はっくつ文庫-------------------------------------DBL(埋蔵文学発掘)会
著作権に充分ご配慮ください。
コピー・転送 禁止です。


結婚はイヴでなきゃ!(1)


 

星空 いき

Hosizora Iki
















hoo----n
..クラクションを長く響かせ、霊柩車が出発を告げる。まわりを取り囲んだ喪服の人びとは、いっせいに合掌し、すすり泣く声がいくつかまざる。カケル( 翔 )も手を合わせ頭をさげる。体の奥から細かい震えが伝ってくる。ゆっくりと霊柩車が動き始める。
..「レナ(麗奈)ー!、さよならーー!」
..若い女の悲痛な声が、車に追いすがる。泣き声が、人の輪を波打って拡がっていく。カケルも思わず嗚咽をもらした。
..車が去っても、黒い集団は、しばらく茫然と立ち尽くしたままだった。
..「この後、二時間ほどかかりますので、しばらく庫裏のほうでご休憩ください。火葬場へ行かれる方は、のちほどご案内いたします」
..葬儀社の男がそう伝えると、ようやくゆっくりと集団は動き出した。忘れていた寒さを思い出したかのように、暖房の良く効いた室内へと吸い込まれていく。すぐに、カケルは一人取り残された。運び出された花々でその一角だけ華やかな本堂のほうでは、葬儀の後片づけを、ジャンパー姿の男たちがてきぱきと行っている。しばらくそのようすを眺めていたカケルは、やがて庫裏ではなく寺の墓地に続いた小高い駐車場に向かった。駐車場といっても、雑木林を伐り広げただけの広場で、舗装もしてない。参列者の車が、思い思いの方向をむいて停まっている。カケルは車の間を抜け高台の端に出た。雑木を切り払ったせいで、展望が利くようになっていた。小さな都市の市街地が眼下に拡がる。A駅が足下にあり、駅前にはオフイスビルやビジネスホテルなどが背比べしている。眺めるともなく見渡していたカケルの視線が、派手な色のビルで止まった。映画館だ。
..レナ(麗奈)とカケル(翔)は、同じ会社の社員だが、部署はちがう。カケルは企画販売課、レナは総務課で、ふだんは用でもなければあまり顔を会わすこともないが、社員30人ほどのいわゆるベンチャー企業だから、全員が互いの顔はよく知っている。レナは高卒で2年前に入社した。カケルより六歳下だ。「かわいい娘が入ったな」と、カケルも意識はしていたが、とくにうち解ける機会もなく、日常的な挨拶をかわす以上に関係が進展することもなかった。それに、独身の男たちはみな多かれ少なかれレナに強い関心を持っていた。会社帰りの酒に付き合うと、いつしかレナの話題になる----「あのコかわいいよなー」「いやみなとこがないのが、いいよな」「おっとりしてるようで、やることはテキパキやるし」「 カレいんのかなー」----。そればかりではない。既婚者でさえ「あわよくば----」と、狙っている。ともかく、競争相手が多いとカケルはそれ以上踏み出す胆力はない。
..2か月ほど前の晩秋の土曜日。カケルは電車で一駅の、会社のあるA町へ向かった。毎日乗っている電車だが、昼近くの二両編成の列車はふだんと違ってすいていて、流れる時間さえゆっくり穏やかだ。土曜日にわざわざ電車に乗ったのは、最近話題になっている映画を見ようと思ったからだ。おまけに、3〜4日ぐづついていた空がみごとに晴れあがって、外出したい気分になったから。A駅前からまっすぐ進むとオフイスビル街で、どのビルも1階はブティック・レストラン・飲食店などの商店でにぎわっている。線路沿いに左手へ進むと、夜に華やかな灯りをともす歓楽街で、反対の右手はビジネスホテルが並び、そこに映画館がある。映画館へ近づいたとき「カケルさん・・・?」という、語尾あがりの声が聞こえ、足を止めた。
..声の方向を振りむくと、レナが立っている。血圧がピンとはねあがった。すぐに言葉がでない。
