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この道はいつか来た道、いつか行く道?(5)

 
...................................................- Rena エピソードV -
 

星空 いき

Hosizora Iki
















登場人物
.................................コード資料....称号と範囲
..レイカは立ち上がりドアーに向った。そして歩きだしたとき、いきなり強い衝撃を感じた。足がもつれ、咄嗟に手が出て椅子の背をつかもうとしたが、前のめりに崩れ落ちた。極めて強い地震が襲ったかと思われた。
A:どうした?!
..驚いたボダイAの声が迫ってきた。レイカの息が荒い。
A:大丈夫か?救護員を呼ぶぞ。
..レイカの耳の傍でAの声が聞こえる。Aはレイカの体を抱き起こそうとしている。レイカも腕・足に力をこめなんとか立ち上がろうとふんばった。
レイカ:い…え…だいじょうぶです…ちょっと…眩暈が…
A:救護を呼ぶから、ちょっと待て。
レイカ:だいじょうぶ…ですから…
..ボダイはレイカを抱きかかえて支えると、ソファーに移動する。
A:Σ(シグマ=メイドロボ)、バイタルチェックだ!
..ボダイはΣからアームベルトを受け取り、レイカの腕に巻いた。10秒後モニターから音声が届く。
モニタ:「レイカ・ダイセンダツ」ノ現況ヲオ知ラセシマス。血圧・心拍・呼吸トモニ平常域ヲ大キク越エテイマス。レベル4デス。物理的打撃ヲ受ケ、精神的高揚ヲ招イタト判断シマス。ソレ意外ニ生理的異常ハ認メラレマセン。時間ノ経過トトモニ軽減シマス。詳細ナデータハ、スクリーンデゴ確認クダサイ。「コキ(呼気)ダエキ(唾液)チェック」ヲ勧メマス。
..レイカは椅子で起き上がった。顔色が白を通り越して、血管が透いてみえる。
レイカ:もう…なんともありません…すみませんでした。
..ボダイは心配そうにレイカを覗き込む。
A:大丈夫じゃないだろう。
..まだ呼吸が乱れている。
レイカ:いえ…ほんとうに…
A:飲み物でも摂るか?
..レイカは、コーヒーを頼んだ。運ばれたコーヒーを飲み大きく呼吸する。<これって、もしかして…>やがて落ち着いてきた。
A:一度、詳しい検査をうけたらどうだ?なにか原因があるのだろうから。
レイカ:いえ…心当たりがあります。ところで、わたしたち何の話しをしていました?
A:?、おいおい。本当に大丈夫か?プロジェクト(カイホウ)だよ。
レイカ:ああ、そうでした。モニターが決まったんでしたね。
A:そうだ。それで心当たりというのは何だ?よかったら話してもらえないかな?
レイカ:「自己遭遇」だと思います。
A:「自己遭遇」?…まさか。未来からキミがやって来たということか?…
レイカ:はい。わたしはいままでに二回の「自己遭遇」を経験しています。その経験から、今回もおそらく間違いないと思われます。
A:と、言う事は未来のキミが「自己遭遇」のためにやって来た…と?
レイカ:いえ、それが目的なのか、あるいは不慮の事故なのかは分かりません。ですが、もしそれが目的だったとすると…
..そこでレイカは言い淀んだ。
A:目的だったとすると…なんだね?
レイカ:今回のプロジェクトに関係があるのかもしれません。
..ボダイAの表情が厳しく変る。
A:つまり、将来このプロジェクトは、遡って変更せざるをえないような結果をもたらす…そう言いたいのか?
レイカ:可能性の一つです。
A:う--ん--。ま、そのうち分かるだろう。
..退出したレイカは移動椅子で部屋への途上、「誰を先導士にするか」考えた。仕事内容は簡単だし、移動時間距離も20年以内で短い。ということは新人でもできる。まだ実務経験の無い新人に、訓練を兼ねた、ちょうど手ごろなtaskだと思う。最近チームに配属された2名の新人の顔が浮かぶ。<やらせてみるか…>思ったところに電話が鳴った。センター受付だった。正面ロビーに面会希望者が来ているが、どうするかと云う。
レイカ:面会?今日予定はないけれど…?
..訊くと、10歳くらいの男の子だと言う。
レイカ:名前は?
..ちょっと間があって、「イチローくんです」の答えだ。<イチロー?…あの子?>レイカに一人の少年の顔が浮かぶ。ちょっと複雑な気分になった。
レイカ:誰かといっしょ?一人で?
..「イチローくん一人です」の返事。今は、できれば会わないで済ませたい。また面倒な問題を抱えているのではないか、という予感がする。<時間がとられる>断ろうと思ったが、すぐに別の感情がそれを押さえた。<子ども一人でわざわざ尋ねてきたのに、話しも聞かないで追い返すのも…>、<クリコがいなくなって、あの子は相談相手を失った…>レイカは瞬時迷ってから、
レイカ:いいわ、部屋に通して。
..と答えた。部屋に戻るとすぐに、
ガイボ:面会希望者ヲオツレシマシタ。オ通シテヨロシイデスカ?
..ガイボ(施設内ガイドロボト)の声が壁から届く。
レイカ:いいわよ。
..答えるとドアーが開きガイボが入ってきた。そしてイチローが後に続いた。
イチロ:こんにちは。レイカせんせー。
レイカ:こんにちは。久しぶりねー、元気だった?
イチロ:んー、元気かな?わかんない。
..確かに以前の「やんちゃ坊主」的ではない。<やっぱり彼にはショックだったのね>イチローの従姉妹で、カレッジの研修生だったクリコが浮かぶ。クリコは今服役中だ。
レイカ:今日は何?またなにか考えた?
イチロ:うん、これ。
..と、イチローは小さな箱を差し出し蓋を取る。
レイカ:あら、「地球ゴマ」じゃない。どうしたの?
..イチローは、学校の授業でコマの勉強をした事を話した。そのとき教材として配布された物だ。話しながらイチローは、ヒモを巻いている。
イチロ:回すよ。見ててね。
..イチローは強くヒモをひく。
イチロ:これね、不思議なんだ。
..レイカの脳に小さな明かりが点る。この先の展開が読めた。イチローはコマの軸をヒモにかけてぶらさげた。コマは横倒しのまま回転している。
イチロ:ほら、横向きなのに落ちないよ。どうして?
..<やっぱり、そう来たか>レイカの予想通りの展開だ。聞くと、学校で質問したり自分でも調べてみた。が、納得のいく答えが見つからないらしい。
イチロ:でね、これは、レイカせんせーに聞くしかないって思ってさ。
レイカ:あのね、その呼び方代えてくれないかなー。「お姉さん」でいいよ。キミに「レイカ先生」て呼ばれると落ち着かないから。
イチロ:うん。だって、クリコ姉さんがちゃんとそう呼びなさいって言ったから。分かった。これからは「お姉さん」だよね。
レイカ:そーね、クリコお姉さんは今いないから聞けないもんねー。
..レイカは、開祖ボサツの例などを思い出しながらできるだけ丁寧に説明した。が、いくら噛み砕くと言っても相手は10歳だ。自ずから限界がある。
レイカ:どうかな?わかった?
イチロ:ふーん、そういうことかー。分かったよ。
..<この子急速に進歩している>その時レイカに閃くものがあった。
レイカ:ね、イチローくん。ここにキッズカレッジがあるのを知ってる?
イチロ:聞いたことはあるよ。
..レイカはキッズカレッジについて簡単な説明をした。イチローのためでもあるが、これからもこうしていちいち煩わされると思うとかなわない。<いっそうカレジに放り込んでしまおう。そうすれば、わたしも助かる>
イチロ:ねー、のどが渇いた。ジュース飲みたい。
..レイカは、思いつきに浸っていた。
レイカ:ああ、ごめん。おやつの時間だもんね。気付かなかったわ。
..レイカは、メイドロボにジュースと菓子を言いつけ椅子にかけた。
レイカ:イチローくんさー、学校はどう?楽しくやってる?
イチロ:うーん、そうでもないかなー。どっちかっていえば、たいくつ。
レイカ:<あら、わたしと同じ。わたしも「たいくつちゃん」て呼ばれてた>
..イチローはよほど喉が乾いていたとみえ、運ばれたジュースを一気に半分飲んだ。
レイカ:そう。学校に好きな女の子がいるんでしょ?
..レイカは、この小さな闖入者をちょっとからかってみたくなった。イチローは瞳を開いてレイカを見つめる。
イチロ:いないよー。お姉さんは?いま、好きな人いないの?
..反撃は予想外だった。レイカはちょっと考える。<自分に気になる異性があるか……永いこと考えてもいないなー>イチローが、ぽっと笑った。
イチロ:いないんだー。じゃぁ、さー、あと8年待って。
レイカ:8年?なにを待つの?
イチロ:ぼくが18になったら、キョーセイしない?
レイカ:キョーセイ?なにそれ?
イチロ:知らないの?だめだなー。男と女がいっしょに暮らすことさ。
..イチローは得意そうだ。
レイカ:えー、その共生!
..「共生」とは、前代の結婚を指す。
レイカ:わたしとイチローくんが「共生」するの?!
イチロ:うん。約束だよ。
..言うと、イチローはレイカの手を掴んだ。そして小指を立てると自分の小指をからませる。<10歳にせまられちゃったよ…>
イチロ:やくそくゲンマン、ウソついたら針千本飲ーます!
..そして息を吹きかけた。
イチロ:お姉さんも「ふー」して!
..勢いに押されてレイカも息を吹きかける。
イチロ:約束したよ。
レイカ:<これって、いったい何なの?!>はい、はい。
..答えたレイカに懸念が芽生えた。すぐに急いで言い足す。
レイカ:でもね、これ、ないしょよ。誰にも言っちゃダメよ。
..イチローは、いたずら坊主の笑みを漏らす。
イチロ:うん。秘密だよ、2人だけの。
レイカ:<やれやれ、これでそのうち忘れるでしょう>
..そして、忙しいからとイチローを帰し、仕事に戻った。新人の2人の先導士、タニキとノニコの経歴をチェックしほぼ考えが纏まったところへ業務を終えた2人が報告に現れた。プロジェクト(カイホウ)の内容とモニター決定を告げ、その先導をやる気があるかを確かめる。2人にとっては初めての独立した仕事だ。不安は感じながらも喜んで、積極的に引き受けた。それで一安心のはずだった。が、一人になると何かが心の底をざわつかせる。プロジェクトの話しを始めて聞いた時から、説明しがたい違和感のようなものがある。<この落ち着かない感じ…なにかしら…>
..レイカは、今日は夕方には帰るつもりでいた。10日ほど過密な日々が続いている。早く帰ってゆっくりしたい。が、そうはいかなかった。2人が退出するとすぐに友人のマニホから電話がきた。マニホは今はライブロボット(有機ロボット)の研究プロジェクトに希望して参加している。そして機関内にあるクラブに呼び出された。話しを聞くとロボット工学研究所を止めたくて悩んでいるらしい。「先導士」に戻ったほうがいいかどうか、その相談だった。
..そして話しが一段落し<これで帰れる>と思ったところへ、「こんばんは」と声を掛けてきた者があった。見ると、レイカにもなんとなく見覚えのある青年だ。ムサシ(武蔵)アホネンだと自己紹介した。マニホと研究所でいっしょだという。ムサシは快活な青年だった。自分からよくしゃべりよく笑った。30分ほど経ったところで<もういいだろう>レイカは腰を上げた。なんとか2人を振り切りμに乗り込んだ。

..旧時間帯で、マニホはそっとベッドを抜け出した。ムサシは眠ってしまったようだ。<ここまではバレないできた。これからどうする?>時間を確かめる。6時だ。静かにカーテンを引く。月が昇っていた。しばらく眺めていたマニホはタニキを思い起こす。<あの金属チップ、処理できたかしら…レナ(レイカ)はどうしただろう。やはり「自己遭遇」を決行したかしら?>レイカの考えが変って中止してしまうとマニホの立場は面倒なことになる。<中止は無いよね。彼女、結構ガンコだもの、必ず実行する。もうじき結果がわかるわ>マニホは足を投げ出し楽な体勢をとる。月を眺め飲み残しのカクテルをのんでいると部屋の空気が暖かくなってきた。さらに体から力が抜けていく感じがする。<カクテルのせい?体温が上がった?そんなに飲んでいないけど…>すぐに椅子に掛けている体力が無くなり、カーペットの上に転がった。不思議な感覚だ。自分がゆっくり溶けていくような気がする。ほんわり暖かく、体から一切の力が消え、夢のなかに浮いているような幸せな心持ちだ。意識も薄れてきた。うっとりするような気分だけが感じられる……
..その頃タニキは月基地のレーザーエネルギー研究所で焦っていた。
..この基地では、太陽光を電気エネルギーとして蓄え、定期的にレーザーに変換して地球・衛星・エレベーターなどに送っている。地球の電気エネルギーの半分を供給している。依頼された金属片は、予定どうり5時に破壊され原子となって宇宙空間に飛んでいった。月面上での実施は影響が心配され、研究所の統括責任者の意見で、宇宙空間に打ち出しレーザーで分解する方法がとられた。任務は達成できたが、新たな問題が生じたのだ。
タニキ: そんな…
..地球帰還準備をイドアーM1(時空間移動定点・月1)で開始した。転送先は、地球の宇宙エレベーターだ。一通りの入力が済み「完了」をクリックした。すぐにシレイコンピューターが反応した。
......警  告
......地球時間に時震波発生中
......現在地球への転送はできません。
......回復時間は未定です。
..タニキはしばらく呆然とスクリーンを眺めていた。<金属片は消滅した。おそらくレイカ・ダイセンダツは「もう一つ」を実行したのだ。それで「時震波」が発生した?…けど、うまくいくのか?>転送できなければシャトルロケットで帰るしかない。時間がかかる。タニキは知識をフル稼動する。<「時震波」はそんなには永く続かないはずだ>
タニキ:しかたがない。回復を待つか。
..「時震波」発生中は、電話も通じない。タニキは溜息をついた。<ぼくは地球時間を離脱し月時間にいるんだ>平常時には、その2つの時間帯に現実的な問題が起きるほどの差は無い。地球と月の質量の差は時間速度に影響を及ぼすほど大きくないからだ。だが一方だけが強制的に一月もずれると話しは違ってくる。おそらくコンピューターまでもが困惑する事態だ。<どうなるか…様子を見て待つしかないな…>また溜息をついた。そして基地内に警報が鳴り渡った。  
....非常事態発生!  
