな。美人に会いたい気分だ。それからさっきの「きゅうちょう」だけど、クラス委員じゃないぞ。「追い詰められ行き場の無くなった鳥」のことだ。検索を薦めるよ。
Q :へ、鳥?ググッてみるッス。また一つ賢くなった!
..電話を切る<「むげん荘」も無くなるか。この事件、そろそろおしまいにしないとな。このままじゃ誰も浮かばれない>Wの頭の中では、家主の告白が渦巻いている。
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..警察の眼は予定通りYとQくんに向きました。その点に関しては予定通りの展開でした。が、わたしは追い詰められていました。Uの脅迫がエスカレートしていったのです。全く想定外の事でした。ああ、後で見舞いのときに聞いたのですが、奥さんはYのことも脅迫のことも知らされていなかったようです。
..そして、突然寒波がやってきました。自宅へ帰るときアパートからUの奥さんが出てきました。何故かあの奥さんは、いつも狙いすましたかのようにタイミング良く現れます。互いに「寒くなった」と言葉を交わすと、奥さんは「まだ暖房器具の用意がして無いので」と、困っているようでした。それを聞いたわたしに閃きがありました。それで「古いけれど灯油ストーブがあります。使ってください」と申しでました。ストーブは温風式ではなく反射型を選びました。そして先ず少しのガソリンを入れて芯に染み込ませました。それとポリの灯油缶に2リットルの灯油を用意して奥さんに届けました。わたしは、その時点でUが歩けることを知りませんでした。念のために珍しい日本酒を用意しました。その5合瓶に睡眠薬を入れたのです。Uが日本酒が好きだと聞いていたからです。軽トラでそれらを運び奥さんに言いました。「灯油を入れてから芯に回るまで20分ほど待ってください。ちょうど貰い物の珍しい酒があります。わたしはやりませんので、待つ間これで温まって下さい」もしわたしが言った通りに実行すれば、20分後眠気のさしたころにストーブが火を噴き、さらに引火して燃え上がるはずです。幸いQくんはいません。恐らく奥さんは酒を飲まないでしょうからきっと逃げ出せます。元々アパートは焼失する予定でした。これでUを始末できると考えたのです。そしてアパートは炎上しました。翌日焼け跡からUの遺体が発見される予定でした。が、あなたもご承知のとおり、Uは逃げ出すことができたのです。奥さんに聞いたところでは、Uはほんの少しだけ飲んだようです。しかしわたしの期待していたほどには飲みませんでした。もしかしたら酒をあげたのを怪しんだのかもしれません。残念ながらUの殺害には失敗しました。
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..2日後、WはQといっしょに帰った。「むげん荘」に近づくと重機と大型トラックが見えてきた。炭の山はすでに無くなって、最後の鉄骨が積み込まれているところだった。作業を見守る小百合の姿があった。Qは挨拶をすると、
Q :時間がないッス。
..と、部屋に急いだ。
W :すっかり綺麗になりましたねー。
..Wは小百合と並んで跡地を眺める。
サユリ:ええ、これで何もかも消えてしまいました。こうなってしまうと、「むげん荘」は夢か幻か、蜃気楼だったような気がします。
W :お兄さんの野望も蜃気楼でしたか?
サユリ:
..作業の頭(かしら)が終了の挨拶に来た。そして重機を載せたトラックが去り、辺りが静まりかえる。聞こえるのは風の音だけだ。
サユリ:今日はなぜここに?
W :はい。あなたに伺いたい事がありまして。
サユリ:わたしに?何でしょう。
W :ちょっと待ってください。永くなるかもしれません。腰を降ろしましょう。
..Wは小走りに廃材置き場へ行き板を抱えて来た。そこに小百合を掛けさせると自分は脇の地面に座った。
サユリ:何ですの?聞きたいことがあるって…
W :簡単な話しです。小百合さん、Ёが死んでいた神社をご存知ですよね?
..小百合は少し考えたように見える。
サユリ:ええ、知っています。
W :そこに珍しい動物が棲みついているという話しは?
サユリ:いーえ、知りません。
W :ムササビがいるって噂があります。
サユリ:ムササビ?まさか。ムササビなんて山奥の動物じゃないんですか?
