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この道はいつか来た道、いつか行く道?(2)

 
...................................................- Rena エピソードV -
 

星空 いき

Hosizora Iki

















..バスはゆっくり海岸沿いを走っていた。
マユカ:めずらしいですね。運転手さんのいるバスなんて初めてです。
ノニコ:わたしもです。それに現金でキップを買うのも、初めてですね。なんでも、観光用に350年前の石油燃料バスを復元して、昔はやった「岬めぐり」を計画したということです。「町興し」ですね。これが、結構人気で休日など予約をとるのがたいへんらしいですよ。
マユカ:へえ、やっぱりお年寄りに受けるんでしょうか?
ノニコ:反対です。むしろ若者に受けているんですって。
マユカ:「早春の岬めぐり」か。デートにはぴったりかも。
..「異時空間先導士」ノニコと「モニター当選者」アオヤマ・マユカは、窓外の光る海を眺めている。
ノニコ:ね、あれ、菜の花じゃないですか?
..ノニコは流れていく畑を指した。黄色いカーペットを広げたように、鮮やかに明るい一角がある。
マユカ:ああ、きっとそうです。もう咲いているんですねー。
..マユカも見惚れる。
ノニコ:光る海と豊かな自然、いい所でジョージ(吉田譲治)さんは育ったんですねー。マユカさん、あなたはこの土地は初めてですよね?
マユカ:はい。彼はとてもいい所だと話していましたが、わたしは初めてです。ほんとにいい所…彼はこんないい所で育ったんですね。
ノニコ:もうじきです。すぐに彼に会えますよ。彼はいま高校1年生ですね。どうですか、いまの気分は?
マユカ:ドキドキしています。なんだか、わたしも高校生にもどった気分です。
..マユカの頬は、心なしか紅がさしている。その表情は、33歳ではなく17歳の乙女だ。これが、24歳ノニコの先導士初仕事だ。1時間ほど前、ノニコはマユカを伴って旧K県A市郊外の「移動定点」に、20年の朔行移動した。それから、車でA市の中心部に向かいこの観光バスに乗り込んだ。この日、将来マユカの恋人となるジョージが友人グループでM岬へ出かけたことが事前調査で分かっている。再会をその場所に選んだ。ただし、ジョージにすれば見知らぬヒトだからなにも思わないだろうし、マユカにしても16歳の少年は初対面に近い。
ノニコ:ここが、あなたが希望した「彼の育った町」、そしてこの空気が「彼の呼吸した空気」ですよ。じゅうぶん堪能してください。
マユカ:ええ、感激です。なんだか、彼の本質に近づけた気分です。
ノニコ:強く愛していらしたんですねー。同じ女性としてうらやましいです。ところで、こちらの「あなた」をチェックしますね。この日のことは?
マユカ:そんなの、覚えていません。まだ時差錯誤で頭がついていけません。でも、中学2年生の3月ですから…
..マユカは考え込む。ノニコはバッグからファイルを取り出し繰っていった。PCに限らず機器類などは携行禁止だ。万が一こちらで紛失し人手に渡ると混乱を生じてしまうからだ。持ち込んでいい機器類はごく限られている。したがって紙のデータに頼るしかない。
ノニコ:ああ、記録では、あなたは部活のバトミントンの練習試合で、関東のF市の体育館に行ってます。
マユカ:F市…バトミントン?…あ!行きました。そうです、F市です。えーっと、相手はショウナン中学ですね?
ノニコ:はい。
マユカ:あれが、きょうですか…わたしのミスで負けた、悔しい日でした。いま、中2のわたしが試合をしているんですか…頭がついていけません。変な気分です。
ノニコ:そしてその頃ジョージさんがどうしていたか、間もなく分かりますよ。
..バスが停車した。数人の乗客に続いて2人も降りた。200メートルほど先に白い灯台が天を指している。そこが岬の突端だ。灯台は400年ほど昔に不要になった。衛星GPS網が完備したからだ。だが、「帰港するのに無いとなんだか寂しい」という声や地域のシンボルとして残したいという希望が未だにあって各地にけっこう残されている。乗客たちは早速写真を撮り始める。日差しは暖かいが、時折強く吹く海風はまだ冷たい。
マユカ:わたしも、…
..マユカはスマホを取り出す。ノニコがその手を押さえる。
ノニコ:忘れましたか?光学・磁気式カメラは使えません。研修のとき説明があったでしょ?
マユカ:ああ、そうでしたね。写真は、「実時間」に帰還すると消えてしまうんでしたね。
ノニコ:そうです。
マユカ:残念だわー、せっかく来たのに…
ノニコ:実は、わたしは専用カメラを持ってきました。これで、データとして1枚だけ撮りましょう。
..背景に灯台と海が入る所にマユカを立たせると写真を撮った。
ノニコ:もうじきジョージさんが来るはずです。ここで待ってみましょう。
..写真を撮っていた一団は灯台へ向って行った。足元にはチューリップの蕾が膨らんでいる。駐車場の方がにぎやかになった。見ると男女6名ほどの若者が、きゃっきゃと車から降りてきた。
ノニコ:来たようですね。きっとあれでしょう。
..マユカは眼を大きく見開いて見つめる。そして、移動する一団を無言のまま眼で追った。若者たちは、ふざけあったり、笑ったりしながら近づいてきた。すぐ手の届きそうな所へ男子2人が来た。
男a:な、ジョージ、今日はコクるんだろ?
ジョジ:コクる?誰が?
男a:お前に決まってるじゃ。みんなそれを期待して来てんだぞ。ジョージが、ミサ(美咲)にコクるって。
ジョジ:なんで俺がミサにコクるんだよ?
