透明人間6(tomei6-yoko.html)     

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透明人間になりませんか?

(6)





 

星空 いき

Hosizora Iki

















登場人物一覧表


B妻:…あのねー、なん度おなじこと云うの?
..Dr.Bの妻(B妻)は、ちょっとイラついている。
B妻:なにもないって。変ったことなんて、特にないわよ。
Dr.B:あ、うん…そうか…それなら、いいんだ。
..Dr.Bは茶の間で、熱燗を味わっている。
B妻:こっちの方が言いたいわよ。なんかあったの?なんだか、最近落ち着かないみたいだけど…。
..妻の声をききながら、Dr.Bはなんとなく、背後までぐるっと一回り見回す。〈 まさか、Tのやつ、ここに居ないだろうな 〉
B妻:もしかして、どっか具合でも悪いの…このごろ、なんか元気がないみたい、よ。
Dr.B:別に…悪いとこなんて、無い。
B妻:病院に勤めてるんだから、割引で安いんでしょ。診てもらったら。
..Dr.Bの本職は、医療事務課長補佐だ。〈 あと2年もすれば、事務課長だな。理事たちをもっと味方につけないと…〉立場上、業者(製薬-医療機器-リネン-給食材料-売店-ビル管理など)のリベートが、かなり懐を潤している。その上、時間をやりくりしてφプロジェクトのニセ医者もやってるから、結構な収入だ。だから愛人も持てた。〈 だんだん妻に言えない秘密が、増えてきたな…その上、透明人間につきまとわれるなんて… 。けど、透明になれるって、本当かな?〉
B妻:かわった事と言うか…、上の階のΠ(パイ)さん、知ってるかなー、自治会長の-。
Dr.B:自治会長?…顔を見れば分かるかも…それが?
B妻:浮気してたのがばれて…奥さん、怒りくるって、子供連れて実家へかえっちゃったのよ。
Dr.B:へー…。
..精一杯冷静を装ったが、脇から背中まで冷たい汗が噴き出した。
B妻:正確には、浮気じゃなくて《援交》ね。相手は19歳で、『お金くれるオジサンだから、付き合ってあげた』って、けろっとしてるんだって。だけど、どうして男って浮気したがるの?…あんたも、したいんじゃない?…いいわよ、その代わり慰謝料1億とこのマンションは、わたしの物よ…それでよかったら、好きなようにどうぞ。
..冗談じゃねぇ、とDr.Bは思う。〈 それこそ、こっちの台詞だ。『お世話になりました』って、一億置いて出ていってくれ。そうなりゃ、悩みは全て解決だ。…だけど、透明人間になれたら、I(Dr.Bの愛人)のマンションの出入りも苦労しなくて済むな…> 実は、彼はIについて心配があった。自分以外に若い男がいるのでは…適当に利用されているのではないか、と。 <透明人間になれれば、簡単に確認できる。…Tの話しは本当かな?…120万円返せば教える、か…もし、返さないと、どうなるんだ?…いつまでも付き纏うってことか?〉
B妻:わたし土日いないからね。
Dr.B:えっ?……。
B妻:やっぱり忘れてる。と言うか、ひとの話しきいてないんだから。新潟へ行くのよ。
..そう言えば、10日ほど前にそんなこと言ってたのを思い出した。友達数人と日本海の幸食べ放題ツアーというのに誘われてるが、行っていいかと相談された。
Dr.B:ああ、ツアーか…分かった。腹一杯食ってきてくれ。
B妻:ま、せいぜい羽を伸ばしてちょうだい。ちゃんと食べるのよ。あんまり羽をのばし過ぎると、一億よ。わかってる?
..妻は明日早いから先に寝ると、出て行った。Dr.Bはシステム手帳を取り出すと、また辺りを見回してから開いた。ケータイは、帰ってくると脇の茶箪笥の上に鍵や財布と共に置くのが習慣だ。もう1台、秘密のケータイがある。もちろん妻は知らない。機器が軽く薄くなったおかげで、システム手帳を繰り抜いて隠してある。φプロジェクトとIの専用だ。家に帰る前に駅で電源を切って手帳に隠すのが日課になっている。システム手帳は、ホック付きで仕事専用なので、妻は触れたことがない。とりあえず安全な場所だ。着信-メールをチェックする。明日の土曜日は、プロジェクトの仕事連絡は無い。Iからもなにも無いのを確認すると、挟んでおいた紙片を開く。Tの残したメモだ。今度は内容が分かっているので、ゆっくり2回読むと茶卓に置いて考える。被験者に使用してる注射液は、ほとんどがアミノ酸などの栄養剤だが、開発中の薬品が少量入ってる。
..Dr.Bは長い時間考えていた。その間に熱燗をもう一本つけ、冷蔵庫からチーズを運び、また2回メモを読んだ。〈 偶然…か。Tは、偶然透明になった…〉12時近くなってDr.Bの表情が、晴れやかになってきた。〈 もし、Tの言うとおりだとしよう…たしかに、とんでもない金儲けのビッグチャンスだ。その上Iの事も調べることができる。また、Tが嘘をついているなら、透明人間をおそれる理由もない。120万円でそれがはっきりするなら安いもんだ。…よし!〉明日の土曜、Tに会って金を渡し《透明になる方法》を聞こうと腹が決まった。ケータイを開いてIにメールを打つ。
..........------------------------------------
.............土曜 仕事ができたので
.............遅くなると思う。 けど、
.............そっちに泊まれそーだよー。
.............また連絡する。
.............愛してるよ。
..........------------------------------------
..メールを打ちながら、自然に顔も気持ちも緩んでくる。