W :そうですよね。いや、つまらない事を言いました。ところで…
..Wはバッグから封筒を取り出す。
W :最近お兄さんからお手紙をいただきました。
サユリ:兄から?これがそうですの?どちらも結構分厚いですけど…
W :はい。エアーメールの方が後からアンデスから出した物です。その2通をどうぞお読みになってください。結構時間がかかりますので、ぼくはその辺を散歩してきます。
..Wは怪訝な表情の小百合を残し立ち上がった。ゆっくりと来た方向へ進む。何度も通った小道だが、見落としている物があるはずだ。なんとかそれを見つけたい。特に立ち木や電柱などは上から下まで視線を辿らせる。全てチェックとなるとかなり時間がかかった。30分も経ったころWの視線と足が止まった。近くの木を見つめる。頭上の、少し高い所に鳥の巣箱が備え付けられていた。それがWの眼を捕らえて離さない。Wは手を伸ばし枝を掴むと登り始めた。巣箱は、幹に針金で括り付けられていた。針金を外し巣箱を取った。下へ投げると自分も降りる。巣箱は屋根が開閉式だ。開けて覗くと白い小さな箱がある。Wは取り出した。表側に赤いLEDの輝く点があった。<センサーだ。これでアパートに近づく人間をチェックしていた。1号室に受信機があり、誰かがここを通るとそれが鳴る。それを監視するのが奥さんの役割だった>
..小百合の所へ戻ると、手紙を読み終え物思いに耽っているようだった。Wは黙って脇に座る。どうやら小百合は泣いていたようだ。二人の間にしばらく沈黙が続いた。
W :いかがですか。できれば感想をお聞かせください。
..小百合の返事には、また時間がかかった。
サユリ:この手紙…どうされます?警察に渡しますか?
W :いえ、いまのところそんなつもりはありません。
..手紙の最後はこうだった。
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..この告白の処分はあなたに委ねます。Qくんに開示するか、はたまた警察に渡すか、全てあなたにおまかせします。もし、司直に渡り、私が犯罪者として残りの生涯を送ることになっても決して遺恨はありません。それはあなたのせいではなく、全てわたしのせいなのですから。
..旅の行程は、何も予定していません。この先ユカタン半島か、あるいはこの大陸の最南端に足が向うかもしれません。二度と連絡を取ることはないでしょう。あなた様が健康で生をまっとうされますよう旅の空でお祈りいたします。
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W :あなたはどう思われますか?つまり、お兄さんは、これが警察に渡ることを本心では望んでいない、とお考えですか?
サユリ:それは、そうでしょう。犯行の告白ですから。
W :ぼくの考えは少し違います。お兄さんは、これが警察に渡ることを望んでいます。
サユリ:どうしてです?いまの状態のままなら兄は犯罪者にはなりません。どうして自分から告白したいのですか?
W :あなたはどうです?警察に渡った方がいいのではないですか?
サユリ:おっしゃっている意味が分かりません。
W :ムササビの話しは、この手紙にも書いてあります。でも、あなたは全くご存知なかった。
サユリ:
W :つまり、この手紙には随所に嘘が書かれています。あなたは当然気付かれたはずです。
サユリ:
W :そしてもう一つ不自然な点があります。これだけ詳細に吐露していながら、あなたの事がほとんど書かれていません。なぜでしょう? その訳もあなたには理解できました。
サユリ:
W :あなたの事が書かれていないのは、お兄さんの思いやりです。お兄さんは、とにかく必死であなたを庇っています。事実が暴露しないために身を隠し、この手紙を書いたのです。…Ё殺害の実行犯は、あなたです。
..小百合は俯いた。
W :ぼくの想像ですが、事実はこうだったと考えると全てが無理なく繋がります。お兄さんは、全て一人で計画し自分で完結するつもりでいた。だが、あなたはご自分にも復讐の機会を与えてほしいと望んでいた。だから、どんな計画が企てられているのか詳細を知っていました。そして12日、あなたはお兄さんを出し抜いて衣装を着替え、先に女苑を監視した。もしかしたら、当日早くにアパートに忍び込みドレスや靴を持ち出していたのかも知れません。お兄さんは、一旦チェーンを切るために出かけます。あなたは、その時留守になる事を知っていました。時間になって、お兄さんが支度をしようとした時には衣装がありません。きっとお兄さんは焦って探したことでしょう。でも、すぐにあなたではないかと気がついたはずです。それでお兄さんはますます慌てました。なんとしてでもあなたを止めなくてはなりません。焦る余りに車で事故を起こしてしまいました。さらに到着時刻が遅くなってしまったのです。その頃には、あなたはもうЁを殺害していました。ようやく神社に着いたお兄さんは防火用水に行き、間に合わなかったことを知りました。ここまでで違うところがありますか?