男a:そりゃねぇだろ。お前らけっこう仲いいじゃ。みんな両想いだって言ってるぜ。
ジョジ:バーロ、俺にそんな気はねーよ。ミサのこと、特に意識してねぇーし。
男a:隠すなって。ミサも今日はそのつもりで来てると思うぜ。後で二人きりにしてやっから。
..向こうから女子が呼んだ。「ジョージくーん、灯台へ行こうよ」マユカは、男子、特にジョージから眼が離せない。その気配に気付いたジョージは女子に返事をすると「行こ」と、小走りに去った。しばらくの間2人はその背中を見ていた。
ノニコ:青春って感じですね。彼、吉田譲治さんに間違ありません?
マユカ:はい。まちがいないです。
ノニコ:で、もしかしてミサって言うのが、ミサキ(美咲)さんですか?
マユカ:おそらく…。同級生だったんですね。
..事前の面談でのマユカの説明によると、後にジョージは関東へ進学し、そのまま東京で大手印刷会社に就職した。そして関東の市役所に出入りするうち、マユカと知り合い恋仲になったらしい。が、そこへ暗い影を落とした者がある。ジョージは、女のストーカーに付き纏われ悩まされていたというのだ。そのストーカーは、ミサキと言う名だとマユカは言った。
ノニコ:さ、後を追いましょ。
..道端には水仙が列をなしている。マユカは若者たちに会ってから口数が少なくなっていた。灯台まで来ると、若者たちが建物から出てきたところだった。あいかわらず賑やかだ。
ノニコ:どの子がミサキさんでしょう?分かります?
..ノニコがマユカに訊く。
マユカ:あのピンクのカーディガンの子かな、て気がしますけど分かりません。
ノニコ:そうですか。じゃ、これを使ってみましょう。
..ノニコは、化粧コンパクトのような小さな容器を開く。人差し指でガラス面をなぞると電源が入り、明るくなった。そして、同時に声が届いた。
モスキ:オ呼ビデスカ。ゴ用件ヲドウゾ。
ノニコ:偵察モスキート、発進。
モスキ:カシコマリマシタ。
..眼を凝らさないと分からない埃のようなものがひとつ、ケースから舞い上がった。そしてスクリーンにノニコが映った。
ノニコ:モスキート、後方7mよ。
モスキ:了解。
..画面が流れ、若者たちを捕らえた。画面からその会話が聞こえてくる。マユカも顔をくっつけて覗き込む。
ノニコ:モスキート、ピンクのカーディガンの子の正面に回って。
..画面が回転し、少女がアップになる。
ノニコ:どうです?ミサキさんですか?
..マユカは食い入るように見つめる。
マユカ:わたしが知っているのは、20年も後のミサキさんですし、それも、ちらっと見たことがあるだけですので自信はありません。多分そうだと思います。けど、これで分かった気がします。
ノニコ:なにがでしょう?
マユカ:彼は頻繁に嫌がらせメールを受けたり、ストーカー行為をされていましたが、わたしが警察に相談するように言っても躊躇していました。それは、以前は仲のいい同級生だったからかもしれません。
ノニコ:そうですか。
..画面の中でその少女は、「ミサ」とか「ミサキ」とか何度か呼ばれた。この年齢の少女だけが持つ特有の雰囲気、妖精か天使のような清浄な光に輝いている。ノニコは独り言を呟く。
ノニコ:この子が20年後には、悪質なストーカー…
..聞き取ったマユカは、吐き捨てるように言った。
マユカ:ええ、まるでゾンビです!
ノニコ:そろそろ帰還の時間です。明日はジョージさんの高校と家の予定ですが、よろしいですか?
マユカ:やっぱり一度戻らないといけませんか。こちらに宿泊はできません?
ノニコ:研修で説明があったとおり、宿泊はできません。一度戻って出直します。
..先導士の役割のほとんどは「監視」だ。「対象」がとんでもない行動に出ないか、最悪の場合時間軸に分岐やループを引き起こすような態度をとらないか常に気を張っていなければならない。宿泊は「監視」の空白時間を生み出してしまう。先導士とモスキート2〜3機では、監視は不可能なのだ。そのうえ、特殊な場合を除き時間移動は24時間が限界だ。
ノニコ:どちらにしても時間移動は二度までです。次回が最後ですからよく考えておいてください。
マユカ:はい…
..答えて、マユカは考え込んだようだった。
..やがて退屈しだした高校生グループは、戻り始めた。2人も後に従う。駐車場には、瀟洒なレストランや土産物店などが並んでいる。高校生グループが土産物店に入り、それに引かれるようにマユカも進んだ。仕方なくノニコも店内に入った。店に入っても女の子たちのおしゃべりは止まらない。<よくあんなに話すことがあるわねー>いつの間にかマユカは、ジョージにかなり接近していた。注意しようとノニコが近づく。
マユカ:ね、お土産買ってもいいですよね?
..マユカが訊いた。
ノニコ:え?、ええ、液体でなければ。小さな物1つくらいなら持って帰れますけど。
..マユカは、掌に乗る灯台の模型を取り上げると嬉しそうにレジへ進んだ。見るとレジではジョージが会計をしている。彼が買ったのは、同じ灯台だ。<ああ、そういうこと。彼女はいまは恋する女子高生なんだ>思わず微笑んでしまった。


..ボダイAは家でくつろいでいる。大画面の3DTVは映画を放映している。彼は「まげモノ(江戸物)」が好きだ。彼の視野180度は江戸城大奥の中庭だ。奥まった木立の陰で若い中臈の女性と青侍が抱き合っている。どうやら密会中らしい。Aは、数年前に妻を亡くして以来メイドロボ、ロボ犬と暮らしている。Aは、手のウィスキーグラスを見つめ軽くうなった。
A:やっぱり気になる…
メイド:ナニカ、オッシャイマシタカ?