.レ ナ:やっぱり、そうだ。----こんにちは。
.カケル:!-*-∞--!! あ----こん--に--ちは。
.レ ナ:こんなとこで、なにして----ああ、もしかして、映画ですか?
.カケル:うん。出て来たついでに----この映画、前から見たかったんだ。
..カケルは、落ち着いてきた。映画館の前で、レナは看板を見上げ
.レ ナ:これ、評判ですよね、とにかくすごいって。
.カケル:もう、見た?
..レナは、頭を横にふる。そしてしばらくの間二人とも黙って、看板を見上げていた。
.カケル:そう。じゃ、いまからいっしょに、どう?
.レ ナ:えっ?
..レナは大きい瞳でカケルをみつめる。
.カケル:ぼくも一人じゃ、つまんないし----なにか、ほかに用事でも----。
.レ ナ:ううん。用事はすんだから、なにもないけど----。
.カケル:じゃ、見ようよ。チケット買ってくる。
..驚いた表情のままのレナを残し、カケルはチケットカウンターへ急いだ。予約はしてない。ロビーは、そこそこ混んでいる。一人分くらいなんとかなるだろうと出かけてきたが、二人分となると無理かもしれない。短い列に並んでいる間、<空いてますように>と祈る気持ちだった。
..幸いにチケットは入手できた。次の回の入場まで1時間ほどある。天井から床、壁まで深海を思わせる濃紺一色のロビーには、小さなバーガーの店や喫茶コーナー、映画のキャラクター商品などを販売する店などがあった。
.レ ナ:あっ、これかわいい。
..レナがキャラクターの形をしたちいさなポーチを手にとった。
.カケル:ね、ね、こいつ憎らしい顔してんな。
..カケルが手にしてるのは、ぐれてふてくされているような顔のネコのキャラ。
.レ ナ:そこが、かわいいんですよ。
.カケル:へー、そんなもんかなー。
..商品に(つっこみ)をいれたり、笑いころげたりしているとすぐに入場時間になり、待っていた人の群れが、さらに暗い奥へ吸い込まれていく。カケルとレナもその流れのままに進むと、3Dメガネを渡された。
.レ ナ:なんだかドキドキする。
..カケルも同じ気持ちだった。
.カケル:うん。なにが始まるんだ--って、感じ。
..それが、レナと親しくなれたきっかけだった。あの日、映画に行こうという気にならなければ----と、高台から映画館を見下ろしてカケルは思う。その後のレナとのしあわせな日々はなかっただろう----そしてレナが、クリスマスイヴの死にめぐり合うこともなかっただろう----。カケルは、大きく溜息をついた。
..映画の後、カケルは空腹を覚えた。そろそろ3時になろうとしている。「すごかったなー」「うん。おもしろかったわ」と、興奮を引きずりながら二人は外へ出た。
.カケル:あー、お腹すいた。もう、とっくにお昼過ぎてるもんな。あっ、ごめん、お昼まだだったんじゃない?ぼく、朝からなにも食べてないんだ。起きて、すぐ出てきたから。
..すぐそばにマクドナルドがあり、「あそこにしよう」とレナに言いカケルは歩き出す。
.レ ナ:チケット代とってくださいね。
..席につくと、レナは財布を取り出して開こうとしている。
.カケル:だめだよ。ぼくが無理に誘ったんだから。
.レ ナ:でも----。
.カケル:ほんとうに、そんなこと気にしなくていいから。おかげで、ぼくも楽しかった。無理言ってごめん。
.レ ナ:それでは、もうしわけないです。
.カケル:ほんとうにいいんだって。割り勘にするつもりなら、入る前に言うよ。そんなこと忘れて。
.レ ナ:ありがとうございます。
..そこでレナは、ほんの短い間考え込む表情になって黙った。そしてすぐ、くすっと笑った。
.レ ナ:映画館ってなんとなく女の子ひとりだと、入りにくいでしょ。だから、うれしかったです。できれば、見たいなーっておもってたから。