サユリ:…ありません…そこまで分かっていらっしゃるのなら…付け加えますと、女装を思いつき提案したのはわたしです。小さい頃からよく知っている訳ですから、きっとそれならうまくЁを取り込み騙せると考えました。そして化粧や衣装選びなど、初めの内はわたしがやってあげていました。
W :そうでしたか。そして、殺害後はお兄さんと車で帰ったんですね?
..小百合は頷く。
W :そのとき写真を撮られてしまいました。「事件直前のお兄さんの事故」と「事件直後の男女の写真」、それがなければ、僕もあなたの犯行には思い至りませんでした。お気の毒です。
サユリ:それで、手紙を警察に渡します?
W :渡せば、間違いなく「犯人はお兄さん」で決着します。つまりあなたに疑いがかかることはありません。それがお兄さんの望んだ決着です。
..小百合は両手で顔を覆った。肩が震え嗚咽が漏れる。
W :警察は、未だにYがお兄さんだとは知りません。ですから、渡さなければЁ殺害はYの犯行になり、迷宮入りです。ぼくは、探偵でも、まして警察でもありません。犯人探しは、ぼくの仕事ではありません。「むげん荘」が蜃気楼だったようにこの手紙もその一部です。
..Wは立ち上がると焼け跡の中央まで進んだ。小百合も遅れて後に従った。
W :こうして成仏してもらいましょう。
..Wはライターを取り出すと封筒の端に火をつける。すぐに燃え上がり、地面に置いた。しばらくは二人無言で火をみつめていた。
Q :あー、いいのかしら。
..大きな陽気な声がした。二人は振り返る。「たんぽぽ」がやって来た。
サユリ:あらー!
..小百合は口を開いて見つめる。
Q :♪ゆ(云)ーてやろ、せんせー(先生)にゆーてやろ。火遊びはだめでしょ。とくに大人の火遊びは危険よー。
サユリ:たんぽぽちゃん?かわいいー!
..Wは、小百合の耳元に早口で囁く。
W :QはYさんとお兄さんは別人だと思ってますから、お忘れなく。
..帰りは小百合が車で送ることになった。3人を乗せて車は女苑に向う。
Q :ね、さっき何をも(燃)したの?
W :墓標さ。「むげん荘」の墓標。あんなとこに墓標が立ってたら、あとあと迷惑だろ。成仏してもらったよ。
Q :あーあ、ほんとになにも無くなっちゃった。ちょっと淋しいね。
W :いいんだよ。過去は消滅した。過去はきれいに忘れて出直すんだ。ね、小百合さん、そうですよね。
サユリ:……そうね…過去の恩讐でいつまでも自分の首を絞めるなんてバカげてるわ…それにしても「たんぽぽちゃん」かわいいわねー、連れ帰って妹にしちゃおうかなー。
..Qは「女苑」近くで降りた。
W :ぼくはそこの駅で降ろしてください。
サユリ:いいのですか?家まで行きますよ?
W :いや、方向が逆ですから駅でいいです。
..車を降りようとすると小百合が言った。
サユリ:ありがとうございました。ほんとうにあなたのお陰です。これでわたしも自分の人生に踏み出せます。それで、一つ伺ってよろしいかしら?
W :なんでしょう?
サユリ:あなたが兄と同じ立場ならどうされました?