..メイドが問いかける。
A:う…独り言だ。気にせんでくれ。
..だが、本心は違う。心配は膨らんでいた。レイカの「自己遭遇」だ。<今回のプロジェクトのどこかに問題があるのか?>もしさっきレイカが自己遭遇したとすれば、間違いなくその時に時間分岐が起きている。つまりこれから経過するはずだった未来時間は消滅し、やり直したことになる。それほどの危険を冒す覚悟を未来のレイカがしたということだ。<いや、最高会議の決定かもしれない…プロジェクトのどこに問題があるのか…?>TVを消すと、Aはジハンギ(時間汎用会議)の事務局に電話した。
A:ちょっと調べて欲しいのだが…
..事務局長は不在だった。残っていた主査に用件を依頼した。
A:プロジェクトの2人のモニターを再度徹底調査をして欲しい。
シュサ:え?ハルト(今泉)さんとマユカ(青山万由花)さんの身上調査をもう一度ですか?
..主査は不審そうに言った。
シュサ:すでに詳細に調べてありますので、これ以上何か出るとは思えませんが…
..明らかに不満げな様子だ。
A:とにかくもう一度やってみてくれ。警察の力も借りてな。警察にはわたしが協力依頼をしておく。
..Aの強い言葉に、主査はそれ以上の言葉を飲み込み了承した。
..その頃、レイカは機関内のクラブにいた。カウンターの隣の席は、「次元物性研究室」の若い研究員Iだ。
I :レイカ先生、これをどこで手にいれられました?
..Iの指は小さな金属片をつまんでいる。
レイカ:それがね、よく判んないのよ。不自然に軽くて何の金属かも分からないから、研究所に訊くしかないと思って。
..レイカはそれを手に入れた経緯を話す。Iは真剣に聞き入った。そして、
I :そういう事ですか。それなら納得しました。
レイカ:これ、何だか知ってるの?
..Iは頷くと小声になった。
I :ええ。ただしまだ機密事項なのでそのつもりで聞いてください。これの話しの前に、どうしても「自己遭遇」という現象を再確認しなくてはなりません。分かりきった話をしますが、ちょっと我慢してください。…「過去の自分自身と遭遇する」ということは、自身の「固有時間」が二分される状態になるという事ですよね。申し訳ありません。先生にこんな話しをするのは、まさに「釈迦に説法」ですね。
レイカ:構わないわよ。そのとおりよ。で、どうだと言うの?
I :ですから、その2人が近距離に接近すると時間帯が正常な状態、つまり本来の一つの時間帯に戻ろうとする。それが、「自己遭遇」ですよね。
レイカ:そうよ。
I :で、ここからが重要です。「自己遭遇」とは、時間帯の合成であって物質の合成ではない。つまり「自己遭遇」とは、肉体という物質が合成する訳ではありません。そうでしたね?
レイカ:ええ。不自然に分割されていた時間帯が正常な状態に戻るだけのこと。
I :ですから、…
..Iはグラスをもちあげ、緑色の液体を一口飲む。
I :仮に時間朔行した先導士α(アルファー)がピアスをしていたとしても、合体後にはαはピアスをしていません。
レイカ:その場合、過去のαの肉体に未来のαの時間だけが合流するだけだから物質の移動はないわ。
I :そこなんです。
レイカ:
I :「自己遭遇」した後のαには、未来の記憶すらありません。
レイカ:そうね。
I :ところが、「それでは困る」という要望が出始めました。
レイカ:…?
I :つい最近のことです。先生とは別チームですが、事情があって過去に遡って変更せざるを得ない事態に追い込まれました。でも「自己遭遇」後は、何のために過去に遡ったのか、その記憶すらありません。それどころか、「自己遭遇」してしまったという認識さえありません。
レイカ:そうね。場合によって差はあるけど、しばらく時間が経てば記憶からは消えるわ。
I :それでは、何のために大きな犠牲を払って「自己遭遇」したのか意味がありませんし、へたをすれば全く同じ歴史をくりかえすことになります。
レイカ:もし、目的を持って「自己遭遇」したのならそういう事になるわね。え!…もしかしたら、「自己遭遇」後にもちゃんと記憶が残るようにしたい、この金属はそれに関係しているといということ?
..Iはまっすぐレイカを見つめ頷く。
I :さすがです。さすがにお察しがよろしいですね。この金属には、誰も知らない「未来の情報」が結晶化されています。つまり「未来の遺産」です。
レイカ: そんな…そんなバカな、わたしたちにとって「自己遭遇」は、あり得べからざる事、もっと言えば禁忌。それが常識よ。そのタブーに踏み込むと言うの。
I :ですから機密事項なのです。
..しばらく2人は黙り込んだ。その2人をいま流行りの音楽が取り巻いている。やがてIが沈黙を破った。
I :どうすれば「未来の遺産」を作成し、移動できるか、その研究が次元物性研究所に託されました。わたしもそのメンバーの一人です。いやー、苦労しています。実はまだ完成していないのですが、もうゴールは見えています。恐らくひと月以内に最初の試作品ができるはずです。
..そこでIは再び金属片を摘み上げレイカに差し出した。
I :きっとこれがその実物第1号です。わたしもまだ見ていません。初めて現物を見ました。
..レイカは言葉もない。飲み物を取ると大きく溜息をついた。
レイカ: じゃ、これには「未来の情報」が詰まっているというの?
I :おそらく間違いありません。これを手に入れられた経緯から判断しますと、今回のプロジェクと関係が強い情報でしょう。
..レイカは天井を睨む。
レイカ: それも、どうやら余りいい話しではないらしい、ということになるわね。
I :整理しますと、こういうことではないでしょうか。今回のプロジェクトの実行が、未来でとんでもない結果を招いてしまった。そこでレイカ先生は、スタート時に戻り計画の変更か中止を決意する。そのために「自己遭遇」して時間分岐を起こさねばならない。しかし、なぜ自己遭遇したのか、その記憶が無くては意味がない。そこできっといろいろ調査されたのでしょう、わたしどもの研究所で「未来遺産」伝達技術の開発をしていることをつきとめられた。それで、「未来の記憶」と共に自己遭遇を決行された。だから、これが口の中に現れた…いかがでしょう?
