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この道はいつか来た道、いつか行く道?(4)

 
...................................................- Rena エピソードV -
 

星空 いき

Hosizora Iki
















登場人物
.................................コード資料....称号と範囲









..機関の中心部は「オオオク(大奥)」と呼ばれ、ダイセンダツ以上しか入れない。そしてそのオオオクには様々な施設があるのだが、そこに数十の施設があると言われても誰も信じない。なぜならオオオクの敷地はそんなに広くないからだ。全ての施設はオオオクの地下にある転送室から移動するのだ。そして、それぞれの施設の本当の所在地は知らされていない。「国内の何処か」だけしかわからない。機密保持と安全を考慮した結果だ。
..その一つ「高度資料館」にレイカはいた。そこには時間移動に関するあらゆる文献・論文が保管されている。アクセス許可を得た者しか閲覧できないどころか入館すらできない。閲覧個室でモニターを操作して目的の資料を探し「閲覧希望」をクリックする。しばらくすると壁が開いてストレッチャーが出てくる。その上にジュラルミンのボックスが乗っている。IDカードをボックスに差し込むとロックが解除されて蓋が開いた。天井からガイドロボの声がする。ボックスの中身の確認を求め、閲覧に当たっての注意事項を説明する。レイカは資料を挟んだホルダーを取り出した。「多次元時界における位相の捩れに関する研究」レイカはまずばらばらっと全体の分量を見た。読み終わるのにどれくらいの時間がかりそうか見当をつけるためだ。
レイカ:んー、何日かかかりそうねー…
..ここには私物は一切持ち込めない。モスキートまでも回収された。唯一使用できるのは、デスクに用意されたアナログ鉛筆とメモ用紙、固定された計算機だけだ。もしメモを持ち出そうとすると出入り口で警報が鳴る。自分の脳に記憶するしかない。
..レイカはモニターにガイドロボを呼び出す。
レイカ:90分経ったら教えてね。
..と、タイマーを命じた。
ガイボ:カシコマリマシタ。オ飲ミモノハヨロシイデスカ?
..それは断り、椅子で楽な態勢をとってレイカはようやく念願の論文に出会うことができた。その内容についていままでにいろいろ想像を巡らせ自分なりの結論は出ている。だが、他の理論との整合性に違和感がある。ようやく本物にたどり着けた。<わたしの考えがどこが違っていたのか…>レイカはすぐに没頭した。
..異次元に浸りきっているレイカの脳に、軽やかなチャイムの音が響く。
ガイボ:90分経過シマシタ。
..レイカはメモ用紙で計算途中だ。ちょうど思考が乗り切ったところだった。
レイカ:えっ、もう…
..頭をあげる。いま中断するのは未練がある。が、この後の予定が蘇る。それらを想い起こすと、このまま作業を続ける訳にはいかない。軽く息を吐いて、
レイカ:分かった。今日はここまでにしておくわ。
..と、片付け始めた。
ガイボ:「メモ」ハ、イカガイタシマショウ、破棄シテヨロシイデスカ?
レイカ:いえ、このまま残しておいて。次回にまだ必要だから。
ガイボ:ハイ。デハ保存イタシマス。署名ノウエ、「メモホルダー」ニ入レlockシテクダサイ。
..片付けて部屋を出る。頭は、論文の数式で興奮気味だ。すぐ帰る気になれず、そのまま明るい庭に出た。ずっと向こうは海原のようだ。光が踊っている。風景も穏やかなら、この施設も静かだ。ここに転送されてから人間に一人も会っていない。当てもなく進んで行くと、土地が盛り上がった所に小さな杜があり、古びた木造の祠らしきものが見える。<社?、「高度資料館」になぜ?> 近づいてみた。やはり社らしい。木造の白っちゃけた鳥居が立っている。そしてその下で鳥居を見上げたとき、不思議な感覚がレイカを襲った。<ここ…わたし、来た事がある。わたし、ここを知っている…>それは、妙に懐かしく、どこか甘い匂いさえ伴った古い記憶に似ている。だが、ここは「高度資料館」の中だ。過去に来ているはずがない。いや、ここに入れるはずがない。それでもレイカには、妙に懐かしい場所に感じられてならない。<これってデジャブ(既視感)?>そう思っても納得できない。レイカは社まで進むと一回りしてみた。小さな祠だ。<どうしてこんな所に必要なの?>回り終わるころ柱の傷が眼についた。なぜか気になり近寄ってみる。石でひっかいたような傷だ。
..と読める。レイカはしばらくそれを見つめていた。<わたし…わたしが書いた?…なんらかの意図があって…>レイカの表情が厳しくなった。それ以上考える気になれない。いや、考えたくない。
レイカ:もしそうだとすれば…<
..踵をかえし、あわてて引き返した。「オオオク」を通過し部屋に急いでいると電話が鳴った。ボダイAだ。
A:今どこにいる?
..声があせっている。レイカは腕のおしゃれなブレスレットに眼をやる。そこにはめ込まれたLEDが黄色く光っている。通話相手の心理状態が六角形グラフで表示されるのだ。<なにか起こったな>Aの興奮レベルが2を指している。
レイカ:なにかありましたか?
A:モニターの第二回実施は今日だったよな。もう二人は行ってしまったのか?
レイカ:はい。今朝の9時に出立しました。
A:そうか。キミは何分でワシの部屋にこられる?
レイカ:近くにいます。5分とかかりません。
A:よかった。とにかくすぐに来てくれ。
..レイカは移動椅子に進路変更を告げる。椅子は180度回転しボダイAの部屋を目指した。部屋ではAのほか2名が額を合わせていた。年配の女はレイカもよく知っている。ジハンギの事務局長だ。その事務局長が40歳くらいの男を紹介した。事務局の職員で、Aの依頼により今回モニターの再調査を担当したスタッフだという。
A:事務局長、こちらのレイカ・ダイセンダツにもう一度説明してあげてくれ。
ジム長:はい。説明の前にお詫びしなければなりません。当初の調査が充分に徹底していませんでした。誠に申し訳ありません。
レイカ:と言いますと?
ジム長:こちらが今回のモニター当選者の一人マユカさんです。
..事務局長はテーブルの上の写真を指す。指されたマユカのほかにも数人の写真が並んで印刷されている。
レイカ:そうよね。
ジム長:で、こちらの男性がジョージさん。
レイカ:ええ、マユカさんの恋人の。
ジム長:それから、こちらの女性はご存知ですか?
..事務局長はジョージの隣の落ち着いた感じの女性を指す。レイカは眼を近づけて見入る。
レイカ:…いいえ。
ジム長:ミサキさんと言ってジョージさんとは高校の同級生です。
レイカ:ミサキ…その名前には聴き覚えがあるわ…えーっと…そうそう、ジョージさんのストーカーがたしかそんな名前だったはず…
ジム長:それがですね、どうもちがうようなんです。
レイカ:ちがう?
ジム長:はい。ジョージさんの恋人はこのミサキさんで、高校卒業後も二人はずーっと付き合いが続いています。ですから、もうかなり永い付き合いです。
レイカ:ちょ、ちょっと待って。じゃ、ジョージさんは二股をかけていたの?
ジム長:いえ。ジョージさんが付き合っているのはミサキさんだけです。
レイカ:でも、マユカさんはジョージさんが自分の恋人だと断言してるわ。そしてミサキさんがストーカーをしているとも。
ジム長:最初の調査では、わたしどももそれを信じました。今回の再調査に当たっては、より詳細にということでしたので「時間朔行」して過去から調べましたので間違いありません。
レイカ:じゃ、マユカさんは嘘をついている、ということ?なぜ?
ジム長:そこまでは分かりません。恋心が募って自分でもそう思い込んでいるのかもしれませんが。
レイカ:Fu-,いまさらそう言われても…
..レイカはソファーに体を投げ出した。
A:まったくだ。それで、もう一人、ハルトのほうはどうだ?
職員:ハルトさんの再調査ですが、
..今度は職員の男が発言した。
職員:まずは、当初の調査報告と異なる点を申し上げます。当初の報告にあったほど親思いではなさそうです。両親は家業の会社を継ぐことを望んでいましたが、親との同居を嫌い独立しました。
A:じゃ、なぜ当初の調査員は勘違いしたのだ?
職員:勘違いというより、面談時の本人の演技力が勝っていたと考えられます。今回高校の友人などにも詳しく当たりました。その結果、割と自分本位な性格と判明いたしました。親の不慮の突然死を悔やんで再会を望んだとは思われません。
A:なんということだ!
職員:さらに、高校からの友人の発言ですが、最近ハルトさんと飲んでいたとき妙に機嫌がいいので追求したところ、「オレには豊かな未来が約束されている」というようなことを漏らしたそうです。今回のプロジェクトと関係があるかどうかわかりませんが…
A:
..レイカはほとんどうつぶせに近い状態で聴いていたが、突然がばっと身を起こした。他の3人は驚いてレイカを見つめる。
レイカ:そうよ、きっとそうよ!
..マユカは嘘をついていた。ハルトは親の心配などしていない。そしてRの文字。<とんでもないことが起ころうとしている。いや、過去に起こってしまったのだ。そして時間がループに嵌り、抜け出せないまま同じ時間を繰り返している…きっとそうにちがいない!>さっき鳥居の下で湧き上がってきた違和感。あれは現実なのだ。確固たる証拠はない。が、レイカはそう確信を持った。
..レイカは部屋を飛び出し移動椅子に乗った。
レイカ:転送室へ急いで!
..命じるとすぐに電話をかける。相手は次元物性研究所のIだ。
レイカ:わたしよ、レイカ。例の金属片はどうなってるの?
I :ああ、先生。昨日ようやく一部が解読できました。あとでご連絡しようと思っていたところです。
レイカ:一部ってどの程度?
I :全体の2割ほどでしょうか…
レイカ:2割…、残りにかかる時間は?
I :そーですねー、2日は必要です。思っていたより遥かに難物でして。
..さらにIは解析の苦労話しを始めた。レイカがそれを遮る。
レイカ:急ぐの。2割でもしかたがないわ。取りに行く。
I :えっ、じゃお届けしますよ。
..移動椅子にロビーへの変更を命じ、着くとすぐにμ(ミュー)に乗り換えた。
レイカ:次元物性研究所よ。
..μはすぐに出発した。再度Iに電話する。Iも次元物性研究所を出発したところだという。レイカはμに話しかける。
レイカ:ね、次元物性研究所のIが、いま向こうを出てこちらに向っている。出会うまでの時間は?
μ :ハイ。3分30秒、プラスマイナス5秒デス。
..μは即答した。
レイカ:ありがとう。
..<マユカは嘘をついた。ハヤトは自分本位の人間だ。だからといって何が起こったの?わたしが自己遭遇までして修正した事態って、なに?>そしてなにより一番大きな疑問は、時間分岐の結果なぜその一部分のみがループすることになったのか、だ。考えているとμが呼んだ。
μ :間モナク目標車ト遭遇シマス。上空ヘ退避シマス
..少しづつ速度をおとしながらμはゆっくり昇り始める。10メートルほど上がると停止した。そして視野の前方に1台の車が登ってきて横並びに停車した。
I :これが解読できた文章です。残りはまだ断片的で文の構造をなしていません。
..Iは1枚のプリントを渡した。
レイカ:ありがとう。で、金属片の本体は?
I :持ってきました。これです。ずいぶんお急ぎのようですが、なにかありましたか?
レイカ:ごめん。ゆっくり話してる訳にいかないの。ただ、これだけ頭に入れておいて。「時界の位相の捩れ」の問題を解決しないとこの記憶チップは面倒を引き起こす原因になるようよ。詳しいことは、落ち着いたらゆっくり説明するわ。じゃ、また。
..レイカは引き返し、Iはぽかんと見送った。レイカに渡された印刷物は確かに短かった。