W :…むつかしい質問ですね…
..Wは考えこんだ。そして、ぽつりと言った。
W :善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」---それを答えとさせてください。


..翌日Wは情報工学科にいた。Uの写真解析を依頼した友人から昨日メールがあった。「見せたい物あり。連絡くれ」
..二人は頭を並べてPC画面を見つめている。
友 :これが画像処理した写真だ。君に渡したものだ。
W :ああ、かなり鮮明になった。お陰で役に立ったよ。
友 :それで、眼鏡を取ってみるとこうなる。
W :へー、何か別人の印象だな。
友 :それだけこの丸眼鏡のインパクトが強いという事だな。この作業をしていたら、たまたま眼にした教官が言ったんだ。「H准教授に似てる」って。僕は、H准教授を知らないから教官が写真を貸してくれたんだよ。それで顔の解析で比較したんだ。
W :H准教授?…
..写真が変る。
友 :その結果を見てくれ。
..画面には二つの顔が並び「93%一致」の文字がでる。
友 :同一人物だ。それで更に、髪型を、借りた写真と同じにするとこうなる。
..額の広くなった壮年の男に変った。Wには見慣れた顔だ。
W :H准教授!間違いない。
..Wの思考回路を様々な事象がけたたましく駆け巡る。その中で二つの映像が引き合った。ルポライターの見せたタカシの写真、それと1号室の時計台の上に貼ってあった若者の写真だ。二つが重なった。
W :あれだ!あれがタカシだった!
..思わず大きな声をだした。
友 :おい、どうした?
..Wは駆り立てられるように部屋を出た。1号室のUはH准教授だった。記憶が沸騰したように撹乱し、忘れていた事柄が掘り起こされて舞い上がる。Wはあてもなくうろついた。まるで夢遊病者かのように。彷徨の末庭園の石に座りこんでいた。池の水音が絶え間なく聞こえる。それが徐々にWを沈静化していった。その間に記憶が整理されていった。Hは元々Wを強く恨んでいる。そこへ持ってきて、息子のタカシがWのせいで逮捕された。Hの怒りは爆発した。Wを殺したいと憎んだ。TVの記者会見を見たHは、行動を起こした。なんとしてでも「Wを殺す」と。そして「むげん荘」に移り機会を窺っているうちに、家主とYの関係、さらにはЁ殺害の真相を知ってしまった。<それを利用する事を思いついたのだ>ようやくそれだけ考えられるまで落ち着いてきた。<Uの奥さんは言っていた。Uは「むげん」という言葉に不快な記憶がある、と。それは、あの「無限・極限」論争を想起させるからに違いない>Wは長い時間置物か銅像のようにじっとしていた。その間ただ水面をみつめていた。<Hはこれで諦めるだろうか?>
..帰宅した夕方ウーパーから電話があった。
ウーパ:やったぞ!Yを見つけた。
..随分元気のいい声だ。
W :え?
ウーパ:近い内に逮捕できる。悪いな、キミより先に謎は解いたよ。
..上機嫌だ。兎に角喜びを訴えたくて、自慢したくて電話してきたらしい。得意満面のウーパーの顔が浮かぶ。<どういうことだ?見つかるはずはないんだが>
..2日後の日曜日、WとQは「むげん荘」跡にいた。前回と同じようにパーティ会場の設営だ。ただ今回は趣が違っている。家主の家から機材を運び、本格的にバーベキューパーティをやろうというのだ。2日前小百合からQに電話があった。「今回はお二人には迷惑もかけたうえ、助けていただいた」そのお礼がしたいということだった。本宅で小百合がご馳走をすると言ってきた。そして昨日になってQが提案した。「天気も良さそうだから外でやりましょうよ」と。それでバーベキューになったのだ。駅前の酒屋から冷えた生ビールの樽も届いた。小百合は台所で調理中だ。用意できた物から二人が運ぶ。
W :今日は「たんぽぽちゃん」じゃないのか?
..家主はキャンプ用の道具をいろいろ持っていた。テーブルをセットし椅子を並べながらWが訊く。
Q :うん。後で変身するつもりッス。ただし昼の野外だから、「たんぽぽ」より「Dちゃん」のパターンかな。
W :そっか。きっと小百合さんも喜ぶぞ。
..そしてパーティは始まった。
サユリ:ね、なんだか私達ってずーっと昔からの知り合いの気がしない?
Q :そうよねー。わたしとお姉さんは生まれた時から姉妹だもんネー。
サユリ:ネー。
W :なんてたって運命共同体には間違いないから。
..小一時間後、小百合はトイレに立った。戻って来たときには白い小さな紙箱を持っていた。
サユリ:ごめんなさい。忘れたわ。これ、さっき見つけたの。
..小百合は小箱をQの前に置く。箱の表に
....Qくんへ------------
..と書いてある。
Q :これ、何でしょう?
サユリ:何だか分からないわ。開けてみたら。
..中からウレタンで包んだ陶器の豚が出てきた。3人の目が集まる。
Q :貯金箱?