..野外ステージに近づくにつれ、人が混んできた。学生だけでなく一般人もかなりいて、みなステージへ向かってるらしい。Dr.Bは、流れに付いて行った。〈 なにが、あるんだろ?〉薄闇の中に、明るいステージだけが浮かび上がり、音楽も聞こえてきた。〈 聞いたことあるな…なんだっけ?〉それは、ずいぶん懐かしい音楽だ。半円形の観客席は、半分ほどが埋まっている。Dr.Bは、観客席の一番後ろからなんとなく辺りを見回した。〈 さて、どうしたもんだろう?〉
女 :△△先生ですか?
..立ち止まっていると声をかけられた。
Dr.B:そうです…が…。
女 :どうぞ、こちらへ。Tさんからご案内するよう言われました。
..メイドの衣装にドーラン化粧の学生に促され、後についていく。中央あたりの一番見易い場所に案内され、チラシを渡された。A5版の簡単な印刷物だ。
..----------------------------------------------------------
....................R大学-魔術研究会公演
.............透明怪人ピンク-ルパンサー


.........◇月◇日(土) PM6:00
.............△日(日) PM6:00     上演時間30分
........ 野外ステージ(雨天延期)










........あなたは、透明人間を目撃する!





..入場料500円 作:****** 演出:■■■■■■
..出演:○○○○、○○○○○、○○○○、○○○○、○○○○、
..----------------------------------------------------------
..流れている音楽が分った。ピンク-レディの透明人間だ。出演者には、Tも名を連ねている。〈Tが作者で、出演もしている…透明人間を目撃する…か〉Dr.Bの好奇心が大きく動いた。なぜ、今日ここへ呼び出されたのか、分った気がした。
..約30分間、Dr.Bはすかり舞台に見入ってしまった。そしてクライマックス。透明怪人がガウンを脱ぎ捨てる。そこには、誰の人影もない。完全に消えてしまった。あとにはTの高笑いの声が、勝ち誇って響く。暗転すると観客から大きな拍手が湧き、Dr.Bも我を忘れて拍手していた。〈完璧だ。完全に透明人間だ!〉やがて全員の歌声でフィナーレを終えると、観客は立ち去った。取り残されたところへ
Q :おまたせしました。
..と、警部(Q)がまっすぐ向かって来た。舞台とは違い、近くで見れば軽そうな若者で、つけひげには思わず笑ってしまう。案内されてステージの裏手へとついて行く。そこは日本庭園らしいが、ほとんど真っ暗でQの懐中電灯だけが頼りだ。少し不安な気分になったころ太い幹の傍でQの足が止まった。「こんばんは、ドクター」と、Qとは別の声が聞こえた。
Dr.B:こ、こんばんは…T君か?
..辺りを見渡すが、もちろん何も見えない。が、声はかなり近くから届いてる。
T :捜してもムダですって。どうでしたか、『透明怪人』は?
Dr.B:あ、ああ…おもしろかったよ。
T :楽しんでいただけて、よかったです。ところで、約束の物持ってきていただけましたか?
Dr.B:用意してきたよ。
..Dr.Bは、スーツの胸に手を入れると、少し膨らみのある封筒を取り出して見せた。
T :それを、そこのQ君に渡してください。
Dr.B:そりゃいいが、透明になる方法を教えてくれるんだろうね?
T :もちろんです。そこで、提案なんですが、どうです、今からご自分で試してみませんか?それで、お互いに納得するのが一番いい方法だと思うんですが。注射薬は持っていらしたですよね?
Dr.B:え、今から…?!薬品は用意してきたが……。
..Dr.Bは、予定外の成り行きに少しパニック状態になった。〈確かに、確認すべきだろう〉が、不安もある。<もしうまくいくものなら、とんでもない金儲けの道が開ける…いや、Tは何か企んでいるのでは…〉いろんな思いが渦巻いて、黙り込んだ。
Q :さあ、行きましょう。
..Qに軽く背中を押されるまま、天井の高い建物に入り、ステージ裏へと向かった。裏はステージよりも広いのだが、大道具などの器材や何本もの配線で足の踏み場も無い。その混雑の一角を大きな布で仕切って、女子-男子の更衣室に当てている。
Q :暗いですから足元に気をつけてください。