....地球時間に「時震波」発生中!  
....地球との全てのコンタクトを停止します!
..基地職員全員に緊張が走り動きが慌しくなる。混乱した頭でタニキは必死に考える。<おそらく、5年前のハルト、マユカが引き起こした「時震」が到達したその同時刻にレイカ・ダイセンダツが過去を修正しようとした(なにをしたのか分からないが)…それが新たな時震を発生し増幅してしまった…>声を荒げ飛び回る職員たちの中で、タニキは窓外の漆黒の闇を睨んでいた。そこには青い地球が輝いている。

..帰宅し風呂に入ったレイカにマニホから電話がきた。
マニホ:麗奈ちゃんに謝ろうと思って。
レイカ:何が?
マニホ:隠してても結局分かるから、先に白状するけど…
..マニホの語るには、今夜ムサシとレイカが出会うように仕掛けたのは自分だという。ムサシはレイカに一目ぼれし、マニホにしつこく紹介を頼んだ。断り切れなかったマニホは今夜偶然を装って引き合わせた。その侘びだった。
マニホ:電話したのは、お詫びに情報提供しようと思って。
レイカ:なにかあるの?
マニホ:アイツ、実年齢は48歳らしいよ。間違いないと思う。古くから職場でいっしょのヒトの言う事だから、恐らく間違いない。それに、結構あせってるみたいだから気をつけてよ。すぐにでも「共生」のプロポーズするかもよ。
レイカ:fhaha-、そーなの。それなら、可能性はゼロだと伝えておいてくれない?
マニホ:分かった。言っておく。でも気をつけてよ、熱くなるタイプだから簡単に諦めないよ、きっと。
レイカ:うん。教えてくれてありがとうね。
マニホ:わたし、やっぱ先導士にもどるよ。がんばってみる。
レイカ:それがいいかも。ボスに伝えておくわ。
..風呂から上がると、メイドロボ・ララが飲み物を訊いた。ララはビールのグラスをテーブルに置く。
ララ :「伝言」ガ未開封デス。開キマショウカ?
レイカ:<あ、屯倉くん、忘れてた。>そうね。開いて。
..屯倉の伝言は変っていた。一言で言えば研究の近況報告だが、屯倉とレイカのDNAを組み合わせるととんでもない「新人類」が生まれることが分かったという。そして「だからキミと僕は共生すべきなんだ」と結んでいる。
..レイカは笑う。
レイカ:ずいぶん回りくどいプロポーズねー。<まあ、それだけ一生懸命考えたってことか。なにも、プロポーズまで理詰めでこなくても。彼らしいって言えば、「らしい」けど>
..それから10日後に、プロジェク(カイホウ)の第1回が実施された。その間に、レイカはムサシに迫られ、屯倉に拉致されて「共生届」の用紙を渡されていた。そして先ほどジハンギ(時間汎用会議)の関係者と第1回の出立を見送った。マスコミも大勢集まってきて大変な騒ぎだった。ハルトが移動したのは6年前だ。名古屋のイドアー3(移動定点bR)から東方へ、車で中空道を20分の山地に近い住宅地だ。そこにハルトの実家がある。マユカは旧K県A市郊外のイドアー7に、20年の朔行移動した。そこは、後に恋人となる(と本人は言っている)ジョージの故郷だ。さらに岬の灯台に行った。そこで高1のジョージに会うことができた。
..マスコミを振り切り、ようやく部屋に戻って落ち着いた所へ面会希望者が現れた。次元物性研究所の所長Dで、レイカとは初対面だ。
D :お忙しいのに申し訳ありません。先生のご指導をいただきたくて参りました。
..レイカとは別チームからの依頼で「移動物質」の研究をしているという。なぜそんな物を希望するのか、ここまでにどんな経過を踏んできたのか、現在の状況はどうなっているのか、説明は時間を要した。
レイカ:話しは分かりました。それでシュミレーションしても思うような結果がでない、ということですね?
D :はい。どうでしょう、なにか方法はありますか?
レイカ:…うーん、なかなか難物ですねー。考えてみます。データ資料は置いていってください。
..Dはもう一度丁寧に頼むと退室した。Dの話しは途中からレイカの記憶と結びつき、引っかかった。約5年前、レイカは「移送時の時間の捩れ」に囚われていた一時期がある。何故捩れが生ずるのか、それが解ければ自ずから解決法がみえてくる。そう思っていろいろ試行錯誤した。だが解明に至らない内にいつしかその問題はレイカの関心から離れていった。そしていま、Dの持ち込んだ話しがその記憶との再会を強制した。Dが去ってレイカはしばらく考えていたが、やがて結論した。「高度資料館」で論文を漁ってみよう。かならずこの命題についての研究があるはずだ。以前は「高度資料館」に立ち入ることができなかった。ダイセンダツとなった今は、出入り自由だ。<それしかない。それが一番の近道だ>
..「高度資料館」は「オオオク(大奥)」にある。ガイドロボの案内に従い目的の資料をさがす。レイカが選んだのは「多次元時界における位相の捩れに関する研究」だ。まずばらばらっと全体の分量を見た。読み終わるのにどれくらいの時間がかかりそうか見当をつけるためだ。 数日は要しそうに思われる。ようやく本物にたどり着けた。<わたしの考えがどこが違っていたのか…>そして数式に没頭した。90分経ったところでガイボが時間を伝える。レイカはメモ用紙で計算途中だ。ちょうど思考が乗り切ったところだった。
レイカ:えっ、もう…
..頭をあげる。いま中断するのは未練がある。が、この後の予定が蘇る。それらを想い起こすと、このまま作業を続ける訳にはいかない。軽く息を吐いて、
レイカ:分かった。今日はここまでにしておくわ。
..片付けて部屋を出る。頭は、論文の数式で興奮気味だ。すぐ帰る気になれず、そのまま明るい庭に出た。ずっと向こうは海原のようだ。光が踊っている。風景も穏やかなら、この施設も静かだ。聞こえるものは、海鳥の鳴き声と風の音だ。ここに転送されてから人間に一人も会っていない。当てもなく進んで行くと、土地が盛り上がった所に小さな杜があり、古びた木造の祠らしきものが見える。<社?、「高度資料館」になぜ?> 近づいてみた。やはり社らしい。木造の白っちゃけた鳥居が立っている。そしてその下で鳥居を見上げたとき、不思議な感覚がレイカを襲った。<ここ…わたし、来た事がある。わたし、ここを知っている…>それは、妙に懐かしく、どこか甘い匂いさえ伴った古い記憶に似ている。だが、ここは「高度資料館」の中だ。過去に来ているはずがない。いや、ここに入れるはずがない。それでもレイカには、妙に懐かしい場所に感じられてならない。<これってデジャブ(既視感)?>そう思っても納得できない。レイカは社まで進むと一回りしてみた。小さな祠だ。なぜ懐かしく思うのか、もしかしたらその手がかりがあるかも知れないと気を配って進んだ。だが疑問に答えるような物はなにもなかった。印象では、相当古い社に思われる。<ここはもしかして無人の孤島?>大昔には住人がいて村落もあったのだが、いつしか無人となり、この資料館が置かれた。レイカはそう想像した。ケータイがあればGPSで位置が確認できるが、所持物は転送時に全て取り上げられた。太陽の高さと時刻で推測できないこともなさそうだが、<そんなこと、子どもでも思いつく>と考え直した。<この大空も海もホログラフィで、いつも真昼かもしれない>
..プロジェクトの第1回は無事終了した。レイカはタニキ、ノニコから報告を受けた。
レイカ:ほぼ一日行動を共にして、新たに気付いたことはないかしら…つまり、人間性あるいは性格など、事前の情報とは違うと感じたような事は。マユカさんはどう?
ノニコ: んー、そうですね。年齢より乙女チック、いえ、純粋かなとは感じました。それにもしかしたら思い詰めると怖いタイプかなーって、少し感じました。
..ノニコはマユカがミサキを「ゾンビ」と罵ったときの表情を思い出していた。
レイカ:そうなの。純粋で思い詰めるタイプね。事前の調査資料には、それは無かったわねー。で、ハヤトさんは?
..振られたタニキは即答する。
タニキ:ハヤトさんは、調査資料のとうりの人物です。親思いで、ちょっと感動しました。
..タニキは、ハヤトが両親に会ったときの言動について細かく報告する。
レイカ:そうなの。とりあえず何も無くてよかったわ。報告書はできるだけ早く提出するのよ。
..二人が退室すると、すぐにボダイAにホログラムした。
レイカ:プロジェクトの第一回が終了しました。取り急ぎ概要を報告いたします。すべて予定どうりで、特に報告すべき異常な事態は生じていません。
A:そうか。それはよかった。ところで…
..Aはそこで言葉に詰まった。
A:念のためモニターのハヤト、マユカの再調査を指示した。
レイカ:再調査ですか?何か気になる事でも?
A:いや、たいした事じゃないんだけどね。キミの「自己遭遇」が、ちょっとひっかかって見直しをしている。
..その後なん日か経って、マニホがイチローを伴って現れた。二人は初対面だ。そしてイチローが持参したお菓子でおやつタイムになった。
イチロ:Websiteで「反物質」を調べたんだけどさー。
レイカ:<ほら来た。ここはマニホにまかせよう…触らぬ神に祟り無し>
マニホ:反物質?キミが?
..マニホの眼が丸くなる。
イチロ:うん。ぼく見つけちゃった--かもしれない、「時間移動」できる方法を。
マニホ:へー、すごいねー、どうするの?
..マニホは真剣に受け取っていない。顔が笑っている。
イチロ:教えて欲しい?
マニホ:はい、ぜひご教授を。イチロー先生。
イチロ:じゃ、紙とペン貸して。
..そしてイチローの講義が始まった。初めこそマニホは軽くあしらっていたが、途中から本気で付き合いだした。イチローの話しは「物質・反物質」の時界での生成過程から「別宇宙」にまで及んだ。かなり時間を要した。終盤になると完全にマニホとイチローの位置は逆転し、どちらがセンダツか小学生か分からなくなった。話しが一区切りしたところで、ようやくレイカがイチローを送り出すとマニホが言った。
マニホ:ね、あの子、かなりすごくない?10歳であれだけ考えられるなんてありえない。天才ばかりのキッズカレッジでさえあれだけの子はちょっといないんじゃない?
レイカ:そーなのよねー…そこがねー…
..レイカの口ぶりは冴えない。レイカはイチローに関しての危惧を告白した。「時空学」の頂点に辿り着く怖さを漏らした。
マニホ:確かに…そう思うと怖いよね。
..マニホも去って、レイカはタニキ・ノニコに連絡をとろうとした。プロジェクト第2回の実施について当人から希望が出ているかを知りたかった。そこへガイボ(施設のガイドロボ)がやってきた。
ガイボ:イチローサンニ頼マレマシタ。
..手渡されたのはミニカー用の小さなケースだ。透明カバーの中に楕円形の光る小石のようなモノがある。手にとってみる。薄い緑の石には、白い幕の層が走っている。レイカには、ガラスか、質の悪い翡翠のかけらに見えた。<彼のお宝なのね…>回転したり、角度を変えたり暫く眺めた。レイカはさきほどイチローにキッズカレッジの入学を強く勧めたばかりだ。小石を眺めていると、胸に罪悪感のようなものが立ち上ってきた。そしてキャビネットの最下段を開けるとそれを安置するかのように閉じ込めた。
..プロジェクト第1回が済んで、ハルトは名古屋、マユカは関東の自宅へと一旦帰宅した。そして翌日、マユカに電話がはいった。ハルトから「2回目の出先日を同じにしてほしい」という申し出だ。そしてさらに翌日、2人はマユカの市のファミレスで落ち合ったのだが、ハルトは希望を聞いてくれるなら100万円出すとさえいった。それでも明快な返答をマユカが渋っていると、
ハルト:誰でも一人くらい殺したいヤツがいますよね。あなたにもいるんじゃないですか?100万で駄目なら、殺してあげてもいいですよ。それも完全犯罪で。絶対ばれません。そういう方法があるんです。
..と、とんでもない提案を持ち出した。結局はどんな約束も成立せず分かれたのだが、その晩マユカはひとつの思いに囚われることになった----ミサキさえ居なくなれば、死んでくれれば----。
..翌日、マユカからハルトに連絡をとり、午後3時二人は公園のベンチに並んでいた。そこで初めて、ハルトの父親の事故死をマユカは知った。
ハルト:あなたでなくお友達でもいいんです。オヤジたちを移動さえできれば誰でもいい訳ですから。
..そのときマユカに閃くものがあった。<そうか、ミサキを父親と入れ替えればいいのだ。そうすればハルトの願いは叶い、ミサキは死ぬ>結局マユカは50万円受け取った。
マユカ:分かりました。お父様を助けましょう。理由もなく殺されるなんて一番理不尽ですもの。協力します。

..先導士タニキは、月基地で時間を持て余していた。できることは考える事だけだ。だが、判段の材料となるデータがない。考えるといっても結局は根拠のない妄想が空回りするだけだ。「アクセスが回復するまで月観光に出かけたら」と、基地司令は親切で言ってくれた。が、そんな気楽な気分ではない。心のどこかに重苦しい物が引っかかっている。また窓外の闇と星を見つめているとノック音がして入って来た者がある。基地所属の先導士タンツーだ。先導士としタニキの先輩に当たる。
タンツ:一報が入った。心配しているだろうから急いで来たよ。
タニキ:それはありがとうございます。
..言いながら、タンツーの出したプリントを受け取る。
タニキ:震源地、地球:高次時空間研究機関本部…分岐度、80度…歪曲時間、−35日00時間00分07秒…
..食い入るようにデータを見ながらタニキが呟いた。
タンツ:つまり地球時間は35日以前に分岐したようだ。この状態だと、影響はほぼ全地球に及ぶ。もちろん震源に近い所は変更も極端に大きい。気になるのは、震源が機関本部だという事だ。人為的なのか、事故なのか分からないが、何か心当たりは?
タニキ:…あります。
..タニキはごく簡単にこれまでの経緯を説明した。タンツーは驚きの表情でタニキの話しを聞いた。
タンツ:つまり、レイカ・ダイセンダツが意図的に分岐させたというのか?!