レイカ:筋は通っているわね、一つの疑問を除けば。
I :分かります。なぜ「自己遭遇」時にこの金属までもがこちらへ移動できたのか、ですよね?
レイカ:そう。
I :実は、そこで我々も大変苦労しました。この金属片の固有時間と遭遇者の時間を一体にすることができれば、同時に移動するはずです。いかにして、物質の固有時間を遭遇者の固有時間に組み込むかが最大の難所でした。
..そこでIは吹き出した。
I :fu!、一時は苦し紛れに、開腹して人体に埋め込めば、という乱暴な案まで出たくらいです。
レイカ:まさか!
..レイカも笑う。
I :それで、これは「時空学」のダイセンダツ・レイカ先生に指導を仰ごうということになりかけていました。先生なら、きっと適切なアドバイスが頂けると考えました。
..聞きながらレイカは考え込んでいるようだ。
レイカ:こういうのはどうかしら?わたしが「自己遭遇」を望んだとして、一人の先導士β(ベーター)を同伴する。そして「遭遇」後にβから事情を説明してもらう…βは、その後「実時間」に帰還する、そうすればいいんじゃない?
I :その方法、実はテスト済みです。
レイカ:やったの?
I :ええ。時間分岐と遭遇の影響を考慮して一日の朔行でテストしました。それならば殆ど影響はないというシュミレーション結果だったからです。
レイカ:それで?
I :うまくいきませんでした。その場合「遭遇」時に分岐が生じますから、旧時間帯は消滅し始めています。
レイカ:ああ、そうだわ、二人には、もう戻る所がないんだ…
I :そうなんです。説得に時間が掛かると、帰る場所が無いままβは現地に取り残されてしまいます。βが二人存在することになります。
レイカ:時間朔行は24時間が限界…それを万が一超えてしまうと「強制合成」させられてしまう…
I :テストは一日の朔行でしたので、ぎりぎり帰還に間に合いましたが危ないところでした。で、結局廃案となりました。
レイカ:さっきの、私に相談という件だけど、今のところはそんな話しは来てないわよ。
I :はい。一週間ほど前ある研究員の実験ミスで偶然にも道が開けました。結論からいいますと、先導士αと金属の時間周期を合わせられればいい訳です。
レイカ:でも、二つは元素からして全く別物だから周期を合わせるのは無理じゃない?
I :はい。では両周期の公倍数の金属ならどうでしょう。
レイカ:時間周期が公倍数…ああ、それなら、兄弟とはいわないまでも従姉妹同士ほどの関係になるかも…ね。
I :実験ミスは、有機金属の合成過程で周期設定を間違えたことで起きました。
レイカ:…う…ん、それなら、もしかしたら可能かも…αが「自己遭遇」するとき同時に移動するかもしれないわね。
I :その金属にデータを金属結晶化する方法で書きこみます。多次元カメラと同じ手法です。虹色に光っている部分が結晶金属です。
レイカ:これにわたしが先日何故「自己遭遇」したのか、その経緯が記録されている…
I :おそらくは…
..レイカはくっすと笑った。
I :なにか…?
レイカ:いえね、これとわたしが従姉妹同士だと思ったらおかしくて…
I :そうですね。時間次元では従姉妹ですねー。
..Iも笑う。
レイカ:とにかく急いで解読して欲しいけれど、できるかしら?
I :さっきも申し上げましたとおり、まだ試作品さえ完成していません。どんなに急いでも数週間はかかりそうです。さらに、この金属の固有時間はまだ公倍数時間のままですので、第一段階としてそれを元に戻さなくてはなりません。
レイカ:そうね…つまり「フーリエ変換」で周期を分解し、余計な周期を取り除く。そうしないことには何事もはじまらない…
I :はい。それですが、時間元がh.i.jの3つから成り立っているので、音波の「フーリエ変換」のように単純な話しではありません。合成するのは簡単ですが、分解となるとやっかいです。そのためのプログラムを開発中です。
レイカ:うーーん…
..レイカのあせりと失望がIに伝わった。
I :急いでみます。事情を幹部に伝えて最優先に回せるように努力します。
レイカ:お願いね。わたしから所長に連絡した方がいいかしら。
I :いえ、それは待ってください。そうすると僕が機密を漏らしたことがバレてしまいます。
レイカ:そうね。
I :できる限りの事はやってみます。2〜3日待ってください。連絡いたします。
レイカ:わかったわ。じゃ、お願い。
..Iは金属片と共に急いで立ち去った。すると空いた席をすぐに占領した者がある。
ムサシ:随分話し込まれてましたね。
..驚いて見るとムサシだった。
ムサシ:掛けてもいいですよね?
レイカ:ダメって言っても掛けるんでしょ?
..ちょっと嫌味を言う。そして、
レイカ:わたしも用は済んだので、これで「さよなら」よ。
..レイカは腰を浮かす。
ムサシ:楽しそうでしたが、彼とは親しいのですか?