..案内のQは、更衣室のカーテンを引く。一坪ほどの広さだ。小さな三段ボックスがあり、壁になんとか全身が映る鏡が取り付けてある。
Dr.B:ここへ入るのかな?
..覗いたDr.Bは、ちょっと不安そうに訊いた。すぐ近くからTの声が聞こえた。
T :狭くてもうしわけありません。中の椅子におかけください。ここで説明いたします。
..水のコップやヘアードライヤー、それに黒いガウンなどを運んで来たQが、ボックスの棚に並べた。
T :まず、その錠剤を飲んでください。
..Dr.Bは、包装された白い錠剤を摘んでじっと見つめる。
T :だいじょうぶですよ。ただのアスピリンですから。
..確かに包装にはAspirinと印刷されている。
Dr.B:飲まないといけないのかね?
T :ええ、それがないと効果がありません。
..Dr.Bはしばらく迷っていたが、錠剤を取り出して口へ放り込むと勢い良く水で流し込んで、ちょっとむせた。
T :次は注射ですが、確認のために服を脱いでください。下着は着けたままでいいですよ。脱いだら、寒いのでそこのガウンを羽織ってくださいね。
..Dr.Bは腹をくくったらしく、言われたとおりさっさと衣服を取ると、ガウンを羽織った。さらに持参の薬品を半分打つように言われ、腕に打った。
T :そのまま待っていても透明化しますが、時間を短縮するために加熱します。
..Qが傍に寄ってドライヤーのスイッチを入れ、ガウンの裾から熱風を吹き込む。
T :ご自分で加減しながら、暑いなと感じるまで暖めてください。ヤケドしないように気をつけてくださいよ。
..QはドライヤーをDr.Bに渡す。受け取ったDr.Bが、自分で
..ガウンの隙から熱風を入れていると、Wが近づいた。
W :明日の霧だけどな。ちょっと位置を変えていいかな。
..Dr.Bに話しかける。
T :おいおい、ぼくはこっちだ。その人は、あした出演してもらう透明人間だ。
..離れた所からTが答える。
W :え〜!、透明人間が二人かよ。まいったな。
Dr.B:わたしは透明人間になったのかな?自分では見えるのだが…。
T :ええ、なぜか、自分では見えるんです。でも、ぼくからは見えませんよ。
..いいながら、Tが近寄ってきた。
T :ぼくは、元にもどってしまいました。先生は15分ほど透明のままだと思いますよ。
Dr.B:だけど、出演ってなんのことだい?
T :それなんですが、透明になるって意外につまらないものでしょ。自分から自分の存在を否定してしまうんですから。そこに透明人の矛盾がありますよね。透明であるがゆえに、透明であることを証明できないなんて。そこで、あした舞台に出てみませんか?観客に、透明人としての存在を確認してもらえますよ。彼らの驚きがあなたを納得させ、透明の証明になります。
Dr.B:芝居なんて、やったことないし、考えたことさえないよ。無理だ。
T :だいじょうぶ。本当の最後の最後、ガウンを脱ぐところだけですから。台詞はぼくがやりますし、顔も体も見えるわけじゃ無いですから、恥ずかしくもなんともありません。それに、ぼくの感では、先生は意外と役者ですよ。やってみましょうよ。けっこう面白いものですよ。昔から、「なんとかと役者は三日やったら止められない」って言うくらいですから。
..言いながら、TはDr.Bの背を押してステージへ誘導した。Nが小道具の位置について一年たちに指示している。
N :あら、先輩……?,……えっ?そっちの透明人は???
..Tは、明日の舞台の変更を告げる。
T :と、いうことで最後にガウンを取るところは、こちらにやってもらいたいんだ。ぼくとスムーズに入れ替わるには、どうしたらいいかな?
..Nが段取りを考え、何度か練習しているうちにDr.Bもだんだんその気になって乗ってきた。
N :最後に、取ったガウンを頭上にかざして観客席を駆け抜ける…というのが、いいんじゃないですか?きっと、うけますよ!
..Nの提案で、Dr.Bはガウンを高くかかげて観客席を走る。ガウンがたなびき、観客は驚きの歓声をあげる…そんな光景を想像すると、走りながら大笑いしたいほどの充足感が満ちてくる。やがて練習が終わって、彼はタクシーを拾うため校門へ向かった。<透明人になるのも悪くないな。それに、これはなんといっても大儲けのチャンスになるぞ!>ついついニヤつきながら歩いていると、どこから現れたのか、左右を二人の黒スーツの男に挟まれた。<?>Dr.Bは両腕を捕られ、いとも簡単に持ち上げられて、あっという間に近くの車に放り込まれた。