タニキ:おそらくは。
..タンツーは唸って考え込んだ。
タンツ:私の知る限り、こんなに大きな時間分岐はおそらく地球誕生以来始めてだな。
タニキ:そしてぼくは、地球時間から切り離されてしまったんですね。
タンツ:そういう事になるね。でもそれは普通に移動していても起こることだ。土星まで旅行すれば一旦は地球時間からは切り離され「太陽時間」の中を移動しやがて「土星時間」に組み込まれる。言ってみればそれだけの事だから、そんなに心配はいらない。それに、時間分岐というのは「過去の修正」ではなく、正しくは「過去のある時点からのやり直し」だからね。1日もあれば落ち着いてくるはずだ。それも地球上の誰もそんな事が起こったと気付きもしないでね。
タニキ:でも、ぼくが地球に戻るともう一人の僕が居ることになりますよね?
タンツ:もちろんだ。だから帰還するときには注意を要する。自己遭遇の危険があるからね。ま、もう少し様子を観察しデータの解析を続けるしかないね。
..タンツーは笑った。
タンツ:安全が確認されるまでは、休暇だと思ってゆっくりするがいいさ。
..タンツーとの会話でタニキの気分は軽くなていった。話しているうちに問題点が徐々に整理されてきた。<できるだけ早く帰還して、過去は修正されたのか、あるいは以前と同じ状態なのか確認しなければならない。それがぼくの使命だ。ぼくは未来を知る唯一の生き証人なんだから>
..レイカはボダイAと機関内の「イドアー1(空間移動定点bP)」で待ち合わせた。ジハンギ(時間汎用会議)役員会に出頭するためだ。ジハンギはGNL(全地球連盟)の1組織だ。距離は200kmほどある。従って空間移動するのが一番手っ取り早い。そのロビーで二人は事前の打ち合わせをしていた。話しが一段落しかけたところでレイカの電話が鳴った。見るとタニキだ。つい先ほどプロジェクト第2回の実施予定について、顔を会わせたばかりだ。
レイカ:どうかしたの?
タニキ:緊急事態です!
レイカ:緊急?何があったの?
タニキ:あ!、ぼくはそちらのタニキではありません。4日後のタニキです。急いでお知らせしなければならないことがあります!
レイカ:4日後?
..ソーダが泡立つようにレイカに複数の想いが沸いた。<4日先から移動して来た?…なにかのイタズラ?…混線?…それとも悪意のある行為?…>そして無意識の内に「認証」をクリックしていた。すぐに音声認識の結果が表示される。
......通話相手:コード392タニキ*1826、センダツ、異時空間先導士
......本人確率:98.5%

レイカ:<間違いなく本人ね>
..インジケーターも素早くチェックする。少し興奮しているようだが、嘘を言っている可能性はない。
レイカ:<本当に緊急事態で4日後からタニキがやって来た?>いまから会議なの…
..言いかけるとタニキが遮った。
タニキ:分かっています。ジハンギですね。それをキャンセルすべき事態が発生しました。すぐに会ってください!
..レイカの知るタニキは、いい加減な情報で動いたり人を担いだりする人間ではない。0.5秒の間があってレイカはボダイAに言った。
レイカ:申し訳ありません。緊急事態が発生しました。ジハンギに出席できません。
..Aは驚いた。
A:緊急事態?いったい何だね?
レイカ:詳しいことはまだ分かりません。が、高レベルのようです。後はお願いします。
..レイカは言い捨てると移動椅子に乗った。
レイカ:ジハンギはキャンセルした。どこに居るの?
タニキ:はい。自己遭遇を避けるため本部から500メートル離れています。「原初の森公園」の大沼のほとりの展望台をご存知ですか?
レイカ:ええ、知っている。そこに行けばいいのね?
タニキ:はい。お待ちしています。
レイカ:すぐ行くわ。
..レイカはフロントロビーに向う。μに乗り換えようとしたとき歩いているタニキを見かけ呼び止めた。
タニキ:あ、先生、お出かけですか?
レイカ:ええ、ちょっとした用ができて。そうだ、あなた、電話で自分と話したことがあるかしら?
..タニキの表情が不審なモノを目撃したかのように奇妙に歪んだ。
タニキ:は--あ---?
レイカ:電話にでてみて。いま繋がっていると思うから。
タニキ:なんの--ことですか?
..言いながらタニキはケータイを取り出す。
タニキ:え?本当だ、つながっているようです。
..耳に当てる。
タニキ:もしもし、タニキです。
..レイカは笑いをこらえる。が、すぐにレイカの耳にも届くほど大きな音がケータイから響いた。Kyii--n、ハウリングだ。タニキは放り出すようにケータイを離した。レイカとタニキのケータイの間でハウリングが起こっているようだ。
タニキ:なんですか、これ!
..レイカは声をあげて笑った。
レイカ:ごめん、ごめん。ちょっと確かめたかったの。実はね、4日先からあなたが来てるのよ。
タニキ:えー!なんのために?もしかして今回のプロジェクトのことですか?
レイカ:おそらくそうだと思う。もう一人のあなたは、いま「原初の森」にいるから会いに行くけど、当分は近づかないでね。
タニキ:は、はい。分かりました。
レイカ:電話も緊急時だけにしてね。
..大沼の展望台は広い木製のデッキになっている。一部が沼の上に張り出している。見渡す景色は鬱蒼とした、まさに原初の風景だ。
タニキ:ハルトさんは父親の事故現場を、マユカさんは「ことばろ球場」を希望していますね?それに、日時は5年前の10月10日で同じですよね?
レイカ:そうよ。やっぱりそこで何かが起こるの?
タニキ:ええ、起こります。
レイカ:あなたは、それを教えるために遣って来た?
タニキ:そうです。今回のプロジェクト中止のために、先生は自らダイレクト「自己遭遇」を実施されました。
レイカ:わたしが?…じゃ、この前のあれがそうだったのね……プロジェクト中止が目的だった…
タニキ:そうです。
レイカ:でもよほどの理由が無い限り中止にはできないけれど、何があったの?
タニキ:ハルトさんの父親は事故に会わず生き延び、かわりにジョージさんの恋人ミサキさんが事故死します。正確に言えば殺されます。そう変更されてしまいます。
レイカ:…そんなー!
..タニキはこれまでの経緯を説明した。随分時間がかかった。
タニキ:それでぼくは、今回こちらに移動してから、先生が起こした時間分岐で、何が変更され、何がそのままなのかをできるだけ調べました。
レイカ:それで?
タニキ:ほとんど同じことが繰り返されています。変更は問題にならない些細なことばかりでした。敢えていえば、こうしてぼくと会っていること、ジハンギをキャンセルして出席しなかったことが一番大きな変更です。
レイカ:と言うことは…
..レイカの視線は遠い山に向けられる。短い沈黙があり、タニキが先に口を開いた。
タニキ:先生が命がけで実行された分岐のお陰で旧時間帯はほぼ消滅しました。問題は、このままでは同じことが繰り返される可能性が非常に高いということです。
レイカ:つまり、わたしたちは時間ループに取り込まれ抜け出せないでいる…
タニキ:ジハンギを説得するか、あるいは力ずくで中止するか、このまま放っておくことはできません。
レイカ:そうねー、中止はジハンギが納得しないでしょうね。世界中の人が時間旅行に夢を持ち期待をよせているから、いまさら「中止です」とは言えない。
タニキ:それは天体旅行のせいでしょうか?
..タニキは沼の上空に見えてきた火星を指す。
レイカ:それも大きいわね。月や火星旅行は一般人でも多くのヒトが経験してる。でもその結果分かったのは、期待を満足させるほどのモノが無いということ。特に科学者でもない限りは。
タニキ:そのうえ天体旅行には多くの不便・不自由・危険が伴います。それに引き換え時間旅行は、地球上だから気軽に行き来できるうえドラマ性がある。同じ経費なら、他の天体へ行くよりずっと魅力的だと期待されているようです。
..暗くなってきた。2人は隣接する山小屋風のレストランに移動した。そしてレイカはボダイAを呼び出した。Aはジハンギから戻ったところだった。タニキが事情を説明する。その間レイカは無言で考え込んでいた。聞き終わったAは渋い顔で腕を組んだ。
A:事情は分かったが、いまさら中止はないぞ。ジハンギにそんな提案をしてみろ、この機関の存続さえ怪しくなる。レイカくん、なにか考えはないか?
..ずーっと無言だったレイカがAを見つめた。
レイカ:ないこともありません。
A:あるのか、なにかうまい手が!
レイカ:うまいかどうか分かりませんが、なにも聞かないでわたしに「ミライクン(未来くん)」とスタッフを1日貸してください。
..「ミライクン」というのは未来像顕現システムだ。存在しない未来を膨大なデータと計算によって現出する。(参照:「トシシュン」)
A:「ミライクン」を?どうするんだね?
レイカ:プロジェクトを中止することなくループを断ち切り、モニターの2人も納得することができればいいのですよね?やってみる価値はあると思います。黙って貸していただけませんか?


..レイカとマユカは田舎町を囲む堀の橋を渡って広場に来ていた。
マユカ:ここは何処ですか?綺麗な公園ですねー。それに教会がステキ!
レイカ:6年後の世界よ。そしてあのクラッシクな教会は修道院。「時事刑務所」の一部よ。
..教会までの通りには、大きくは無いが町並みがある。全景を一言でいうなら、中世の小さな田舎町と教会だ。人通りもあり賑わっている。が、服装もなんとなく前時代的だ。
マユカ:時事刑務所?
レイカ:そう。時空間をまたいだ犯罪は「時事裁判」でさばかれ、有罪人の9割はこうした施設で服役するの。もちろんここは女子用。服役者のほとんどがこうした宗教施設に預けられるのよ。仏教の「尼寺」や他の宗教施設もあってどれでも選べるの。どこでも、ほとんど自給自足の生活よ。服役の態度や更生の程度によって町での暮らしが許されることもある。この町に住んで商売するのも自由。それで結構成功して財をなしたヒトもあるのよ。
マユカ:.ほー、でもどうしてここへ?なにか特別な用でも?
レイカ:ええ。6年後のあなたに会ってほしいのよ。この修道院で服役しているあなたに。
マユカ:え!、わたし、私が服役中ですか!
レイカ:残念ながら、そういう事よ。
..マユカの表情が歪む。そして石につまずいたかのように転びそうになった。<計画がバレた?そして捕まって刑務所暮らし…?>レイカはあわててその体を支える。
..昨日レイカはミライゾウケン(未来像研究所)でてんてこ舞いしていた。スタッフ総動員で架空データを作成し、何度も試行を繰り返した。6年後の未来を創作するのだ。それも二つを設定しなければならない。一つは修道院に預けられ服役中のマユカで、もう一方のハルトは、父親が会長・弟が社長の会社の役員として忙しくしている。それぞれの環境の一日のタイムスケジュールのデータを得て入力するだけでも大変な作業だ。レイカもスッタフも、食事はほとんど立ち食いの状態で20時間が費やされた。そして今朝マユカとハルトが呼び出された。
レイカ:突然だけれど、これから予定外の企画に参加してもらいます。
..マユカとハルトは顔を見合す。驚いたのか、質問さえ出ないようだ。レイカは笑いながら続ける。
レイカ:未来の、正しくは6年後の自分がどうしているか知りたくないですか。
マユカ:6年後…
..2人共に視点が遠くなった。
レイカ:どうしていらっしゃるか、想像したことあります?
..先に発言したのはハルトだ。顔が少しニヤけている。
ハルト:おそらく実家に戻って父の会社で働いていると思います。
レイカ:そう…、で、暮らし向きなどはどうかしら?
ハルト:うーん、きっと今より相当余裕のある暮らしをしている…いや、そうであればいいなー…と…
レイカ:そうですね。そうなっている事を願っています。マユカさんは?
マユカ:え…そ、そうですねー、きっと恋人と共生して…子どももいるのじゃないですか?
レイカ:幸せな日々を送っていらっしゃる…それも、愛するヒトとともに。どちらも輝く未来が開けるようですね。それをこれから確認してもらわなければなりません。
ハルト:はい。是非そうさせてください。でもこれはプロジェクトの2回目ではないですよね?
..ハルトは満面の笑みで力強く答えた。期待の大きさが露骨に出ている。
レイカ:これは、特別企画なのでノーカウントです。マユカさんは?
マユカ:わたし、ちょっと怖いです。
レイカ:なぜ?
マユカ:もし希望と全然違う未来だったらと思うと、不安になります。
ハルト:そんなことないって。全てうまくいくよ。それを早く確認できるんだから僕たち幸運だよ。
マユカ:でも…
..レイカの計画では、どちらかが参加を渋ったとしても、最低1人が参加してくれればなんとか予定どうりいくはずだ。
レイカ:どうします?強制はしませんよ。
..ハルトはあせって言った。
ハルト:ちょっと休憩時間をいただけないですか?
..レイカは申し出に応じる。
レイカ:そうですね。じゃ、15分休憩しましょう。
..休憩の間レイカは席をはずした。飲み物を取りながらハルトはマユカを説得した。
ハルト:僕らの計画が成功するかどうか確かめる絶好のチャンスだよ。僕は絶対うまくいくと信じている。オヤジが生きていたら、必ずキミの恋人探しに協力するよ。だからなにも心配することないって。
..休憩後レイカはミライクンについて簡単に説明した。
レイカ:未来は存在していないので、過去のように移動することができないの。だから経験してもらう未来は計算によって予測される映像なのよ。何が起ころうと実害や危険はないし、いつでもこちらへ復帰できるので安心してください。
マユカ:計算?じゃ、予測が狂うことも?
レイカ:はい。「未来は常に不確定」というのが時空学の原則です…
..言いかけてレイカは相手が素人なのを思い出した。
レイカ:これまでの経験では、1年先までは相当に信頼度が高いのですが、その後時間スケールが拡大するにつけ急速に信頼度は低下します。ですからこれから経験していただく6年後は飽くまでも参考です。
ハルト:ほら!
..ハルトはマユカに身を乗り出す。
ハルト:だから、そんなに深く考える事ないって。ちょっと遊びに行ってみるつもりでいいんだよ。マユカさんだって未来を覗いてみたい希望が少しはあるんじゃない?
..マユカがこっくりと頷く。じゃんけんでマユカが先に出立することになった。
..レイカはマユカを抱きかかえるように修道院へ進んだ。真っ直ぐ行くとレンガを積み上げた塀に当たる。
レイカ:説明したとうりこれは映像です。それに今回はソフトバージョンに設定されているので触感はありません。この木をみてください。
..すぐ脇の木の幹にレイカは腕を思い切り良く振り下ろす。
マユカ:あ!