..Qは振ってみる。音はしない。
Q :貯金しなさいってこと?
..Qは豚をWと小百合の間に置いた。二人は見つめる。手に取ったWが豚をひっくり返した。
W :ここに、何か書いてある。
..Qと小百合も身を乗り出す。豚の腹に釘で引っ掻いたと思われる文字があった。「2034・10・12マデ開封禁ズ」
..3人は顔を見合わせる。
Q :どういうこと?お姉さん。
..小百合も首を捻る。
サユリ:わからない。さっぱり分からないわ。Wさん、どういうことでしょう?
W :ぼくにもさっぱり…
..Qは小さな投入口に目を近づけて中を覗いている。
Q :何か詰まっているみたい。ティッシュのような物。
W :時期を限って「開封禁ズ」だから、空ではないな。間違いなく何かは入っている。日付は20年後の事件の日だ。
Q :えー、20年!
..Wは笑い出した。
W :20年待つしかないよ。キミは何歳になってる?
Q :39。わー、気が遠くなる。
W :きっと子供もいて働き盛りだな。
サユリ:もしかしたら、お宝かもよ。楽しみに待ったら?
Q :そーよね。わーい、お宝だ!
W :<告白の手紙か?>ところでお兄さんはいま何処に?
サユリ:わかりません。マチュピチュから絵葉書が来たあと便りはありません。すっかり旅の雲水になってしまったのかも。
..話し込んでいると2台の車がきて止まった。例の覆面パトカーと白黒のパトカーだった。そしてウーパー刑事が先頭を切ってやってきた。張り切っているようすが体に溢れている。
W :おや、刑事さん。なにかご用ですか?
..ウーパーは胸をさぐり書面を取り出して広げた。
ウーパ:△△小百合。Ё殺害の容疑で逮捕する。逮捕令状が出ている。
..声を張ってまるでミエを切るように言い放った。所轄の刑事と婦人警官が前に出た。
W :逮捕!何を根拠に?
ウーパ:調べはついている。詳しい事は署で聞かせてもらう。
..婦人警官が小百合の腕を押さえた。ウーパーは手錠を取り出す。小百合は蒼白だ。
ウーパ:Yが小百合と名乗って犯行をおこなった。そう思い込んで囚われていたから分からなかった。事実は逆だ。小百合がYと名乗っていたのだ。店では本名のままだった。Yを良く知るヒトにあんたの写真を見せた。「Yに間違いない」という証言を取った。あんたは、ほぼ毎日昼過ぎに出かけ12時ころに帰ってくるそうだな。ヒトにはYと名乗り女苑では本名で働いた。その訳はゆっくりきかせてもらうよ。動機はЁにしつこく付き纏われたんだよな。それで全ての説明がつく。
..ウーパーの手が小百合の腕を掴み手錠をかけようとする。Wは情報の整理を急いだ。
W :刑事さん、とんでもない勘違いをしてますよ。
..そうは言ったが、その後の説明が思いつかない。<ヘタな事を言うと墓穴を掘る>さすがに言葉につまった。
ウーパ:それで間違いない。事件時刻のアリバイがないだろ?後は署でゆっくり話そう。
..ウーパー一世一代の晴れ舞台だ。顔が輝いている。そして、手錠を掛けようとしたとき突然笑い声が爆発した。その場全員の目が声の主に集まる。笑っているのはDちゃん(Q)だった。
Q :Fha-hahaha-haha---なにバカいってんの!Fha-ha--
..文字通りおなかを抱えて笑い転げる。
ウーパ:!--!、なんだ!?たんぽぽ、なんか言いたいのか?!
..Qは立てた人差し指を振る。
Q :ノンノン、わたしはDちゃんです。バカバカしくって笑うしかないでしょ。
ウーパ:だから!何がだ!
Q :あら、知らないの?Yさんはね、首にアザがあるのよ。こんくらい大きな。
..小百合が「あ!」と漏らした。D(Q)は指で輪を作りウーパーの前に突き出す。
ウーパ:アザ?
Q :ほーら、やっぱり知らないんだ。
..それでWも思い出した。
W :そうです。Yさんは右の首筋にアザがあります。小百合さんにあるか見てください。
..婦人警官が小百合の髪をあげる。両首筋を調べた。ウーパーも覗き込んだ。すかさずDが突っ込む。
Q :わー、イヤラシー!覗き込んだ。セクハラだわ!