.カケル:へー、そんなもんかな。----だけど、言われてみれば女の子の入りにくい所って、けっこうありそうな気がするな。居酒屋、パチンコ・スロットはもちろん、レストラン--牛丼屋も、けっこうハードル高いよね----
..<男のひとには、想像できないわ。コンビニでひとりで立ち読みするだけでも女の子には視線がつらいのよ。ただ外を歩くだけでさえつらい時もあるの。>レナが、カケルをさえぎるように言った。
.レ ナ:だから、うれしかったです。ありがとうございました。でも、きょうのこと会社のひとにはないしょにしてくださいね。いっしょに映画に行ったって評判になると、なに言われるかわからないから。
.カケル:了解です、隊長。
..カケルが敬礼の振りをすると、レナは吹き出した。そしてその日は、マックを出たところで別れた。それから会社内では、ふたりとも普段どおりに努めた。ケータイのナンバーとアドレスの小さなメモをいつも胸ポケットに入れて、カケルはレナに渡すチャンスを覗った。2〜3日後、カケルがトイレの帰りに湯沸し室を通りかかると、ちょうどレナがひとり、湯のみを拭いていた。
..チャンス!
..カケルは「やあ」と入り込むと、すぐにメモを取り出し流し台に置いた。ところへ、「レナちゃーん、すんだー?」とレナの同僚が、入って来た。
.カケル:--水----ありがとう。おかげで落ち着いたよ。
..言いながら、自分の体をレナの盾にして侵入者の視界を塞いだ。その間にレナは素早くメモをポケットへ押し込んだ。もう一度「ありがとネ」と、侵入者の脇をすり抜ける。同僚はちょっと怪訝な顔でカケルを見送った。「なんかあったの?」と同僚は心配し、レナが答えるのが聞こえた。
.レ ナ:ううん、なにも。ただ水が飲みたかっただけみたい。
..レナから空メールが届いたのは、アパート近くの定食屋で遅い夕食をとっていた時だった。<やったー!!つながったぜ!>カケルは、思わずガッツポーズをした。同時に膝がテーブルに当たりかなり大きな音が響いた。定食屋のおばちゃんが驚いてカケルを見つめ、「なんだい?やけにうれしそうだけど」と近寄ってきた。
.カケル:彼女ができたよ。いや、まだ彼女までいかないけど。
..「ほう、よかったじゃない。どんな子だい?」とケータイを覗きこむ。
.カケル:写真はまだ無いよ。けど、すっげーかわいい子だよ。
..「まあ、がんばりなよ。いいねー、若いもんは」と、食器をさげていった。
..オフィスビルの陰になって見えないが、高台のカケルの視線はレナのアパートを捕らえている。段々とメールのやりとりも増え、比例してカケルのハッピー度も上がっていった。2週間めには、いっしょに遊園地にも行った。冷たい風が吹きつける高台で、カケルは楽しかった日々を想いだす。それまでのカケルは、TVドラマの類いに興味がなかった。特に連ドラは、もうなん年も全く見たことがない。帰りが遅くなるせいもあって、カケルのTVは、ニュースかその時話題のスポーツ中継がほとんどだ。レナは、若い女性らしく評判のドラマや音楽番組を見ているのを知った。意外だったのは、推理物がけっこう好きだということだ。それからカケルも推理やサスペンス物をなんとなく見るようになり、そのうち放映中にTelし合って、「たぶん、あいつが犯人だよ。ケガしてるのもあやしい。きっとケガしてないんだよ」「けど、密室よ。どうやったの」「それは、まだわからないけど--」「わたし、奥さんのほうがあやしいと思う」「そう?--あの旦那の奥さんにしては、美人すぎるしな」「ふふ、なーに、それ」他愛の無いやりとりが、日々のストレスの解消にもなり、それまでの生活がいかに会話の無い生活だったかに気づいた。カケルの生活は、単調な直線上を流れていたのが、少しづつ平面的に変っていった。そして、その頃から----。