..マユカの口から小さな叫びが漏れる。レイカの腕は、幹に当たることなくそのまますり抜けた。
レイカ:わかったでしょ、実在して無いってことが。あなたもやってみて。
..マユカも腕をあげると、おそるおそる下ろした。同じように通過した。
レイカ:ね。これからあの塀を抜けて中に入ります。ヒトや犬、山羊などに会っても驚く事はありません。全て映像ですから。もちろんあなた自身も。全部すり抜けられます。相手には、わたし達は幽霊か透明人間のようなモノです。さあ、中に入りますよ。
..レイカは表面がザラザラしたレンガの塀に向って空いている手を真っ直ぐに伸ばす。マユカの腰を抱いた手に力が入る。そして前方へ踏み出した。手首が塀の中に消えた。マユカの体が硬直し足が止まる。
レイカ:大丈夫よ。あなたも手を伸ばして。
..おそるおそるマユカは腕をあげる。塀の中に消えた。
レイカ:いくわよ。
..レイカがマユカをひきずった。マユカは眼を閉じ思わず顔を手で覆う。瞼の奥が暗くなり、すぐにもとに戻った。鶏の鳴き声が聞こえる。マユカはそっと眼開く。庭のようだ。確かに何の感触もなかった。さらにすぐ近くで法服の数人が畑の手入れをしているが、誰も2人に気付いた様子がない。楽しそうにおしゃべりしている。マユカが小声で言った。
マユカ:話しをして大丈夫ですか?
..レイカは笑う。
レイカ:相手は映像よ。何の気兼ねもいらないわよ。
マユカ:よくできていますねー。どう見ても現実の風景です。
レイカ:のんびりしていられないわ。あなたをさがさなきゃ。この時間だと掃除中ね。礼拝堂へ行ってみましょう。
..壁を幾つか抜け、礼拝堂を探した。
レイカ:濃い灰色の女性は洗礼を受けた尼さんで、薄いのが洗礼前、つまり見習いよ。黒の法服は、いわゆる幹部に当たる人達。
マユカ:わたし…なにか罪を犯したのでしょうか。それでここに送られたのですか?
..レイカの足が止まり、瞬時マユカを見つめた。
レイカ:プロジェクト(カイホウ)の第2回の実施に当たり、あなたは故意にジョージさんの恋人のミサキさんを殺害しようとした。時間移動の不正使用と常套刑法の「未必の故意」に準ずる罪で有罪が確定…そういう事だと思うわ。
マユカ:で、でも、それは予測に過ぎないんじゃ…
レイカ:もちろん予測よ。わたしたちの出立時間から見ればね。でもよ、いまここにあなたが存在していれば、予測は正しかったことになる。そして、この時点から振り返れば、あなたの犯罪は予測ではなく、確定した過去である…そう思わない?
..マユカは口を一文字に結んで黙り込んだ。見つけた礼拝堂では数人の修道尼たちが掃除をしている。
マユカ:あ!
..マユカが小さく叫んだ。その視線の先では薄い灰色の作業服姿の女性が机を拭いている。
レイカ:ああ、いた。あなたね。
..しばらく観察を続ける。マユカは、もう一人の、真剣に掃除する自分の姿に眼を奪われてしまったようだ。
レイカ:元気そうね。安心したでしょう?
..マユカは答えない。そのとき灰色のマユカが「わっ!」と突然倒れ、足元のバケツが音をたてて転んだ。近くの尼僧たちの視線が集まる。どうやら床に置いたバケツに足を取られたようで、辺りは水浸しになった。灰色マユカもびしょ濡れだ。水を垂らしながら「ごんめんなさい」を繰り返す。取り囲んだ尼僧たちは、髪や作業衣を拭いて優しく面倒をみていたが、年配らしい尼僧に「着替えていらっしゃい」と言われ脇のドアーに小走りに去った。
..レイカの耳にマユカの溜息が聞こえた。
マユカ:わたしって、失敗しゃちゃいけないところで、却って失敗するんです。「しっかりするのよ」と言い聞かせたときに余計に失敗してしまいます。子どものときからそうなんです。ドジなんですよね?これまでの人生、ずーっとその連続だった気がします。そして今は服役者…
..言葉の最後は涙声に消えた。レイカは時間を確かめる。
レイカ:そろそろね。移動しましょ。今度は接見室よ。
マユカ:接見室?
レイカ:あなたに面会人があるはずなの。
..狭い接見室は、中央に小さな木製の机があるだけでなにもない。既に2人が待っていた。それを見たマユカは思わず大きな声をあげた。
マユカ:お、お母さん!…お兄ちゃん!
レイカ:今日の面会は、お母さんの希望らしいわ。
..そこへ黒衣の尼僧といっしょに灰色マユカが現れた。そして同じように驚いた。
マユ兄:よう、久しぶり。どうだ、元気でやってるか?
..50歳くらいの男、マユカの兄が笑いかける。
マユ兄:今日はな、お母さんがお前に会いたいって言うんで連れてきたよ。
マユカ:お母さん、どうして車椅子?
マユ兄:うん、足が弱くなってな…
マユ母:いいんだよ、隠さなくても。実はね、ガンだって分かってね。
マユ兄:…お前には知らせないでおこうと思っていたんだ。知ったところで何ができる訳じゃなし、心配が増えるだけから…
マユ母:本当のことを言ったほうがいいんだよ。もう先がないんだから。
マユカ:ガン?どこの?
マユ母:すい臓だって。診断コンピューターによると、推定余命6ヶ月だそうよ。このごろでは体力が落ちてしまってねー。
マユカ:直せるんでしょ。いまでは癌でもよほど手遅れじゃない限りほとんど治るはずよ。
マユ母:ああ、近い内に一応処置するんだけどね。保障はないと医事ロボが言うんだよ。いまさら何の未練もないから、いつ終わってもいいんだけど、ただ…お前のことを思うと…社会に復帰して前のように頑張っている姿をもう一度見たい…って…けど、それは叶いそうにないから…最後に一目会いたいと…
マユカ:母さん!
..灰色マユカは椅子から立ち上がり母の元に駆けつける。そして抱きつくと「ごめん!ごめんなさい!」と号泣した。レイカの脇のマユカは屈み、顔を覆って声を上げ泣いた。2人のマユカが同じような格好で、同じ声で泣いている。しばらくして兄が言った。
マユ兄:オレにはいまだに分からんのだが、本当にジョージさんを殺そうと思ってナイフを用意して刺したのか?
レイカ:え?
..レイカは聞き間違えたかと思った。<ジョージさんを刺したってどういうこと?>ここまでは、レイカがスタッフに指示して入力したとうりだ。言うなれ台本どうり順調に来た。それが突然話しが変った。しゃくりあげながら灰色マユカは答える。
マユカ:裁判でも何度も言ったけど、ナイフを持ってきたのはジョージよ。そして言ったの、「消えてしまえ!このゾンビ!」って。そしてわたしを刺そうとした。必死でバッグを振り回し立ち向かったら、彼がぬかるみで足を滑らせ体勢が崩れたのよ。それで背中に体当たりしたら、ナイフを抱えるようにして前のめりに転んだ。それで腹を刺したのよ。わたしは何もやっていない!けど、裁判では認められなかった。
マユ兄:どうして控訴しなかった?二審では「現況確認」が認められる。つまり時間朔行して現場を確認する。そうすればお前の言っていることが簡単に証明されるのに、なぜだ?
マユカ:それで釈放されれば自由になれるの?どこに帰ればいいの?家に戻っても世間の眼がある。「男に狂って殺し損ねた女」ってね。職場では、きっと毎日が針の筵よ。幸い彼はたいした怪我ではなかった。罪を認めれば、修道院で5年の生活よ。冷たい世間より修道院こそがむいている。そう思ったのよ。
..レイカは成り行きを見守った。いつの間にかマユカも立ち上がり食い入るように見つめていた。
マユ兄:うーん。刑期は5年前に終えている。このままここに残るつもりか?
マユカ:分からない。でも、慣れたせいか、ここの暮らし気に入っているの。おいてもらえるならもう少しいるつもり。外出許可の可能性もあるし。
マユ兄:そうか、気に入っているのか。
マユカ:うん。落ち着ける。目障りな男がいないし、化粧をしなくてもいいし。
..マユカは笑顔で言った。
レイカ:<これがミライクンの判断か>
..レイカは状況が変った原因を考えていた。過去と未来の整合性で現在は決定する。ミライクンは、ミサキを失ったジョージが何らかの行動を起こすと判断したのだ。レイカはそう結論した。
レイカ:もういいかしら?
..レイカはマユカに問いかける。
マユカ:はい…
..マユカは小さく答えた。
レイカ:終了よ!
..レイカが上を向いて大きな声で言った。周囲の全てが掻き消え、視界が真っ白に変る。しばらく方向感覚が掴めない。目が慣れるととてつもなくだだっ広い空間だ。移動椅子2台が迎えにきて2人は腰を降ろす。
マユカ:母は6年後癌で死ぬんでしょうか?
..それはレイカの創作だった。
レイカ:予測というのは、膨大な要素の一つひとつが、それぞれ平均的に推移したときの可能性のことよ。でもそんな事ありえない。だから予測は予測に過ぎないわ。さっき未来のあなたが言っていたように癌もほとんど治せるから、いまから手を打てば充分間に合うと思う。
マユカ:そうですよね。早いうちに母の健康チェックをします。
..出口が近づいて来た。
マユカ:あ…あのー
レイカ:なーに?
マユカ:プロジェクト2回目の希望を変更してもいいですか?
レイカ:変えるの?
マユカ:はい。たぶん。
..同じ日の午後にはハルトが6年後に出発した。実家は後回しにされ、山に続く草深い坂をレイカと上った。
ハルト:なぜ墓地なんですか?
レイカ:着いたら説明するわ。まだ遠い?
..2人ともに息が切れている。出立のときハルトは意気揚々としていた。そして、まず代々の墓地への案内をレイカに告げられたのだ。ハルトは訳も分からず先祖からの墓地へ道案内にたった。
ハルト:もうすぐです。あの寺の裏山です。
..30mほど先の林を指す。その辺りは集落の昔からの墓地のようだ。見るからに年代物の墓石が所狭しと立っている。
ハルト:ここです。この区画が我が家の代々の墓地です。古い物は、元禄の年号があります。
..そこには大小幾つかの墓石が並び落ち葉や枯れ枝が散乱している。
レイカ:ここですか。
..息を整えてから、レイカは「南無阿弥陀仏」と刻まれた一番大きな墓石に近づき、合掌した。ハルトも合わせて合掌する。
ハルト:それで、なぜここなんですか?説明してください。
..ハルトは早く実家や会社に行きたいのだ。自分がどんなに変っているのか早く確かめたい。レイカは黙って周囲の様子を観察している。
レイカ:説明します。家へ戻られる前に聞いていただかなければならない重大な話しがあります。
..言いながらレイカの指が列の端の綺麗に輝く墓石を指した。
レイカ:あれ、あの墓、随分新しそうじゃないですか?
..ハルトも視線を向けた。そして近づいていく。
ハルト:本当だ。新しいようですね。誰の墓なんだろう?
..ハルトは墓に回りこむ。レイカも後についた。
ハルト:えーっ!
..ハルトが大声で叫んだ。そしてその場に座り込んでしまった。レイカは墓の側面を見つめる。
..俗名 遥登 享年36歳
..ハルトの顔面は蒼白だ。
ハルト:な、な、な、なんで…
..言葉が出ない。暫く待ってレイカが静かに言った。
レイカ:お話しというのは、この事です。わたしどもは念のため事前調査をいたしました。その結果、お気の毒ですが、6年後にはあなたは亡くなっていました。
ハルト:そ、ん、なー…どうして…
..<ちょっとやりすぎじゃない>レイカも戸惑った。レイカも「ハルト仕様」について詳細までは知らない。昨日短時間に2人分の仕様を決定し、膨大なデータを入力するためにスタッフを2つに分けた。レイカチームはマユカを担当し、ハルトはタニキチームに任せた。作業開始から30分ほど経った頃、タニキが相談に来た。「ハルトは死んでいることにしていいでしょうか?」と言う。理由を訊くと「大きなショックを与えないと計画を断念しそうに無いから」だと答えた。レイカも忙殺されていた。「いいわよ」と了承してしまったのだ。その結果がいま目の前にある。確かに大きな衝撃だったようだ。そして出立前に聞いた計画では、さらに打ちのめされることになるはずだ。
ハルト:病気ですか…それとも事故?
レイカ:
ハルト:…まさか…自殺?
レイカ:詳しいことは知りません。もしかしたら、これから分かるかもしれません。参りましょうか。
..帰路についた2人だが、ハルトは病人か老人の足取りだ。何度も大きな溜息をつきやっと歩いている。レイカはこの後の行動を考えていたが、ハルトの余りの落ち込みを見て<少し励ました方がいいかな>と思った。
レイカ:これは、飽くまでも予測です。6年後ですから確率の低い予測です。そう受け取ってください。
..ハルトは、足を止めレイカを見つめた。
ハルト:そうですよね。予測に過ぎないですよね?確率は何%ぐらいですか?
レイカ:そーですねー、20%でしょうか。
ハルト:20%?ということは、こうならない可能性は80%だ。つまりそのほうが可能性が大きい!
..ハルトの声に力が戻った。<そういう事ではありません>とレイカは言いそうになった。が、声に出る前に言葉を飲むと曖昧に答えた。
レイカ:ええ、ま、そういうことです。
..実家が見えて来た。庭の方から声がする。ハルトの両親がいるようだ。2人は声の方へ進んだ。親たちは松の木を見上げている。
父:どうも元気がないなー。
母:そうね。なんだか枯れ枝が多くなったような気がする。
..どうやら松の健康状態を按じているようだ。
母:病気かしら。それとも松くい虫?
父:いや、これはどちらでもないな。掘り返して根っこを調べたほうがいいかもしれん。
..離れて様子を見ていたハルトが小声で言った。
ハルト:本当に近づいてもいいんですね?
レイカ:構いませんよ。映像ですから。
..ハルトはおそるおそる忍び寄る。
父:根っこだと、大仕事になるな。明日一日がかりの覚悟でやってみるか…
母:明日はダメよ。ハルトの法事でしょ。
父:あ、そうか。ハルトの7回忌だった。
母:ええ、少し早いんですけど、お坊さんが「早い分にはかまわない」っておっしゃるんで、家でお経を上げてもらう事に決めたじゃない。誰にも知らせないで家族だけでひっそりやるつもりよ。あなたもそれがいいって言ったでしょ?
父:そうだった。あんな死に方じゃ、大袈裟にしないほうがいい。
母:でも、いまだに不思議なんですけど、アレって何だったのでしょう…
父:またそれか。6年前の東京の事故だろ?