..それがウーパーを叩きのめした。身長が一段下がったように見えた。婦人警官が小さい声で「ありません」と言うと小百合をつかんでいた手を離した。
Q :アザの証人なら何人でもいますことよ。束にして署へ連れてってあげましょうか?
ウーパ:Guhu--、じゃ、なぜ毎晩遅いんだ?
..「ナメクジに塩」状態のウーパーが最後の気力を振り絞った。小百合の父は体を悪くし入院している。母と交代で世話に通っている。昼過ぎから夕方まで仕事で、夕方に病院へ洗濯物など取りにいき、その足で夜間保育園のお手伝いに行っているという。
W :とんでもない勇み足だったようです。
..同行した警官も白けている。とくに、中年刑事の表情は<だから現場を知らないキャリアはだめなんだ。ツメが甘いンだよ!>と露骨に不快を表している。夢にも思わなかったパンチをくらって、ウーパーは引き下がった。一歩を踏み出すのさえ億劫そうだ。
..安心したWはウーパーの背中に呼びかける。ウーパーはゆっくり振り向いた。
W :よかったじゃないですか。
..ウーパーの眉が釣りあがる。
ウーパ:よかった?イヤミか?
W :いや、そうではなく、「誤認逮捕」という致命的な大失態を免れたんですよ。
ウーパ:う…
W :帰ったらキツーイお叱りが待っているでしょうが、あなたは危ういところをQくんに救われたんです。
ウーパ:う、んー
W :「災い転じて福となす」、前向きに考えましょ。ところで、Uの正体が分かりましたよ。
ウーパ:なに?
..Wはウーパーに近づき小声で伝える。
W :元R大理学部のH准教授でした。なにか犯行を企んでいるようなので注意しておいた方がいいですよ。
..話すべきか、黙っているか、Wに迷いはあった。Hの詳しい調査は、Ё事件の真相に近づく事になる。が、Hがこのまま諦めるとは思えない。警察が動けば、Hの行動を牽制するだろうと期待して、話す方を選んだ。
..2台の車は去った。
W :もう大丈夫ですよ。
..小百合はまだ体が震えている。
Q :お姉さん、だいじょうぶ?
..Qが小百合を支えて座らせる。
Q :なによ、あのバカ刑事。何度間違えば気が済むの!
W :だけどこれで本当に安心です。二度とあなたを疑おうとはしないでしょうから。
Q :そうよ、お姉さんがYさんだなんて、見当違いもほどほどにしろって。訴えてやる!
サユリ:ありがとう。お陰で助かったわ。
..小百合は、1〜2度大きな息を吐くと笑顔を作った。
W :これでЁ殺人事件は終了だ。
Q :終了をお祝いして、乾杯しましょ!
..揃ってグラスを高く上げる。<「Ё事件」というより「むげん事件」だった。Qの「夢幻」、家主(Y)の「無間(地獄)」、H(U)の「無限」、三者三様だった>
Q :けどね…ちょっと心配…
サユリ:心配、何が?
Q :豚さん。20年も待てるかなー、我慢できなくなって、壊しちゃいそー。
..3人の目が貯金箱に集まる。
サユリ:だめよ。待たなきゃ。
W :そうだよ。きっと20年には、何か意味があるのだろうから。けど、20年の「おあずけ」は確かに永いな。
Q :あー、ダメ!目の前にあったらきっと待てない!そうだ、見えるトコに無きゃいいんだ。先輩、預かって!
W :いやだよ。
Q :お姉さん、おねがい。預かって!
サユリ:わたしだっていやよ。あーあ、兄も面倒な物残してくれたわねー。
..Wは慌てて口を挟む。
W :Y,Yさんです。
..小百合も失言に気付いた。
サユリ:そ、そうよ、Yさんよ。じゃ、じゃあ、どこかに埋めておいたら。
Q :忘れちゃいそう、だって20年だもん。先輩、どうすればいいの?