レイカ:ええ、とーっても親しいの。
..そこでムサシはちょっと笑った。
ムサシ:嘘です。親しい仲ならこの時間帯に放って置いて帰るわけがありません。お食事まだでしょ?最近できたいい所を知っています。ぜひ紹介させてください。
..「けっこうよ」と答えようとしたレイカに畳み込むようにムサシが続ける。
ムサシ:で無かったら、ライブはどうです?チケットはなんとでもなりますから。
レイカ:マニホから聞いたでしょ?わたしがあなたとどうにかなる可能性はないって。
ムサシ:はい。伝言は聞きました。僕もどうにかなろうなんて大それた事は考えていません。だから却っていいじゃないですか、「独り食」より「人畜無害な二人食」のほうが。さ、行きましょうよ。
..レイカは踵を返す。「おやすみ」と言いながら背を向けると足早に入り口に向った。<早く帰って薔薇風呂に入りたい>フロントロビーを目指して急ぐレイカの進路を一組の男女が遮った。
レイカ:
..どちらも体にぴったりあった白色の制服だ。ウエットスーツに似た制服の胸には「高度医療研究所」の文字がある。
オトコ:レイカ・ダイセンダツ、拘束指示が出ました。穏やかに同行される事を望みます。
レイカ:拘束?なぜ?
オンナ:Spx1ウイルスに感染している疑いです。
レイカ:スペースX1?わたしが「宇宙菌」に冒されたって言うの?
オトコ:拘束は拒否できません。
..口論のようなやり取りのあと女の係官がレイカの腕を強く掴み、男が後ろに回った。
レイカ:ちょっと待ってよ!わたしがいつ何処で感染したというの?!
オトコ:詳しい事はわたしどもは知りません。後ほど医師から説明があると思います。さ、参りましょう。
..レイカは腕を引っ張られ、割り切れない気分を引き摺ったまま従った。乗せられた緊急車両は中空を突っ走り、10分後には研究所隔離病棟の最上階一室に放りこまれた。入ったレイカは呆然とした。室内が、異様に華やかで明るい。
レイカ:何?…これ!
..夥しい数の花で溢れている。<これって温室?、花屋さん?…>そう思った。だが室内を歩いてみるとそうでもなさそうだ。床は絨毯で、全体の作りは一流ホテルのスイートだ。静かにBGMも流れている。男女の係官は姿を消した。
レイカ:これ、どういうこと?
..独り言を言うと背後に声があった。
ミヤケ:驚かせて悪かった。
..入り口に一人の男が立っている。屯倉だ。レイカが振り返ると、屯倉が床に届くほど頭を下げた。
ミヤケ:このとおりだ。ごめん。驚かせてしまったよね。
レイカ:どういうことなのよ!
ミヤケ:こうでもしなきゃ、キミは捕まらないだろ?本当に悪いとは思ったけど、どうしても話しを聞いてもらいたいんだ。
レイカ:Spx1に感染というのは嘘ね。そうだろうと思ったわ。 ここの敷地に入るときに「ああ、これは屯倉くんの仕業だ」て気がついた。医療緊急車両に押し込み、隔離病棟へ連れ込めば、モスキートはもちろん、どんなガードも役にたたない。さらにここでは外部と連絡する手段が無い。そんな事に気付くのはあなたぐらいしかいないからね。でもね、これって拉致じゃない!
ミヤケ:そのとおり。弁解の余地もない。だから弁解しない。ただ話しだけは聞いてほしい。
レイカ:拉致しておいて話しもなにもあったもんじゃないわ。友人として一番信頼していたのに、これは何の企みよ!
ミヤケ:とにかく掛けてくれよ、お願いだ。
..屯倉は小脇に抱えていた機器をテーブルに置く。
ミヤケ:これを見てほしい。
..テーブルの上に映像が浮かぶ。
レイカ:何よ、これ?
ミヤケ:キミの卵子とぼくの精子の受精シュミレーションだ。
..レイカは先日の伝言をすっかり忘れていたのを思い出した。<もしかして、本気だったの?>屯倉は勝手に話しを進める。
ミヤケ:シュミレーションを何度も繰り返してみた。そして、そのほとんどに驚く結果が出てる。この受精卵のデータをみてくれ。なんと、常人の2倍の染色体を持っている。つまり「4倍体」だ。これまでに5千人近く試して意外に多い事例だと分かった。が、結局は発生過程でなんらかの異常を起こしてしまう。ところがだよ、これは違う。発生の映像を早送りするから見ていてほしい。
..画面の中で受精卵がどんどん分割を繰り返してオタマジャクシのようになった。いつの間にかレイカも映像に引き込まれてしまった。
ミヤケ:ここまでは問題ない。
..屯倉が呟く。映像はさらに進んでサカナのように変化し、やがて顕かにヒトの胎児になった。
ミヤケ:何度試しても同じ結果だ。異常は起こらなかった。
..屯倉は映像を止めた。
ミヤケ:ここで9ヶ月だ。間もなく誕生する。
レイカ:ちょっと待って。あなたの言うことヘンよ。わたしは生物に関しては素人だけど、やっぱりヘンよ。生殖細胞は染色体を半数しか持たない。というより半数にするためにわざわざ減数分裂するのよ。なぜこの事例だけそれが起こらないのよ?
ミヤケ:確かにそこが最初の関門だ。けど、その事は後に回そう。まずは充分信頼に足りるこのシュミレーションの行き着く先を確認しようや。
..再生が再開した。今度は平常速だ。
レイカ:手が4本有る訳でも、尻尾が生えてる訳でもなく普通の人間に見えるけど、どこか違うの?
ミヤケ:そこなんだ。染色体を見ると違いが分かる。
..像が代わりカリン糖状のものが整然と並んでいる。
ミヤケ:これがシュミレーションの染色体。常人との違いは?