母:ええ、だって目の前に突然見知らぬ女性が現れて、「息子さんが交通事故に会いました」って。びっくりして病院へ行ってもそんな急患は来てないと言うし、訳が分からずハルトに電話したら「動物園にいる」て無事が分かったのよ。
父:あとで警察に聞いたら、知らせてくれた女は2輪車に撥ねられ直後に死んだらしい。という事は、あの女が知らせてくれなければ、ワシらが死んでいたかもしれない。そう思えば、あの女は命の恩人だ。
母:それで、どこの誰かを調べたのよね。
父:けど、ハルトも全く知らないと言った。
母:何だったのでしょう?…
父:分からん。なんで嘘をつく必要があったのか…
母:もしかしたら、本当の天使かしら…
父:そうかもな。お前が楽しみにしていた歌舞伎はダメになったけどな。
母:だから明日はその女性の供養もお願いしてあるのよ。
父:うん、それがいいな。身代わりに死んでくれたのかもしれないから。
..レイカはハルトの様子を窺う。ハルトは自分の世界に篭ったようだ。<オレはマユカにオヤジの移動を頼んだ。けど、それで何故一人の女が死ぬんだ?…偶然?…偶然でなければ…マユカは故意に身代わりを立てる?…殺すために…だけど、なぜオレが死ぬことになる?>
母:その後、いろいろあり過ぎましたよねー…
父:ああ、こうなるとは、全く、夢にも思わなかった。ハルトが「自分は一社員でいい」と帰って来て会社を手伝うことになったのは良かったんだが…
母:まさかキョウスケが…
父:おう、キョウスケたちが帰ってきたぞ。
..門の方がにぎやかになった。
母:お帰り。どうだった、新しい大型モールは?
..キョウスケは抱いている子どもを下ろす。8歳くらいの女のこは「ばーば」と駆け出した。
..母親はそれを抱きとめる。
母:おかえり、チーちゃん。楽しかった?
..女の子が面白い乗り物に乗ったことを必死に話していると、「ただいま帰りました」と荷物を提げた女が現れハルトは全神経を奪われた。ハルトの妻(シオリ=詩織)だ。シオリはキョウスケに言う。
シオリ:ねえ、車にまだ荷物があるのよ。運んで。
..ハルトは耳を疑った。シオリの口ぶりは夫婦そのものだ。<まさか…?>
キョウ:ああ、重いモノ持っちゃいかんよ。
母:そうよ。転んだりしないように気をつけてよ。お腹の子にさわるといけないから。ほらキョウスケ、荷物を運んで!
..レイカはハルトの表情を盗み見る。ハルトの口は締まりなく開いたままだ。<ショックでしょうね>
レイカ:シオリさんは、キョウスケさんと共生することに決めたようです。
..<これがタニキの考えた未来ね。ショックを与えるにしても、遣り過ぎじゃない?>レイカは気の毒に感じながら、笑いをこらえた。ハルトはその場に屈みこんでしまった。立っているだけの体力・気力も消えうせたようだ。家族は笑いながら賑やかに家の中に移動した。
レイカ:どうします?行ってみますか?
..ハルトは額を押さえている。永い間があって答えた。
ハルト:いえ…
..ハルトは立ち上がり、門の外へ出る。レイカも付いていく。
ハルト:どうして?何故こんなことが予測されるのですか?
レイカ:どうしてでしょうねー。何故あなたの未来がこんな状況なのか、心当たりはありませんか?
ハルト:
..ハルトは無言だ。
レイカ:もし何か心当たりがあるのなら、意外と確率は高いのかもしれませんよ。そう…80%正しいのかも。さて、どちらにしても、戻りましょうか。
..レイカは歩き出す。そして角を曲がったとき、突然視界が灰色一色になった。さすがに驚いた。2人のスーツの男と出くわしたのだ。反射的に避けようとした。が、次の瞬間すり抜けていた。
レイカ:ああ、ビックリした。
..ハルトもかなり驚いたようだ。そしてレイカは振り返った。灰色スーツの男たちはゆっくり歩いて行く。その背中を見ていたが、すぐに後を追い始める。ハルトも踵を返しついていく。
ハルト:どうかしました?
レイカ:あの2人、警察じゃないかしら?
ハルト:警察?
..ぶつかりそうになったとき会話の一部がレイカの耳に入ったのだ、「警部補…」と。灰色2人組はハルトの家の近くで立ち止まり、身を隠すようにしている。レイカとハルトは接触するところまで近づいた。若い方(警若)が声を潜め言った。
警若:警部補は、ハルトさんは自殺じゃないと考えているんですか?
警補:そうとは言ってない。
警若:でも、なんだか拘っているじゃないですか。
警補:引っかかるんだな。
警若:何がです?弟のキョウスケの証言でハルトさんは、自殺前かなりふさぎこんでいたというし、妻のシオリの証言も同じでした。妻の方は、家庭ではときどき爆発的に苛立つこともよくあったとも言ってます。やっぱり自殺で間違いないんじゃ…
警補:けどな、両親はそんなこと言ってないぞ。自殺前も普段と変らなかったって。
警若:でも、キョウスケは会社でいっしょだし、シオリは当然共に暮らしています。それに引き換え、両親は用のあるとき会うだけだから、日常の些細なことまでは知らないんじゃ…
警補:そうなんだよな。それで上も「自殺」と結論した。
警若:じゃ、何が引っかかるんです?
警補:不自然に感じないか?キョウスケとシオリの証言を比べてみろ。まるで同じ台本を読んでいるように一致している。ハルトの様子を聞いたときの第一声がどちらも「ふさぎこんでいました」だ。
警若:それが?
警補:ヒトに依っては、「元気がなかった」、「不機嫌だった」、「苛立っていた」、「沈んでいた」、「暗かった」、「落ち込んでいた」いろいろ表現が分かれるのが普通だ。何度聞いても第一声は「ふさぎこんでいた」に始まりそれに続く話しもいつも同じ順序だ。2人揃って。
警若:だから台本を読んでいるようだと。…ということは、キョウスケ、シオリには共通の台本がある、ということですか?
警補:少なくとも、正直に証言はしていない。あの2人にはなんらかの共通性がある。
警若:まさか、共謀して殺した?!
警補:そこまでは言ってない。
警若:そういえば、2人はその後半年以内に共生していますよね。もし自殺後に二人がそんな間柄になったとしても、ちょっと早すぎる気がします。
..<タニキ、ずいぶん凝ったわね>レイカは吹き出しそうなのをこらえている。<ここまでしなくても充分よ>ハルトは崩れ落ちる体を支えようと塀に手をついた。その手が塀をすり抜ける。バランスを失いその場で転倒してしまった。
..帰宅したレイカは無水風呂で体を伸ばし寛いだ。昨日の徹夜状態に引き続きマユカとハルトの6年後につきあった。タニキやノニコに任せてもいい気もしたが、やはり自分で確かめたかった。<fu--、疲れた。でも成果はあった>結局ハルトも第2回の変更を申し出たのだ。<これで、ループ地獄から脱出できるはずだ>レイカは安堵の息を吐く。帰宅前にボダイAに2人の変更希望を伝えた。
A:そうか、それは良かった。よく説得できたな。
レイカ:説得した訳じゃないんですが、両名共に強く望んでいますのでこれ以上の変更はないと思います。ご安心ください。
A:なんにしてもよかった。よくやってくれた。
..帰り支度をしているところへタニキがやってきた。<どっちのタニキ?>
レイカ:それで、その金属チップとやらの消去は成功したの?
..レイカは試した。
タニキ:え、チップ?何の事ですか?
レイカ:<知らない。ということは合体後なのね。つまりこちらのタニキ>あ、いいの。昨日・今日はご苦労様でした。疲れたでしょ。
..レイカは確かめたかったのだ、<ハルトの6年後は、どこまでがタニキの創作でどこからミライクンの判断なのか>を。だが、もうその術は無くなった。
..風呂からでるとメイドロボ・ララが言った。
ララ :屯倉サマヨリ伝言ガアリマス。開キマショウカ?
レイカ:屯倉くん…彼のことすっかり忘れてた。開いて。
..ララの胸にスクリーンが開きすぐに屯倉が現れた。
ミヤケ:やあ、どうしてる?特に用がある訳じゃないんだけどね。ときどきは顔を見せないと忘れられちゃうかなーって心配になって。たまには近況を知らせてくれると嬉しいな。これからはちょくちょく連絡するよ。じゃ、また。

..翌朝レイカが研究室に入るとすぐにガイボが追いかけて来た。
ガイボ:オ早ウゴザイマス。オ届物ガアリマス。
..封筒が差し出される。
ガイボ:安全確認ノ「スキャン済ミ」デス。
..椅子に掛け封を解く。出てきたのは、写真が一葉のみだ。差出人の手がかりは無い。
レイカ:
..写っているのは、コースターと赤いラインの入ったごくありふれたプラのストローだ。レイカは写真を見つめる。変な気分だ。<この写真、わたし持っている…>確かに記憶にある。キャビネットの最下段を開いた。そこには私物が入れてある。<前にここに入れたはず…>中の物を掻き回す。出てきたのは1枚の紙(屯倉の署名入り「共生届」)と緑の小石だ。写真は無い。レイカは考え込んだ。<…そうか、やっぱり変更を実施しないことには、ループは解除されないのだ>写真を放り込み届出用紙と小石を取り出す。机に置いて眺める。<屯倉くんはともかく、一度イチローくんの様子を見に行ってみるか…>
..午前のドクターカレッジの講義を終え、自室に戻るか、それともカレッジのレストランに行くか迷いながらメールチェックをする。専用Lineにはジハンギ事務局から1通来ている。マユカから第2回の時間移動について「変更願」が提出されたのだ。ざっと目を通すとノニコに電話した。彼女は一般大学での講義日だった。相談の結果機関に戻りカフェテリアで共に昼食をとることになった。
ノニコ:マユカさんが予定変更ですか?
..ノニコは、今回の時間ループについて詳細は知らない。だからかなり違和感を持ったようだ。
ノニコ:あんなに強く、ハルトさんと同日を望んでいたのに…
..レイカはペーパーPCを開き「変更願」を見せる。
レイカ:こちらの出立日時は4日後の9時。出向先は前回と同じ旧K県A市で日時は前回の翌日10時よ。
ノニコ:前回と同じ場所?もしかしてまた灯台?なぜでしょう?
レイカ:分からない。でも本人に訊いても本当のことは言わないと思うわ。特に却下すべき理由もないし、もう変更はないと思われるので、この計画で準備してね。
ノニコ:はい。でも翌日ではジョージさんは現れないですよ。何故でしょう、せっかく何処へでも行けるチャンスなのに。同じ所なんて…
レイカ:そうね。きっとそこでなければならない理由があるんでしょうね。
..そして4日後、マユカの第2回は実施された。現地でマユカが希望したのは、やはり灯台だった。マユカがなぜ2回目に「ことばろ球場」を希望したか、その顛末についてノニコも概要は聞いている。<ミサキさんを殺害するのが目的だった…>それは、ノニコにとってもショックな話しだった。見ようによっては、殺人に手を貸したことになる。
ノニコ:まだミサキさんが憎いですか?
..平日なのでバス運行も午前・午後共に1往復しかない。往路の乗客は2人きりで、安心して会話ができる。ノニコは躊躇なく切り込んだ。
マユカ:いいえ。ハルトさんに50万円は返しました。彼も父親の件は忘れてくれと言いました。何も聞かなかったことにしてほしいと。ね、昨日よりお花畑が明るくなっている気がしません?
..マユカは窓外を指す。そこは昨日とは打って変わり、晴天の早春だ。ノニコは日差しが強いせいだと思っていたが、言われてみれば花の数が違う気がした。
ノニコ:もしかしたら、急に暖かくなったので一斉に開花したのかも。
マユカ:そうよね。きっとそうだわ。いい時に来られてよかった。
..マユカの表情も言葉も明るい。ノニコも安堵していた。<殺人の手引きはなくなった>バスは灯台の駐車場へ入った。ほんの数人の人影があるだけで閑散としている。2人はゆっくり灯台へ向った。今日のマユカは随分寛いでいるようにノニコには感じられる。海風も冷たくない。
マユカ:大きな費用をかけ、こうして連れて来ていただいているのに、こんな事言ったら申し訳ないですが…
ノニコ:なんでしょう?
..ノニコはマユカを見つめる。
マユカ:時間旅行って意味があるでしょうか?いえ、否定している訳じゃないんです。どう説明したらいいのか分からないのですが、誰しもが行きたい過去に行ける、あるいは未来を垣間見る、その意味が分からなくなってきました。応募した時には、もちろん「なんてスゴイことだ!」て感激して、その上当選した時には3日間熱が出て震えていました。
ノニコ:そうでしたか。
マユカ:それが…いまは複雑な気分というか…こういう事はむしろ無い方がいいんじゃないか…そんな気持ちです…ゴメンなさい。
ノニコ:いえ、謝ることはありません。その気持ち、よく分かります。実は、このプロジェクトを立ち上げるに当たって、専門委員会が設けられました。いろいろな分野、理数系はもちろん、哲学・宗教・芸術・経済などの専門家によって検討されました。その中には、いまマユカさんがおっしゃたような意見も少なくなかったのですよ。今回のプロジェクト終了後にはレポートを提出していただくことになっています。ご存知ですね?