................テストプロジェクト(カイホウ)は中止し、
.................全てを白紙に戻すべき。

続いてプロジェクトの経緯が極めて簡明に箇条書きされているが、第1回の結果報告で終わっている。特に目新しい内容は無い。<ここまでか…>後は未解読なのだ。μが本部に戻ると、レイカはすぐに転送室に向った。その間新たに生じた疑問が脳で渦巻く。<今すぐこの金属片を消滅させるとどうなるのか…>おそらくループは消滅し、時間は分岐した時点から正常な流れに修正される…<そう思われる>だが別の考えが頭をもたげる。いま起ころうとしている(いや、もしかしたら起こってしまったかもしれない)重大な事故は修正されることなく、過去として固定する。<そうなるのかも知れない…どちらにしろ、この金属片の存在が時界の位相を捩れさせてしまったことは、まず間違いない…どうしたものか…>結論が出ないままに転送室に着いてしまった。
...........................................登場人物
..電車が着くたび駅からは夥しい人があふれ出て来る。ほぼ全員が10〜20代の若者たちだ。そしてみな催眠術にかかったように同じ方角をめざして行く。「ことばろ球場」でのランチョン公演に吸い寄せられているのだ。
マニホ:混雑は覚悟していたけど、すごいヒトの数ねー。
..マユカの先導士が交代した。レイカの指示で、ハルトにタニキとノニコがつくことになり、急遽刈りだされたマニホがマユカについた。そして今、二人は駅前広場の端に立って人波を見ている。
マユカ: そうですね。5年前の風景です。懐かしいわ。みなコンサートに行くんでしょうね。チケットは取れました?
マニホ:完売だった。だから裏から手を回し、招待客の分を手に入れたわ。わたしの事よりあなたこそ注意して。もうじきジョージさんとこちらのあなたが現れるよね?。
マユカ:はい。そろそろです。
マニホ:絶対に80メートル以内に近づかないでね。万が一近づきすぎると二人のあなたが合体し、二度と元の世界に戻れなくなるのよ。忘れないでね。もし急激に体力が落ちてきたら、「こちらのあなた」が200メートル以内にいるってことよ。その時は迷わずわたしに伝えて。
マユカ:わかりました。それで……あの…
..マユカの態度が落ち着かない。
マニホ:どうしたの?恋人が現れるのでどきどきしてる?
..マニホは笑いかける。
マユカ:いえ…トイレ…トイレ行っていいですか…
マニホ:えー、いま?困ったわね、ちょっと待てない?
マユカ:ごめんなさい。実はさっきから我慢してたんです…けど、限界…
マニホ:もう!しかたがないわね。じゃ、早く済ませて来て!
マユカ:ごめんなさい。
..マユカはダッシュすると人の川を横切り消えた。
マニホ:もう、まったく!小学生じゃないんだから。
..マニホはぶつぶつ言いながらコンパクトのような物を取り出す。開いて鏡をタッチする。鏡が白く変り、文字が表示される。
..このセットのモスキートのコード名
......1番機:ブーン1
......2番機:ブーン2