レイカ:なにも。見た目に違いは無さそうだけど…あ!、やっぱりヘン!だって染色体が常人の2倍なら46対なきゃいけないわ。これは、同じ23対じゃない。
ミヤケ:そうなんだ。多すぎる染色体の殆どは発生の過程で分解され消滅してしまう。ところがこの場合に限り、一部分が新たに吸収されているんだ。これを見てくれ。
..映像の矢印が一つの染色体に移動すると、A,T,G、Cの長い文字列に変わる。一部分が赤色にマスキングされている。
ミヤケ:この赤色部分が常人と違っている。つまり新たに追加された部分だ。類人猿の登場後、人類は何度か遺伝子情報の追加・削除を経験してきた。その度に皮膚や眼の色素が抜けたり、あるいは濃くなったり、脳が新たな皮質を形成して容量を増やしたりすることができた。大きな変化は、およそ百万年単位で起こっている。そして次の百万年が到来したのだとしか思えない。おそらく遺伝子の容量が不足してきたのさ。それで追加されるのが、この赤色部分だと思われる。
..聞いているレイカには、何処までが本当で何処からマユツバなのか、すぐには見当がつかない。<なんか、胡散臭いなー>思っていると、
ミヤケ:出産だよ。
..屯倉の声が響いた。二人の目の前にまだ臍の尾が繋がった新生児が浮かんでいる。
レイカ:ストップ!
..屯倉が3D画像を停止する。
レイカ:ゆっくり回転してみて。
..新生児が中空でいろんな方向にまわった。レイカは食い入るように見つめる。
レイカ:やっぱり見た目にはどこも変わったところがないじゃないの。
ミヤケ:そうなんだ。外見上はこれといった変化はない。そこでぼくはさっきの追加DNAの追跡調査をしてみた。そして、その部分が新たに生み出す能力が分かった。なんだと思う?
レイカ:分からないわよ。
ミヤケ:眼だよ。
レイカ:眼?
ミヤケ:そう。ただしあえて名付けるなら、だけどね。
レイカ:どういうこと?眼なら、ほら、ちゃんと2つあるじゃない。
ミヤケ:「第三の眼」さ。
レイカ:え!…えー?
ミヤケ:外見には表れないけど、この新生児の額の表皮の下にはもう一つ目ができている。いや、眼というよりは特殊なセンサーと言ったほうがいいかな。
レイカ:え、えー!
..叫んだなり、レイカはしばらく声が出なかった。
ミヤケ:なんの為なのか、そのセンサーで何を感得するのか、それは分からない。ただ言えるのは、「人類はそれを必要とした。だからDNAの改変のチャンスを待っていた」と言うことさ。まさに新人類の誕生だ。
..<頭がぼーっとしてきた…>レイカが呆然としていると、入り口で軽やかにチャイムが鳴った。
ボーイ:オ食事ノ支度ヲシテヨロシイデショウカ?
..屯倉が、はっと頭を上げドアーに向って言った。
ミヤケ:ああ、頼むよ。
..ドアーが開きワゴンを押したボーイが入って来た。そのまま次の部屋へ進み、テーブルの支度する音が聞こえる。少し経って、
ボーイ:オ食事ノ支度ガデキマシタ。
..ボーイが告げる。レイカはまだ我を失った状態で突っ立っている。
ミヤケ:さ、お姫様、とにかく食事にいたしましょう。
..屯倉は笑ってレイカに腕を差し出す。言われて、レイカも空腹だったことを思い出した。屯倉の腕にエスコートされ通った部屋も花盛りの森のようだ。
ミヤケ:どうだったかな?できれば感想を聞かせてもらいたいが…
..乾杯の後で屯倉が言った。レイカも少しは我を取り戻してきた。
レイカ:まだ何が起こっているのか理解できない。だから感想などないわ。でも、私は卵子を提供した覚えはないのにどうしたの?
ミヤケ:そんなの簡単さ。髪の毛1本でもDNA情報が手に入れば、あっという間に解析され、どんな卵子を持つか計算される。今では「能力」から「性格」まで瞬時にわかるよ。そうそう、一つ未回答の質問が残っていたね。そもそも「なぜ今回の検体の生殖細胞は減数分裂しないのか」ということだったよね。
レイカ:そうよ。ありえないことじゃない?
ミヤケ:もう400年近くも前、ようやく医療機器技術があがって多くの事が分かってきたんだけど、胎児についても分かったことがある。受精卵を詳しく検査すると、それまで考えられていた以上に双生児が多いと言う事だ。確率は25分の1くらいになる。それについて当初はいろんな意見があったようだけど、もう少し時代が下ると原因がはっきりしてきた。結論を先に言った方が分かりやすいよね。減数分裂は約5分の4の確率で起こる、それが結論さ。
レイカ:5分の4?残り5分の1は?
ミヤケ:分裂しない。つまり2倍体のまま生殖細胞になる。
レイカ:そんな…バカな…
ミヤケ:そう、皆がそう思った。ある意味かなりショックな話しだろ?だからいくら観測事例を挙げても、この事実が受け入れられなかった。それくらい強く「減数分裂絶対」だった。
レイカ:ショック、それが真実ならかなりショックだわ。それは卵子の話し?
ミヤケ:いや、精子も同じだ。つまり卵子・精子ともに5分の1は「2倍体」なんだ。だから受精卵は、当初は25分の1の確率で「4倍体」だということさ。
レイカ:ちょっと待ってよ。じゃ、「4倍体」のヒトがうじゃうじゃいるはずじゃない?いままでに「4倍体」の人類なんて発見されてないわよ。
ミヤケ:「4倍体」の受精卵は、10分の9が発生過程で分解され吸収されて消滅してしまう。やはりどこかに無理がある、ということかな。
レイカ:残りは?10分の1は?
ミヤケ:奇跡的に「2個の受精卵」に分割する。つまり「双生児」だ。
レイカ:じゃ、…
..そこでレイカの眼は天井を見上げた。
レイカ:ということは…人類の250分の1は双生児?…
ミヤケ:そう。ただし、いま話題にしているのは一卵性双生児の場合だよ。その上、双生児の誕生確率は人種や民族で差があるから一概に決めつけはならない。
..fuu..、レイカは溜息をついた。
レイカ:久しぶりに面白い話しを聞いたわ。あ、だけどよ、さっきのシュミレーション、双生児にならなかった…どういうことよ?