..マユカは頷く。
ノニコ:それにはあなたが感じたままに正直に書いていただけばいいのです。いまおっしゃった事も含めて。なにも無理に取り繕う必要はありません。
..灯台に着く。蒼穹に伸び上がる純白の輝きが美しい。2人はしばらく見上げた。
ノニコ:それにしても、なぜ今回もここなのです?他のどこへでも行けるのに。
マユカ:そうですよね…
..マユカはちょっと笑った。それからドアーを開け内部の階段を登り始める。
マユカ:ノニコさん、修道院へ行ったことあります。
ノニコ:修道院?…いいえ。
..突然の話題転換にノニコは戸惑った。
..レイカは自室でPCを睨んでいた。報告書作成に没頭しているのだ。昨日ボダイAに呼び出された。
A:ホログラムではできない話しでね。ご足労かけたね。
..Aは今回の顛末について、正確な記録を残すべきだと言う。レイカも少し前から同じ事を感じていた。
A:こんな事があったという事実を知るのは、キミとわたしだけになってしまった。当然キミの方が細部に亘っている。キミが正確な記録を残さないと、この壮大な実験の事実は夢より儚く消えてしまう。それは余りにも悔やまれる。この事実は、滅多に無い貴重な科学的データだ。
レイカ:実は、わたしもそう考えていました。
..そんないきさつがあって記録の作成を託された。退室時にAが付け加えた。
A:ただし、当然「極秘」扱いの作業だからそのつもりで頼むよ。
レイカ:はい。分かっています。
A:完成後は「高度資料館」に保管されることになる。後世の人類のためにな。
..没頭しているレイカの耳に優しいチャイムが届いた。
メイド:スコシ休憩サレマセンカ?脳波ニ疲労ガ出テイマス。
レイカ:そうね、そうする。
メイド:オ飲ミ物ヲオ持チシマス。
..緑茶を選んだ。飲んでいるとマユカが思い出された。<いまごろどうしているかな…、なぜ灯台なの?>そして、心にひっかかったままの2つのトゲが浮き上がってきた。小さい方はイチローだ。<彼、どうしているかな。カレッジになじんだかしら。きっと、わたしのこと怒っているだろうな…>手がキャビネット最下段を開く。緑の石を取り出し眺める。もうひとつは次元物性研究所のDだ。依頼された研究は進展していない。<高度資料館で論文の続きを検討しなきゃ…あの論文がおそらく解法の道筋をたててくれる>
..夕方になって、ジハンギ事務局から電話連絡が来た。ハルトの第2回の希望が出たのだが、「事務局では判断がつきかねる。本人をそちらに送るので話しをきいてやってほしい」という。仕方なくタニキを呼んで2人でハルトを待つことにした。
..現れたハルトの話しは確かに捕らえどころの無いモノだった。
タニキ:カッパ!?
..タニキが素っ頓狂な声を上げた。
ハルト:たぶん。
タニキ:河童を見たことがあるんですか?
..ハルトの言うには、小学2〜3年の夏休みに、近くの小川を遡ったことがある。小魚や蝉とりが目的だった。一人で山深く分け入ることは、親に禁止されていた。が、夢中になった彼はいつしか奥へ進み深い淵まで来ていた。そしてそこで河童に遭遇したと言う。レイカもタニキも黙って聞いている。話しが一段落したところでタニキが言った。
タニキ:それでその河童に会いたいとおっしゃるんですか?
ハルト:できるなら。当時驚いたぼくは家に飛んで帰り、親に訴えました。でも、みんな笑うだけで信じてもらえませんでした。それどころか奥地に入ったことでこっぴどく怒られました。悔しかったです。
タニキ:まさか、その悔しさを晴らすためにもう一度現場に行ってみたいということですか?
ハルト:それもないとは言いません。が、その後ぼくも成長し、知識も得ました。だから、あれが正真正銘の河童だとは思いません。でも不思議な生物を見た事実は変えようがありません。
レイカ:カワウソや猿の可能性が考えられますが、そうでないと言えますか?
..黙っていたレイカが発言した。
ハルト:中高生のころぼくもいろいろ調べました。カワウソには長い尻尾があります。それに2足歩行はできません。猿にしても体毛があります。その生物の肌はカエルのような印象です。ですからどちらも似ても似つかない物です。
..レイカはハルトを観察している。先日悲惨な未来を見せられ、少しは考えや性格が変化したのだろうか。今回もまたなにかを企んでいるのではないのか。不信感は拭えない。
ハルト:あ、そうだった。
..ハルトは何かを思い出したようだ。背筋をのばした。
ハルト:レイカ先生、先日はたいへんお世話になりました。お礼がおそくなり申し訳ありません。ありがとうございました。さすがに自分の墓はショックでした。それで、先生が最後におっしゃった言葉、「いまから生活態度や心がけを変えれば予測も大きく変ります」を肝に命じました。仕事はいまのまま一生懸命取り組むつもりです。
レイカ:それがいいと思います。
..レイカはこっそりポリグラフを確認する。<意図的に嘘はついていないようね…>
タニキ:それと河童が、どう繋がります?
ハルト:…直接には関係ないのですが…
..ハルトは考える目つきになった。
ハルト:ぼくも気がつきました、いつの間にか自分は人間性が変節したのかなーって。子どもの頃の自分とは全く別人になってしまった気がします。それで思い出してみました。川で魚や沢蟹に夢中になったり、ゴム動力の飛行機を空高く飛ばせ必死に追いかけていました。そんな自分をいつの間にか遠いところに置き忘れ、自分でも望まない大人になってしまったようです。子どものころは、「生きがい」なんて考える必要すらないほど日々は充実し輝いていました。そして河童がほぼ30年ぶりに蘇ってきました。ですから河童に会いたいというより、あの日々に帰りたいというのが本音です。
タニキ:なるほど。
ハルト:その上、あれが間違いなく河童だったと確認できるなら最高なんですけどね。
タニキ:大体は分かりました。仮にその場を希望するとして、あなたの話しに無理があります。時間朔行は出向先の日時、時間座標といいますが、それがはっきり特定できないと実行できません。なん年のなん月なん日かを特定できますか?
ハルト:うーん…
タニキ:さらに問題が一つあります。
ハルト:なんでしょう?
タニキ:日時が判明し移動できたとしても、あなたは現場に近づくことができません。
ハルト:ああそうか、「自己遭遇」とかいう…
タニキ:そうです。現場には子どものあなたがいます。500メートル以内に近づくことはわたしたちが阻止します。
レイカ:今回のプロジェクトは条件付きです。30年以内の時間範囲で2回まで。ご存知ですね?あなたのお話しでは、時間座標の特定が困難なのでは?
ハルト:はあ…
レイカ:つまり、実行不可能です。それはそうと、あと2日以内に第2回の希望を提出されないと「辞退」とみなされます。それを忘れないでください。
..ハルトは力を落として帰った。
タニキ:気の毒ですが、仕方ないですね。
レイカ:このプロジェクト、やはり無理があるのね。だから次々と面倒な問題が起こる。河童まで出てきちゃ呆れるしかないわ。
..そのときPCが呼んだ。壁面に事務連絡の文字が浮かぶ。ダイゴチームのリーダーだ。許可を出すとダイゴが現れた。「先導士」を一人貸して欲しいと言う。彼には、前回マニホを借りた。断りもならない。返答に躊躇しているとタニキが言った。
タニキ:ぼくが行きましょうか?こちらもあとは大したことはなさそうですし、先方のtaskは簡単なようですから。
レイカ:そーね、そうしてくれる?じゃ、ハルトさんのことは、わたしがやるわ。
..こうしてタニキの短期移籍が決まった。
タニキ:河童かー、できることなら会ってみたかったなー。
レイカ:なにバカ言ってんの。地球上の生体分布地図は深海から成層圏まで、100年前に完璧に出来上がっているのよ。未確認生体は存在しない。
..翌日朝一にノニコが来た。
ノニコ:昨日報告に参りましたが、来客中だったので失礼しました。
レイカ:ごめんね、ハルトさんが第2回の相談に来ていたの。
..マユカとノニコは展望台まで登った。遠く水平線が弧を描いている。ゆくり一回りした。ここにも誰もいない。ノニコは思い切って訊いてみた。
ノニコ:ジョージさんのことは、もういいのですか?
マユカ:ええ。いまでは憑き物が落ちた気分。心も体もすっきりしたわ。なんであんなに拘っていたんでしょうね。
..マユカは笑う。そしてバッグから何かを取り出した。握っているのは灯台の模型だ。
ノニコ:
..するとマユカはその腕を大きく振り上げた。次の瞬間、マユカの手を離れた灯台は白い軌跡を描いて宙を飛んでいった。ノニコは驚いて見つめる。やがてそれは眼下の海面に向って消えた。
マユカ:ここは過去の世界ですよね?
ノニコ:?、ええ、そうですけど。
マユカ:わたしの記憶も時間も過去の海へ返しました。
..そしてマユカは大きく背伸びをする。
マユカ:あーあ、すっきりした!
..マユカは声を上げて笑った。
レイカ:そう。マユカさん、吹っ切れたようね。よかったじゃない?プロジェクトも役立ったということね。
ノニコ:そうですね。すっかり明るくなったようです。


..5日後、レイカは一人で小川の上流を目指し山の奥へ踏み入っていた。1時間前、人家近くでは小川も2メートルの幅があったが、いまや50cmほどでごく浅くなってきた。<変な任務。まさか河童探しなんて。でもこれで完全にループが断ち切れるなら良しとしよう>結局ハルトの河童探しに付き合わされることになってしまったのだ。
..ハルトと面談した2日後、突然彼がやってきた。
レイカ:どうしました?今日の5時が「申請」の締め切りです。辞退するのかと心配していました。
ハルト:見つけました!
..ハルトは興奮している。抱えたバッグからノートを取り出した。
レイカ:これは?
..見るといかにも子供用のノートだ。表紙は「えにっき」で、下の欄には「3ねん2くみ」「いまいずみはると」書かれている。
ハルト:一生懸命考えて思い出しました、たしか夏休みの絵日記に河童の絵と文を書いたことを。それで母親に聞いたら、小学校の成績表など取ってあるというんです。で、物置を漁り見つけました。ここです。
..言いながら付箋を挟んだページを開く。レイカは思わず身を乗り出して見つめる。上部にはクレヨンで緑がかった灰色の、確かに河童としか呼びようのない生物が描かれている。下部はほとんど平仮名の文だ。最後に担任の朱書きがあった。「すごいねー!かっぱにあったの。せんせいもあいたかったなー!」レイカはしばらく目が離せなかった。
ハルト:そこに7月30日となっています。ということはぼくは8歳で、いまから27年前になります。ああ、時間は午後の1〜3時ころだと思います。これで日時も場所も特定できました。2回目の移動が可能ですよね?
..もう締切時間まで僅かだ。レイカにすれば河童はどうでもいい。とにかく変更を早く確実に実施したい。
レイカ:いいでしょう。あなたの案でいきましょう。
..そして今藪を分け奥へ向っている。ハルトの話しでは、深い淵に繋がっているはずだ。とにかくそこまで行ってみるしかない。ハルトは市街地に置いてきた。レイカの見ている風景が送信され、ハルトはそれを見守っている。レイカは問いかける。
レイカ:もうそろそろ淵ですか?
ハルト:近いはずです。30年も前だから細かい事は覚えていません。
..やがて水音が聞こえてきた。行く手を遮るように高い岩場があるようだ。そして頭上が開けた。空が広くなった。少し高い岩場が前方を立ち塞ぎ小さな滝が水音を立てている。レイカは仰ぎ見る。手前は濃緑色の淵で、水が淀んでいる。
ハルト:そこです。そこに間違いありません。
レイカ:ここね。けど、あなたはいませんよ。3年生のあなたは…
ハルト:まだ来てないのかも…
レイカ:そうね、しばらく待ってみるわ。
..レイカは観察するように辺りを見回す。道らしいものはなさそうだ。ということは、子どものハルトも、おそらくレイカと同じ経路を辿って来ると考えた。高見の木の陰から様子を見守ることにした。「熊避け」を枝に掛け、腰を降ろすと空腹を感じた。時折鳥の囀りが聞こえる以外は滝と風の音だけだ。その単調な周波数が、永く浸っているとヒトによっては「幻視」「幻聴」を引き起こすという説を以前読んだことがある。山や森に多い「霊」の原因はそのせいだという。さらにそこは、立ち入る前から異界というイメージがあり、足を踏み込んだときから「幻を見聞きする」心理的な準備ができている。つまり条件が揃っているのだ。昼食を摂りながら、レイカは思う。<猿のような物を河童と看做す条件は整っているようね。それがもうじきはっきりする。という事は、まんざら無意味な任務でもないわ>
..ちょうど食事を終えたころ、視野に動くものが現れた。藪をくぐって現れたのは男の子だ。<来た!>
レイカ:来たわ。男の子。あれがあなた?
..レイカは小声でハルトに尋ねる。そして子どもをアップにした。
ハルト:そうです!ぼくです!
..ハルトは興奮している。少年のハルトは手にタモ(手網)とポリバケツを持っている。頭を巡らし周囲を観察して、転がった岩場を進んできた。<もうすぐ何かが現れるのね…>見落とさないよう、レイカの視線は少年を追う。少年ハルトは時折タモを水に突っ込みかき回したりしていたが、やがて岩場に腰を降ろした。そのまま滝に見惚れていた。そして突然水面から白いボールのような物が宙へ飛び出した。少年ハルトは、驚いてタモとバケツを投げ出した。レイカも驚いた。<!…何なの?>もう少しで声をあげるところだった。少年ハルトは立ち上がり、タモを拾うとボールのような物を引き上げようと背を伸ばし焦る。ようやく手が届きボールを持ち上げたとき、さらにロープが繋がっているのがレイカにも見えた。少年ハルトはそのロープを引いた。
ハルト:思い出しました。ロープの先に、いいモノ、お宝が繋がっているんじゃないかと思ったんです!
..引かれたロープがピンと張り、その先が少し泡立った。そして生き物らしきモノが浮かんだ。少年ハルトとの距離は僅かだ。3mほどだろうか。泳いで岩場に手をかけ、上がってきた。少年ハルトは固まってしまった。
レイカ:河童!…河童だわ!?
..レイカも目を疑った。それはハルトの絵日記から抜け出したかと思われるほどそっくりだ。色も形態も同じで、身長は少年ハルトとかわらない。
ハルト:ね!いたでしょ!河童です。まちがいなく河童です!
レイカ:
..少年ハルトは逃げ出した。岩場に苦戦しながらも、日頃自然界で鍛えた運動能力で俊敏に走った。岩に立った河童は、追いかけることもなく、そんな少年を見送った。離れた所で、追ってこないと知った少年ハルトは、一度立ち止まって振り返った。そしてゆっくり河童を眺めた。やがて河童に向って大きく手を振った。すると河童も同じように手を振った。
ハルト:このときです。このときぼくは河童は悪いヤツじゃないと感じました。なんとなく新しい友達ができた気分で、ここは誰にも教えないでおこうと決めました。
レイカ:そーですか…
..レイカは半信半疑だ。そして決意した。<河童のはずがない。もしかしてロボット?近づいて確かめるしかない>少し緊張気味に立ち上がる。<3年生の大きさね。危険なら、痺れさすだけでいい>特殊銃を最弱にセットする。河童は川原に進んでいる。レイカはゆっくり近づいていった。ロボットなら言語認識機能を備えているかもしれない。安全な距離を保って声をかけてみるのが第一手だとレイカは判段した。もし無反応ならモスキートを飛ばし、近くで磁界反応を調べれば生体かロボットか判別できる。近づいて来る人間に河童も警戒心を持ったようだ。
レイカ:こんにちは…
..5〜6mで声をかけてみる。すぐに意外な反応があった。
カッパ:…おねえさん?、レイカお姉さんだ!