マニホ:ブーン1、発進。
..マニホが小声で司令を出す。小さな埃のようなものが舞い上がりすぐにスクリーンにマニホの顔が現れた。
マニホ:後方へ50メートル。
..画面が流れ人の群れが映る。
マニホ:その位置で建物の方を見て。ジョージさんを探して。
ブン1:了解。顔認識ヲ開始シマス。
..ジョージの写真は出発前に登録してある。これで間違いなく見つけてくれるはずだ。画面を見ながらマニホはマユカを待った。10分経った。マユカは戻らない。マニホは苛立ちを感じ始める。<なにしてんのよ!早く戻りなって!>さらに5分が経過したときマニホのケータイが鳴った。さっき「移動定点」でケータイを借りてきた。マユカと連絡用に2台だ。電話はてっきりマユカだと思い、文句が口をついて出ようとした。
レイカ:マリ(麻里)、あたしよ、レナ(麗奈)。いまどこにいる?
マニホ:え、レナ?、どうしたの、こっちに来たの?
レイカ:ちょとした緊急事態よ。 マユカさんはそこにいる?
マニホ:いえ…トイレ。
レイカ:えっ、居ないの?眼を離しちゃダメよ!モスキートは付けた?
マニホ:すぐ戻ると思って付けてない。
レイカ:そんなー!ケータイは持ってるでしょう?電話してみて!
..マニホは登録したボタンをクリックする。「この電話は電源が切られているか…」メッセージが流れる。あわててレイカに掛ける。
マニホ:だめ。電源を切っている。けど、イチタン(位置探査発信機)は付けたから見てみる。…あ、トイレ脇を歩いてる。
レイカ:急いで行ってみて!わたしも行く。
..マニホは大あわてでトイレに向った。人波に押し流されながらようやくトイレ近くに来ることができた。ケータイでマユカの居場所を探した。さきほどより少し移動している。後を追おうとすると、
レイカ:マリ!
..と呼ばれた。レイカが駆け寄って来る。
レイカ:どこ?マユカさんは?!
マニホ:近くよ。
..ケータイを見せ二人で後を追う。すぐにケータイのbeep音が高くなり二人の足が止まった。
マニホ:ここのはずなんだけど…
..揃って辺りを見回す。が、マユカの姿はない。
レイカ:へんねー…
..見渡していたレイカの眼が一人の女の子に止まった。ベンチでソフトクリームを舐めている。
レイカ:もしかして…
..レイカは女の子に近づく。
レイカ:こんにちは。おいしそうねー。
子:うん。おいしいよ。
..園児らしい少女は笑う。レイカの眼が目標を見つけた。
レイカ:そのブローチ、きれいね。どうしたの?
..レイカの指が胸のブローチを指す。
子:これ?さっき拾った。
レイカ:拾ったの?どこで?
..少女によるとトイレ近くの植え込みに落ちていたらしい。
レイカ:あのね、それ、わたしが落としたの。
子:へー、これ、お姉さんのブローチ?
レイカ:だから返してくれるとうれしいんだけど…
..言いながらバッグのなかをかき回す。そしてピンクのペンを取り出した。
レイカ:これと代えっこしてくれない?
..少女は快諾した。交換が済むとレイカはマニホに「ことばろ球場」へ行くよう指示した。
レイカ:いいこと、なんとしてでもマユカさんを見つけるのよ。ケータイつがらず、モスキートもイチタンも付けてない。この雑踏の中で発見するのは大変よ。でも、必ず見つけなければならないの。仮に見失うとなると大失態よ。しっかりやってね。
マニホ:わかった。いまモスキートがジョージさんを探している。きっとここで彼を見つけられるだろうし、二人は球場近くの喫茶店で待ち合わせているから捕まえられると思う。見つけるよ。
レイカ:そう。わたしはハルトさんの方へ行かなきゃならない。手伝えないけどがんばってよ。見つけたら電話してね。ただジョージさんが待ち合わせているのは、マユカさんじゃないと思う。
マニホ:?、どういうこと?
レイカ:ジョージさんとデートするのは、おそらくミサキさんよ。
マニホ:え!ますます分からない。
レイカ:詳しく話してる時間がないの。もしそうならマユカさんを見つけてどうしても拘束しなければならない。でないと、マユカさんは合体してしまう可能性がある。
マニホ:そんなー!、それだと時間分岐が起きてしまうよ。
レイカ:そうよ。だからなんとしてでもマユカさんを見つけなければならないの。頼んだわよ!連絡ちょうだいね。
..うなずいたマニホを残しレイカは去った。マニホは考えた。<「ぶーん2」にマユカさんを探させるか…>だが、どこにいるのか、場所の見当がつかない。悩んでいるとbeep音がした。
ブン1:♪♪、「ジョージ」サン発見。
..コンパクトを開く。人の顔が溢れている。中の一つが四角いオレンジ枠で囲まれている。<居た!>
マニホ:そのままジョージさんを追尾して。
ブン1:了解。追尾シマス。
..<少なくとも、マユカさんはジョージさんの近くいるはずだ。ここへ来るのは、そのためだもの。でも、ジョージさんのデート相手がミサキさんってどいうこと?なんでストーカーと?>ジョージは早足で進んでいく。マニホは、ときどき画面を確認しながら後を追った。球場近くでジョージは迷いなく喫茶店へ入った。ガラス壁面の傍に席を取ったので外に居るマニホにも充分に確認できた。マニホはそのまま外から観察することにした。マユカもどこからか様子を窺っているのではないかと考え、辺りに気を配りながら待った。<きっとマユカさんは現れる>
..やがて1時半になろうかという時だった。喫茶店近くに一人の女性が現れた。<マユカさんだ!やっぱりジョージさんとデートするのはマユカさんよ>マユカを発見したことでマニホは一安心だ。さっそくレイカに電話する。
マニホ:マユカさん発見。ジョージさんは球場近くの喫茶店に着いた。そしていまマユカさんが来たわ。
レイカ:そう、ミサキさんじゃないの?おかしいわねー。で、そのマユカさんはどっち?
マニホ:え?
レイカ:だから、現れたマユカさんは、こちらのマユカさん?それともあなたが先導したマユカさん?
マニホ:いまのところ分からない。なんとかして確認する。
レイカ:急いでよ。タイムリミットが迫っていると思われるから。どっちにしてもマユカさんが合体してしまう危険性は非常に高くなっている。本人をよく観察して「おかしい」と感じたら強制確保よ。なんとしてもマユカさんの合体だけは避けなきゃ!
..電話しながらマニホの眼はほとんどマユカに向けられていた。<なぜすぐにジョージさんの所に行かないの?>マユカは建物の陰に隠れるようにして 周辺を窺っている。<もしかして、わたしを警戒しているのかしら?>マユカはケータイが気になるようだ。しきりに覗き込んでいる。<電話かメールを待っているのかな?だけど電源を切っているはず…>マニホは電話してみる。やはり同じ音声が流れ繋がらない。<時間だ…時間を気にしているんだ>
マニホ:<なぜ時間が気になる?ジョージさんが着いていることは知っているのに…>それにしても、あなたはどっちのマユカさんなの?
..つい言葉が口をついて出てしまった。マユカは意を決したようだ。顔をあげると店の入り口に向ってさっそうと歩き出した。マニホはコンパクトを開く。「ぶーん1」はジョージの近くの高みに止まっているらしい。退屈気なジョージの表情に店内のBGMが重なる。画面にマユカが入ってきた。ジョージの表情が険しく変った。立ち上がって言葉を交わしているが、待ち焦がれた恋人とのデートという雰囲気ではない。
マニホ:ぶーん1、接近して音声を明瞭に。
..画像が拡大され音声が届く。まずジョージの声が飛び込んで来た。
ジョジ:ウソだ!…ミサキが事故なんて…
マユカ:いえ。本当です。電車に乗る前にコンビニに寄り、そこへ二輪車が突っ込んできました。わたしの目の前でした。直撃されミサキさんは跳ね飛ばされてしまいました。一瞬のことで、わたしはただ驚いて駆けつけました。手足が動いていたので声をかけ抱き上げたんです。意識はありました。近くの人が救急車を呼び、わたしは励まし続けました。そしたら、この喫茶店の名と「ジョージさんが待っている」と言ったんです。それで、「ことばろ」なら近いと思って飛んで来ました。
ジョジ:!、ミサキは無事なんですか!?
マユカ:ええ、命に関わることはないと思います。すぐに救急車が来て手当てをして運んでいきました。
..ジョージはケータイを取り出す。ミサキにかけたようだ。マユカは黙って見ている。<ムダよ。本人は出られないのよ>ジョージは地団駄を踏むように待ち続ける。
マユカ:あのー…出ないと思いますよ。ケータイはミサキさんと一緒に飛ばされたようでした。壊れたかもしれません。
..ジョージはマユカを見つめるとケータイを切った。
ジョジ:病院は?どこの病院へ運ばれました?
マユカ:ごめんなさい。わたしも動転していましたし、すぐにあなたに知らせなきゃと急いで来たので聞いていません。
..ジョージは店を飛び出した。マニホはその一部始終をコンパクトで観察していた。<どういうこと?ジョージさんのデートの相手はやっぱりミサキさんだったの?…それにマユカさんの言う事故が本当ならなぜ外で時間を潰していたの?…どこかで話しが混線している…>悩んでいると「ぶーん1」が帰ってきた。発進元からあまり離れると電波が届かなくなるので、自動的に帰巣するようプログラムされている。
マニホ:お疲れさん。取りあえず任務終了よ。
..「ぶーん1」が所定の位置に停まる。<さて、とにかくこの事態を連絡しておこう>マニホはレイカに電話する。呼び出し音が鳴る。レイカは出ない。<出てよー>再度掛けなおす。呼び出しが15秒経っても出ない。<なぜ?何かが起こっている?そういえば麗奈(レイカ)は「タイムリミットが迫っている」とか言ってた>マニホは考え込む。<事前調査には、ミサキさんの事故などなかった…マユカさんが嘘をついてる?…そうだとしても、そうでなくても過去が少しづつ変更されいることに変りはない…きっとレナはこうなると分かっていたんだ…だから、なんとか食い止めようと焦っているのだ…わたしはどうすればいい?…> 思い悩んでいると、喫茶店からマユカが出てきた。マニホは「ぶーん2」を発進し追尾を開始した。二度と見失う訳にいかない。