ミヤケ:さっきも説明したように、余分な染色体は分解され消滅するんだけど、シュミレーションで見た事例は、ほんの一部が新たに取り込まれる、百万年に一度の奇跡的な事象なんだ。
レイカ:なぜよ?なぜそんな事が起こるの?
ミヤケ:分からない。DNAが、それを望んでいるとしか表現のしようがない。もしかしたら…
..今度は屯倉が天井を見る。
レイカ:もしかしたら?
ミヤケ:キミは多くの時間旅行を経験している。それが影響しているのかなー、ととりあえず思っている。
レイカ:ふーーん。じゃ、あなたの方はどうなのよ?
ミヤケ:ぼくは「完全人間」の出現を強く夢見ている。そのせいかな?はは、だけど、この説はあてにならない。
レイカ:「新人類」かー。話しとしては面白いわね。
ミヤケ:だから、だからキミとぼくは共生すべきなんだよ。
レイカ:そう繋がるの?それとこれとは話しが別よ。
ミヤケ:だけど「新人類」を自分たちで育ててみたいだろ。いや、是非ふたりで育てようよ。何百万年先には、世界は「新人類」だけになる。その原点がぼくたちだ。アダムとイヴなんだ。いや、イザナギ、イザナミかな?
レイカ:ずいぶん大きく出たわねー。なにもプロポーズに神話まで引っ張りださなくても。
..レイカが笑ったところへデザートとコーヒーが出た。
レイカ:今夜の拉致罪は、料理がおいしかったから、まあ、半分だけ許してあげるわ。だけど、きっと今頃本部では、わたしが行方不明だって騒いで探しているわよ。これで帰るわね。あなたも気が済んだでしょ?
..レイカは立ち上がる。
ミヤケ:いや心配ないよ。本部には「Spx1感染の疑いで拘束した」事を伝えてある。だから騒動にはなっていないよ。せっかくVIPルームを用意したんだし、時間も遅い。今夜はここで薔薇風呂に入って美容マッサージでも頼んでゆっくりしていったら?
..レイカは時間を確認する。そして気持ちが揺らいだ。いまから移動することを思えば、確かに屯倉の提案は魅力的だ。
レイカ:まだ何か企んでいるんじゃないでしょうね?
..屯倉が急いで手を振る。
ミヤケ:ないない。今夜のことは悪かった。それは謝るよ。でもこれ以上何も企みなどない。
..そして少し言い淀んだ。
ミヤケ:…企みはないけど…
..言いながら内ポケットから折り畳んだ紙を取り出す。
ミヤケ:願望はある。
..テーブルの上で紙を広げる。「共生届」の用紙だ。
ミヤケ:いやー、笑われたよ。
..屯倉は今日の午後、事務室でその用紙のプリントアウトを事務員に頼んだ。施設内のコンピューターは安全管理のため外部と接続していない。一般の用途で使用できるPCは、事務室の特定の機種のみに限られているからだ。依頼を聞いた女子事務員は「共生届?まあ、それはおめでとうございます」と言った後我慢しきれず笑い出した。「ごめんなさい。だって、今どきペーパーで届けを出す人なんて聞いたことないです」
..聞いたレイカも大声で笑ってしまった。そしてテーブルの用紙を見ると既に屯倉はサインしてある。
ミヤケ:明日の朝までにこれにサインしてくれること、それがぼくの願望だ。そして共に「新人類1号」を見守ろうよ。
レイカ:すごく興味深いわよ。でもね、それとこれは別。
ミヤケ:まさか、「生涯共生しない」と決めているんじゃないだろうね。
レイカ:いいえ。そんな訳ないわ。
ミヤケ:それとも、もう誰か決めている?
レイカ:それも違うわ。生涯を共闘する伴侶として、あなたをランクづけするなら今のところ多分1位よ。あなたはそこそこに魅力的で信頼できるわ。ただ、わたしが今はその気分じゃないってこと。
ミヤケ:んー、じゃ希望を持ってもいいんだ。
レイカ:将来ありうるかも、という意味ではね。
..屯倉は機嫌良く引き下がった。レイカはエスティシャンを呼び、ゆっくり風呂に入って寛いだ。が、バスタブでプロジェクトのことが湧き上がってきた。<ノニコ・マユカ組は今日はどうだったかしら?それにタニキ・ハルト組ももう帰っているはず…>思い出されると落ち着かない。<何か問題が起きてはいないかしら…>


..第一回時間旅行が終わった。モニターのハルト(今泉 遥登)は、次の日には急いで名古屋の自宅マンションに帰ったのだが、その顔は満面の笑みで輝いてさえいた。自宅に戻ると意気込んで妻に訊いた。
ハルト:留守になにか変ったことなかったか?!
..ドアを開けた妻は、勢いに気圧され眼を剥いた。
妻 :なによ!「ただいま」も無しでなに言ってんの?
..そこへようやく片言が話せるようになった子どもが「パパ」と出てきた。ハルトは笑顔で子どもを抱き上げる。
ハルト:だから、我が家の財産だよ。
..スーツを脱ぎダイニングに落ち着く。
ハルト:遺産だよ。オヤジの遺産について連絡がなかったか?
妻 :遺産?いきなり何?あなた、頭だいじょうぶ?遺産なら以前に貰ったじゃない。時間旅行で頭がおかしくなったんじゃないの?そんな事より、お父さんお母さんには会えたの?どうだったのよ?
ハルト:いやいや、ちょっと待て。オヤジの遺産に何をもらったっけ?並べてみてくれ。
妻 :三千万円と役にも立たない山林の一部分よ。で、相続税をがっぽり取られて、残りをこのマンションの頭金に当てたんじゃないの。
ハルト:それは分かってるよ。それって以前のままじゃないか。オレが留守の間に増えてないかを訊いてるんだ。
妻 :増える?増える訳ないじゃない。どうしたのよ?本当に頭がどうにかしちゃったんじゃないの?