..くぐもった声だが、子どもの声だ。レイカは驚いた。<河童に知り合いはいないけど…>今度は河童のほうから駆けてきた。
カッパ:わーい!お姉さんだー!
..そのイントネーションには聞き覚えがある。<まさか…>
レイカ:もしか…
..言いかけて言葉を飲み込むと急いでカメラ・音声の電源を切った。
レイカ:イチローくん?
イチロ:うん、そうだよ。ね、こんなとこで何してんの?
..イチローは嘴に見えているマスクをはずす。
レイカ:キミこそなにしてんのよ。どうしてこんな所にいるの?なぜ、河童なの?
..そのとき「イチローくーん」と呼びながら林の陰から出てきた者がある。タニキだ。タニキも驚いた。
タニキ:レイカ先生!なぜここに?
レイカ:こっちの方が聞きたいわよ。どうやら互いに永い話しになりそうね。どこかに落ち着きましょ。
..林に近い所に小さな砂の広場がある。そこに腰を降ろす事にした。イチローはロープを引き寄せ白いボールを抱えてついて来る。
レイカ:まずわたしから話すわね。
..なんとなくお茶の時間が始まった。エネルギー補給のゼリーを摂りながらレイカはここまでの経緯を説明した。
タニキ:そうでしたか。ハルトさんが河童を見たのがここだったとは…という事は、河童はイチローくん?…いやー大変な偶然ですねー。
レイカ:それであなたは何故ここに…?
..タニキが別チームで命じられた仕事は、世界的なスポーツ具企業の新製品のテストだった。子ども用の簡易潜水スーツだという。
タニキ:会社の施設での性能・安全テストは済んでいて、あとは自然界の川・海での実証実験を希望していました。
レイカ:子ども用潜水スーツ?そんなの今までにもあるじゃない。
タニキ:そうなんですが、能力が断然違うんです。水深200メートルで10時間潜っていられます。あの軽微な装備でですよ。
..言ってからタニキは遊んでいるイチローを呼んだ。
タニキ:胸の甲羅のようなモノは耐圧シートです。300メートルまで肺を守ります。
..タニキはイチローの胸をこんこん叩き、反対に向かせる。
タニキ:背中のシートはおもに液化空気とバッテリーですが、大型捕食生物つまりトド・サメ・鯨などを忌避する超音波を発生します。この薄さ軽さでその能力です。すごいと思われませんか?
レイカ:たしかに。
タニキ:鼻と口を覆っているマスクはもちろん呼吸を助けますが、会話が自由です。電話だってできます。
レイカ:へー、頭の皿のようなものは?
タニキ:パラボラアンテナです。これで衛星と交信ができますし、なんと水中でさえ同じように機能します。
レイカ:すごいわね。
タニキ:さらに推進器を使えば、海の中ではイルカになりきれます。新しいスポーツとして、また実態ゲームとして世界に広めようと企業は期待しています。
レイカ:なぜテストが過去なの?27年も前…
タニキ:その訳は単純です。第一は秘密を守るためですが、実は今日が会社の創立日です。従業員10人の町工場として今日スタートしました。会社は27年かけて世界的企業に成長しました。この製品もそれにあやかり今日を誕生日にしたい、ということです。この場所の決定は、ヒトに目撃される恐れがなく、後に地図上に存在しなくなる、水深3m以上の清流という条件で、衛星画像から選ばれたと聞きました。
レイカ:後に存在しなくなる?
タニキ:はい。8年後にスーパー台風がこの辺りを襲います。そのときこの小川で土石流が発生し、この淵は埋められてしまいます。その後は申し訳程度の小川が残るだけです。
レイカ:そうなの。じゃ、ハルトさんがこの淵を探しても、もう存在していないのね。それにしても、なぜイチローくんなの?
タニキ:ぼくこそ不思議なんですが、先生はイチローくんをご存知だったんですか?
..レイカは返事にとまどう。
レイカ:ええ、知り合いの子なの。
タニキ:そうでしたか。彼が選ばれたのは、スポーツ会社がダイゴに相談を掛け、ダイゴが「それならキッズカレッジの男子が適任だ」と提案しました。そしてイチローくんが最初に手を挙げたということです。
レイカ:なるほどねー。これで「時間移動」の最年少記録は更新よ。今までは、19歳のノニコ先導士だったから、大幅な更新ね。つまりそれだけ安全性が確立されたといえるわね。
タニキ:そうですか、彼は記録保持者になったんですね。もう一つ、本人にはまだ内緒ですが、このテストが成功すると、会社の特別配慮でイチローくんには相当なご褒美があると聞いています。
レイカ:ふーん、で、テストはまだ残っているの?
タニキ:いえ、先ほどの「緊急脱出」で全て終了しました。
..イチローは水切りをして遊んでいる。
タニキ:この白いボールが緊急エアーバッグです。普段は小さく畳んで背中の甲羅に入っていますが、非常のヒモを引くと一気に膨らんで子どもを水面まで引き上げてくれます。無事、期待どうりに作動しました。
..イチローが駆けてもどった。
イチロ:見て見て、金(きん)だ!
..手にした小石を指し出す。レイカは摘んで眺める。石の中に金色に輝く筋が走っている。タニキに渡す。
レイカ:どうかしら?
タニキ:おお、金だ。イチローくんやったな。
イチロ:ほんと?これならさっき潜ったとき底にいっぱいあったよ。底がキラキラ光ってた!もっと探してみよう!
..イチローは岸に戻って行く。タニキは眉を寄せて石を観察している。
タニキ:これは金じゃないですね。黄銅鉱です。金とは取り巻く石基が違います。ま、しばらくは金にしておきましょ。
..イチローは岸をうろついて探している。タニキが声をかける。
タニキ:イチローくーん、そろそろ帰るよー!
..戻ったイチローはもう一つ小石を持っていた。
イチロ:見て!こっちの方が金がいっぱいだよ。
..そしてイチローが着替え、帰り支度が済んだ。タニキたちは、小型ドローンで来たという。
タニキ:一緒に帰りましょう。中型を呼びます。
..やがて頭上のぽっかり開いた空からドローンが降りてきた。乗り込んで発車するとレイカの口から大きな息がもれた。
タニキ:どうされました?お疲れですか?
..タニキが笑いながら訊く。
レイカ:いえね、これでようやくループを断ち切れたと思ったの。
タニキ:ぼくは今回の出来事に詳しくないんですが、時間ループしていたんですか?大変じゃないですか!
レイカ:そうなの。それがようやく終わった。ようやくこの地球時間を本流に戻す事ができた。永く忙しい一ヶ月だったわ。
タニキ:お疲れ様でした。済みません、何の役にも立たなくて。
レイカ:それは違うわ。ループ中に未来のあなたは大活躍だったのよ。こうして無事に元に戻せたのもあなたのお陰よ。詳しい記録を残すから、いつかあなたがダイセンダツになったとき高度資料館で読んでみるといいわ。あなたの功績はきちんと記録しておくから。
タニキ:そうですか。将来が楽しみになってきました。でも…ぼくがダイセンダツになれるでしょうか?やっとでなんとかセンダツに辿り着いたのに。
レイカ:いいえ、むしろセンダツに辿り着いた自分に自信を持つべきよ。
..イチローは2つの石を試す眇めつしている。
レイカ:よかったわねー、イチローくん。お宝をみつけられて。
イチロ:うん。そうだ、一個ルナちゃんにあげようかなー。
..ルナ(月)というのは、キッズカレッジで同じグループの女の子だ。レイカがイチローをカレッジに送り込んだ、その訳の女子だ。<ということは…もしかして、わたしの思惑どうりすすんでいる?>レイカは顔面が緩みそうになる。
タニキ:いいねー。きっとそのルナちゃん、喜ぶよー。
..レイカはハルトを迎えに行かなくてはならない。駐車場になっているビルの屋上でタニキと分かれた。降りると、
イチロ:ぼく、お姉さんと行く。いいでしょ?
..とイチローも降りた。エレベーターを目指し歩いていると、イチローの足が止まった。レイカが振り向く。
レイカ:どうしたの?
..イチローは俯いていた顔をあげる。
イチロ:ごめんなさい。
レイカ:どーしたのよ?
イチロ:あ、あのー共生の約束だけど…
レイカ:
イチロ:なかったことにしていい?
レイカ:えー。なかったことにするの?
..レイカは心の中で小さな喝采をあげる。<やったー>
イチロ:ほんとうにごめんなさい。
レイカ:うーん。いいけど…<小さくてもオスの本能はあるのね。すぐに目移りする>、あーあ振られちゃった。
イチロ:ごめんなさい!
..イチローは頭を下げた。
レイカ:ま、いいでしょ。許してあげるわ。またその気になったら声をかけて。<ループの中でこの子とはいろいろあったわね。記録には残せないけど。でも、できれば「その気に」なりませんように>
..すっきりした気分で、レイカはイチローの手を取りハルトの元に向った。そしてイチローに言い聞かせた。
レイカ:いまから会うヒトは河童を信じているの。だから、あなたは何も言ってはダメよ。絶対口を出さないで黙って聞いていてね。
..ハルトは喫茶で待っていた。
ハルト:ね!いたでしょ、河童!
..興奮していた。
ハルト:この映像、公開してもいいですよね!
..ハルトはケータイを指す。<河童はあなたの目の前にいるわ>レイカはハルトのケータイを受け取り映像をチェックする。特にイチロー・タニキの声が入っていないかが気になる。
ハルト:でも、おしいです。河童が現れてすぐ映像が切れてしまいました。どうしたんですか?
レイカ:ああ、ごめんなさい。バッテリーが不調だったのよ。突然切れちゃった。
ハルト:そうですか。このあと河童はどうしました?
レイカ:すぐに林に駆けていったわ。とてもすばしっこくて追いかけられなかった。しばらく待ったけどそれっきり。
..レイカはケータイを返す。
レイカ:それ、公開するつもりですか?
ハルト:だって、こんなに貴重な証拠動画がありますか?それにおそらくぼくが第一発見者です。科学の歴史に名が残ります。公開していいですよね?
..返事には間があった。
レイカ:そうですね、あなたの名前は歴史に残るでしょうね…
..そしてレイカは今度は考え込んだようだ。なにか迷っているように見える。待ちかねたハルトの口が開きかけたときレイカが言った。
レイカ:いいですよ。条件を守れれば…
ハルト:条件?
レイカ:簡単な条件です。私たちは今から帰還しますが、帰還後12時間は次の二つを守ってください。条件一、この件に関して一切口外しない。条件二、データをコピーしない。これだけです。守れますか?
ハルト:わかりました。それを守り、12時間経てば公開していいんですね?
レイカ:ご自由に。
..レイカは思う。<気の毒だけど、あなたは河童の発見者にはなれないわ>
ハルト:帰ったらもう一度あの淵へ行ってみるつもりです。また河童に会えるとは思いませんが、万が一ということもあります。もしかしたら、足跡くらい見つけられるかもしれません。んー、想像しただけでワクワクします。
レイカ:そうですか。<谷の様子はすっかり変り、あの淵は無くなってるのよ>なんにしても今回のプロジェクトがお役にたててよかったです。
ハルト:はい。子どもに還って、すっかり本来の自分に戻れた気分です。本当にありがとうございました。
..そして翌日プロジェクト(カイホウ)終了に当たり、GNL(Global Net League 全地球連盟)本部で大々的な記者会見が行われた。ハルト、マユカはもちろん、GNL首席理事、ジハンギ議長・事務局長が臨んだ。レイカにも出席要請があったが、レイカは固辞した。それなら、タニキ・ノニコをと要請されたが、レイカはこれも頑なに拒んだ。ここまでモニターがどこの誰か、公表されなかった。本人の安全・プライバシーなどを犯し、様々な人間が接触してくる可能性があるからだ。
..会見は、まず2人の紹介から始まった。そしてジハンギ議長の経過報告の後、ハルト、マユカがそれぞれに感想を述べると記者達の質問攻めにあった。どちらの感想も似たり寄ったりだった。「二通りの人生を送り、有意義だった」「夢が実態を持ってやって来た。感動した」などだ。レイカはその様子を部屋で見守っていた。傍らにはタニキ・ノニコもいる。レイカの心配は、モニター2人の移動の目的だ。記者たちに追求され陰謀を暴露してしまわないか、不安だ。だが、<自分たちの悪事を露呈するようなことはしないだろう>と、特に事前に釘をさすことはしなかった。マユカは「とにかく素晴らしい経験でした。今回のプロジェクトの参加は、人生をリセットしてくれました」と結び、記者達から「おー」と感動の声が漏れた。そして質問が、今後の見通しについてGNL首席理事・ジハンギ議長に向けられた。メスチソっぽい首席理事は、「これで時間移動開放の道が開けた。今後いっそうの開放を進める」と発言し、それをジハンギ議長が遮った。「お待ちください。今回のプロジェクトでさまざまな問題も見つかりました。今後については、それらを仔細に検討したうえでなくては何とも申し上げられません」ときっぱり否定した。会場は紛糾した。記者の質問が無秩序に飛び交う。その間ハルトは壇上でしきりに時間を気にして確かめているようだった。落ち着かない様子だ。会場はとうとう怒号交じりになった。司会者が壇上で必死に静止し、一方的に会見終了を宣言した。
..その時大きな声を出し立ち上がった者がある。ハルトだ。
ハルト:待ってください。まだ大事な発表があります!
..ざわめきは波のように後方へ引いた。全員の目がハルトに集まる。
ハルト:今回のプロジェクトでぼくは新生物を発見しました!
..会場がざわつく。「そんな話し聞いてない」「発言を止めろ!」という壇上の声をマイクが拾う。
タニキ:やっぱり河童を公表する気だ!
..レイカは時刻を確認する。約束の12時間が過ぎたばかりだ。
レイカ:そのようね。
..女性記者が叫んだ--「新生物って何ですか?」ハルトは天井を見上げる。
ハルト:日本人なら子どもでも知っている幻の生物です。
..間髪を入れず、あちこちから質問が飛んだ。ハルトは両腕をあげ静止の仕草だ。
ハルト:興味・関心のある方は、後ほどわたしのエージェント(代理人)にご連絡ください。連絡先は会見終了後に配布いたします。
..ハルトは満面の笑みをふりまく。いかにも得意の絶頂だ。
タニキ:どういうつもりなんでしょう?
レイカ:<そうきたか。やっぱり転んでもタダでは起きない男>
タニキ:映像が公開されて、潜水スーツの技術担当が見れば簡単に見破られます。間違いなく会社から苦情がきます。いえ、苦情ぐらいでは収まらないですよ。
レイカ:大丈夫よ。その心配はないわ。それより、あなたの任務は終わったの?いつ戻って来られる?