翌日、夕方の野外ステージは多くの観客で埋まった。その中には、Tから入場券をもらったYukiもいた。が、なぜか彼女は、観客を離れ遠巻きに舞台を見ている。Tの計画によると、今夜Dr.Bは全裸で観客の中を走り回り、警察に引き渡されるはずだ。やがて舞台に透明犬が飛び出してきた。<もうすぐね>Yukiはじっと見守る。「無理でしょうな、警部殿…これでどうやって捕まえます?」ルパンサーは、ソファーの陰に屈みすぐに立ち上がると一回転した。T,N,W, Yuki、みんなの期待が最大限に膨らんだ。<さあ、振りちんショーの始まりだ!>そして、ガウンの前を大きく開く……なにもない。消えた。ガウンが、すーっと観客席に向かって進む。端まで来ると、少し浮き上がって空中を飛んで行く。観客よりも、舞台の出演者みながあっけにとられた。…!!…?…!…?…
Q :消えた?本当に消えたぜ!
..Qが、役を忘れ思わず叫んでしまった。警官役も舞台袖の照明係りも…そしてTも、Wも、みんなみんな目玉を最大限に開き見つめている。観客から大きな拍手が沸き、感嘆とも叫びともつかない声が一斉に上がった。舞台裏からWが飛び出しガウンの後を追う。なんとか捕まえようとしてるようだ。が、空中を飛んで行くガウンにはかなわない。ガウンはすぐに、暗い木立に吸い込まれ消えた。
..公演は、フィナーレなしで終わった。みんな、どうしたらいいのか分らない混乱状態だった。が、観客は満足していた。拍手がいつまでも続き、サークル全員が舞台に出てそれに応えた。ただWだけは、林のガウンの消えたあたりで何かを調査している。Yukiも、なりゆきをじっと見つめていたが、やがて満足そうに頷くとステージへと向かった。
N :とにかく、撤収よ!
..観客の去った舞台上では、Nが部員たちを叱咤し片付け作業に入っている。
..Tはガウンを抱え、Qと話し込んでいる。
T :ガウンが一枚多いんだよな。
Q :そーすよね。先輩が着ている一着、そしてこれがDr.Bの一着、さらに飛んでいった一着……全部で三着……用意したのは二着だけだから、飛んでいった分は、誰が準備したんすかね〜?
..Tが視線の方向をかえた時、ちょうどステージ下に来たYukiと眼が合った。
T :あ、Yukiちゃん、来てくれたんだ。
Yuki:どうしたのよ〜?裸に〜ならなかったじゃん。せっかく〜ブヨブヨお腹見て笑ってやろうと楽しみにしてたのに〜。
T :ごめん。なんか手違いがあったらしくて。……そういえば、Dr.Bはどこへ行っちゃったんだ?
..Qを振り返って言った。Qが「探してきまーす」と舞台裏へ消えたところへWが戻ってきた。
T :なんか分ったかい?
W :ああ、多少は……話しは後でゆっくりするよ。ところで、今日メンバー以外の者でステージに上がった者がいなかったか?
T :いないと思うが…ああ、電気保守が来たなー。
W :電気保守?
..陽が傾いて物の在りかが分りにくくなった頃、メンバーたちが慌しく準備をしていると「電気の保守点検」に二人の男がやって来た。定期の点検で、事務局から「いま使用中だからちょうど点検にいい」と許可されたと言う。「明日にしてほしい」と断ったが、「すぐに済みます。10分もかかりませんから」と、勝手に高いアルミの梯子を立て作業を始めてしまった。
T :みんな着替えやメイクで一番あたふたしてる時だから、誰も点検になんか付き合ってないけど、すぐに終わって帰ったようだったぜ。それが、どうかしたのか?
W :そうか……ちょっと事務局へ行ってくるわ…その後で、学食へ行くよ。
..全員で器材、大道具、小道具をバンに詰め込み、手早く撤収作業を終えると学食へと急ぐ。ささやかな「打ち上げ」のために、低額で頼み込んでオードブルなどを準備してある。歩きながら、Tが収支の見通しをNに訊く。
N :まだ本当に概算ですけど、今夜の分くらいはじゅうぶんいけそうです。今回は、入場者が予想よりはるかに多かったからだいじょうぶです。これも、先輩のアイデアがよかったおかげですよ。あ、そういえば先輩の彼女、来てたんじゃないですか。ぜひ誘ってください。部員も興味津々だから、歓迎しますよ。
T :それがね、今夜は夜勤なんだって。急いで帰っちゃたんだ。
N :それは残念。小姑根性でじっくり観察させてもらいたかったのに。
..全員が席に着いたところにWもやって来た。TとNが一言づつスピーチして乾杯するとすぐに賑やかになる。ただWだけは、一言も発していない。今もじっとテーブルの一点を見つめたままだ。Tは、ちょっと大きな声を出し席の離れたQを呼んだ。
T :Dr.Bはどうしたんだ?いなかったのか?
Q :ええ、誰も見てないし、所持品もなかったすよ。帰っちゃったんですかね。