ハルト:ほんとに変ってないんだな?
妻 :いい加減にして!それより久しぶりにお父さんに会えたんでしょ?どうだった?詳しく教えてよ。
..U--nn、ハルトは腕を組み体をソファーに投げ出すと唸った。
ハルト:そーか…ダメだったか…
..その晩の食後、テレビを見ながら水割りをやっていたが、内容など頭に入ってこない。彼の落胆は、それほどに大きかった。もくろみでは、今頃大金を手にして有頂天になっているはずだった。呆然としているところへ子どもを寝かしつけた妻が戻ってきた。
ハルト:なぁ、やっぱりオレたちの遺産の取り分少ないと思わないか。
妻 :なんで、遺産、遺産てこだわってるの?そりゃ、正直いえばもうちょっとあっても良かったんじゃ…と思わないでもないわよ。でもよ、元はと言えばあなたのせいよ。長男のあなたが素直に跡継ぎになってお父さんの会社も引き継いでいれば、遺産のほとんどは相続できたはずよ。でもあなたは会社を継ぐのが嫌だったのよね?結局は弟さんが跡を継いだのよ。だから財産も殆ど弟さんが相続したのは、仕方ないじゃない。弁護士さんも妥当な線だということで落ち着いたんだから今更何を言ってもムダよ。もう時効よ。考えるだけバカらしいわ。
..そしてベッドに入って呼吸が落ち着くと、昨日の時間旅行が蘇って来た。移動したのは6年前のハルトの実家近くだ。名古屋の東方、車なら中空道を20分の山地に近い住宅地だ。密集した民家の所々に古い大きな樹木の残った場所が点在している。そうした場所は、だいたい数百年以前から農家だった所だ。そしてハルトの実家も古いルーツを持つ家だった。山林も所有していたため、何代か前の祖先が木材業を起こして一時は隆盛をきわめたらしい。物陰から確認した母親は近所のオバサンと笑い転げていた。それから、近くにある会社に向かい父親と弟の様子も見届けた。父親が指図して弟が重機で木材を運んでいた。6年ぶりに両親の元気な姿を見ると、さすがに胸に迫るものがあった。父親が事故で突然亡くなるのは、それから1年後だ。商用で出かけた東京でコンビニに立ち寄った。飲み物を買って外で立ち飲みをしていた。そして父親は母親を同伴していた。どうせならついでに歌舞伎を見ようと誘ってご機嫌をとったのだ。そこへパトカーに追われた単車が運転を誤り、電柱に激突してコンビニに突っ込んできた。あっという間に父親は直撃をくらい、母親が接触した。父親はほとんど即死で、母親は飛ばされてウィンドーに叩きつけられた。
タニキ:どうでしたか?久しぶりのご両親は。
..再会のあと、2人は移動定点近くに戻った。先導したのはタニキだ。タニキは、ハルトが物陰でまだ生存中の父親に合掌し、涙ぐむのを見ていた。
ハルト:ええ、話しがしたかったです…
タニキ:分かります。が、お気の毒ですがそれはできません。あとあと色んな齟齬を生みかねないので。
ハルト:はい…久しぶりに会って、オレは親のためになにもしてこなかったなーとつくづく実感しました。いい歳をしてお恥ずかしいかぎりです…
タニキ:多くの人がそんなものじゃないですか。わたしだってヒトのことは言えません。
..タニキはハルトのしおらしさに少し心を動かされている。だからハルトが企みを抱いていることなど思いもしなかった。やがて帰還の時間になり移動定点に向おうとしたとき、ハルトがコンビニに寄りたいと言った。
タニキ:なにか、欲しい物でも?
ハルト:ちょっと喉が乾きました。
..途中でコンビニに寄り、ハルトは店内を一巡した。その間タニキは入り口近くで雑誌を取り眺めていた。タニキにとって6年前の雑誌になる。わずか6年だが、古い記憶に触れたようで妙に懐かしい気分だ。ハルトはレジを済ませて近寄って来たのだが、会計のとき内ポケットから財布と共に封書を取り出し、素早くポストに入れた。それにはタニキは気付かなかった。その手紙の主な内容は次のようだった。
.....今の会社に7年勤めたが、これからの人生を思うとき疑問と不
.....安を感じている。
.....いっそう馴染んだ環境の中で生きていけるなら、その方がいい
.....のではないか。
.....木材業の現況は確かに芳しくないが、自社製品を開拓するアイ
.....デアがあり、それこそが自分の天職ではないだろうかと、最近
.....思っている。
.....考えを受け入れてもらえるなら、会社を継ぐ考えがあるが
.....どうだろうか?
..つまり、今まで拒否してきた「跡継ぎ」を引き受ける意思表示をした。そうすれば、1年後の遺産の取り分がおおむね4倍になるという計算だ。ハルトは「時空学」には当然無知だ。だがそれなりに想像してみた。<実時間に帰還すると、手紙のおかげで自分の環境がすっかり変わっている可能性がある>そう期待したのだ。だから帰還後に一番に調べたのは、当然その事だった。果たして親の会社を継いでいるかどうか。もし継いでいれば、多くの地所を遺産として引き継いだはずだ。呼吸がくるしくなるほど胸を高鳴らせて調べたWebsiteは、すぐに答えを教えてくれた。会社はなにも変わっていなかった。社長は弟だった。がっくりと力が抜けたが、希望は捨てていなかった。<少しは手紙の効用があるのではないか…もしかして遺書があるかもしれない…>希望を取り戻し、意気揚々と我が家に帰ったのだが、そこでも何の変化もなかったのだ。






「この道はいつか来た道、いつか行く道?(3)」へ続く





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