W :そうだな…「100年カレンダー」というWebサービスがある。それに登録しておけば、その日になれば連絡がくる。
サユリ:それいいじゃないですか。
W :ところが、いろいろ考えてみると必ずしも万全の方法とはいえない。で、原始的な方法だけどこういうのはどうだ。
..Wは厚紙のコースターを取るとペンで書き始めた。
....2034.10.12
....Qの豚 開封
..同じものを3枚作って、それぞれの前に置いた。
W :其々がこれを保管しておく。3人共忘れることはないだろうから、この日にQくんに連絡する。
サユリ:いいわねー。
Q :これなら忘れない。誰かは覚えてる。
W :ただし保管場所が問題だな。埋めるとすると、中の物によっては腐食するかもしれないし、年月が経つと意外に場所が分からなくなることが多い。
サユリ:それなら…蔵はどうかしら。本宅の蔵ならいつの間にか無くなるってことはないわ。
W :それが一番ですね。
..3人はさっそく本宅へ向った。裏庭の奥まった場所に2棟の蔵がある。小百合に続いて中に入る。
サユリ:こちらが2番蔵です。
..独特の匂いが漂う。床に大きな壷・花瓶・木彫・青銅製品など大きな物が並び、棚の空間は見渡す限り大小の木箱が埋めている。
Q :わーお!
サユリ:この蔵は殆どが骨董品の類です。父が好きで収集したと聞いています。
W :すごい量ですねー。
サユリ:じゃ、ここ、この目立つ場所に置いておきましょ。お二人とも覚えていてください。
..小百合は棚の一角を指した。Qは豚を戻した紙箱を置く。
W :これで安心だ。20年後ぼくが忘れていなかったら連絡するよ。それにしてもたいした量ですね。
サユリ:量は確かに多いですけど、価値のほどは分かりません。玉石混淆だと思います。鑑定してもらって、ゆくゆくは小さな美術館を作りたい。兄はそんなことを考えていたようです。
..Qは棚に並んだ陶器の人形などに興味を示している。
Q :わー、これステキ。
..西洋の貴婦人の人形だが、細かいレースで縁取ったドレスを着ている。Wも興味を引かれた。
W :ほんとうだ。こんな細かい細工、陶器でどうやって作るんだろ?
..それは手紙を思い出させる。「美しい形、存在に強く惹かれる--その性癖がヒトより可なり強いらしい--」そう書いてあった。
W :こういった物が、こんなに沢山(!)…
..さすがに感嘆した。
サユリ:ええ、ただ真贋のほどは何とも…
W :きっとお兄さんもお父さんも眼は確かでしょう。2階にも?
サユリ:はい。2階も一杯です。どうぞ上がってご覧になってください。
..Wは階段を登る。やはり大小の箱が積み重なって、なんとか一人通る隙があるだけだ。天井が低い。その分狭苦しく感じる。進んで行くと一番奥に白布で覆われた物が立っていた。Wは裾をめくってみる。ヒトの足と手の先が見えた。ちょっとドキっとした。ゆっくりめくっていくと見慣れたドレスが現れた。マネキンが濃紺のドレスを着ていた。<こんな所にあった…>Wは仔細に調べる。腰から少し下がった所が一箇所変色して斑点になっていた。<これだ。これが焼け焦げだ>そして足元にはポーチと靴の箱が置いてある。靴箱は蓋が開いていた。靴は別物だった。<がっかりしただろうな…だからマネキンに履かせなかった>しばらくWはマネキンに見惚れていた。<でも、どうして処分しないで保管したんだろ?見つかれば、わたしが犯人ですと言っているようなもんだ>疑問が渦巻き色んな記憶が起き上がる。<捨てられないほど達成感が大きかった…それほどに積年の恨みが強かった…これは、勝利の記念碑か?>白布を元に戻すと階下へ降りた。
..パーティ会場に戻った。Qが火を起こし直し肉を並べる。
Q :こんないいお肉、こんなに食べたの初めて。お姉さん、ご馳走さま。でもあしたからダイエットしなきゃ。
サユリ:あら、お肉は太らないから大丈夫よ。
W :でも、すごい美術品の山ですねー。驚きました。お兄さんが美術館を作りたくなったのも納得です。
サユリ:他言無用ですよ、無用心ですから。お願いしますね。
W :分かります。決して漏らしません。<まさかドレスが保管してあったとは>
..ドレスが、Wにウーパーを思い出させた。<いまごろ叱られているだろうな>ちょっと可愛そうな気がする。<悪い男じゃないけど、刑事にはむかないな>Qが焼いた肉を運ぶ。
Q :表面だけちょっと焦げ目をつければいいわよね。生でもいけるから。
W :キミの豚さんも本日美術館入りだ。おめでとー。
..乾杯のグラスをあげたところにタクシーが来た。
Q :あら、奥さんだわ。
..Uの奥さんが降り、その場で3人に向っておじぎをした。にこにこと近づいて来る。
W :奥さん、退院されてたんですか。
u妻:はい。5日ほどになります。その節は、お見舞いいただき、本当にありがとうございました。体力も戻りましたので、気になって来てみました。
..そして辺りを見回す。
u妻:まー、きれいさっぱり何もなくなっちゃったんですねー。
..Wは小百合を紹介し、椅子を進めた。
W :火事以後にUさんから連絡は?