T :ぼくと舞台に上がってソファーの陰に待機してたから、その時までは間違いなくいたんだけどなー。誰か、それ以後見かけた人ないかな?
..Tは、ぐるっと全員を見渡す。誰も頭や手を横に振るだけで、見たという者はいない。
Q :まさか、本当に透明人間になちゃった、なーんて……。
N :だけど、おどろいたわ、ほんとうに消えちゃうなんて!いったい、なにが起きたんです?
L :そうよね、Dr.Bを全裸で走らせて、みんなで取り押さえて警察に渡す。それで、復讐完了のはずだったのに、消えちゃうなんて……先輩、どういう事ですか?
T :ぼくにも、何が何だか、さっぱり……。
..と、Wを見つめると、全員の視線がWに集中する。
T :さっき、少し分ったって言ってたよな?
W :ああ、暗くて充分な調査ができないんで、確かなことは明日にならないと分らないけど、これはDr.Bの単独行為じゃない事は、はっきりしている。ある程度以上の組織力のなせるワザだよ。でなきゃ、不可能だ。
T :組織力…って…。
..Tが言い淀むとWはじっとTを見つめた。<ほら、分っているだろ、あの組織だよ>と、彼の眼が言っている。Yukiとφプロジェクトへの復讐を決めて、Tは「ピンク-ルパンサー」を利用することを思いついた。そのために、会員に事情を話し協力を依頼した。もちろん被害者はTでなく、従兄弟のZだという事で。が、Wに嘘は通じなかった。二人きりの時に「おまえも、困ったやつだな。こんなサギにひっかかるなんて」と笑われた。「いつ分った?」と訊くと、「最初からさ」が答えだった。Tの話し振り、内容からして最初からT自身のことだと分ったと言う。その時、「ばれてんなら、いっそ気楽だ」と、Tは黒スーツ二人組の事も話したので、Wだけは総務省官房の特別捜査班の事を知っている。
W :ま、明日明るい時に調べれば、もっと詳しく分ると思うけど、たぶん今頃は、Dr.Bは可なり落ち込んでいるはずだ。それに、もう二度とサギはやらないだろうから復讐は果たせたんだよ。 居なくなってしまったのは、きっとみんなに恥ずかしくて逃げ出したんだ。
..へー、ほー…と、全員が感心し、Wの言葉に聞き入った。
Q :じゃ、ぼくらの悪人退治は成功したんだ。
W :ああ、Good Job だ。
Q :やったー!!乾杯!
..その晩は、初めて公演の収支が黒字になったこともあって大いに盛り上がった。二次会のカラオケは、メンバーの半分ほどが参加したが、その席でLが新事実を披露した。英文科のPの妊娠は嘘だった、というのだ。
L :乱暴されたPちゃんは、なんとか復讐したいと考えて「妊娠してしまった。訴えてやる」と開き直ってみせたんだって。
N :へー、じゃー、お父さんが怒鳴り込んだってのは……?
L :お父さんにも信じさせたのよ。
N :でも、嘘ならいつまでも続かないでしょ?
L :そう、それで「診察を受けたら想像妊娠だった」って、妊娠は取り消したんだけど、それも初めから計画の内らしいの。
Q :でもよ、あの教授、この間退職して地方の小さな会社の研究員かなんかになったって聞いたぜ。
L :妊娠に慌てた大学が、拾ってくれる所を探して無理矢理依願退職させたらしいよ。
Q :それで、田舎の名前だけの研究員か……ま、それだけの事をしたんだから自業自得か。
..もうかなり酔いの回ったNが、グラスを上げると叫んだ。
N :Pちゃん、えらい!!よくやった!!わたしが褒めてあげる!!
T :あのおとなしいPちゃんがねー……ほんと、人は見かけじゃわかんねぇなー。
N :そうよ、だからあんた達も気をつけなさい。あすはわが身よ!
..Nが男子を一人づつ指さす。
Q :なんで、そう繋がるんだよ。
..翌月曜日、Tには珍しく早く登校した。授業に出るためではない。Wの調査を現場で見てみたかったからだ。Wの研究室へ向かうとPC画面を見つめている。覗きこむと、地方気象台のホームページだ。
W :おす。来たか。ちょとメモしてくれ。いいかい?……18時、15.0度、南南西、10.2…19時、14.3度、南、12.5。書けたかい?
..それから机の引き出しの中をかき回し、双眼鏡と方位磁石を取り出した。部屋を出たWの後について行くと、階段を上へ上へと昇り屋上に出た。
T :こんなとこで、何を調べるんだ?
W :ガウンがどうやって飛んで行ったと思う?あれは、薄い生地で、見かけだけ本物に似せて作ったガウンだよ。でも、舞台用と同じように真紅の裏地もあったし、軽いとはいっても1Kgはある。つまり水1000mlと同じ重さだ。それが、約20mを軽々と浮遊した。お前なら、どんな手を使うかな?念のために断ると、機械的な音は全くしていなかったぜ。