..レイカはマニホと別れると、2駅離れたコンビニに向かった。先導士のタニキに電話する。
レイカ:いまからそちらに行く。わたしが到着するまでこのまま繋いでおいてね。
..ケータイの位置確認マップを呼び出す。タニキの位置が赤い点で表示されている。画面を見ながら進むと路上に並んだテーブルにタニキ・ノニコ・ハルトの3人がいた。時間はごご1時だ。
レイカ:変りはない?
..レイカは椅子に掛け、ケータイをテーブル中央の穴にかざす。画面にメニューが出る。
ノニコ:あ、先生、ここでは「もんも」が絶対お勧めですよ。
..ノニコは画面の一品を指す。
レイカ:なに?それ。
ノニコ:遺伝子操作でできた新しいフルーツです。もちろん、安全性は確認されています。若い女性に人気急上昇中で、夢見心地の気分になれます。ところがなぜか1年で姿を消してしまいました。わたしたちの世界、5年後には幻のフルーツなんです。だから一度は試しておく価値があります。
..ノニコの提案にのってレイカはクリックした。タニキとハルトはPCの画面を見ている。100メートル向こうのコンビニ正面が拡大されて写っている。
タニキ:お父さんは、もうじき現れますよね?
..タニキがハルトに訊く。
ハルト:はい。1時15分ころだと思います。
..レイカはバッグからチェーンのネックレスのような物を取り出しハルトに渡した。
レイカ:これを掛けてください。
ハルト:なんですか、これ。ネックレス?
レイカ:ええ、きっと似合うわ。
..ハルトは不審そうに眺めていたが、首に掛けTシャツの中に入れた。それは拘束具だ。いざというとき超高周波を発し手足の力を抜き動けなくする。レイカは万が一を思ったのだ。そして出された「もんも」を口にしていると心配が頭をもたげて来た。<見つかったマユカさんは、どっちのマユカさんだろう?どっちにしても、過去が確実に変更されつつある…>その先は考えたくない。
ノニコ:どうですか?まるで恋の夢を見ているような気分じゃありません?
レイカ:そ、そーね…
..味わう余裕はない。<そして、間もなくここで何かが起こる…>
ハルト:だけど、凄い時代になったものですねー。こうして過去に戻れるなんて、もう、感激どころじゃありません。大変なショックです。
..ハルトだけが機嫌よくはしゃいでいる。
タニキ:そうですね。念のためもう一度確認しますが、今この時間に、こちらのあなたはどこで何をしていました?
ハルト:はい。きょう10月10日の祝日は名古屋にいます。家族と動物園に出かけました。そこで夕方までいました。間違いありません。でも、不思議な気分です。いまこの時にもう一人の自分がいるなんて、どうしてもピンときません。こんな経験ができるなんて、実に幸運です。
レイカ:<いまから親の事故に遭遇しようというのに、随分明るいわね>
..レイカのハルトに対する不信感が高まる。
タニキ:わたしも何回か時間朔行していますが、まだまだ慣れません。もう一人の自分なんて本当にいるんだろうか、という気分ですよね。
レイカ:そろそろ移動するわよ。
..レイカが立ち上がる。
レイカ:4人いっしょじゃ目立つから、先に男性ペアーが行って。
..タニキはペーパースクリーンを畳みハルトとコンビニへ向う。レイカはそれを見送りながらノニコに囁く。
レイカ:いいこと。あなたはとにかくハルトさんから眼を離さないでね。万が一ハルトさんが予定外の行動にでたら迷わずこれを使って。
..レイカは「拘束具」のスイッチを渡す。
レイカ:最強レベルの10にして構わないから、ハルトさんの存在をお父さんたちに絶対に気付かれないように。それがあなたの最も重要な使命よ。
..ノニコが頷いて受け取り、二人は男性ペアーの後を追った。事故の起きた場所は判っている。男2人は、道路を挟んだ植え込みの陰に待機する。レイカとノニコはコンビニ駐車場の反対の端で待つことにした。4人が所定の位置に落ち着くとすぐに上半分が透明で下が黒い車が入って来た。
タニキ:あれですか、お父さんの車?
ハルト:そうだと思います。
..車の上部が後退し、中から背は高くはないががっしりした体躯の初老の男性と細身の女性が降りてきた。
ハルト:オヤジとオフクロです。
..さっきまでと打って変り、ハヤトの表情に緊張が走る。初老の2人は店内に入って行ったが、5分と経たないうちに出てきた。手には飲み物のプラコップを持っている。女性はベンチに掛け男性は立ったままさっそく飲み物を摂る。
妻 :切符は取れたのね?
夫:ああ、大丈夫だ。
妻 :楽しみ。300年ぶりの復活公演ですもの。大変な評判よ。
夫:ほー、そうなのか?
妻 :あなた、また寝てしまわないでよ。この前だってほとんど寝てたでしょ。
夫:いやー、あの長唄ってやつ聞いてると、どうにも眠くなってな。あれは、子守唄にはなるな。
..レイカは時間を確認する。1時30分だ。<間もなくだ>体の奥が緊張するのが分かる。隣のノニコを見ると、ハヤトを見守るその表情はやや青ざめてさえいる。
妻 :前にハルトからめずらしく手紙来てたでしょ?返事はしたの?
夫:…うーん、あいつにも困ったもんだ。いまさら跡を継ぐと言われてもなー。
妻 :そうよ…、キョウスケ(ハルトの弟)には「跡継ぎはお前だ」って、いい就職を断念させたんだもの。いまさら「あれは無し」なんて言える訳ないよ。
..そこへ一人の女性が近づいてきた。見守るレイカは驚いてモスキートコンパクトを取り出した。<だれ?>30半ばの女は夫婦に話しかけている。ハルトの父の表情が変った。そして妻の手を引き車に乗り込むとあわてて出発した。モスキートは間に合わなかった。女はその場で車を見送っている。<何事!?お父さんの事故はどうなるの?>レイカが飛び出そうとしたとき、道路側で異様な金属音が響いた。振り返る間もなかった。二輪車が突進して女を直撃し、女の体は宙に舞い壁に激突した。レイカが跳んでいく。女はうめき声をあげている。抱き起こしながらノニコに叫ぶ。
レイカ:救急ドローンよ!
..励ましの声をかけながら、できることがないか考えるが思いつかない。タニキとハルトも駆けつけた。周囲はヤジ馬が取り巻きだした。
ノニコ:この人…
..ノニコが、驚きで瞳を一杯に開いて言った。
ノニコ:ミサキさん、ミサキさんです!
レイカ:え、ミサキさん!?
..<なぜ?なぜミサキさんがここに?ジョージさんとデートじゃないの?>救急ドローンが到着し、上空には警察機が集まった。レイカのバッグでケータイが鳴る。なかなか鳴り止まないが、出ている余裕はない。いまここにいないメンバーでケータイが繋がるのはマニホだけだ。<むこうでも何か起こったか>が、いまは手が離せない。「知合イノ方、1名同乗シテクダサイ」救護ロボが要請する。
レイカ:ノニコ、あなたが一緒に行って!
..レイカはミサキの呼吸を確かめる。止まってはいない。ミサキはストレッチャーに固定され収容された。救急ドローンは垂直に上昇するとあっという間に去って行った。ハルトもタニキも呆然とそれを見送っている。が、二人の表情は対照的に異なっている。ハルトが小声で呟く。
ハルト:これでオヤジは助かったー…
..タニキが詰め寄るようなきつい口調でレイカに訴える。
タニキ:これでいいんですか?!こんな変更が許されるんですか!
レイカ:いい訳ないでしょ!こんなこと、わたしが許さない!
..レイカは電話を思い出した。発信元を確認する。やはりマニホだ。
レイカ:何かあった?
マニホ:あ、レナ、マユカさんがね、おかしなことを言った。「ミサキさんが事故にあった」って。
レイカ:…!どうしてマユカさんが知ってるの?そうよ。たった今、二輪車に撥ねられ危ない状態よ。
マニホ:ウッソー!…どうしてマユカさんには分かったのかな?
レイカ:分からない。でも、いま追っているマユカさんは、あなたが先導したマユカさんに間違いなさそうね。確認はできた?
マニホ:ごめん、まだ。
レイカ:仕方が無いわ。こうなったら直接接触して確かめて。マニホを知っていれば未来のマユカさんだし、知らなければこっちのマユカさんだから。のんびり構えていられない事態よ。
マニホ:分かった、そうする。
レイカ:そうだ…ね、追尾中のマユカさんのスタイルは?どんな服装?
マニホ:え?、えーっと…たしかバンローニの最新モデルじゃないかな?随分気合が入っているわ。
レイカ:それって5年後の、つまり出立時の最新モデルじゃないこと?
マニホ:うん…あ、そうか!じゃ、いま追っているのは未来のマユカさんだ!ごめん。そこまで気が回らなかった。
..レイカに警備ロボが近寄ってきた。
ポリス:事故ニ会ワレタ方ハ、オ知リ合イデスカ?
..レイカは一瞥するときっぱり答えた。
レイカ:いいえ。知りません。わたしはただの通りすがりです。
..そしてケータイが鳴り、ミサキの死亡をノニコが伝える。
レイカ:そう…
..レイカはタニキを呼ぶとそのことを伝えた。
タニキ:死んだはずのハルトさんの父親は生き延び、なぜかミサキさんが亡くなった…完全な過去の変更です。時間分岐が始まっています。そうとう甚大な亀裂が時間の流れを裂いていると思われます。未来に与える影響は計り知れません。
レイカ:そうよ。プロジェクト・カイホウは中止します。
..レイカは決断した。
タニキ:分かりました。では急いで帰還しなければ。わたしはハルトさんを強制拘束します。
..レイカはノニコとマニホにプロジェクトの中止を伝える。
..20分後、全員が移動定点に集合した。それは自衛隊駐屯地内だ。対空ミサイル緩衝壁を兼ねた大きな土塁の中にある。強制拘束されたハルトとマユカは腕を支えられ、なんとか立っている。
タニキ:時間分岐が始まっておよそ30分経過しています。転送を急がないと。
..タニキはキーボードに飛びつくと忙しなく入力作業を開始した。
レイカ:ただし、これは単純な時間分岐じゃないわ。時間ループよ。それも1・2回のループじゃない。おそらく何回転もしている…
タニキ:!、本当ですか?
レイカ:間違いないと思う。ね、あなたたち、
..レイカは全員を見渡す。
レイカ:最近デジャブを感じることはなかった?
..全員が考え込んだが、ハルトが力の無い声で言った。
ハルト:デジャブかどうか、分かりませんけど…一回目の移動のとき、わたしの実家近くで父母の様子を隠れて見ていたとき、変な気分になりました。前にもこうして様子を見ていたことがある、そんな気になりました。
レイカ:それで?
ハルト:その時は、自分の記憶が混乱しているせいだと思い深くは考えませんでしたけど…
レイカ:そう。
ノニコ:あのー…言われてみれば、わたしもちょっとヘンなことが…
レイカ:なにかあった?
ノニコ:マユカさんと灯台を見たときです。この灯台を以前にもこうやって眺めたという気がしました。なんか、懐かしいというか…そのことは、それっきり忘れていました。
タニキ:転送準備OK!
..タニキが叫んだ。