駐車場へ来てから15分ぐらいだろうか。昨日・今日に亘って関心事からはづされていた事柄が、頭をもたげる。<今日は12月27日、明日が仕事納めの28日----昨日26日(月)と今日27日(火)を休暇を取ってしまったから、明日仕事納めするのは、無理だな----今夜会社へ戻って残業するか。とにかく、庫裏へ戻ろう>と思ったとき、左隣りに人影を感じた。もう少しで肩が触れ合うほど近くで「カケルさんですね」と女の声がした。カケルは女の方を見る。女は目が合うと軽い会釈をして、またじーっとカケルを見つめた。
.カケル:そうですけど----?
..知らない女だ。地味な服装--参列者だろうか?
..「突然でごめんなさい。センドーです」カケルと同年齢か、もしかしたら三つ四つ上かもしれない。ずいぶん落ち着いた口調だ。いや、むしろ機械的な口調だ。電磁調理器が「次ニ、取リ出シテ10秒カキマゼテクダサイ」と言うのに似てる。それに、美女の見本のような表情も、人間というより『よくできたマネキン』の印象が強い。<センドー?、千堂?>
.センド:先ほどマサトさん、釈放されました。
.カケル:えっ!
.センド:アリバイが立証されたそうです。
.カケル:?--!--?
..<そんなバカな。なぜだ?>
..24日(土曜日・クリスマスイヴ)、何度電話をしても、レナはケータイにでなかった。カケルとレナは、5時ころからカケルの部屋で二人のクリスマスを祝っていた。レナは6時半ころに予約していたケーキをとりに近くの店に行ったのだが、30分たっても戻らない。心配になり探しに行きたかったが、カケルは急に襲った体調の異常と戦っていた。立ち上がりにくいほどの全身脱力感に襲われ、部屋で死に掛けたトドのように転がっていたのだ。 翌朝(25日・日曜日・クリスマス)になると、体の異常は嘘のように消え、カケルはレナのアパートへ向かった。大家さんとは以前から顔見知りなので、なにか知らないか寄ってみた。大家もレナが夕べ部屋にいなかったようだと、心配していた。そのままレナの部屋で待つことにして、もう何十回目かの電話をした。<いったい、レナはどこへ行ってしまった?>
..rururu---
..「はい、もしもし--」<出た!>だが、男の声だ!?警察だと言う。今朝、レナと思われる遺体を発見した。所持していたケータイから「今、カケルさんに電話をしようとしていたところです」、遺体を確認して欲しいという。<イタイ----イタイってなんのことだ?!>10分後、アパートへパトカーが向かえに来た。そして----警察署の安置室の白布の下は、まちがいなくレナだった。その後、別室でカケルはかなりしつこく事情を訊かれた。レナは、B町近くの林道を奥へ入った橋の下に転落していた。今朝早く通りかかった奥の村落の住人が、橋の欄干にマフラーがはためいているのを見て不審に思い、車を降りて発見したという。
..その時から今現在まで、とうていレナの死をうけいれられない。 すぐに<マサトだ!犯人はマサトに違いない!>と思った。そして、警察は25日夕刻にマサトを重要参考人で連行した。それを聞いて、これでマサトは自供し一応事件にけりはつく----と、カケルは思っていた。
.カケル:そんなバカな!
..二人の間に暫く沈黙が続いた。
.センド:事件の真相、知りたくないですか?
..カケルはセンドーを見つめた。