T :へー、追いかけてる間に、それだけの情報をつかんだのか。さすがだな。……そーだな……大きな凧か、気球にでも吊るすか……。
W :そうだよ。恐らく真っ黒なガス気球に吊り下げたんだ。そして木立まで強靭な極細繊維で引っ張り寄せる。すぐに繊維を切り離してガウンを回収し、気球は飛ばしてしまう……そんなとこだろうな。夕べの調査で、木立の近くの草がひどく踏み荒らされている所が一部分あった。2〜3人で作業したんじゃ、ないかな。
T :なーるほど。
W :で、お前とDr.Bが入れ替わると決めたのは、土曜日の公演の後彼に会ったときだろう?
T :うん。土曜日にやって来るかどうかは、その時にならなきゃ分らないからな。
W :そうすると、ガウンを飛ばした相手は、その時間より後に計画し準備したことになるな。さっき簡便な方法だけど計算してみたら気球は2mは必要だ。それに偽のガウンとヘリゥムと極細繊維などがいる。さらにもう一つ一番やっかいな問題がある。その気になっているDr.Bを説得し練習しなくちゃならん。
T :そうだよな。
W :短時間でそれだけの事ができるのは、相当に力のある、訓練された組織でなきゃ不可能だ、という結論になる。この件に関心を持っていて、それだけの組織という事になれば、当然あの組織だという事だ。
T :うーん、そういうことか。でも、組織は、Dr.Bがストリーキングするとなにが困るんだろう?
W :それは、オレたちには分らないな。
T :で、ここでなにを調べるんだ?
W :気球探しさ。見つかる可能性はほとんどないけどな。もしかすると、電線かビルに引っかかっているかもしれない。
..Wは足元に方位磁石を置いて、さっきのメモを確認している。
W :お前のほうが目がいいんじゃないか。黒くて2mくらいの物体を南を中心に左右45度の範囲で探してみてくれ。
..と、双眼鏡をTに渡す。Tは双眼鏡の度を調節して、いわれた方向をゆっくり見渡す。
W :風による距離と上昇速度からすると…んー……水平方向に5分間に3.5Kmか……すると、上昇角が、ほぼ30度……。
..Wはぶつぶつ独り言をいいながら、遠くを眺めている。3分ほどたった頃、Tの動きが止まった。
T :あれ?……あれ、それっぽく見えるけどなー。向こうの山の茶色くなってる所の傍に送電線の鉄塔があって、その腕が出てる所に黒い布のような物がはためいている……かなり遠いんで、分りにくいけど……違うかなー。
..Wが双眼鏡を受け取る。Tが、もう一度同じ事を言いながら方向を指差す。
W :うーん、確かにそれっぽいなー。けど、確かめに行くには遠すぎるな。
..二人は研究室へ戻り、ステージへと向かった。
T :舞台から木立まで繊維を張ったんだよな。だれが?いつ?
W :電気の保守係りさ。みんなあたふたしている時で、もう暗かった。空中に極細繊維を張っても誰も気づかないよ。もちろん繊維は一本じゃ無理だから、5〜6本あったかもしれない。それに保守点検があったか、事務局で聞いてきたよ。そんな事はなかったってさ。
..ステージには、格子状のシャッターが降ろされ上がることはできない。
W :保守係りは、繊維を結んだガウンを舞台袖の暗がりに隠しておいたんだろうな。気球がその時付いていたのか、あるいは上演が始まってからつけられたのかは分らないけど、どっちにしても真っ暗だから、少し高い位置にあれば誰も黒い気球には気づかないさ。
..Wはその方向を指さしながら説明する。
W :Dr.Bは、ガウンを着た上に、更にその薄いガウンで体を包むようにしてソファーの陰で待機した、と思うよ。で、お前が屈み込むと、すぐに立ち上がりながら半回転したところで繋がっている繊維が引っ張られ、薄いガウンが上へ持ち上げられる。それに合わせて、Dr.Bは姿勢を低くする。ガウンは前へ引っ張られるから、自然と舞台前方へ進み気球で空中へ引き上げられる。みんなそっちに気をとられているから、屈んでいたDr.Bは、その間に後ろの暗幕の裾から裏側へすり抜ける。ガウンを引き寄せたグループは、急いで回収して気球を切り離す。……だいたいそんなとこかな。
..二人は木立も調べた。そして、細い黒い繊維が一本、幹に絡み付いているのを見つけた。
W :なんにしても、金を取り戻せてよかったな。
T :ああ。それに結構面白い経験だったしな。
W :ただ、小さな疑問が残ってはいる……。
T :なんだ?
W :「日曜日にストリーキングを決行する」と言うことを組織はどうして素早く知る事ができたんだ?
T :……んーー……偵察していた、とか……。
W :そーかなー。どうもその点が釈然としないんだ。
..途中まで引き返すと、Wは研究室へ、Tは「社会保険労務士の勉強会」へと別れた。