..機関本部の「イドアー1(時空間移動定点bP)」の待機所でレイカ、マニホ、タニキ、ノニコが疲れた顔で椅子に寄りかかっている。ハルトとマユカは先ほど警務隊に引き渡された。
マニホ:いやー、疲れたねー。一杯やって、ゆっくり眠りたいよ。ところで、あの二人何かやったの?
タニキ:二人のことより、急いで時間ループを断ち切らないと大変な事態におちいります。そうですよね、レイカ先生?
レイカ:最悪の場合、ループの頭と尻尾が繋がって、この宇宙時間から分離し「円環時間の閉宇宙」を形成することになるわね。
..レイカ の弱い声は疲労の色が滲み出ている。他の3人は顔を見合わせる。
マニホ:大変じゃない!
タニキ:つまりこのままだと、私たちはループに取り込まれたままで、いずれはこちらの時間から切り離されて時界の大海に迷い出てしまう…なにか方法はないんですか!?
レイカ:あるわ。こうなった以上それを決行する。ただ、実行に当たり一つ問題があるの。
タニキ:なんですか?
..レイカは例の金属チップを取り出す。
レイカ:これがループの一因よ。
..みんなの目が集まる。
ノニコ:わー、綺麗!
マニホ:これ、なーに?
レイカ:これはもともと未来から転送された記憶媒体なんだけど、転送時に時間の位相を捩れさせる原因の一つになってしまった。そしてそうなった責任の半分はわたしにある。
タニキ:じゃ、これを消滅させれば…ループも消滅する?…
レイカ:事態はそう単純ではないと思う。とにかく、あなたに任せるからこれを原子レベルまで分解して欲しいのよ。それと「もう一つ」を実行すれば希望は持てる…
タニキ:もう一つ?なにをされるんですか?
レイカ:いまは言えない。これの分解のとき「時震波」発生が予想されるので、念のため月基地のレーザーエネルギー所で行ってね。刻限は…あすの夕方5時でどうかしら?
タニキ:これを月基地へ運び5時までに分解するんですか?
レイカ:宇宙エレベーターと、その先は転送で行けば簡単でしょ?レーザーエネルギー所には、わたしが今夜中に依頼しておきます。
タニキ:判りました。
..タニキの表情が引き締まる。
レイカ:他に方法が無いの。だからやるしかない。
..タニキは準備があるのでと帰り、ノニコも相当疲れている様子なので帰した。
マニホ:ね、ビール飲もうよ。
..レイカの返事を待たずマニホは勝手に2つ注文した。すぐに半分ほど飲み干すと、
マニホ:レナ、「もう一つ」は、まさか自己遭遇じゃないよね…?
..レイカは答えない。じっと目の前に置かれたジョッキの泡をみつめている。
マニホ:危険よ。
レイカ:
マニホ:そこまでしなくても…
レイカ:…他に方法がある?
マニホ:うーーん…
..マニホは天井を見つめる。互いに無言のまま時間が過ぎた。
マニホ:何処まで遡って「自己遭遇」するつもり?
..レイカは初めてボダイAからプロジェクト(カイホウ)の指示を受けた日を思い出す。
レイカ:およそ一ヶ月前。ボダイAからモニターの決定を聞かされた時よ。そこからやり直すしかないわ。
..マニホは考えながら独り言のように、とつとつと言った。
マニホ:つまり…明日の5時には…ここから約2万kmの範囲はひと月遡ってしまう…その間の地球時間の経緯は…完全に消去され…なにも無かった状態になる…そういうことね…
レイカ:そう。
マニホ:一ヶ月前から明日の5時までの事は、幸運も悪行も全てが無かったことになる…でもよ、また同じ事を繰り返さない保障も担保も無いんじゃない?レナの記憶にさえないんだから…
レイカ:無い。それを考えているところよ。でも、無くてもやるしかない!
..マニホにはそれ以上に言葉の接ぎ穂がない。レイカは手つかずだったジョッキを上げると一息に飲み干した。
レイカ:今夜中にやらなければならない事があるから、これでね。
..レイカは立ち上がった。マニホの言葉があわてて後を追う。
マニホ:あ、あのー、ムサシ覚えている?
レイカ:ムサシ?ああ、ロボット工学研究所の研究員?それがどうかした?
マニホ:いえ、彼、研究所を辞めたようよ。
レイカ:そうなの。わたしにはどうでもいいことだけど。
マニホ:そうよね。ただ知らせといた方がいいかなと思って。
..レイカは、マニホを残し帰った。それからかなり長時間マニホはひとり考え事をしているようだった。<全てが無かったことになる…か>
..次の日レイカは遅く研究室に入った。まだ疲労が残っている。部屋に入ると、追いかけるようにガイドロボが来た。
ガイボ:オ早ウゴザイマス。オ届物ガアリマス。
..封筒が差し出される。
ガイボ:安全確認ノ「スキャン済ミ」デス。
..椅子に掛け封を解く。出てきたのは、写真が一葉のみだ。差出人の手がかりは無い。
レイカ:
..写っているのは、コースターと赤いラインの入ったごくありふれたプラのストローだ。
レイカ:なんなのよ…
..裏を返して見る。
........あなたの使用済みストローとコースターGet(感激!!)
........あなたは僕と「共生」すべき人です。それ以外の人生は考えられません。
レイカ:!、だれ?…
..もう一度ひっくり返す。写真のコースターには店名が入っている。記憶を辿ると4〜5日前に今回のプロジェクトの関係者数人とその店で飲み会があった。その時の物と思われる。瞬時、考えがよぎった。<警務隊に調べさせれば簡単に相手を特定できる…>そしてしばらく写真を眺めていた。が、やがて<ばかばかしい>と、キャビネットの最下段を開いた。そこには私物が入れてある。放り込もうとしたとき、中の物が注意を惹いた。1枚の紙(屯倉の署名入り「共生届」)と緑の小石だ。レイカはしばらくの間それらを見つめていた。どちらもレイカに軽い罪悪感をもたらす。それも2種あるので2乗に膨れ上がって感じられる。<わたしの存在がいけないのかしら>
..そして、レイカに明るい閃きが来た。
レイカ:そうだ…全ては無かったことになるんだ。
..呟くと、写真と共生届を入れ替えキャビネットを閉じた。ロックするレイカの表情は、笑い出しそうに明るい笑顔だった。「共生届」にサインし安心の息を吐いたとき、ポロン・ポロンとPCが呼んだ。許可すると壁に警務隊長が現れる。
隊長:ハルト、マユカの取調べが一段落しましたのでご報告いたします。
..取調べはジハンギ事務局が主導し警務隊と合同で行われた。報告によると、ハルトは遺産の取り分に不満があった。そこで父親の事故死が無ければと考えた。過去変更のために、マユカに「オヤジの命を救う手助けをして欲しい」と50万円を渡し協力を依頼した。結局マユカは引き受けたのだが、マユカにも密かな思惑があった。その後のさらなる調査で、ジョージの恋人はミサキであり悪質なストーカーはマユカだったことが判明した。