u妻:いいえ、一度もありません。それに会いたくもありません。
Q :元のアパートに戻られたんですか?
u妻:ええ、わたしもちょっと欲をだして、旨い話しにのってしまったと後悔してます。今回のことは、その天罰です。何の企みをしているのか、Uは、わたしにはなにも話しませんでした。ですけどね、いっしょに暮らし24時間顔を突き合わせていればなんとなく分かることもありますよ。
..口調が滑らかになってきた。いつもの調子が戻ったようだ。
u妻:日にちが経つとね、誰かを殺そうとしていると感じるようになたんです。そしてもっと経つと、それはWさん、どうもあなたらしいと思えてきたの。わたし、だんだん逃げることを考え始めました。だって、そんな恐ろしい計画に巻き込まれるなんて、とんでもないとばっちりですもの。でも、あの火事はUにも想定外だったんでしょうね。計画を実行する前に身を隠さざるを得ないことになったんだと思います。
サユリ:火事のことごめんなさい。兄のストーブに欠陥があったのかもしれません。
u妻:いえ、いいんですよ。お兄さんは親切で貸してくださったんだし、このとおり無事だったんですから。それより、お兄さん、遠くへいかれたとか…
サユリ:はい。しばらく外国を回るらしいです。
u妻:もし火事の責任を感じていらしゃるなら、気にしないでくださいと伝えてください。
サユリ:それでお詫びに、病院に掛かった経費はわたしどもで持ちます。せめてそうさせてください。
u妻:ありがとうございます…
..奥さんは黙り込み俯いた。
u妻:辞退するべきなんでしょうけど、ごめんなさい、恥ずかしいのですが、正直、そうしていただけるなら助かります。本当にごめんなさいね、図々しくって。
サユリ:とんでもないです。きっと兄もそれを望んでいると思います。
..そして帰り際に奥さんが言った。
u妻:病院のベッドで、思い出したことがあるの。Uの電話を聞いてしまったことがあって、その内容が「たいへんなお宝をみつけた」というような話しをしていました。なんの事かと思っていたんですけど、もしかしたらこちらの家のことかなーって思ったのよ。心当たりがあるなら、充分お気をつけてください。執念深いタイプですから。
..小百合、W,Qは顔を見合す。
u妻:お知り合いになれて嬉しかったです。わたし、親も子もないですから、心強かったです。よろしかったら、わたしのアパートにも遊びにいらしてね。
..奥さんは帰った。
Q :お宝を見つけたって、まさか、蔵のことかなー。
W :どうかな。可能性はあるな。
サユリ:いやね。もしそうなら、本気でセキュリティをなんとかしないと…
W :それがよさそうですね。
..それから小百合の要望でQが歌った。とてつもなく音痴で、小百合は転げ回って笑った。
Q :だから、オレ、いやだって言ったのに!
..Qはすっかり素に戻ってしまった。
Q :先輩、助けて!
..Wも笑い転げている。
W :知らんよ。
Q :そりゃ、ないっしょ。だって「窮鳥が懐に入った」んでしょ。
サユリ:なに、それ?
..小百合が涙を拭きながら訊いて、Wは先日のやりとりを話す。
サユリ:級長がふと転ぶの…!
..爆笑して小百合は椅子から転げ落ちそうになった。
Q :けど、けどさ、オレ考えたッス。猟師が撃つ訳ないッスよ。当たり前のことッス!
..Qは真顔で抗議する。
W :どうして?
Q :だって、懐の鳥を銃で撃ったら、自分も死ぬッス。
..Wと小百合は目を丸くして見つめ合い、同時にもがき吹き出した。それを見てQも笑い転げた。







「むげん荘」完





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