総務省地下3階でX(ボス)は、例によって小鳥に餌をやっている。
U :これでφプロジェクトも事実上消滅ですね。
..女性捜査員Uが問いかける。
X :ああ、そうなるね。T君がとんでもない事を考えてくれたので、余分な仕事が増えたけれどね。せっかく殆ど消滅しかけていたのに、T君としては、しっかり復讐しないと納まらなかったんだろうな。それもYukiちゃんのためかな。Hahaha……。しかし、ここへ来て警察沙汰はやっぱり困る。という事で忙しい思いをさせたけど、よくやってくれたよ。ありがとう。
U :いいえ、今回のオペレーションは簡単で楽な仕事でした。ただ一つを除けば、ですけど……。
X :え、それは、何かな?
..Uは笑いながら答える。
U :二十歳(はたち)そこそこのギャルを演じるのは、かなりキツかったですよ。
X :HAHAHA…、いやー、よく似合っていたよ。かわいいギャル看護士さん。でも、さすがに全国6000人の看護士、看護学生の中から選ばれただけの事はあるなと、いつも君の仕事には感心している。君は、看護学校に通いながら演技法、法律の基礎、更には自衛隊のレンジャー訓練まで見事に消化した。当然、知的にも高い水準が要求された。私だって、初めて話しを聞いた時には、そんなスーパーウーメンは居るはずがないと思ったよ。でも、ここに一人いた。いやー、本当にいつもいい仕事をしてくれるので助かっているよ。
U :おそれいります。
X :ところで、この前の話し考えてくれたかな?
U :FBIですか。
X :うん。2〜3年毎に捜査員をFBIに出向させている。今回は、ぜひ君を推薦したいと考えているのだが……。
U :もう少し考えさせてください。
X :無理強いはしないよ。大袈裟な話しではなく、遺体で帰ってくる可能性も低くはないからね。それに、そんな事態になっても観光旅行中の事故か、行方不明で処理される。ただ、無事に三年の研修を終了すれば、君の地位は磐石の物になるし一生は国家が保障する。私は、君ならできると思う。5日の休暇の間によーく考えてみてくれ。
..マンションへ帰ったU(Yuki)は、入浴後飲みたい気分になった。総務省で用意してくれたマンションは、当然セキュリティは万全だが、一人暮らしには広すぎて却って孤独感を増した。リビングの全面強化ガラスの窓からは、天気のいい日には富士山も眺められる。眼下に夜景の輝きを見てワインを飲んでいると、考える気がなくても「FBI」が勝手に浮かんでくる。<3年前のわたしなら、すぐに話しに飛びついただろうな…>だが、今はなにかが足を引っ張っている。「止めといた方がいいんじゃない…」と。<…ううん、ほんとうは、わたしはその訳を知ってる……知ってるけど、直視したくないだけ…>思い悩んでいると、ケータイが陽気なメロディを響かせた。Tからのメールだ。
....---------------------------------
.........イェー!!バイク取り戻したぜ!
.........今度遠出しようよ!
.........一度風になると、もう車に乗る
.........気がしなくなるほど、楽しいよ。
.........都合のいい日教えて!
....---------------------------------
..UはKu…と笑った。そして笑った後涙腺がゆるんで鼻の奥がつーーんとなるのを感じた。