隊長:マユカはなかなか認めようとしないので手こずりました。「ジョージは本当は自分が好きなんだ。けれどミサキに脅されている」の一点張りです。
レイカ:そうなの…
隊長:あれは精神を病んでいるのかも知れません。それで専門家を依頼することになりました。マユカはハルトに親の移動を頼まれ、「利用できる」と思いついたようです。つまり父親とミサキを入れ替えれば、ミサキを事故死させられる、邪魔者を処分できる…そう企てました。
レイカ:うーーん、確かに尋常じゃないわね。
隊長:はい。それで、トイレを口実に先導士を振り切りミサキさんを駅で待ち伏せしました。
レイカ:どうやったの?
隊長:ミサキさんに「ジョージさんが事故で来られなくなった。ジョージさんの親が2駅隣りのコンビニで待っているから急いで知らせて欲しい」と適当な病院名をあげました。それですっかり慌てたミサキさんは、コンビニに駆けつけました。そしてハルトの父親に「息子さんが事故にあい危篤状態だ」と連絡しました。ちょっと冷静に考えれば、ハルトの父親も、本人に電話するか、ミサキとの関係を訊くなり確認をすればよかったのですが、いきなり危篤と聞かされ動転したんでしょうね。
レイカ:ミサキさんは、どうしていっしょに病院へ行かなかったのかしら?
隊長:車の定員が2名だからです。それで自分はタクシーを拾おうかとでも考えていたんじゃないでしょうか。そこへ二輪車が突っ込んで来ました。時間的タイミングもほぼマユカの計画どうりでした。
レイカ:なるほど。
隊長:ミサキさんが去るとすぐに、マユカは待ち合わせ場所の喫茶店に行きました。そして1時35分まで近くに隠れていて、事故時間が過ぎたのを確認後ジョージさんに会いました。
レイカ:それにしても、成功率の悪い、いかにも素人の企てね。だけど、結果的に思惑どうりにいった。
隊長:そういうことです。
..<ハルトさん、マユカさん、あなた達の思惑どうりにはさせないわよ>電話の後、ハンディプリンターで封筒に屯倉の宛名を印刷した。共生届を入れてレイカは部屋を出た。フロントロビーでメッセンジャーロボに渡し、至急届けるよう依頼する。μに乗り込んだレイカの気分は明るかった。罪悪感は半減した。μにキッズカレッジを指示し、これからの行動を考えていると、
μ :♪♪…ボダイAヨリオ電話デス。
レイカ:そう。出るわ。
..感情インジケーターを見ると、Aが当惑していることを表している。
A:聞いたよ。困った状態だな。
レイカ:そうですね。過去を変更されてしまいました。深刻な状態です。
A:どうするね?
レイカ:と、おっしゃいますと?
A:一ヶ月前、キミは私の部屋で「自己遭遇したようだ」と言っていた。
レイカ:はい。
A:その時の推測では、今回のプロジェクト中止のためではないか、ということだった。
レイカ:そうです。
A:ところが、結果は中止どころか、恐らくより悪い事態に陥ったと思われる。で、どうするかだが、考えられる選択肢は、二つだな。第一はこのまま放っておくこと。
レイカ:ええ…
A:第二は、これがやっかいな問題だが…
レイカ:
A:元へ戻す手立てをしてみることだ。その場合、いまさらキミに説明の用はないが、「自己遭遇」をしなければ修正できない。
レイカ:そして、遭遇者は「わたし」でなければならない、ということですね。
A:そうだ。ただし、既にキミは「自己遭遇」を実施した。にも関わらず、修正どころかより悪い方向に悪循環しているらしい。つまり我々は「時間ループ」に捕らえられ抜け出せないでいる、ということだ。いまのこの会話も、実は過去にしていることの繰り返しかもしれない。
レイカ:じゃ、ボダイのお考えは?
A:このまま放っておくとどうなる?
レイカ:恐らくループは本流から切り離され「円環時間の閉宇宙」を形成すると考えられます。
A:うーん…モニターの二人が引き起こした「時震波」がこちらに届くのはいつだ?
レイカ:震源が5年前ですので、こちらにはきょうの5時を予測しています。
A:約5時間後か…ループが切り離されるのはいつだ?
レイカ:これは予測できません。既に何回ループしたのか分かりませんので、エネルギーバランスがどうなっているのか掴めません。ですが、多く見積もってもまだ二回程度だろうと推測しています。従って差し迫った状態ではないと思います。
A:進むもならず、退きもならず、だな。とにかく5時になればハルト、マユカの望みどうりの結果になったかどうか判明する。
..そこでレイカはくすっと笑った。
レイカ:思いどうりになってもならなくても、誰にも分かりませんけどね。もちろんボダイにもわたしにも本人たちにも。
A:そうだな。この事件のことは、誰も、当人すら知らないで済んでいくのだな。この際二人の犯罪には眼をつむりキミも「自己遭遇」をしなければ、ループは除々に解消し我々の時間は本流に乗ることにならないか?
..<もしかして、ボダイはわたしの「自己遭遇」を感づいている…?>だがレイカの決意は揺るがない。
レイカ:本格的な過去の変更は、歴史上これが始めてです。ですからまだまだ分からないことが多くあります。ボダイのおっしゃるような経緯を辿るかもしれませんし、そうでないかもしれません。
A:やはりプロジェクトが時期尚早だったんだ。
レイカ:5時までにはなんらかの結論を出します。それまでお待ちください。
..既にキッズカレッジに着いていた。
レイカ:そうだ。きょうマニホは来てるかしら?
..マニホと教授職を交代してからここへ来てない。推薦はしたもののレイカにも多少の不安はあった。談話室を覗くと数人の顔見知り講師たちが寛いでいた。マニホはいない。勧められるままに腰を降ろし仲間に加わる。
レイカ:ね、今日はマニホ・センダツの担当日じゃなかった?いないの?
講師a:マニホ先生なら用があるとかで急いで帰られましたよ。ちょうどよかったです。レイカ先生、伺いたいことがあるんです。
..25歳くらいの 男性講師aが訊いた。たしか一般大学の理論物理専攻の研究員だ。ここの講師を兼ねている。
レイカ:わたしに?なんでしょう。
講師a:今度入ったあの少年、イチローくんですか…
レイカ:ええ、そうですけど。なにか?
講師a:もしかして先生のお身内ですか?
レイカ:いえ、血縁関係はないです。どうして?
講師a:すごい子ですねー。驚きました。あまり凄いんで先生の血縁かと思いました。
..講師aはメモ用紙に走り書きをした。