レナと付き合い始めてひと月ほどたった土曜日、カケルとレナはバスの席に並んでいた。バスはA町駅前発でカケルのB町を経由し、50分ほど先の『紅葉の郷』までの定期便だ。カケルも、その郷に紅葉で名高い名刹があることは知っていたが、訪れたことはない。レナが、いま一番見ごろだという情報を得て、先日から同じバスに乗るように約束していた。この時期一か月は、バスも増便されて休日はかなりにぎわっている。いまも乗客のほとんどが、見るからに「もみじ狩り」客だ。終着点の寺院は周囲を赤・黄・緑の光りに包まれ、降り立った乗客たちから思わず「うわー」という喚声がわきおこる。それが、境内だけではない。取り囲む山々がすべて錦秋に染まっている。
.レ ナ:わー、すごい!、きれい!
.カケル:ほんとうにすごいな。まるで色彩のお祭りだ。
..境内に入ってしばらくは、言葉を忘れたかのように歩き続けた。地面も同じ模様の絨毯を敷きつめたように鮮やかで、古い池の水面に、いろんな色のモミジ・カエデ・ナナカマド・ブナ・ナラなどの葉が吹き寄せられいる。
.カケル:レナちゃんのおかげだよ。でなきゃ、一生この景色知らずにすんだかも。
.レ ナ:来てよかったわー。心までもみじに染まりそう----。
..ふたりで写真を撮ったり、レナは落ち葉をいくつか拾い集め、永い時間時どき手をつないだりしてゆっくり散策していると茶店があった。「疲れてない?ちょっと休もー」と、レナの腕を取って赤い毛氈の椅子に掛ける。
.カケル:もみじ餅、黒蜜だんご、みたらし団子、ごへい餅----
..壁に貼られた口上を独り言のように読み上げる。
.カケル:おうす?--おうすってなんだろ?
.レ ナ:抹茶のことじゃない。
.カケル:ああ、あの、茶道でやるやつ?う--ん、よし。それを試してみよう!いっしょで、いい?
..やがて和服の女性が「おうす」を運んできた。
.カケル:きっと作法がうるさいんだろうけど、ま、いいや。これなんだ?
.レ ナ:これ、干菓子ね。麦焦がしよ、きっと。わたしも、ちゃんと習ったことないけど、お茶碗をこう廻すの。
..カケルも廻してみる。レナが笑いだした。
.レ ナ:反対まわりよ。それにそんなにぐるぐるまわすんじゃないの。
..カケルは一気に飲み干した。
.カケル:茶碗がでっけー割りにちょっとしかはいってないな。
..レナは、茶碗を落しそうなほど笑いころげる。
..「あーあ、おかしい」と、レナはようやく落ち着き両手でささえて茶碗を持ち上げ、一口飲んだところで突然動きが止まった。大きな瞳をさらに大きく見開き、茶碗越しに一点を凝視している。顔は白くなり完全に固まってしまった。カケルはレナの視線の方向を追った。そぞろ歩く人たちがいるだけで、特に驚くほどのものはなにも無い。
.カケル:どうしたの?
.レ ナ:あっ--ああ--あー
..レナは心なしか、小刻みに震えているようだ。「どうした?」「大丈夫か?」「気分が悪いのか?」などと、カケルは落ち着かせようと、背中をさすったり、手を握ったりして声をかけた。肩で息をしていたのが、少しづつ深呼吸のように変り5〜6分かかって、少しは自分を取り戻してきた。
.レ ナ:ごめんなさい。もうだいじょうぶ。
.カケル:どうしたの?なにか見たの?
..レナは、こっくりとうなずく。
..レナの話しを整理すると、次のようになる。
..レナのアパートと会社は徒歩で20分くらいだ。帰りに食品などの買い物をして、一時間以内には帰りつく。二週間ほど前の夕方、いつもどおり徒歩で帰宅の途中、後ろで突然子供の泣き声が響き思わず振り返った。そして、5〜6メートルほど背後の男と目が合った。ちょうど夕日の逆光が射していたので、顔は分らなかったが、射るよな視線でレナを見つめていた。恐怖を感じたレナはとっさに駆け出し、アパートまで一気に 走ったという。その日、男はさらに追いかけてはこなかったようだ。そのことがあってから、帰宅時とアパートの部屋を出るときは、なんども背後を振り返ったり、周囲を異状に警戒するようになった。部屋にはシャワーがついていて、そこに小さな洗濯機も置いてある。以前は銭湯へもよく出かけたが、そのことがあってからは出かける気にならない。