一か月後Tは成田方向へバイクで走っていた。もう空港が近く、頭上をひっきりなしに巨大な飛行機が飛んでいく。高速道を降りて休憩のための場所を探していると、「飛行機に一番近いドライブ・イン」の看板が目に付いた。
Q :UOooo!すっげー!こんな近くで飛行機見たの、初めてっすよー!!
..降りたQが叫ぶと、ヘルメットをとりながらTが怒鳴る。
T :うるせー!なんでお前とツーリングしなきゃならんのだよー!
Q :まだ言ってるんすか。仕方ないでしょ。先輩、彼女に振られたんだから。
T :振られたんじゃねえ!って何度言えば分るんだ!帰ってくるんだって!
..二週ほど前にTはYukiから最後のメールをもらった。
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.........連絡遅くなってごめんね。変なこと
.........になっちゃった。φプロジェクトは
.........とっくにやめたんだけど、その後い
.........ろいろあって、本当の研究所に行く
.........ことになったの。そう、透明人間の
.........まじめな研究所。
.........だから当分会えないの。さみしい!
.........もしかすると今度会うときは、わた
.........し透明人間になってるかもしれない
.........。でも、そしたら二人で透明人間に
.........なればいいんだ!二人ならさみしく
.........ないし、最強のペアになれるよ!
.........ただ、なん年かかるかわからないし
.........、その間連絡とれなくなっちゃうの
.........がつらいよー。
.........とりあえず、これが最後のメールに
.........なるけど、いつか透明人間になって
.........向かえに行くから待っててね!わた
.........しもその日を楽しみにがんばるから。
.........大好きよー!!
....---------------------------------------
..そしてケータイは繋がらなくなった。Tは、その後なん度メールを読み返したかわからない。そして、誰の眼にも明らかに元気がなくなっていった。つい先日Qが、「ツーリング連れてってくださいよー。オレ、バイク乗ったことないんっす。一度乗りたいなー」と言った。それがきっかけで、Tは<久しぶりに遠出してみるか>という気分になった。そして、今朝出発のとき無理矢理Qが後部座席にしがみついたのだ。もしかしたら、元気をなくしたTへのQなりの思いやりだったのかもしれない。
T :あーあ、お前とツーリングなんて最悪!
Q :けっこうしつこいタイプすよね。そうだ!次の時は、オレ、女装してきますよ。
..殴ろうとしたTの拳を身軽にかわしたQが叫んだ。
Q :すっげー!先輩後ろ見て!
..振り返ったTの眼の前をそれまでで一番近距離を大型飛行機が通過していく。窓に乗客の顔が見えるくらいだ。Tも見とれた。やがて轟音と共にどんどん上昇していく飛行機を二人は見送った。が、当然彼らは知らない…その飛行機に決意を固めたUが乗っていることを。
Q :いいなー、一度はアメリカ暮らしも悪くないかも。先輩は、どうだったんすか?
T :もう金髪グラマーにモテモテよ。
Q :ほんとに!?また行きますか?!
T :また行くなら……<Yukiちゃんを連れてってやりたいよ。行きたがってたもんなー>……お前以外の誰かと一緒だな。
..飛行機は輝く青に溶け込み、やがて視野から消えた。














透明人間になりませんか(完)

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Ω

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本を読むと、ちょっと一言いいたくなりませんか? (-_-)

(^0^) 言いましよう!


  

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