..レイカと他の講師たちが覗き込む。
講師a:これの分母は「言い訳だ」と彼は言いました。で、ぼくは彼の言い分がよく判らなかったので、「どうして?」と質問しました。
..レイカは興味が沸いてきた。他の講師たちもそそられたようで身を乗り出してきた。
レイカ:彼は、なんと答えました?
講師a:彼の言い分を要約すると「定数cはベクトル宇宙では完全定数として扱わなければいけない。つまりベクトル宇宙には、例えばu=0.9cなどという事実は存在しない」ということになります。さらに「それが許されるのは時間宇宙でのことだ。だからベクトル界では、この式は曖昧な馴れ合いで、つじつま合わせの言い訳だ」ということになります。
..話しを聞いている全員が顔を見合わせた。が、レイカだけは吹き出した。
レイカ:Pfahaha、あの子らしいわね。
..レイカは笑いが止まらない。
講師a:彼は言いました。「事実はもっと単純さ。ベクトル宇宙と時間宇宙の間ではどんな演算も成り立たない。それだけのことさ」と。それで思い出したんですが、イチローくんは、第二代ボサツが示した「時空学」の基礎と同じことを言ってます。
講師b:でも…
..女講師bがメモを指し、口を挟む。
講師b:これって「相対性理論」じゃありません?
..レイカは腰を上げる。
レイカ:そのイチローくんを誘いに来たんだけど、いまどこにいるかしら?
講師b:さっきプレイランドで見かけました。
レイカ:そう。ありがとう。
..レイカはみんなを見回す。
レイカ:彼の率直さがうらやましいわ。感じたまま発言できる率直さを、ずるい大人は、忘れた事さえ忘れている。あの子にかかったらアインシュタインだって形無しよ。
..唖然と口を開いたままの講師たちを残し、レイカはプレイランドに急いだ。
..そのころマニホ(麻里)はホテルの部屋に入った。たいして広くもないが、ダブルベッドのまあまあの部屋だ。一通り見回しカーテンを閉める。薄暗くなった。ベッドの足下灯をつけると時間を確かめゆっくり衣服を脱いでいく。脱衣所で下着を取り壁に開いた専用シュレッダーに放り込む。いつもどうり「無水シャーワー」にしかけて思い直し、普通の「温水シャワー」に切り替えた。念入りに体を洗うと部屋に戻り、紙バッグから買ってきたばかりの下着を取り出し身につける。化粧台に向うといつもの3倍くらい時間がかかった。<彼女のメイクは、こんな風ね…>と考えたりやり直したりした。髪型もできるだけ似せた。全て終わったころには、部屋の中は一段と暗くなっていた。化粧台の灯りを消すと足下灯のみだ。手探りでドアーのロックを解除する。ベッドのMusic を押してチャンネルを選ぶ。静かな甘い音楽が部屋に満ちていく。
..聴くともなく音楽に浸っているとドアーが動いた気配がある。誰かが、男がそっと入ってきたようだ。囁くように男が言った。
男 :暗いですね。明かりをつけましょうか?
マニホ:だめ。つけないで。
..マニホも囁くように言った。できるだけレイカの口調を真似て。
男 :メールをもらって大感激でした。
..近づいてくる男を避けるように冷蔵庫へ行き、カクテルを取り出して奥の小さなテーブルに並べる。
マニホ:まあ、一息いれたら?
..男の影が近づき手探りで椅子にかける。部屋の中ではそこが一番暗い。顔などほとんど見えない。
男 :嬉しかったです。ずーっと恋焦がれていましから。もう、言葉にもなりません。
マニホ:わたしも今夜を待っていました。
..何口かカクテルを飲んだ頃、男は立ち上がるとマニホの後ろに回りそっと抱き寄せた。マニホの首筋に男の息が感じられる。そして男の掌がマニホの頬を支えゆっくり顔の向きをかえさせる。唇が重なって来た。<ごめんね、麗奈(レナ=レイカ)。わたし嘘をついてた。わたし前からムサシのことが気になっていたの。だからあなたがムサシを好きにならないように嘘をついた。彼がフィードバック(若返り)をしているというのは嘘よ。>
ムサシ:向こうへ行きましょう。
..ムサシは腕を回してマニホを立ち上がらせるように上体を引いた。ベッドに横たわると強く抱きしめてきた。<あなたの「自己遭遇」を知って思いついたの。どうせこの世界が消滅するなら、一度だけ思いをかなえようって。だからあなたが待っているとメールで彼を呼び出したの。ごめん>ムサシの手はマニホの胸に伸び、荒くなった呼吸で激しいキッスを繰り返す。やがて手が下がって下着の奥へ入ってきた。