タニキ:もう一仕事あります。テストが無事に終わったので、今度「発表会」が海水浴場で行われます。イチローくん初め、子どもたちが参加予定です。その付き添いを要請されています。別にぼくでなくてもいいと思うんですが、それが済んだら全て終了です。断った方がいいですか?
レイカ:発表会?いつ?
タニキ:来週の祝日です。その後世界各地でキャンペーンを予定しています。
レイカ:その話し、もう少し詳しく教えて。
..レイカは、何故か「発表会」に興味を持ったようだ。タニキはペーパーPCを取り出すと資料を提示して説明する。
レイカ:ほんと。大規模ねー。相当力が入っているようね。
..15分後、タニキが帰った後もレイカは一人考え込んでいた。
..そして発表会の日が来た。海水浴場が会場だ。レイカが会場に着いた時は、椅子席の半分が埋まっていた。大型3Dスクリーンを備えた特設ステージでは、いま人気のアイドルグループが歌っている。それだけでも若い観客を呼び込むには十分なのだろう、舞台近くの砂浜を埋めた若者たちから、キーキィ、ヒァー、GYa-!と悲鳴が上がっている。タイミングの合図だろうか、時々花火が上がる。空に数機のドローンが舞っていて映像を送っている。ときおりスクリーンが会場の俯瞰像にきりかわる。レイカは大きな天幕の日陰、椅子席の指定の場所に腰を降ろした。レイカには連れがいた。ハルトだ。そのハルトの顔半分は絆創膏で覆われ、片腕を吊っている。
ハルト:こんな所に何の用です?ぼくは別に興味ありませんが。
レイカ:そうおっしゃらないで。何の用かはすぐにわかりますから。怪我はどうですか?
ハルト:ええ、かなり回復しました。念のため腕を吊っていますが、もう三角巾は無くても大丈夫なんです。
レイカ:酷い目にあいましたねー。どうされたんですか?
ハルト:え…まぁ…
..ハルトは返答を避けた。ステージ上のショーには2人とも興味はない。
レイカ:実は、あなたの行動を調べさせてもらいました。
ハルト:えっ…!
レイカ:あなたは河童の動画で一儲けを企みました。そして小さな広告代理店に話しを持ち込みました。その時の条件などは知りませんが、業績が芳しくなかった代理店は、起死回生を狙ってあなたの話しにのりました。その代理店があなたのエージェントです。そうですね?
ハルト:はぃ…
レイカ:荒唐無稽な話しになぜ相手が乗ってきたかというと、その時はまだかろうじて動画を確認することができたからです。でも、映像は劣化し始めていたはずです。ノイズで見えにくくなかったですか?
ハルト:そうです…
レイカ:つまり、あなたは私と約束した12時間の条件を破り、映像を代理店社長に見せました。口頭とはいえ、重大な契約違反です。告訴する事もできます。
ハルト:すいません。告訴だけは勘弁してください。つい、これで一儲けできると欲がでてしまいました。告訴は許してください。
レイカ:その件は後にしましょう。それで、あなたは先日の記者会見であのような発言をしてしまった。その後どうなりました?
ハルト:すぐにTV局や出版社などが飛びついてきました。それで著作権を完全譲渡する条件で前金を受け取りました。いよいよ一社が決定し、映像を確認して渡すことになり…
..そこでハルトの言葉が詰まった。レイカは待ったが、続く言葉が出てこない。
レイカ:焦ったでしょうね。映像は砂嵐のようなノイズだけですもの。
..ハルトはレイカを見つめる。
ハルト:どうして分かります?
レイカ:どうもこうもないわ。最初の研修で説明があったはずよ。光学デジタルの映像は、帰還すると半日で消失してしまうと。
ハルト:そんな事…!
..ハルトが大声を出した。
ハルト:ぼくの記憶にありません!
レイカ:上の空だったのね?それで、どうしました?
..怒った代理店とハルトは揉めた。とうとう喧嘩沙汰になったとハルトは言った。
レイカ:それが怪我の原因ですか。
..ハルトは頷く。
..ステージの歌が終わった。会場が静けさを取り戻して、女性司会者が一段と声を張った。「お待たせいたしました。新作モデルの発表です!皆さん、後方の海にご注目ください!」全員が体を捻り、反対向きになる。そこは穏やかな海が光の粒子を躍らせている。沖に10mほどが少し波立ったように見え、海面に赤・黒・黄などの点が多数生じた。その点が一斉に浜に向って来る。「なにごとだ?」見惚れていると、波打ち際に到着した点の一群が立ち上がる。会場から、 「おー!」と、喚声があがった。そしてあちこちから「河童だ!」「河童じゃない?」の声が沸いた。周囲の林や岩陰から一斉に色花火が上がった。それを合図に子河童たちは観客の方へ駆け出した。ステージに再び歌手グループが現れ、CMイベントに作られた「カッパ・スイマー」を歌い踊る。海からは、好き勝手に嬌声をあげながら続々と子河童が上がってくる。そして観客の間を縦横無尽に駆け抜ける。観客の笑い声に混じり、あちこちで女性の悲鳴に近い声が響く。
..ハルトは立ち上がった。
ハルト:河童だ!河童がこんなにたくさん…
..そのハルトの脇も子河童たちがすり抜ける。一匹がハルトの尻に平手打ちをくらわせて笑いながら逃げた。河童の色はさまざまだ。ピンク、メタルグリーンもいれば縞模様・水玉模様もいた。総数は掴めないが、200匹はいそうだ。会場は騒然となった。しばらくしてようやく司会のアナウンスがあった。「カッパさんたち、もういいでしょ、ステージの前に集まって!」子河童たちが集まり始め、会場も少しずつ落ち着いてきた。ハルトも呆然と腰を降ろした。
ハルト:河童だらけ…もしかして、ぼくが子どもの時目撃したのは…この河童?
レイカ:そうかも知れませんし、そうでないかもしれません。河童を堪能していただけましたか?こんなに沢山いては、あなたの発表は意味がなかったですね。よかったらそろそろ退散しましょう。この大音量は疲れます。
..レイカは立ち上がる。会場を離れ駐車場まで来ると喧騒は遠のいた。
レイカ:あなたの告訴ですが、利益を得ていませんし、ケガを負った結果を考慮して、今回は見逃しましょう。
..そして別れ際にレイカは付け足した。
レイカ:あなたの未来予測は大きく変りました。数年内にお墓が必要となることはありませんので御安心ください。ご家族を大切に。


..数日後、レイカチームはミーティングを行った。今回のプロジェクト(カイホウ)の「総括報告」を作成するためだ。携わった先導士がレイカの研究室に集合している。レイカ、マニホ・タニキ・ノニコが額を寄せ経過の整理をしている。その周囲をなぜかイチローがうろついている。マニホは、午前はキッズカレッジの担当日だった。帰ろうとしたとき、イチローに声をかけられレイカの部屋に行くことを話してしまった。その結果「ぼくも行く」と付いてきたのだ。
イチロ:ねぇ、河童がいるよ。
..イチローが言った。
タニキ:こら、そこらの物をいじっちゃダメだって言っただろ!
..イチローが見ているのは、レイカのデスクのPCだ。レイカはさきほどまで、河童の動画の原版(データ結晶化カメラのカード)を見ながら、どの部分を報告書に添付するか検討していた。その映像をイチローがいま勝手に見ている。
レイカ:自分を見て驚いているの?それじゃ鏡に驚く猿と同じよ。いじっちゃダメ!
..イチローをPCから引き離そうとタニキが立っていった。
ノニコ:マユカさんですが、昨日最後のリハビリを済ませました。
..プロジェクトの仕上げとして、モニターの時差ボケ・生理機能への影響の有無をチェックし、念のため回復のリハビリが行われる。
レイカ:そう。異常はなかった?
ノニコ:はい。これといった機能の変化は認められませんでした。
レイカ:じゃ、無事終了ね。
ノニコ:そうなんですが…
..言葉がつまる。
レイカ:…なに?
ノニコ:帰りぎわに、これから「尼寺」へ行くといいました。
マニホ:尼寺…って、あの「お坊さん修行」の尼寺?観光旅行?
ノニコ:わたしも、気まぐれな観光かと思いました。
レイカ:違うの?
ノニコ:どうやら、本気で尼さんになるようです。
レイカ:へー…、キリスト教の「修道院」じゃなくって?
ノニコ:最初は修道院を考えたようですが、彼女なりにいろいろ調べたようです。
レイカ:それで、仏教の尼僧になると…
マニホ:聞いた事がある、尼寺も修道院も希望者がいっぱいだって。押し寄せてくるので困っているらしいよ。
ノニコ:でも、どちらもPCも無ければ、ケータイも使用禁止ですよね。そんな世界、考えられない。わたしだったらフラストレーションで、おかしくなりそう。
..少し前からイチローとタニキが言い合っている。その声がだんだん高くなってきた。
レイカ:どうしたって言うの?
..レイカが振り向く。
タニキ:邪魔して申し訳ありません。ちょっとこれを見てください。投影します。
..部屋の照明が少し落ち、壁とレイカたちの間に3D画像が出現した。緑青色の淵と滝だ。水音が聞こえる。それを背景に河童が立っている。
イチロ:ほら!河童だよ!
レイカ:だから、キミじゃない。
イチロ:ちがうよ!ぼくじゃなくって後ろだよ!
レイカ:うしろ?
タニキ:戻しますから、イチローくんの背後の水面に注目してください。ここです。
..画面の一部が赤い○で囲われ、画像が逆送した。再生され全員が注視する。イチロー河童の背後の水面下を濃い影が流れていく。
イチロ:ほら、河童が泳いでいる!
..右へ進んだ影は徐々に薄くなり消えた。滝が生じた波紋で、水面は揺れながら空を反映している。そのせいで影の全体像ははっきりつかめないが、子どもが潜水して平泳ぎをしているといわれれば、確かにそう見えてくる。数回繰り返し再生された。既に何度もこの映像を見ているレイカも背景までは注意がまわらなかった。
イチロ:ね、間違いないでしょ、あのとき後ろで河童が泳いでいたんだよ!
タニキ:ありっこないよ。
..タニキが賛同を求めたが、誰からも返事が無い。
マニホ:河童かどうかはおいておくとして、たしかに何か生物が泳いでいるように見えるわね。
タニキ:ただ、ぼくもあの場にいましたが、あのときヒトの子どもがいたとは思えません。やっぱり猿か何か…いっそ解析にかけましょうか?
..しばらく沈黙が続き、ようやくレイカが発言した。
レイカ:魚影よ。それに決まっている。小魚の群れの移動がたまたまそう見えるのよ。
..間髪を入れずイチローが異議を唱えた。
イチロ:ウソだー!たまたまであんなに上手な平泳ぎにならないよ!
..またみなが黙り込んだ。沈黙は、イチローの言い分に納得していることを表している。
レイカ:放っておきもならないわね。映像解析に出しましょう。
タニキ:それがいいと思います。
レイカ:話しがおかしな方向へ行ったわね。だいたい報告書の概要もできたようだし、今日はここまでにしておきましょ。
..それぞれに片付け始めた。レイカは手を動かしながら独り言のように漏らした。
レイカ:あーあ、変なプロジェクトだったわねー。
タニキ:やっぱり一般開放は無理じゃないですか。こんなことにしょっちゅう付き合わされちゃたまんないです。それにいくら先導士がいても手がまわりません。
マニホ:ね、一杯いく?
..マニホがグラスを上げる仕草をする。
タニキ:いいですねー。
レイカ:それなら、内輪の「打ち上げ」をしようか?正式なのは別にあるはずだけど。
..異口同音に賛同の声があがる。
イチロ:ね、「打ち上げ」ってなーに?
マニホ:キミはいいの。これは大人の話し。キミはおとなしく帰るんだよ。
..イチローの口が「へ」になった。不満そうだ。
イチロ:あ、いいのかなー、ムサ…のこと言っていいのかなー。
..マニホの目が大きく開く。
イチロ:言っちゃおうかなー。
..マニホが慌ててイチローの口を押さえる。
マニホ:ダメ!キミはなにも知らない。何も言わない。
..タニキが笑う。
タニキ:どうしたんですか?
マニホ:んんん…なにも。
タニキ:けど、イチローくんは帰んなきゃ。お父さんたちが心配するよ。
イチロ:そー?、じゃ、この前移動したとき会ったお姉さん、サチコってヒトのこと言っちゃおうかなー。
..タニキは驚いた顔で、
タニキ:止めろよ。見てたのか?!
..ひどくあせっている。レイカは吹き出した。<それぞれに弱みをにぎられているようね。まったく油断のならないガキ。わたしは何かあるかしら?>
イチロ:それにさー、ぼくだってチームメンバーだよ。河童はいろいろ役にたったよねー、お姉さん。
..今度はレイカに振ってきた。
レイカ:役にたったわ。ありがとうね。でも、今日は帰んなきゃ。
イチロ:ふーん。じゃ、河童の映像があることバラしちゃおうかなー。
レイカ:<そうきたか……まァ…同行させても問題ないでしょ>分かったわよ。参加していいわ。その代わり映像のことは絶対誰にも言っちゃダメよ。守れる?
..イチローの表情がぱっと輝いた。
イチロ:うん。約束する。
..被害を受けなかったノニコがまず部屋を出た。続くイチローだけが元気だ。
イチロ:わーい。「うちあげ」だー!
..その後をマニホが付いて行く。<もうちょっとでムサシのことをバラされるとこだった。まったくムカつくガキ!>
レイカ:出向先で何かいいことがあったの?
..レイカは笑いながらタニキに訊く。
タニキ:いえいえ、ある女性とちょっと知り合いになっただけです。それだけです。
レイカ:知り合いねー、知り合いもいろいろだから。
..タニキが口を開いたが、レイカが先回りした。
レイカ:映像の解析結果が何とでようが、あれは「魚影」にしておいてね。特に彼、イチローくんにはそれで通すのよ。分かった?
..タニキは驚いた表情ですぐに答えた。
タニキ:分かりました。誰が何と言おうと魚影ですね。
..先頭を行くイチローが振り返って叫んだ。
イチロ:みんなー、「うちあげ」で一杯いこうぜ!
..通りすがりの視線が一斉にイチローに集まる。続く大人4人は、天井を見たりそっぽを向いて知らぬ人をきめこんだ。






「この道はいつか来た道、いつか行く道(完)」





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