.レ ナ:もしかして、気のせいかも--とも思ったけど--
..その後、やはり帰宅時に一度つけられている気がした。ちょうど出くわしたアパートの大家さんにも話した。とても気のいい大家さんは、たいへん心配してくれて、毎日夕方以降アパート周辺を見回りしてくれている。そして、最近一度、電柱の陰に佇む男を見かけ声を掛けたと言う。さらに「会社が退けたら電話しなさいよ。わたしゃヒマだから、行ける時は自転車で向かえに行くから」と言ってくれている。事実、帰りのスーパーで二回ほど大家さんと会って一緒に帰った。「偶然会えたね」と言っていたが、おそらく偶然ではなかったのだろう。
.カケル:で、もしかして、さっきその男を見た?
..レナはまた大きくこっくりと頷く。
.カケル:どこにいたの?
.レ ナ:あの木のかげ----木に隠れてこっちを見ていた。あの目--まちがいないと思う。
..と、少し離れた大きな木を指差した。カケルも木の方を見る。
.カケル:それで、男は?
.レ ナ:すぐに走って、向こうへ行ったわ。----ああ、けど、ほんとーにこわかった。でも、ここにいるってことは、づーっとつけて来たと言うこと?バスも同じで?
.カケル:そうかもしれないし、もしかしたらバス乗り場で『紅葉の郷』行きに乗り込むのを見て、ここだと見当をつけ車で先回りしたのかも----。
..レナの話しを聞いているうちに、カケルの思考の中にある男が浮かびあがり、だんだん鮮明になってきていた。<もしかして---->
.カケル:その男、全く知らないやつ?もしかして、どこかで顔を見たことがあるとか----?
.レ ナ:ううん、わかんない。だって、ちゃんと顔見たことないから。
..帰りのバスでは、二人とも無口だった。カケルは、思い出している、中学高校同級生のマサト(真人)を。彼は、先生や友達の親たちにはすこぶる評判がよかった。「明朗」「快活」「スポーツマン」「成績優秀」などなどで、担任になった教師でそれを疑った者は、おそらく一人もいないだろう。だが、生徒の彼をみる目は全く違っていた。「暴力的」「残忍」「陰湿」「デーモン」だと見ていた。それを顕す噂には、小学生のときからこと欠かない。小3〜4のころ、マサトはよく犬を飼っていた。かわいい子犬を連れて遊んでいるのをよく見かけた。それが、半年しないうちにいなくなる。「犬はどうしたの?」と聞かれると、「逃げてしまった」あるいは、親戚か知り合いがほしがるんで「あげちゃった」。その繰り返しが何度も続いた。あるとき、少しはなれた山にキノコとりに入った人が、偶然に何匹もの犬の骨がかたまってあるのを発見した。木の幹に紐をくくりつけられ放置されたのではないか----と、いうことだった。後になってのカケルの想像だが、うまれたばかりの子犬はかわいがるが、大きくなってくると面倒になり山へ放置するということを、何度も繰り返したのではと思われた。さらにもっと近くの人家のせまった山で、何度かボヤさわぎがあった。燃え残りのマッチや紙くずが散乱していて、子供の火遊びではないか、ということだった。
..カケルが中2の時だったと思うが、町を流れる川で矢のささった鴨が見つかり大きな騒ぎになったことがある。傘の骨で作った手製の矢だった。この事件はマサトが起こしたことは、はっきりしている。彼は、取り巻きを集め手製の弓矢を自慢して披露していた。が、生徒の間では常識でも、大人に情報が漏れることはなかった。土日に密かに呼び出され、万引きさせられた男子生徒のことも、生徒たちは知っていた。高校生になってからは、同級の女子に暴行したらしいという噂が流れた。すべて拾い出せば、この手の話しがどれだけあるのか見当もつかない。マサトが別名マジン(魔人)と呼ばれていたのは、案外本人が気に入っていたのかもしれない。
..だが、高校を卒業した後のことはカケルも知らないし、思い出したくもない人間のひとりだった。そして、いつしか忘れてしまっていた。