..レイカはプレイランドでイチローを見つけた。イチローもすぐに気付き駆けてきた。
レイカ:どう、少しはここに慣れた?
イチロ:ううん、まだ。でもずるいよ。
レイカ:何が?
イチロ:だって、お姉さん、ぼくが入ったら辞めちゃうなんて、するい!
レイカ:ごめんね。いろいろあって忙しいのよ。
イチロ:逃げたんだ。ぼくから逃げたんだって思った。
レイカ:そうじゃない。逃げたんじゃないのよ。後でその証拠を見せてあげる。
..レイカの眼は例のお人形さんのような女の子を探した。見える範囲にはいないようだ。そしてレイカはイチローを外へ誘った。右手は庭園で左手はグラウンドと大きな池だが、そこには幽霊船が浮いている。子どもたちの一番の人気の場所だ。グラウンドに続く丘陵にはフィールドアスレチックが設置されている。イチローは大きな木を目指して駆け出した。太い枝から何本かロープが下がっている。レイカが見ていると、イチローはその一本に取り付き器用に枝まで登り、叫んだ。
イチロ:お姉さんも来てー!
レイカ:わたしはダメよ。こんなロープは登れない。
イチロ:チェッ、だめだなー。
..イチローはするすると降りてきた。得意そうだ。他の子どもたちは帰宅したようで一人もみかけない。時間を確かめると4時だった。<もう、こんな時間。急がなきゃ>小路に丸太のベンチが見えた。そこに座るよう誘って、並んで掛ける。
レイカ:この前は緑の宝石をありがとう。
イチロ:あ、あれ、「共生」の約束だよ。
レイカ:うん。分かってる。それでね今日はお返しに来たの。
イチロ:お返しってナーニ?
レイカ:あのね、「共生」の約束を共生契約っていうんだけどね。大人は書類にサインして、それからこうするのよ。
..レイカはイチローの顔を両手で支えると、唇の端に素早く軽いキッスをした。イチローのからだがビクッとし、そして固まった。眼は大きく見開いている。
レイカ:これで本当に約束したことになったのよ。わたしが逃げたんじゃないって分かってくれた?
..イチローはぎこちなく頷いた。まだ声が出せないようだ。レイカは立ち上がる。
レイカ:お迎えの時間が過ぎてない?お父さんがさがしていらしゃるかも…
..イチローもようやく我にかえり、手をつないで来た道を戻る。玄関前で手を振っている姿がある。イチローの父親だ。
レイカ:ほら、やっぱり待ってみえる。急いだほうがいいわよ。
..レイカはイチローの背中を叩く。「うん」とイチローは駆け出した。が、5〜6歩で立ち止まると振り返った。
イチロ:ね、共生の契約したこと、話してもいいよね?
..レイカは瞬時とまどったが、
レイカ:いいわよ。
..と答えた。イチローはうれしそうに笑うと全力で駆けだす。待っている父親はレイカに向って丁寧に一礼した。レイカも礼を返す。まだ言葉の届く距離ではない。ゆっくり歩いている内に駐車場から1台の車が登っていき中空の仮想道路を走り去った。レイカの重荷が消えた。随分と気持ちが晴れやかになった。宿題を終えた気分だ。μに乗り込み、戻るように指示した。
レイカ:でも…これって、以前なら「重婚罪」に当たるわねー…江戸時代なら「不義密通」で死罪か…
..自分で自分の言葉がおかしくなって大笑いする。
レイカ:まあいいか。とにかく急がなきゃ。時間がない。
..今気になるのはタニキだ。出立以降連絡は無い。彼も時間に追われているだろうし、必死に任務遂行の努力をしているに違いない。余計な電話で邪魔する訳にはいかない。信じるしかない。考えている内に機関に戻った。4時37分だ。レイカは急いだ。フロントロビーで移動椅子に飛び乗る。ガイボが後を追ってきた。
ガイボ:オ届ケモノデス。
..ガイボが近づいて封筒を出す。サインして受け取り、移動先を指示する。
イ ス:到着マデ6分15秒デス。
..椅子はイドアーへ向け動き出した。<んー、ギリギリね>焦るが、到着まで6分の空白時間ができた。手にした封筒が邪魔になる。爪で開封するとメモ用紙が一枚だった。やはり差出人は分からない。
.......今度は下着を希望します。かならず手にいれます。
レイカ:<バカじゃないの。こっちは変態につきあってる暇はないの!>
..下着を手に入れるのは事実上不可能だ。それは紙繊維に代わって、使い捨てが一般的だ。洗濯すれば半年ぐらいは使えるが、そうする者はまずいない。どこの家でも専用シュレッダーで処理されているのだ。レイカは破り捨てようとして思い直し、バッグに入れた。<今回の計画が失敗したら、警務隊に必要な時がくるかもしれない>レイカは知っている、「自己遭遇」しても結果は同じかもしれないことを。そして他に手立てが無い事も。しかしもう時間が無い。ハルト、マユカの引き起こした「時震波」は10分後に迫っている。
..ダイセンダツ以上は時空移動の許可申請は要らない。事後報告だけで済む。鳥居のようなゲートをくぐり、IDチェックを2回経て、急いで転送室に飛び込む。
ガイボ:レイカ・ダイセンダツ、転送ヲ御希望デスカ?
レイカ:そう。服装・髪型の変更なし。通貨・特殊銃は不要。急いでいるの。
ガイボ:デハゴ希望ノ「クザ(空間座標)」ト「ジザ(時間座標)」ヲドウゾ…
レイカ:ちょっと代わって。自分でやる!
..レイカはガイボを押しのけ司令室に入る。指紋認証をして、「転送」を開く。音声ガイドに従って、移動者のIDを音声入力する。ジザは今年の9月2日午後1時23分だ。
シレイ :次ニ「クザ」ヲ入力シテクダサイ。
..「自己遭遇」場所は、ボダイAの部屋だ。規定どうりなら、時間のみ遡って、あとは移動椅子で部屋に行くことになる。だが、レイカは力技にでた。
レイカ:この機関のボダイAの部屋。
..すぐにシレイ・コンピューターが反応した。
シレイ :禁止行為デス。「移動定点」カラ選択シテクダサイ。
..レイカが入力したのは、初めてプロジェクトの説明を受けた日時とボダイAの部屋だ。そのまま実行すればダイレクトに「自己遭遇」することになる。それは禁止行為だ。禁止の第一の理由は、移動者への負担が大きく、生命を脅かすとされている。レイカは時間を確かめる。4時55分だ。<こうなれば賭けだ。あと2分待ってみるか>いらいらしながらケータイの時計を見つめる。永い2分だった。レイカはスクリーンの右上、赤の「非常時移動」をクリックした。すぐにシレイが答える。
シレイ :最高会ノ許可ガ確認デキマセン。
..レイカはもう一度赤をクリックする。
..シレイから同じ返事がかえってきた。さらに赤をクリックする。画面左下4分の1にボダイAが現れた。<つながった!>
A:どうした?シレイから「非常時」連絡がきたが。結論はでたのか?
レイカ:わたしはダイレクト「自己遭遇」を選択します。間もなく5時です。時間がありません。「非常時移動」許可をお願いします。
..5秒後画面に最高会のメンバー7人が並ぶ。
レイカ:5年前に過去の重大な変更が起きました。その「時震波」が5時に到達します。
..メンバーがざわついた。「5時だって!」、「大変だ」、「時間がないぞ」
レイカ:わたしが「自己遭遇」してなんとか食い止めます。「非常時移動」を許可してくだい!他に方法がありません!
..レイカの必死さが通じたのか、2人のボダイに許可の表示が出た。あと3人がクリックすれば成立だ。
レイカ:あと1分です!説明している時間はありません!甚大な被害が生じます!
..さらに2人に許可が点った。
A:許可してやってくれ。ほかに方法がない。もう5時だ。
..ボダイAが頭をさげる。1人がクリックした。そして画面が切り替わった。
.......非常時移動を許可する。
....移動種別 :定点外移動
....移動者ID:392レイカ1722
....移動先ジザ:24××0902132300
....移動先クザ:1383847××N/352002××E/412.5h
....危険度  :生命毀損度90%
....生命の毀損に関し当機関はその責務を負わない。
................................高次時空間研究機関最高会
シレイ :転送内容ヲ確認シテクダサイ。
..シレイの声は冷静だ。レイカはOKをクリックし、急いで司令室を出る。
レイカ:セット完了よ。後は頼むわね。
..ドアーが開く。小部屋の中心に立ち、ガラス越しの司令室を見る。ガイボがこちらを見守っている。
レイカ:いいわよ。始めて!
..ガイボが頷いたようにみえた。空調に似た微かなうなりが聞こえ、床にレイカを取り巻くように白く光る円が現れる。除々に輝きを増し、やがて眼を開いていられなくなる。<後は祈るしかないわ>レイカは強く眼を閉じる。






「この道はいつか来た道、いつか行く道(5)」へ続く





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(^^)0^) 言いましよう!





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