..まだ街を夏の名残が支配していたころ、カケルは上司の課長に同行するように言われ、新しくクライアントになる予定の会社の応接室に座っていた。同行した35歳の若い課長は、交渉の経験も少なくかなり緊張しているようだった。やがて、相手の課長と担当者が「おまたせしました」と入ってきて、その顔を見たときカケルは「おや?」と思った。名刺交換が済むと、若い担当はカケルの名刺をじっと見ていたが、「もしかして、〇〇高校ですか?」と訊いてきた。カケルも内心<ああ、やっぱり!>と思った。「やっぱり、そうだ。カケル君だよね。ぼく、マサトだよ」「ああ、マサトくん」「久しぶり。そして奇遇だね。こんな形で再会できるとは!」「ほんとに----」
..あと、なにを言っていいのか分らなかった。<なんてことだ!できれば会いたくなかった!!>そんなカケルの想いとは裏腹に、どちらの上司も二人が同級生であることを手放しでよろこんだ。まるで途轍もなくめでたいことが降って湧いたかのように。一番喜んだのは、カケルの上司だ。もう全てお前にまかすから巧くやってくれ、オレは降りるぞ、という腹が目に見えている。その後仕事の方は順調に進み、その点だけに限ればカケルの社内の評価も高くなり申し分なかったが、マサトがちょくちょく仕事で社へ遣ってくるようになった。ちょうどカケルとレナが初めていっしょに映画を見た頃、社に来たマサトに「ちょっと、お茶しようや」と外へ誘われた。課長は「どうぞ、どうぞ、いってらしゃい」と、笑顔で送りだした。近くの喫茶店で、座るといきなり訊いた。
.マサト:お前んとこの総務課にかわいい子がいるなー。カレいんのか?
.カケル:ああ、あの子か--カレいるようだよ。
..カケルは予防線を張った。
.マサト:Fu--nn.ま、いたって関係ないけどな。それに、ありゃバージンだぜ。女の見立てには自信あるんだ。まちがいないよ。
..マサトの魂胆は見え透いている。カケルは、テーブルの下で拳を握った。<だったら、どうしたって言うんだ!>握った拳が相手に向かって飛び出さないように押さえ、表情は平静を保つのが精一杯だった。
.レ ナ:カケルさん?B町駅前よ。降りなきゃ。
..レナの声と同時に体を軽く叩かれ、カケルは現実に戻された。あわてて外の景色を見回した。ちょうどバスが、駅前に着くところだった。
.カケル:いいんだ。送っていくよ。
..レナは予期してなかったらしく、<え?>という顔になった。
.レ ナ:いいの?
.カケル:さっきのやつが、なにを考えるか分らんから。
.レ ナ:わたしは、うれしいけど。
.カケル:アパートへ帰ったって、かえって心配が大きくなるだけだから、いっしょに居たほうが、ぼくも安心だよ。
..レナは、頭をカケルの肩に寄せて来た。<レナのストーカーは、マサトだろうか。ぼくはそう思っているが、今のところ何一つ根拠はない。ぼくもレナも全然知らない、他人の可能性だって充分ある。----ただぼくなら、暗がりでも、全身が見えたらマサトか別人かの判別はきっとつく。一目でも見られれば、対策のたてようがあるかもしれない>
..カケルの左手は、レナの手を包み込むように握った。

ずーっと風に吹きさらされているので、カケルはかなり冷えてきている。その耳へ淡々とした言葉がふたたび響いた。
.センド:なにがあったか、真実を知りたくないですか?














Ω






「結婚はイヴでなきゃ!(2)」へ続く





「はっくつ文庫」トップへ

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞








本を読むと、ちょっと一言いいたくなりませんか? (-_-)

(^^)0^) 言いましよう!





web拍手 by FC2
ご感想メールをお送りください。

今後の参考やエネルギーにさせていただきます。(編集部)








ここは文末です。














DBL(埋蔵文学発掘)会
inserted by FC2 system